最終話 もっともっと近づいて
時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。
波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
――三月。
あっというまに月日は過ぎ去り、明日は山沖たちの卒業式だ。
「明日、山沖先輩に花束渡すのはマリだからね」
「う、うん」
サークルに所属していた四年生には後輩から花束を渡すことになっている。その後は、恒例の追い出しコンパだ。
「告白もしっかりね」
朱莉に念を押されてぎこちなく頷く。
麻里子は卒業式の日に告白すると決めていた。
「マリはすこーしだけ遅れちゃったね」
ドラマや小説などで高校の卒業式に告白というのはよく見ていたが、大学の卒業式で告白なんて、アリだろうとは思うけれど、どれだけ奥手なのかと思われてしまう。
山沖が卒業してしまえば大学に来なくなる。社会人として働くようになったら、それこそ半日はびっしりと仕事に支配される。時間なんて割いてもらえないかもしれない。だったらもう今しかない。
「ただの大学の後輩ってだけで、繋ぎとめるなんてできないよ? それでもいいの?」
と朱莉に尻を叩かれてようやく決意したのだ。
電話やメールだけでは嫌だ。
時々でいいから会いたい。
会ってもらえないかとお願いするつもりだった。
大講堂での卒業式が終った後、卒業生たちがゾロゾロと出てくる。「福天堂」の後輩たちは花束を抱えて卒業生たちを待った。
「あ、いたいた! 楢崎せんぱーい!」
「おー!」
楢崎は後輩連中を見つけて嬉しそうに近寄ってきた。
「ご卒業おめでとうございます」
「ありがとなー。いやあ、なんか感無量だよな。俺もこうして花束もらえるんだなーって思うとさ」
にこにこと機嫌良さそうに笑っている楢崎は某大手広告代理店に就職が決まっていた。彼は見かけによらず優秀なのだ。
「いままでありがとうございました。でも、まだこれからが待ってますよ!」
「そうだな。これから本番だよなー」
卒業式なんて退屈。追い出しコンパが楽しみだと楢崎は以前から言っていた。
そして大講堂を次々と出てくる卒業生たちに花束を渡していく。
「山沖先輩は?」
最後の最後に元代表の姿を探すが見当たらない。
「あ、シュリ! あそこにいた!」
気がつけば大講堂からずいぶんと離れた場所にいた。
その周りには袴姿の女子学生たちがいる。
「あっちゃ~、あの先輩方、最後の最後に悪あがき?」
朱莉が呟くように言ったが、その言葉が麻里子の胸に刺さる。
(私も最後の最後で悪あがきなんですけど…)
しかし、山沖もこちらに気づいたのか女子学生たちを振り切って駆け寄ってくる。
「マリ、行け!」
「う、うんっ」
心臓と胃が痛かった。
花束を抱え、半ば浮き足立ったような状態で麻里子も駆け寄る。
「や、山沖先輩っ! ご卒業おめでとうございます!」
花束を差し出すと彼は笑顔で受け取った。
「おう、ありがとうな。しかし、こうして自分自身が花束を受け取る立場になると照れくさいもんだな」
「そ、そうですか」
ああ、早く言わないと言えなくなってしまいそうだ。
「あ、の、せんぱい」
「ん?」
なんでも聞くぞという明るい表情の山沖を見ていられない。
視線がだんだんと下へ向かっていく。
「これからも……時々でいいから会ってもらえませんか!?」
ぎゅっと目を閉じて早口で言った。
続いて畳み掛けるように言う。
「だっ…駄目だったら、電話とかメールだけでもいいんです。私、先輩のことが」
好き。
そう言いかけて止まった。
会うのが駄目だったら電話かメール。それも理由が好きだからなんて、言う順番が逆だ。
思いっきり間違えてしまった。
会えないと断られてから好きだなんて言ったら迷惑ではないか。
もう駄目だ。
地面を見つめていたが、その視界へ山沖が入る。
否、山沖がしゃがみこんだのだ。
「そうだよな~…」
「………?」
山沖は頭を抱え込んでいた。
「わかるわけないんだよな~…いや、駄目なのは俺か」
