第三話 学祭準備
時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。
波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
夏休みに入ったというのに麻里子は相変わらず大学へ通っている。
それも無理はない。
イベント企画サークル「福天堂」は、この秋に開かれる大学祭の準備に追われているのだ。
学生自治会側でも実行委員会というものは存在しているが、自治会が主に担当しているのは大学内の講堂にて行われるステージイベントの主催で、大学構内のあちこちで行われている大なり小なりのイベントを担当しているのが「福天堂」だ。
他にも他サークルや運動部の模擬店などの助っ人も行っている。
「要するに『なんでも屋』なのよね」
サークルに入ってから仲良くなった同学年の中松朱莉が休憩中にストローを口に咥えたまま言った。
麻里子たちは大学内にあるセルフサービスの喫茶店でアイスティーを飲んでいた。
「シュリちゃん、そういうと身も蓋もないから」
本名の読みは「あかり」なのだが、「シュリ」と呼んでくれと出会った当初に言われ、「あかり」という読み方も可愛いのにと思っている。しかしサッパリとした性格の姉御肌の朱莉とは何故かウマが合うのだった。
「だってさー、私達ってなんだかんだとあちこちに呼び出されて手伝わされてるだけじゃない?」
「そんなことないと思うけど。一年生は仕事覚えるためだもの。仕方ないじゃない。先輩達はちゃんとお仕事してるでしょう?」
「そうだねぇ、山沖先輩なんて引っ張りだこだもんね。特にお姉さま方に」
際立つ美形というわけではないのだが、全体的な印象が爽やかな男前である「福天堂」の代表は女子学生が多く所属するサークルからの依頼で、ほぼ一日中部室にいない。
もちろん一人ではこなせないので三年生たちがフォローに回っているのだが、山沖はその采配をふるうのに忙しいということだ。
普段でも学年が違う上に在籍する学部が違うので、講義棟でも会うことがない。夏休みならサークルの活動で顔が見れるかと思っていたが、朝の挨拶をするか、帰りの挨拶をする程度にしか顔を合わせない。
「告られたりとか、せまられたりしてるかもしれないね」
「まさか」
山沖には過去に付き合っていた女性がいたというのを、同じサークルの先輩である楢崎たちから聞いていた。もちろん、彼のいないところでだ。
当時付き合っていた彼女が語学の勉強をしたいとかで海外留学することになって、別れてしまったのだという。
もう一年以上も前のことらしく、別れた当初は彼を狙っていた女子学生からの告白ラッシュだったそうだが、今はずいぶんと落ち着いているらしい。「よりどりみどりで羨ましい」と一部の男子学生たちにはやっかまれていたらしいが、「好きな人としか付き合うつもりはない」ときっぱりと断り続け、実際に恋人を作らなかったので、逆に男子学生たちからも好感を得るようになってしまった。
「人徳のなせる業」とは楢崎が言った言葉だ。楢崎は付属高校からの友人らしく、彼が言うには「異性よりも同性に好かれるタイプ」ということだった。
それでも以前よりも落ち着いてはいるものの、稀に告白されることもあるようだ。
「あれ? マリは気にならないの?」
「べ、別に」
「ええ~? 本当~?」
朱莉の視線を避けるように手に持っていたグラスに視線を落とす。
何故そんなことを聞くのだろう?
自分は何も気にしていない。
山沖は好きな人としか付き合わないと言った。ということは、もしかすると好きな人がいるのかもしれない。
でも特定の彼女はいないと楢崎たちは言っていた。
気にしてない。
はずだ。
少しだけ、胸がざわついている。
けれど、それだけのことだ。
「なんだ、おまえたち。ずいぶんと優雅にティータイムしてるんだな」
不意にかけられた言葉に姿勢を正す。
「山沖先輩!」
噂をすれば何とやらだ。
なのに、朱莉ときたら、
「あ、山沖先輩、お疲れさまでーす」
あっけらかんとした顔でヒラヒラと手を振る。
山沖は呆れたように顔を軽くしかめると、断りもせずに麻里子の隣の椅子に腰を降ろした。
何故か山沖側の腕から頬が熱くなったような気がした。
やたらと鼓動が速く感じる。
「あー…、眠い!」
そう言ってテーブルに突っ伏した山沖の背中が大きく上下に揺れた。
「先輩、寝不足ですか?」
「ん~…、昨日昼からバイトで、終ってからこっちに戻って仕事して、家に帰ったのが零時回ってて、そこからまたバイトの準備して寝たのが三時で、起きてから七時にはまたここで仕事して、さっきまでバイトしてた」
「お、お疲れさまです…」
「中学生も夏休みですもんね~」
麻里子も朱莉も頭の下がる思いで言った。そこまで聞くとさすがに自分達が油を売っていていいのかと思ってしまう。
「そう思うなら慰めてくれ」
「は?」
突っ伏したままの山沖に目を向けてから二人は顔を見合わせた。
気のせいか目の下にうっすらとクマができているような山沖の顔色は悪い。
「じゃなかった。励ましてくれ。ここのところずっとこの繰り返しなんだ。俺はそろそろヤバイ」
「せ、先輩、倒れないでください! 先輩が倒れたら本当に大変なことになりますよ!」
「先輩、がんばって!」
麻里子はとっさに手を伸ばした。いいこいいこと短く刈られた髪を撫でる。
朱莉が唖然とした顔で口をぽかんと開ける。
「マリっ!?」
