第八話 打ち上げ
時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。
波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
三日間続いた大学祭も終わり、「福天堂」は打ち上げコンパで大学に近い居酒屋の座敷を貸しきっていた。
「みんな、お疲れさまでした! 俺たち三年はこれで引退だけど、これからも大なり小なりのイベントは続くから、新代表を中心にまとまってやってくれよ! それじゃあ乾杯!」
「かんぱーい!」
初めこそ、自分の席に座って飲んだり食べたり喋ったりしていたサークル部員だが、そのうちにあちこちと席を移動しはじめた。
動いていないのは山沖くらいだろう。彼のもとには入れかわり立ちかわりで人が訪れているので動く必要もないのだろうが。
「山沖先輩、さすが大人気」
麻里子も座りっぱなしで動いていなかったが、動き回っていた朱莉が戻ってきて隣に座った。
「きっとみんな寂しいのよ。今日で一応引退なんだもの」
「へー、余裕のある人は違いますねぇ」
「よ、余裕?」
朱莉はニヤリと笑うと顔を寄せて麻里子にだけ聞こえるように言った。
「知ってる? 山沖先輩の携帯番号とメアドを知ってるの、一、二年では麻里子だけなんだって」
「そうだったの? でも、それは必要にかられただけで、先輩が教えてくれたものだから…」
「だから貴重なんじゃない! しかも、トラブルがない今でも先輩から電話もらったり、メールもらったりするなんておいしすぎる!」
歯軋りするほど悔しがっている朱莉に前から疑問に思っていたことを聞いてみる。
「ねえ、シュリちゃんも先輩の携帯番号を知りたいの?」
「え? いや、全然」
きょとんとした朱莉は首を振った。
「それをみんな知らなくて、私だけが知ってるから楽しいというか、面白いというか…」
朱莉はニヤニヤと笑いながら山沖を見ていたが、「うひっ」と奇妙な声をあげて首をすくめた。
「なに、どうしたの?」
「山沖先輩と目が合った…」
隠れられもしないのに、麻里子の後ろに移動しようとした朱莉を山沖が呼んだ。
「なーかーまーつー! なんだ、人の顔見てニヤニヤして! 俺を笑いものにでもしてたのか!?」
「し、してませんよ! たまたまですよ~!」
会場の端と端で大きな声でやりとりする。
は、恥ずかしいかもしれない。
この奥座敷は貸切状態だが、店には他の客もいるというのに大声出してどうするのだ。
それでなくても十分に騒がしい状態ではあるが。
「マリ、いこ!」
朱莉に不意に腕を引かれてつられて立ち上がる。
「どこに?」
「先輩のとこ! ほら、ちょうど人がきれた」
山沖を囲んでいた二年生女子が立ち上がって他の場所に移動する。
それを見計らった朱莉がすぐに動いた。
(ええ~っ?)
実は密かに山沖に屈託なく話しかける三年生や二年生たちのことを、ちょっと羨ましいと思っていたのだ。
そんな麻里子の気持ちを察してくれたのかはわからないが、朱莉はこの瞬間を狙っていたに違いない。
朱莉にだけは麻里子も自分の気持ちを正直に話していた。朱莉は協力するとは言ってくれたが、露骨に二人を近づけさせようとはせず、さりげなくフォローしてくれるので、本当に感謝している。
なにしろこの歳になるまで男性と本格的な男女交際というものをしたことがないのだ。
高校生のとき、グループ交際のようなものをしたことはあるが、それでも遊園地でデートが精一杯で、そのときいい感じになっていた男の子と手をつないだくらいだ。もっとも、その彼にたいしても「いいな」というくらいの感情で、「好き」とは思わなかったのだが。
片想いの相手にアプローチをするということだけでも尻込みしてしまうような麻里子なので、朱莉がそばにいてくれるだけでも力強い。
「お、瀬川も来たのか」
酒が入っているためか普段よりもくだけた感じのする山沖は座れと指図する。
「おまえ、全然動き回ってないな~」
「先輩、麻里子は座ったままでも十分に相手をしてましたよ。なにしろ、麻里子目当ての男がひっきりなしにくるんですから」
朱莉はそう言って山沖の隣に麻里子を座らせた。
「よし、こうすればここに人が集中します」
「客寄せパンダか俺たちは」
そう言いながらも自覚があるのか山沖は笑っている。
「瀬川、おまえ飲んでるのか?」
「あ、はい、ウーロン茶を」
「ウーロンハイ?」
「いえ、ただのお茶です。私は未成年ですから」
「それはわかってるけどさ…」
山沖は一瞬呆れたよな顔をしたが、すぐに笑い出した。
「おまえらしいというかなんというか…」
今はまだ未成年だから飲酒はできないが、二十歳になったら飲んでみたいと思う。
しかし、気になっているのが瀬川家に遺伝しているらしい体質だ。
どうやら酒に弱いらしく、家で酒を飲む人はあまりいない。
伯母や従兄の妻たちはわりと強いらしいのだが。
「まあ、未成年には飲酒は勧められないからな。何か飲むか?」
山沖はメニューを二人の前に置いた。
朱莉は、はいっと手を挙げる。
「私はメロンクリームソーダでお願いします!」
「えっと、私はオレンジジュースで」
