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第十七話 牽制

時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。

波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。

 

 

 

「二十歳になってから、一回くらい酒は飲んだのか?」

「何度かは飲んでます。ほとんど家でですけど。さくらちゃんがワインが好きで、一緒に飲んだりとか」

「ふーん、じゃあ平気か。でも一杯だけにしておけよ」

「はい」

 でないと帰りは電車だし、酔った状態で電車に乗るのは怖い。

「桜子さんで思い出したけど、家に電話はしてあるのか?」

「はい、大丈夫です。さくらちゃんには連絡しておきました」

 前の失敗をふまえて今回は事前にわかっていたこともあり、早めに家に連絡を入れた。

 桜子には「がんばって!」と励まされたが、何をがんばれというのだろう。

 テーブルの上の料理があらかた片付いたころ、上原が皿を片づけるためにやってきて何気なく言った。

「先輩、帰りは電車ですよね。俺が送っていきましょうか?」

「え…?」

 テーブルに手をついた上原は麻里子の顔を覗きこむようにして言った。

「だって、先輩の家って遠いんでしょう? バイト終るまで待っててもらったら、俺が」

「瀬川は門限あるから今帰らないと駄目なんだよ」

 山沖の声が割って入る。

「え、門限?」

「上原、だっけ? 瀬川は俺が送っていくから心配するな」

「でも、山沖先輩は家がすぐそこだし、お酒…」

「俺は酒を飲んでないぞ」

 麻里子が言うと、山沖はジョッキを手に持って振る。

「これはただのウーロン茶。だよな、上原?」

 だからさっき上原がジョッキを置き間違えたのかと気づいた。

 最初に持ってきたジョッキは麻里子の前にウーロン茶の入ったジョッキを、そして山沖の前に巨峰サワーを置いたのだ。それを山沖が入れ替えたので変な顔をしていたということだ。

「そうですね」

 何故か悔しそうな顔をした上原は軽く頭を下げた。

「それじゃ、瀬川先輩をお願いします」

「言われなくても。今日は俺がコイツを誘ったんだからな。最後まで責任持つさ」

 立ち上がった山沖はレシートを上原に差し出した。

 

