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第四話 メールアドレス

時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。

波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。

 

 

 

 怖い!

 

 麻里子はとにかく走った。

 後ろも見ずに走った。

 誰か、誰かがいるところまで走らなければ。

 

 どうしてあの人がここにいるのか。

 どうして麻里子がここにいることを知っているのか。

 

 何年も前の出来事を思い出してしまった。

 

 こんなとき、一番頼りになる人はもういない。

 

(おとうさん……)

 

 

 無我夢中で走っていると、先ほど出てきたサークル棟まで戻ってきてしまった。

 そこに見知った背中が見えたので、夢中で駆け寄った。

 足音が聞こえたのか彼が気づいて振り返りかけたが、迷わずしがみつく。

「おわっ!? 瀬川!?」

 ほとんどぶつかる勢いでしがみついたのだが、いきなりだったにもかかわらず山沖はしっかりと麻里子を受け止めた。

「どうした?」

 尋常ではない麻里子の様子に、山沖は眉根を寄せた。

「す、すみません……な、なんでもないです」

「なんでもないことないだろう」

 山沖は麻里子の肩を掴んで顔を覗きこむように身をかがめた。

「どうした? 痴漢でもでたのか?」

「そ、そうじゃないんです。でも…帰れない……怖い…」

 身体の震えが止まらない。

 麻里子の震えを止めようとするかのように、山沖は掴んでいた肩を揺すった。

「しっかりしろ。校門から出られないのか? 校門の警備員に言ったのか? 警察に言ったほうが…」

「やめてください!」

 自分で思っていたよりも大きな声が出て、山沖は目を丸くした。

「ご、ごめんなさい。まだ、何もされてないので、警察を呼ぶことだけは…」

「わかった」

 山沖は頷くと麻里子の手を握った。

 昔の恐怖を思い出したばかりだというのに、麻里子の胸は別の意味で高鳴る。

「こっちに行こう」

 校門とは真反対の方向へ歩き始める。裏門から出るつもりなのだろう。

 しかし麻里子は首を振った。

「でも、あの、こっちは駅と反対方向で…」

「わかってる。いいから俺にまかせとけ」

「はい」

 山沖の落ち着いた行動は麻里子を安心させた。

 裏門を出て、少し歩いたところにあるファミレスに入った。

「ちょっと落ち着こう」

 すでに夕飯時で満席に近く、喫煙席しか空いていなかった。

「大丈夫か? 煙草」

「はい。私は吸いませんけど…先輩は?」

「ああ、前は吸ってたけど、すぐにやめた」

 ちょうどいいことに奥まった席に案内されたので、そこに腰を落ち着ける。

「なんか食うか? 俺がおごってやる」

「あの、ちょっと食欲が…」

 クッと胸を押さえる。

 さっきの衝撃のせいで何も食べる気にならない。

 するとメニューから顔をあげた山沖がジロリと睨んだ。

「俺はめったに人におごったりしないんだ。貴重なんだから食っとけ」

「でも…」

「それとおまえは痩せすぎ。俺はもうちょっとふくよかなほうが好みだ」

「なんですか、それ。今は関係ないじゃないですか。それにセクハラです」

「俺の好みの話をしただけだろうが。それに、ちょっと元気出たな」

「あ…」

 関係ない話をしたのも麻里子を気づかってのことだ。

 二歳しか歳が違わないのに山沖のこの落ち着きは、どうやったら身につけられるのだろう。

「先輩、本当に二十一ですか?」

「おまえこそ、なに関係ないこと訊いてるんだ? というか、俺はまだ二十一じゃない。二十歳ハタチだぞ」

「え、そうだったんですか?」

「早生まれなんだ。そういや、おまえは誕生日はいつだ?」

「私はもう十九です。四月生まれなので」

「そうだったのか…………たな」

「は?」

 最後のほうは小さく呟いたので、麻里子は聞き損ねた。

「なんでもない。……で、どうしたんだ?」

 結局押し切られて料理を注文し、料理が来るまでの間に山沖が口を開いた。

「痴漢じゃないなら……ストーカーか?」

「……そこまでのものじゃないんです…」

「おまえは美人だからな。目を引くのは仕方ないんだろうけど」

 あっさりと褒め言葉を口にされて頬が熱くなる。

 なぜだろうか。山沖に言われると、恥ずかしいというか照れくさいというか、それでいて涙が出そうになるほど嬉しい。

「中学のときなんです…」

 

