星の海のカリオペ
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地球西暦三〇〇〇年も近い、その年に。
私はついに地球から見て射手座の方向にある、銀河の中心に近い「射手座A」へ到達しようとしていた。
人類が思い描く数ある冒険夢の一つ、それはブラックホールへの旅。
幾度も我々地球人類は挑んできた。
大航海時代を髣髴とさせる、不屈の精神を持つ先人達が開いた、銀河のあらゆる航跡を辿って、我々は来たのだ。
光を呑み込む奈落の底の、そのまた先へ。
人類は実に偉大だ。
人類の尽きない好奇心を満たすために、文明を築き上げ、そして地球をも飛び出して、いまや神の世界を肉眼で視れるのかもしれないのだ。
光り輝くガスが円盤状に渦を巻く様は、既にこの世の美しさではない。
渦の中心はプラズマで覆われており、ブラックホールの姿は見えない。
その強烈な光の中から電子や陽子が噴出して、ジェットと呼ばれる神の光の腕を、遥か数百万光年も先に伸ばしている。
その神の腕に、今にも奈落に落ちそうに揺れている星、囚われの身で逃れられない星、激しいエネルギーの対流の中に産声を上げた星、まるで無関心に居座っている星、様々な星々がブラックホールの周囲で賑わっていた。
私は、その光景を実に楽しく見ることが出来て満足だった。
「―――ごらん。むこうで星がダンスをしている。地球からはゆっくりとしか見えないし、地球時間で二万六千光年も経たないと、今見てる光景は届かないんだよ。不思議だね」
後ろに居る人影に気付くと、手招きして呼び寄せる。
『お呼びですか、リュウイチロウ』
すこし機械的な音声が背中に投げかけられた。
「なんだね、ひと時も見逃しちゃならんよ。さあ、ここに来て。―――カリオペ」
そう言って彼が引いた手は、これもやはり機械的な感触が否めないものだった。
『私はそのような情緒性を備えてはおりませんが』
遠慮がちにリュウイチロウを見やった。
「いいんだよ。二度と見れないのかもしれないのだから。カリオペ、この神の世界に居合わせた幸福を共有しよう。この喜びは君とでないとダメなんだ」
その腰を引き寄せて、モニターの前に立たせた。
カリオペは、しばしその神々しい光景を眺めて、リュウイチロウの背中に手を当てる。
『リュウイチロウ、あなたと共に数々の宇宙を見てきましたが、私のようなアンドロイドでも、この世界は驚嘆すべきものと考えます』
その仕草は、まるで彼の恋人のようである。
ヤニ・リュウイチロウは満足げに、女性型アンドロイドへ微笑みかけた。
アンドロイド・カリオペは少し沈黙したが、やがて多少の陰を含んだ声音で言う。
『―――リュウイチロウ。奥様もこの世界を御覧になったのですね』
「……そうだね。彼女も……カリオペも、この絶景を見ることが出来て幸せだっただろう」
幸せでなくては困る。
リュウイチロウは、モニターの脇に置いた手に力をこめた。
ここが、彼女の墓標。
ここに散ったはずの、彼女の命はきっと今ここに漂っているのかもしれない。
―――私は此処に、還って来たのだ。
カリオペ。
私のカリオペ。
リュウイチロウは、彼の妻カリオペの美しい面影を胸に、神聖な雰囲気に浸っている。
アンドロイド・カリオペは、その様子を見守っていたが、チカチカと光る呼び出しに応じるためそっと彼の傍を離れた。
『御用でしょうか』
「ヤニ・リュウイチロウ博士はいらっしゃいますか」
『もうすっと、ここに』
かすかな風切り音を出してドアが両脇へスライドして開き、士官が一人が現れる。
「――出発の準備が出来ました」
アンドロイド・カリオペに敬礼すると、視線はリュウイチロウを探す。
部屋の明かりを暗めにして、モニターの前から離れようとしないリュウイチロウは、体の向きを変えて士官を見やる。