「あ……ああっ、すいません!」
山沖は伏せた状態でびっくりしたような顔だけを麻里子に向けていた。
「おま……っく、あはははっ!」
「す、すいませんっ」
弟にしてしまうようなことを山沖に対してやらかしてしまった。彼は年上だというのに。
焦る麻里子をよそに、山沖は笑い続けた。
「あーびっくりした。久しぶりだったよ。頭撫でられたのは」
「ごめんなさいっ」
麻里子は何度もぺこぺこと頭を下げた。
「でも、なんか元気でたわ。ありがとうな」
山沖はそう言って立ち上がると、おかえしというように麻里子の頭を撫でた。
「今度は別の方法で慰めてくれよ」
「あ、はいっ」
勢いよく返事をすると、山沖は一瞬言葉につまったように黙ったが、すぐに笑い出した。
「おまえってホントにいいなぁ。じゃあな。しっかりやってくれよ」
「はい」
背を向けた山沖は手だけ振って歩いていった。
麻里子は赤くなった頬を両手で押さえた。
「恥ずかしい! 何やってるの、私!」
「恥ずかしいのはこっちだって……」
朱莉は呆れた口調で言ったが、すぐに表情を引き締めた。
「ところでマリ。さっきの山沖先輩が言ってたことだけど、わかってて返事した?」
「え、もちろんよ。私たちも先輩の足を引っ張らないようにがんばらないとね」
「いや、それじゃなくて……」
朱莉は山沖が向かった方向を見やってから、麻里子に目を戻す。
「山沖先輩って…?」
小さく呟いた朱莉の声は麻里子には届かなかった。
「それじゃ、お先でーす」
朱莉は彼氏と約束があるといって日が暮れる前に先に部室を出て行った。
「マリちゃんもそれが終ったら帰っていいよ」
「はい、わかりました」
麻里子は今日の仕事内容の日報を記入していた。
まだ三年生数人は部室に残っている。
「山沖の奴、おっせーな」
麻里子の前に座った楢崎が誰に言うともなしに呟いた。
「今日は打ち合わせだけだって言ってたけどね」
「また捕まってたりして」
「え、何にですか?」
反射的に顔をあげてしまって、他のサークル部員たちの注目を集めてしまい、顔を赤らめた。
「何にって決まってるじゃん。女の子にだよ」
「女の子……あ」
女の子に捕まっているということはアレしかないだろう。
「くっそー! 山沖ばかりが何故モテる!」
「山沖くんは軽く見えないからね~。誰かさんみたいに」
「誰かさんて誰のことだよ?」
「別に楢崎くんだって言ってないよ?」
「言ってるだろ! なあ、マリちゃん!」
「え、えっと…たぶん?」
ドッと笑い声があがった。楢崎一人がふて腐れている。
「たぶんて何!? ていうか、マリちゃんも山沖がモテると思ってるんだな?」
「別にそういうわけではないですけど」
麻里子は慌てて両手を振って否定した。
楢崎が軽薄というわけではない。明るく優しいし、「福天堂」のムードメーカーだ。
「楢崎先輩だって、いい人だと思いますけど」
「それじゃあ、マリちゃん。俺と付き合おうか?」
「え?」
テーブルの向こうから手を伸ばした楢崎は麻里子の手を握った。
「何言ってんだ、おまえは!」
ゴンという音がして、楢崎は頭を抱え込んだ。
「のおおおっ!」
「な、楢崎先輩っ」
「山沖くんっ?」
いつの間に部室に帰ってきていたのか、楢崎の背後に山沖が立っていた。
「おまえはそういうことを軽々しく口にするから信用されないんだよ」
「なんだよ、冗談だろ~?」
「そこで冗談とか言うから駄目なんだろ…」
山沖はため息をついて椅子に座り込んだ。
「瀬川、こいつの言うこと真に受けるなよ」
「あ、はい。わかってます」
「うわ、マリちゃん、ひでぇ~っ!」
あっさりとした麻里子の言葉に楢崎は本気で凹んだような声をあげた。
「それより瀬川」
正式に「福天堂」に入ってから、麻里子はサークル部員には名前の愛称で呼ばれていたが、山沖だけは名字で呼ぶ。彼の場合、誰に対してもそうなので、特におかしな感じはしないのだが。
「もう暗くなってるぞ。早く帰ったほうがいい」
「あ、はい。ちょうど日報を書き終わったので、もう帰ります」
「マリちゃん、送っていこうか?」
「あ、えっと…大丈夫です」
楢崎が親切にも申し出てくれたが、麻里子の家は遠いのだ。
それに…
「おまえはまだ仕事が残ってる!」
パシンと楢崎の頭をファイルで叩いた山沖はじゃあなというように手を振った。
「お先に失礼します」
「お疲れー」
「また明日ね~」
サークル棟を出ると周囲は宵闇に包まれていた。
学内の建物からの明かりや、外灯などのおかげで道が暗いことはないが、急いで帰らねばならない。
夜道は苦手だ。
ついつい早歩きになってしまう。
こう思っては悪いと思うが、楢崎でもいいから送ってもらったほうがよかったのではないか。
ノリは軽いが女性に優しいし、山沖も本音では信頼していることを麻里子もよくわかっている。
そんなことを考えながら校門を出て少し歩いたところで声をかけられた。
「あの、瀬川、さん…?」
「はい?」
自分のことだろうと思って呼び止めた人物を見て、ギクリとした。
「あ……」
「瀬川麻里子さん、だよね? あの、俺…」
嫌だ!
嫌だ嫌だ嫌だ!
麻里子はじりじりと後ずさり、踵を返して学内へと走った。
待ってくれと言われたような気がするが、待ってなどいられない。
校門に警備員がいてくれて助かった。
不審人物は通さないだろう。
しかし麻里子はその警備員に報告もせず、校門を走り抜けた。
読んでいただきまして、ありがとうございます。