 麻里子はその容姿の良さからも美少女というのが学校内外でも知れ渡っていた。

 同年代の同性から見れば羨ましいほどの容姿を持っていると嫉妬されることも多かった。

 しかし大人しくおっとりとした雰囲気と目立ちたがらない性格からか、同性に嫉妬されることはあっても極端に嫌われることもなく、それなりに親しい友人もいて学校生活は楽しかった。

 そして麻里子が三年生のとき、近隣の中学校の間で交流会が開かれた。

 とても楽しい交流会だったのだが、隣の学区の中学校の男子生徒の一人が麻里子を一目見て気に入ったらしく、それ以来つきまとわれるようになった。

 初めにラブレターを手渡されたが、受け取ってからきちんと内容を読み、丁寧に断りの手紙を書いた。すると、毎日放課後になると麻里子の学校まで来るようになり、毎日つけまわされるようになった。

 

「だから、それはストーカーだろ?」

「でも、ただ後ろをついてこられるだけだったので、被害は何もなかったんです」

「それでもつきまとってるわけだから、十分ストーカー行為だって」

 

 肉体的には被害はなかったが、精神的には追い詰められた。

 だんだんと学校の登下校が苦痛になってきた。だが、行きたくないと言ったら両親を心配させるから言えない。

 苦痛を感じていたのは、登下校のときや、外出したときだけだったので、なんとかやりすごしていたのだ。

 しかしそれが数ヶ月に続き、休日に外に出かけることもしなくなったため、不審に思った父親が麻里子を問いただしたのだった。

 

「それで父が警察に訴えたんです」

「でも相手の子も中学生だろ? あんまり大げさには…」

「はい。向こうのお父さんがすぐに謝ってこられて、よく言い聞かせて、今後絶対に近づけないようにするからと約束してくれました。父も彼の将来のことを考えて、私に迷惑をかけないならそれでいいとおさめてくれたんです」

 それでも相手の父親は麻里子に申し訳ないからと簡単には来れない遠方に引っ越してしまった。

「それでよかったのか? 向こうの親父さんは」

「それはうちの両親も言ったんです。そこまでしてもらわなくてもって…。でも、もともと市営アパートに住んでいたのだし、いずれは実家に帰ろうと思っていたと言われれば、こちらも引くしかなかったので」