「ここに来てから地球時間で一ヶ月近くになるんだが、随分と手間がかかりすぎなかったかね」
「博士の仰る事は勿論なのですが」
さあ、と促す士官に伴われて、アンドロイド・カリオペも艦長に挨拶しにブリッジに行く事にした。
なぜなら、この作戦はアンドロイド・カリオペも欠かせないものだからだ。
「目の前に居る妻にも会えないなんて、ずいぶんな仕打ちだったよ」
肩をすくめて皮肉を投げる。
船はブラックホール周辺の恒星を回る惑星に着陸し、エネルギー・シールドの幕に覆われて、ブラックホールの凄まじい磁気嵐や放射線の雨から守られている。
モニターや実際の窓には、電子などがそれぞれにぶつかって生じる、極彩色のオーロラが眩しく差し込んでくるために、だいぶ暗めのシェードが下ろされていた。
人工の光よりは百倍も美しいのに。
そうは思っても、リュウイチロウは口にはしなかった。
「……ご気分はいかがですか」
艦長が最初にご機嫌を伺ってきた。
嫌味でもないので、特に、とそっけなく答えて艦長の次の言を待つ。
「いよいよ、人類初のブラックホール突入ですが、出発の前にお渡ししたいものが」
そう言って艦長が軽く手を振ると、傍らの士官が花束を差し出した。
「……これは何かね」
「失礼ながら、奥様に花の手向けを」
嬉しいとも、哀しいとも、どの表情もせずにリュウイチロウはそれを受け取った。
「この荒々しい神の世界に、花はあまりに哀れだな……」
果てしなく「永い」とされる「時間」の中で、花は一瞬に過ぎない「はかない生」を象徴している。それでも、花は咲くというのに。
「―――ありがとう。妻も喜ぶだろう」
艦長の顔に少しだけ安堵したものがよぎった。
「それから…ヤニ提督、我々は弁解するわけではありませんが、奥様は事故でした」
「提督はやめたまえ。私は今回、一介の研究者として搭乗しているにすぎない。それに、妻の事は事故だとは思っているよ。出発前に気分を害したくは無い。それ以上は無用だ」
艦長は恐縮して姿勢を正した。
「失礼を致しました。どうかご無事で帰還されることを」
「なに、人類は偉大だ。私が失敗しても後から誰かが続く事だろうよ」
死を覚悟してなのか、それとも人生は諦観で生きてきたのか、それとも妻の死が彼をそうさせているのか、いとも軽く言ってのけた。
「地球の衛星“月”に降り立った、かのアームストロング船長の気分を味わえるのは私くらいかな―――じゃあ、行ってくるよ」
提督としての身分ならば、もっと大勢の見送りを受けたであろうが、中年の一人の科学者としてでは、ブリッジ乗員と艦長ら十数人の精一杯の敬礼を背に、当ての無い旅へと一歩踏み出したのである。
巨大な艦船の下部に格納されている、探査船にはすでに二人の科学者、そして操船などを担当する士官が二人乗り込んで、リュウイチロウとアンドロイド・カリオペを待っていた。
この作戦は、地球人類の一大プロジェクトであり、そしてあまりに無謀な冒険である。
ブラックホールが理論どおりに、そしてそれ以上の結果が出たならば、彼は地球史に永遠に名を残すだろう。或いは、新しく発見された何かの単位名として語り継がれるはずだ。
地球連邦軍の協力を得て大船団を率い、その未知の世界への入り口までは来た。
但し、コレは少なくとも三度目の派遣となる。
一度目は、いま駐留しているところよりももっと遠くで引き返した。
二度目は、今居るところと同程度の接近を試みている。
しかし、二度目の派遣隊は二度と地球の青い姿を見ることが出来なかった。
その第二次派遣隊にいたのが、ヤニ・リュウイチロウの妻で科学者のカリオペが同行していたのだ。
(私は待ち焦がれていたが……カリオペ、君はどうだったのか? 私を待ってくれているのか?)