注文を終えると山沖が訊いてきた。
「おまえ、今日はどうするんだ? 家に帰るのか?」
「はい」
「でも、おまえのうちってこのメンバーの中では一番遠いだろ?」
「あれー? 山沖先輩、そんな風に心配して、『うちに泊まりにくるか?』なんて言うつもりじゃっ!」
朱莉がおどけて言うと、周囲から歓声と悲鳴があがる。
「やだっ、山沖くんてばひそかにマリちゃん狙ってたのね!」
「やまおきー! 抜け駆けすんな! マリちゃんはみんなのアイドルだ!」
「あ、あのっ」
この場面でオタオタしているのは麻里子くらいのものだった。
対して山沖はしれっとした顔で言った。
「何言ってんだ。親と同居してるのにそんなことできるか。まあ、俺も一人暮らしだったらお持ち帰りするかもな」
前半の言葉にホッとし、後半の言葉でさらに騒ぎが大きくなる。
赤くなったり青くなったりする麻里子に、山沖はおかしそうに笑ってこっそりと言った。
山沖側の左耳が妙にくすぐったくて、火照ってくる。
「どっちにせよ、おまえの場合、外泊なんてしたら、あの理一郎さんと理事長が何言い出すかわからないよな」
「それもそうですね」
あの心配性な従兄を見ていれば、そう簡単に外泊など許されるはずがない。
目を合わせてクスリと笑うと、楢崎が不満げに言った。
「何二人だけでわかる話してんだよ~。俺にも説明しろよ~」
「駄目だ。プライベートだぞ」
「なんか怪しい」
「怪しいよなっ」
三年生たちは顔をつきあわせ、聞こえよがしに話をする。
仲の良さが為せる業か、それをサックリと無視して山沖は麻里子に訊いた。
「今日は迎えに来てもらうんだろ?」
「はい。拓海兄さんが家に来てるので、迎えに来てくれるんです。拓海兄さんはお酒を飲まない…」
「え、拓海兄さんて誰?」
間髪いれずに訊ねられて目を瞬かせる。そういえば山沖は拓海には会っていないのだった。
「あ、理一郎兄さんの弟です。うちではなくて別のところに住んでるんですけど、今はお嫁さんが出産で実家に帰ってるので、この前から兄さんだけこちらに帰ってきてるんです。さすがにお嫁さんの実家にはお世話になれないらしくて」
「ああ、結婚してるんだ」
「はい」
すると朱莉が話に加わってきた。
「拓海さんもカッコいいよね。瀬川家って美形一族なんですよ。和佐くんも超可愛いし。将来有望っ」
「中松も瀬川の家を知ってるのか?」
「はい、何回か泊まりに行ったことあるんですよ。一度だけ拓海さんが奥さん連れて帰ってきてたのでご挨拶しました。いいよね~、マリの従兄たちは。美形だし、背も高いし、仕事できるし、優しいし。何より奥さんが一番大事って人たちだもん。あんな人たちが身近にいたら、マリが他の男に対して評価が厳しいのもわかるわ~」
朱莉の話を聞いて、周囲の二、三年生たちが話に乗ってくる。
「そんなにレベル高いの?」
「写メ! 写メとかないの!? あったら見せて!」
「写メですか? ありますよ。ちょうど兄さんたちと一緒に撮ったのが」
麻里子が携帯を見せると歓声があがる。
高校の卒業式の日に撮った写真だった。
制服を着るのもこれが最後だと、家の庭で撮ったのだ。
「何これ!? 超ハイレベル!」
「真ん中がマリちゃん? S女子だったんだ!? 可愛いーっ!」
「S女の制服着てるのか? 見せて」
回りまわって山沖の手に携帯が渡り、目を瞬かせた。
「わ、私のことはあんまり見なくていいですからっ!」
「こっちが理一郎さんだから、こっちが拓海さんか?」
「そうです。あ、そうそう、これはさくらちゃんと、拓海兄さんの奥さん…光佳ちゃんと撮ったんですよ」
従兄たちと写メを撮ったから、今度はお嫁さんと、と続けて撮ってもらったのだった。
次の写メを見せると山沖は感嘆の声をあげた。
「すごく綺麗な人だな。桜子さんは可愛い感じの人だけど、こっちのみつかさんは華やかって感じがする」
「そうなんですよ。でも、光佳ちゃんは見た目は派手なんだけど、実はすごく真面目で悪目立ちするのが好きじゃないんです。だから拓海兄さんが口説き落とすのが大変だったって言ってました」
「へえ、それはちょっと興味あるな…」
「みつか、ちゃんに、ですか?」
聞き捨てならないことを聞いた。何故従兄の嫁に興味を示すのか。
「いや? 俺が興味あるのは拓海さんのほう」
「え、なんで」
「話してみたい」
「なんでですか?」
「なんででも」
山沖は口の端を持ち上げて笑ったかと思うと、ビールジョッキに口をつけた。
何故だろう。
普通、健全な男子ならば光佳のような美人には興味を持つはずだ。たとえ人妻であったとしても。
なのに、何故、従兄と話がしたいのか?
その山沖は腕時計で時間を確認すると、腰を浮かせた。
「そろそろ一次会はお開きにするぞー! ラストオーダーはないのか?」
「もうラストオーダーなの? 来るのが遅すぎたわね」
涼やかな声が背後で聞こえたので、つい振り返る。
そこには目の覚めるような美人が立っていた。
誰?
麻里子が疑問に思ったのと同時に、すぐ近くで呟くような声が聞こえた。
「さおり…?」
サイトで掲載していたものを加筆修正いしています。
改稿でき次第UPしています。