「そっか…向こうの親父さんは常識のあるしっかりした人だったんだな」

「そうみたいです。両親もああいうお父さんがいてくれるなら大丈夫だろうって言ってました」

 そしてストーカー行為から逃れた麻里子は精神の均衡を取り戻した。

 それでもしばらくは男性恐怖症のようになってしまったが、ずっとそばにいて励ましてくれた母親のおかげで立ち直ったのだった。

「もう会うことはないと思ってたのに…どうしていまごろ…」

「同い年なんだろ? 大学へ進学や就職でもすればどこにだって行ける。こればかりはどうにもならないか」

「……そう、ですね」

 麻里子の父も何年か経てばほとぼりが冷めると思っていたのだろう。

 でも守ってくれた父親はいない。支えてくれた母も。

 どうしたらいいのだろうか。

「家の人に話したらどうだ?」

「言えません!」

「なんで? 心配かけるよりは正直に話したほうがいいと思うがな」

「両親は、いないんです。今は、和佐と一緒に伯父さんの家にいるので、伯父さんたちに心配かけるわけには…」

「でも、このままにはしておけないだろ?」

「わかってます」

 なんとかするしかない。

 できれば自分だけで。

 山沖はトントンと指先でテーブルを叩いた。

「あのな、俺にこれだけ話しておいて、頼ることはしないわけ?」

「え? ……だって、先輩は関係ないですから」

「関係ないってなんだよ…もう片足突っ込んでるんだから、困ったときには頼れって言ってんのに」

 山沖は嘆息して立ち上がった。

 呆れられた。

 見捨てられたのかと麻里子は涙ぐみそうになった。

 こんなことで嫌われたくない。

 この人にはどうしても。

 どうして自分は頼るということができないのだろう。

「もう行くぞ」

「あ、はい…」

 おごってくれると言った山沖は言葉通りにお金を払うと外に出た。

 そしてそのまま駅へ向かう道とは反対方向へ歩き始める。

 ああ、もう終わりだ。

 もしかするともう話してももらえないのかもしれない。

 そう思ったらへたり込んでしまいそうになった。

 店の前で立ち止まったままの麻里子を、山沖は振り返って呼んだ。

「おい、何やってんだ? ちゃんとついてこいよ」

「へ? あ、は、はいっ」

 どうやら麻里子の心配は杞憂だったようだ。

 麻里子が追いつくと、彼女に合わせるかのように山沖は歩く速度を落とした。

 いったいどこへ行くのだろうか。麻里子が帰るためには駅へ向かわねばならないというのに。

 大学の裏口側の道はあまり詳しくない。どこか別の駅へ行けるのかもしれない。

 ファミレスから歩いて三分ほどのところで、山沖は十二階建てのマンションのエントランスに入った。

 どう見たって駅ではない。思わずマンションを見上げた。

「あ、あの、先輩。ここは…」

「俺んち」

「え!?」

 エレベーターに乗り込むと最上階のボタンを押した。

「先輩のおうちって大学に近いんですね…」

「いいだろ? 交通費がかからないからな」

 山沖はそう言ったがこのマンションは分譲マンションのようだ。一人暮らしはしていなさそうなので、家族と一緒に住んでいるのだろうか。

 エレベーターを降りると、鍵を取り出してドアを開ける。

「ちょっとここで待ってろ。車のキーをとってくるから」

「え?」

「送ってく」

「あ、そんな! だ、大丈夫です! もしかしたらもうっ」

「いいから、今日のところは送られておけって」

 玄関で押し問答をしていると、奥から声が聞こえた。

「マーちゃん? 帰ったの?」

「ん、ああ」

 するとリビングへ続くドアが開いて中年の女性が姿を見せた。

 外見からすると四十代半ばくらいだろうか。

「玄関で何を騒いでるの? あらっ、まあっ!」

 女性は麻里子を見ると山沖の肩をバシバシと叩いた。

「母さんっ! 痛い! 痛いって!」

 そうだろうとは思ったが、女性はやはり山沖の母親だった。

「こっ、こんばんは。突然お邪魔して申し訳ありません」

 麻里子は慌てて頭を下げる。

 肩を縮ませた麻里子の心情とは裏腹に、山沖の母親ははしゃいだ声をあげた。

「まあ~っ、綺麗な子! やだもうっ、マーちゃんたら面食いなんだからっ」

「マーちゃん?」

 それはどう考えても山沖のことだろう。彼のファーストネームは「雅也」だ。

 山沖は顔を赤らめて怒った。

「母さんっ、人前でそう呼ぶなって言ってるだろ!」

「はいはい。恥ずかしがっちゃって、もうっ…で、どなた?」

「大学の後輩だよ」

「一年の瀬川麻里子と申します」

「まあ、ご丁寧に。雅也がいつもお世話になってます」

「とんでもない! 私のほうがお世話になりっぱなしで、今日もご迷惑を…」

「あら、どうしたの?」

 女性は窺うように息子を見た。

「帰りが遅くなったから送っていくだけだよ。こいつの家は遠いから」

「まあ、そうだったの? 女の子なんだから、いくら学校の用事で遅くなっても早めに帰らせてあげないとだめじゃないの」

「わかってる。今日はちょっと事情があったからだよ。車使うからな」

「はいはい。今日は遅いからやめておくけど、時間があるときに遊びに来てちょうだいね」

「え? あの、その」

「母さん、何言ってんだよ。俺と瀬川はそんなんじゃないって」