これは彼女の弔いではない。
手元の花束で、露に濡れる深紅の花びらを一枚、指に取る。
それから、そのまま探査船の窓に貼り付けた。
まるで愛おしい妻の唇のように。
「動力は正常です。シールドへの供給は安定しており、射出と同時に次元空間遮断。重力制御が計算どおりであれば、途中で振り切り引き返すことも可能です」
オペレーターがリュウイチロウに報告し、船長になったリュウイチロウは頷いた。
万が一を考えて、かれらクルーは全員が独身である。ほぼ捨て身の覚悟ではあるが、人間のあらゆる全てをはるかに凌駕する神の世界に、多少の度を越した緊張感は禁じえない。
「カリオペ、準備はいいか」
女性型アンドロイドは、慣れた様子で小首を傾げた。
外見は全くのロボットであるのに、なぜかアイカメラの奥で異様な光が走る。
「母船との通信を断続的次元交信に切替える。母船と同期合わせ」
探査船下の床に一条の光が線を引いたかと思うと、大きく左右に割れて口を開け始めた。
激しく眩いオーロラが艦内に侵入しようとして、シールドに遮断されていた。
一ヶ月ほども此処に駐留し、この嵐の隙が出来るタイミングのデータを取ってはいたが、なにせ気まぐれな神のことである。
最も安全な一瞬を試験的に算出してダミー船を射出したり、無人船を放り込んだりはした。
しかし今度は、やり直しのきかない生身の人間を送り込むのだ。これが失敗したら、地球は大きなダメージを受けるだろう。
「三……二……一、射出!」
重力制御されている中、発進に掛かるGは無い。スムーズに急降下したかと思うと、すくに直角に前方へターンした。
巨大な母船があっと言う間に後方に見える。
駐留する惑星の上空へ到達すると、一度滞空して様子を観察する。
あいも変わらず、言葉を絶する世界。
あまりに巨大なために、遠くても円盤状の渦巻くガスはすぐ足元に感じた。
円盤の中心から延びてその先が遠すぎて見えないジェットは、止め処ない畏怖を植えつける。
「どうか?」
「順調です。この磁気嵐がもう少し弱まったら突入します」
時間が来たようだ。
リュウイチロウはシートから立ち上がると、「カリオペ」と読んだ。
アンドロイド・カリオペは胸部からクリスタル・キューブを取り出すと、傍らのコンソールに置いてデータを読み込ませた。
猛烈に荒れ狂うプラズマのカーテンは、これから起こる事を予兆するように禍々しい。
キューブのデータが読み込まれて一分経ったか、経たないか―――
突如、眼下に駐留する船団や、艦隊のあちこちから火が噴出した。
一部は完全に吹き飛び、一部は動力炉が停止したためシールドが解除され、致死量以上の放射線を浴びて沈黙した。
探査船のオペレーターが気付いて悲鳴を上げる。
「艦隊が!」
生きて帰れるかどうかも分からないのに、僅かな帰還の望みが足元で失われていくのだ。
文字通り宇宙のゴミとなって中空に漂い、力なく、大した存在でも無いようにブラックホールの方向へと流されていく。
そうこうするうちに、ついに母船からも火が吹き始めた。
船体のどこかちょっとでも亀裂が走ったり、シールドが欠けたりすると、もう望みはどこにも残っていやしない。
そしてどの船からも脱出する小型船は確認できなかった。
壊滅。
あっと言う間の出来事だった。
「―――ヤニ提督。我々は、生存の見込みが無くなりました」
生還する可能性を振り切って、半ば涙声で科学者の一人が叫ぶと、リュウイチロウを振り返ってまた悲鳴を上げた。
「提督! どうしたんですか!」
静かに佇むその手元には銃が握られている。
「―――どうもこうも、こういうことなのだよ」
操舵のオペレーターを除いて三人、彼に絶望の原因を問いかけた。
「あの船団もですか?」
「冗談じゃありませんよ! 我々はどうしたらよいのです!」
蒼白になって唇を振るわせる。
「……そう。船団の破壊も、これから起こることも全部私が仕組んだ事だ。それも私がこの第三次派遣隊に志願したときからね」
ゆっくりと笑顔で溜息を吐くと、彼らに座るよう合図をした。
アンドロイド・カリオペが前に出て威圧する。
「第二次派遣隊に同行した妻が、ここで事故に遭い二度と地球に帰ってこなかった。その弔い……とでも云おうか」
「何と言う横暴な! 身勝手すぎる!」
口々にリュウイチロウを責めた。
半ば、八つ当たり的に罵倒するものもいる。
「よかろう―――諸君らは何故、私の妻カリオペがそうなったか知っているのか? 知らんだろうな。私は軍人で科学者だから、双方の思惑や事情を知る立場にある。そして、知った結果、私はこれ以上地球人のやる事に、加担しようとは思わなくなったのだ。