「?」
なんだか一人でぶつくさ言っている。
もしかしたら断られるのかもしれない。
麻里子の視界がどんどんぼやけていく。
「ご、ごめんなさ」
変なことを言ってごめんなさい。迷惑をかけてごめんなさい。
もう二度と関わらないから。
一歩引きかけると山沖は慌てて立ち上がった。
「待て! 勘違いするな!」
麻里子の手を引いて止めた山沖は大きく息を吸った。
「こんなに緊張するもんだとは思わなかった」
「好きだ――ずっと好きだった。だから、付き合ってくれないか? 俺と」
「もちろん、恋人として」
「は、い…」
コクリと頷いた麻里子を山沖は掴んでいた手を引き寄せて抱きしめた。
周囲から悲鳴とか雄たけびのような声があがる。
けれど、麻里子にはそんなもの聞こえなかった。
自分を抱きしめてくれる人の声だけが聞こえるように耳を澄ます。
「ちゃんと言わなきゃ、わかるわけないよな」
耳元で囁かれる照れくさそうな告白。
「俺はさ、卒業してからもいままでみたいに会うつもりだった。電話だって、メールだって普通にやりとりして、デートして……でも、そんななあなあで通じるわけないよな」
山沖は少しだけ体を離すと、頬に手を当てる。
「でも、どうでもいいと思ってる奴にキスなんてしない。おまえもそうだよな?」
「はい……っ!?」
頷きかけた麻里子の唇に山沖の唇が触れた。
先ほどの比にならないようなどよめきが起こる。
「や」
まさか衆人環視の中で口づけるなんて。
ドラマの撮影ではないのだから恥ずかしくてたまらない。
麻里子は隠れるように山沖の胸に顔を伏せた。
「はー…長かった!」
満足というように体をぎゅーっと抱きしめられ、深々とつかれたため息にどういう意味だろうかと山沖の腕の中で身じろぎする。
「ここまでくるのに四年半かかった!」
「よねんはん?」
怪訝な顔で見上げると、山沖は機嫌のよさそうな顔で頷いた。
「そう、四年半」
ぎゅうぎゅうと力いっぱい抱きしめてくるので、かなり苦しい。
けれど、それが彼の気持ちを表しているみたいで、苦しいけど我慢しようという気持ちになってしまう。
でもやっぱり。
「せ、せんぱいっ…く、くるしい、です…」
「ああ、悪い」
腕の力は緩められたが、やはり山沖は麻里子を離す気がないらしい。がっちりと抱え込まれている。
「先輩、四年半って…?」
「わからないか?」
考えてみろというような視線に四年半前と考えて思い当たる。
「え…ま、さか…」
「そう、そのまさか」
あの大雨の日、病院でぶつかってから、ずっと――
「俺もまさかと思った。自分でも信じられない。ずっと気にはなってたんだけど、それでももし、入学式で再会しなかったら、そのまま忘れてたと思う。でも、また会った――」
「はい」
「また会ったら、もう忘れられなかった」
耳元で囁かれる。
「だから、絶対に離さない」
覚悟しとけ。
そう言われたら、もう頷くしかないかないではないか。
「あのーぅ、もういいかなぁ~?」
朱莉のなんとなく揶揄するような、面白がっているような間延びした声が耳に届き、麻里子は山沖を突き飛ばすように離れた。
「おまっ……傷つくぞ、そういうの!」
「え、あ、すみませんっ」
「冗談だよ。俺も連中のことすっかり忘れてた。いくぞ」
ん、と手を差し出されて、大きな手のひらと山沖の顔を交互に見る。
ああもうこれってデフォルトなんだ。
手を重ねるとゆっくりと歩き出す。
歩いていく先に朱莉たちの満面の笑顔が見えて照れくさくなる。
傍らで共に歩く人を見上げた。
照れくさいけれど、思い切って気持ちをぶつけてよかった。
壁を一つ越えたようで、ずっとずっと近づけた気がする。
この人にまだまだ近づいていくことができるだろうか。
――? どうした
――あの、私、もっと先輩に近づきたいです
――………あのな、そういうこと言うな。我慢できなくなる
――え、何をですか?
――………とりあえず、『先輩』はやめないか?
――え、えと、山沖、さん?
――『雅也』
――ま、雅也、さん………
――ん、合格