 奥から車のキーをとってきた山沖は再び靴を履く。

「え、違うの?」

 今度は麻里子のほうを見る。

「は、はい」

 麻里子もその通りだとコクコクと頷いた。

「まあ、そうなの? 麻里子ちゃんみたいな子だったらいいのにって思ってたのに!」

「す、すみません」

「何謝ってんの。いいから行くぞ」

「はいっ。それじゃ、失礼します」

「いいわ! 彼女じゃなくてもいいから遊びに来てね!」

「あ、は、はいっ」

 失礼しますと頭を下げて玄関を出ると、山沖は呆れたように言った。

「あのな。母さんの戯言に付き合うことないからな。あの人は暇してるから話相手が欲しいだけなんだ」

「そうかもしれないですけど…先輩のお母さまは明るくて元気のいい方ですね」

「………そうか」

 エレベーターを降りてマンションの駐車場に向かう。

 暗がりの向こうで山沖が小さく笑ったような気がした。その笑い声は少し寂しげだった。

 駐車場の一角に止めてある軽自動車の助手席のドアを開ける。

「どうぞ、お嬢さん」

 山沖に促されて助手席に乗り込むと、ドアまで閉めてくれる。

 なんだかんだと言いながらも山沖はフェミニストでレディファーストが徹底している。あの母親ならばさもありなんと思う。

「可愛い車ですね」

 麻里子はいつも家の大きな自家用車に乗っているので軽自動車に乗ったことがない。

 可愛らしい車の中はやっぱり可愛かった。

「いっとくけど、お袋のだからな。俺の趣味じゃない」

「わかってますよ」

 麻里子は唇を尖らせる。

 内装のどこを見ても男性好みではない。。

 それに、山沖が乗るならこういう車は似合わないだろうとも思う。

「先輩だったら、普通の乗用車というよりも、あそこのああいうのが似合いそうです」

 麻里子は同じ駐車場に止められているSUV車を指差した。

「ああ。俺も社会人になったらああいうのを買おうと思ってたんだ」

「バイトをしているのも車を買うためだったりしますか?」

「…別に、そういうんじゃないさ。ただ、大学生にもなって、小遣いを親にもらうのはどうかと思ったからだよ」

「そ、そうですか」

 バイトの一つもしたことがない麻里子は、それを聞いて自分もやっぱり何かしたほうがいいのだろうかと考えた。

「それより、ちょっと携帯出せ」

「あ、はい」

 エンジンをかける前に山沖が手の平を向けて差し出す。

 麻里子は素直に頷いてバッグから携帯電話を取り出して手渡した。

 赤外線通信を使ったのか、手早く操作を終えると麻里子に返す。

「あの…?」

「俺個人の携帯番号とメアド入れておいたから。何かあったらすぐ電話しろ」

「え、そんな…」

 返してもらった携帯電話と山沖の横顔を交互に見た。

「いいんですか?」

「もし、何かあったときに何もできないほうが怖いからな」

「ありがとうございます」

 携帯電話をきゅっと握りしめる。

 朱莉たちが言っていた。山沖は自分からは絶対に携帯番号やメアドを教えたりしないのだと。だから、彼個人の携帯番号などを知っているのは、楢崎など古くから付き合いのある友人たちだけらしい。ほとんどの用事がサークル用の携帯電話で事足りてしまうからかもしれないが。

「じゃあ、私の番号…」

 先ほどの山沖の手つきからして、自分の番号のみこちらの携帯に送ってくれたようだった。

 サークル専用のパソコンを見れば、番号もメアドもわかってしまうのだが、山沖は特権乱用をしたことがない。勝手に麻里子の番号を得るのはマナー違反だからかもしれないが、そういう潔いところがますます好感度を上げる。

「いいよ。俺が教えたからってむやみに教えるな。瀬川は自覚ないかもしれないけど、おまえの携帯番号知りたがってる野郎どもがたくさんいるんだぞ? 俺に訊いてくる奴だっているんだからな。教えたりはしないけど」

 山沖はそういって今度こそエンジンをかけた。

「おまえがさ、俺に個人的に教えてもいいって思ってくれたときでいいよ」

「はい…」

 知りたい、とは思ってくれないのだろうか。他の男性たちのように。

 駐車場から公道へ出るまでに携帯電話を手早く操作してボタンを押す。

 ほどなくバイブの音が聞こえたかと思うと、山沖がジャケットの胸元を押さえた。

 何かを察した山沖は麻里子を見る。

 その視線から逃れるように麻里子は軽く俯いた。

「わ、私のメアド、です」

「あ、ああ」

 山沖が携帯電話を取り出そうとしたので、手を伸ばして止めた。

「だっ、駄目ですっ! 今見ちゃ駄目ですっ! おうちに帰ってから、ひ、一人で見てくださいっ!」

 シートベルトのせいでうまく手が伸びなかったが、麻里子の剣幕に山沖は携帯電話を取り出さなかった。

「愛の告白でもしてくれたのか?」

「ちがいますっ!」

「……思いっきり否定しなくてもいいのに…」

 傷ついた、というような山沖の声も耳に入らなかった麻里子は真っ赤になっていた。

 

 

――先輩、今日はありがとうございました。

  今度、先輩が何か困ったことがあったら、

  遠慮なく言ってくださいね。

  私が力になりますから!

             MARIKO――

 

 

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