ブラックホールを解析して正体を白日の下に晒すのは科学者冥利に尽きる。しかし、一方でそれらを利用しようとする輩もいる。
歴史は明らかに繰り返していただろうに、未だ地球人類は歴史に学ぶ事をしない。人類は身の丈以上の文明や力を持ってはならないのだよ。
妻は、それを知ってしまったために、ブラックホールの接近データを送信後、船ごとあの向こうへ追いやられたのだ」
血の気が戻らないままの科学者は口角から泡を飛ばして、彼に罵声を浴びせる。
「そんなものは我々の研究になど関係ないではないか! 我々は純粋にブラックホールのデータを採取しに来ただけなのに、軍艦ならまだしも、科学船まで破壊するとは! お前は人でなしだ! 今すぐこの探査船から出てお前だけが死ね!」
血走った眼で錯乱状態に陥り、飛びかかってきそうになったので、リュウイチロウは銃のスイッチを押して、彼を永遠にシートから動けないようにするしかなかった。
「さて、このまま私と宛ての無い旅に行くか、いまこの絶望のまま死ぬか。二つに一つだ。科学者は口を開けば研究研究と言うが、ただの自己満足でしかない。しかも残念な事に、私はこの日、この時間のために地球に保管してあるブラックホールの最新データは全て消えるようにプログラムしてある。
アンドロイド・カリオペのクリスタル・キューブから指示されたAIは、それぞれが艦隊の動力炉の停止や暴走、そして地球のデータ消去を実行した。
私が出来るのはここまでだったが、これで暫くは地球のブラックホール研究は停滞する事だろう」
動かなくなった科学者の隣から、もう一人が尋ねた。
「ヤニ博士は、こ、これから、どうするのだ」
「私か? 私は……そうだな。ブラックホールへの突入は、妻へも会いに行くことだから……どちらにせよ当初の計画に変更は無い。ただ……やはり―――」
妻とのデートに、これだけの人数は必要ないじゃないか……?
「私はこんなに自己中心だったかな」
何の躊躇も無く、次々とリュウイチロウの手元から光線が走って、残り三人は声もなく倒れた。
副操縦席に座っていたアンドロイド・カリオペが振り返る。
『あと十秒ほどです』
静止はしているものの、強く引っ張られる力を感じた。
めまぐるしく、人の命のように、星の生と死が入れ替わる。
未知の世界とは言うものの、これは知ってはならない世界なのかもしれないのだ。
もし、その世界を垣間見たとしても、私は誰にも言う口も言葉も持たないだろうし、言葉にすら形容できないだろう。
その感動と畏怖とを共有できるのは妻だけしか居ないのに。
「――私はただ、妻に逢いに行くだけだ」
きっとまだ妻は生きているはず。
地球から見て、このブラックホールのある射手座の方向は、多くの星が集まった銀河系の中心にあたり、その様子からして天を流れる星の川と呼ばれている。
古代から連綿と続いていた星振信仰にまつわる伝説では、年に一度、ゆえなく仲を引き裂かれた恋人達が、川に架かった鳥の橋を渡って逢瀬を楽しむのだという。
――いま私は、もはや川と言うより海といったほうが良い広大な流れを渡って、愛する人に会いに行こうとしている。
私は地球よりも、仲間よりも、研究成果よりも、何よりも妻を選んだ。
妻は、あの向こうにきっと生きて、私を待っているはずなのだ。
「―――カリオペ」
どちらともつかない名を口にした。
アンドロイド・カリオペが体勢を整えた。
『プロジェクト・天の川。リュウイチロウ、発進します』
かすかに白い電子の筋の尾を引いて、探査船が静かに定められた方向へ向かった。
あの広大な光の平原の向こう。
誰も見た事の無い暗黒の、その先へ。
私は愛する人に、逢いに。
この大河を渡って。
【星の海のカリオペ 完】
初短編。
七夕小説企画の長編推敲が息詰まって行き詰ってしまったときに、
非常に具合の悪い事に思いついてしまったネタです。
七夕って言ったら天の川じゃーん
→天の川って言ったら射手座方向
→射手座方向って言ったら銀河系の中心部
→そっち行ったらブラックホールに吸い込まれて
→ホワイトホールから出ちゃうー><;
と言う連続型妄想に襲われた結果、
SFジャンルの卵が生まれました。
渾身の腕力をこめた、マイナージャンルから抵抗のSF七夕。
どうもSFから離れられなかったみたいです。
と言うか、あの…具合悪いとホントに余計なこと考えるものなんです。