 店を出た二人は山沖のマンションへ向かって歩き出した。

「先輩、あの、車は…」

「お袋のだよ。まだ十分乗れるからな…」

 母のものは叔母に手伝ってもらって少しずつ片づけているのだという。アクセサリー類は、叔母や妹に形見分けとして譲られたらしい。

 マンションに着くと、山沖はそのまま駐車場に向かった。このまま麻里子を乗せて送るつもりのようだ。

「すみません。先輩、お酒飲めませんでしたね」

「ああ、いいんだ。最初から飲むつもりはなかったし、目的は果たしたからな」

「目的? 何か用事があったんですか?」

「まあな」

 山沖は助手席のドアを開けて麻里子を乗せると運転席側にまわった。

「おまえこそ、酒飲んで具合悪くなったりしてないか?」

「平気です。少し心臓がバクバクして、体は熱いけど」

「みたいだな」

 受け答えはしっかりしているので山沖も安心したのだろう。

「先輩はザルですよね…」

 サークルの飲み会があるといつも思っていた。酒はガンガンと飲んでいるようなのに、顔色は変わらないし、喋る口調もまともだった。

「ザルってことはないけどな……。言われてみれば、確かに人より多く飲まないと酔わないか」

 喋っている間に大通りまで出る。

 瀬川邸までの道は、もう何度か通い慣れた道だった。

 五日間の教育実習での話を聞いているうちに、あっという間に見慣れた光景が目に付くようになった。

 あともう少しで瀬川邸に着く。

「先輩がもし一高の先生になったら、和佐も教え子になるかもしれないですね」

「和佐くんは一高狙いか? てことは、来年付属一中を受験するんだな?」

「はい。瀬川の男子は一中、一高、K大へと行くことになってますから」

「そうかあ、でも俺は一高に採用されるかわからないな」

「そうなんですか?」

「ああ、今、数学教師は足りてるんだとさ」

 山沖が一高で教育実習を行っているのはそこが出身校だからだ。教育実習というのは例外はあるが、普通は出身校で行うのが慣例となっている。

 しかし、教育実習を行ったからといって、そこへ採用されるわけではない。

「あの、もし一高が駄目だったら…」

「ん? そりゃあ、他の学校で働くしかないよな。遠方だったら引っ越さなきゃならないし」

「え、そ、そんな…」

 伯父に頼んでみようか。

 そんな考えがチラリと浮かぶ。

 駄目だ、と小さく頭を振った。

 そんなことをしたらきっと軽蔑される。山沖はそういう不正は許さないだろう。

 あれこれと考えていたら、いつの間にか瀬川邸の門前に着いていた。

 山沖が助手席のドアを開けてくれる。

「先輩、もし、他所の学校に採用されたら、引越し、されるんですか?」

「そうだな。車でも通うのが難しかったら引越しせざるを得ないかもな」

「じゃあ、今のマンションは…」

「あれは俺の名義になってるから、売ってしまわないからには誰かに貸すかもな」

 割り切ったように言う山沖はサバサバした表情をしている。教師になるというのが第一目標であるので、一高に採用されずともいいのだろう。

 それでいいのだと思うのだが、彼が遠くの学校へ採用されたらどうしようかと思ってしまう。

 もしも会えなくなったらと。

「瀬川……もしかして、それは嫌?」

「はい…………あ」

 問いかけられてつい本音で頷いてしまう。

 違うのだと言いたくて、でも違わなくて、何か言い訳しなければと顔をあげかけたのだが、すぐ目の前にネクタイが見えて反射的に身を引いた。

 しかし背中がすぐに門の扉に当たってしまったため、それ以上は下がれずに追いかけてきた山沖の唇が触れてきた。

 目が丸くなったが、それは一瞬ですぐに目を閉じた。

 何度か食むように唇を甘噛みされる。

「…少しは慣れた?」

 音を立てて唇が離れると、至近距離で囁くように問われた。

 吐息と唇がふわふわと微かに触れて、くすぐったさに口が開けない。

 口を開いたら触れてしまいそう…

 言わなければならないのに言えなくて、もどかしく思っているともう一度唇を塞がれた。

「……そういう顔をしないようにな」

 顔を離した山沖は苦笑して言った。

 どういう意味だろう。「そういう顔」って。

 ドキドキしていると彼はそのまま離れた。

「おやすみ」

「あ、お、おやすみなさいっ」

 車に乗った山沖は小さく手を振ると瀬川邸の前から走り去った。

 車が角を曲がるまで見送ってから門をくぐる。

 普段出入りしている奥の玄関に歩いていくまでにピタピタと頬を叩く。

 家に入るまでに、この頬の火照りがおさまりますように。

 

 

 夏の暑さがまだ続く九月上旬のことだった。

 すでに学祭の準備が追い込みに入っている麻里子は今日も帰りが遅くなっていた。

 駅から家までの移動に自転車を使うようになって危険度が減ったので、この期間だけは門限を大目に見てもらっている。

 電車に乗っている間にマナーモードにしていたので、着信に気づいたのは家に着いてからだった。

『採用決まった』

 短いメールの内容に、晩御飯も食べずに電話した。

 電話してはまずかったかと気づいたのは相手が電話に出てからだ。

『はい』

「あっ、先輩、瀬川です」

『おう、なんだ、おまえにしては急だな………あ、ありがとうございます』

 電話向こうで誰かと短いやりとりをしていたようで、ハッと気づく。そういえば今日はバイトの日だった。

「す、すみません。先輩。今バイト中ですよね」

『ああ、今は休憩中だから大丈夫だぞ』

「そうですか。メール見てびっくりしたものだから、つい」

『俺も急いでメールしたもんだから、わけわかんなかったよな』

 件名もなく、メール本文にただ一言だけではどこに採用されたのかもわからない。それを訊こうと思って電話したのだ。

『一高にな、採用されたんだよ』

「本当ですか!? だって、伯父さんに訊いたら来年度は新卒者で採用はないって…」

『なんか急だったみたいだな。…悪い、休憩終ったから、その件はまた今度な』

「あ、はいっ、いきなり電話してすみませんでした。伯父さんに訊いてみます」

『ああ、そのほうが詳しいことがわかりそうだな。じゃ』

 電話を切ると、ちょうど桜子がやってきた。

「もう、マリちゃん、何をしているの? 早く晩御飯を食べてちょうだい。寝るのが遅くなっちゃうわよ?」

「あ、はーい。ごめんなさい」

 夕飯を食べ終えると居間でテレビを見ていた伯父に訊ねた。

「ああ、山沖くんには突然で申し訳なかったと思ったが、こっちも急ぎだったからな。数学教師の一人が急に学校を辞めることになってね」

「どうかしたの?」

「実家の家業を継ぐことになったそうだ。前々からの約束だったそうだが、最近、親御さんの体の調子が悪いみたいでね。早々に実家に帰って家業の勉強をすることにしたらしい。まだ四十代だし、生徒たちの評判もいい先生だから辞められるのは惜しいんだが」

 伯父の恭一郎がそういうにはなかなかいい先生なのだろう。

「臨時で雇うことも考えたが、そこまで差し迫った事態でもないから、どうせなら新年度からの採用にしようと思ったんだよ。その先生には三月までいてくれるように頼んでね。それまでに募集をかけようと思ったんだが、教育実習生のことを思い出したんだよ」

 ドキリとした。山沖から聞いていた。同時期に教育実習に行っていた中で数学を教えていたのは、彼一人だったと。

「麻里子、おまえは私に何も教えなかったな? 彼が教育実習に来たときには驚いたぞ」

「だ、だって、別に伯父さんに教えることでもなかったかと…」

「それに、採用してやってくれとも頼まなかった」

「そ、それも伯父さんに頼むことじゃ…」

 頼もうかと思ったことはあるが、それはやめたのだ。

「ということは、山沖くんはおまえに何一つ言ってこなかったということだな」

「え? 何を? 実習中の話はよく聞いたけど…あと、教員採用試験も受けたって…」

「ふうん、なるほどな…」

 顎に手を添えて納得したように頷いた恭一郎は言葉を続けた。

「山沖くんは実習中の評判もよかったからな。生徒たちにも慕われていたようだった。それに、おまえはもう一つ黙っていたな」

「何を?」

「山沖くんは黒帯だそうじゃないか」

「ああ、それは…」

 知っていたけれど、それが何の関係があるというのか。

「体育の先生が柔道部のコーチを頼んだそうだな。高校生男子を教えるのは限界があるから若い先生がいてくれると助かるとか言ってた」

「まさか、それが採用理由…?」

 そうだ、と恭一郎は頷いた。

「もちろん、学業成績や素行も評価基準に達しているからな。彼を採用しない手はない。採用条件として、柔道部のコーチを引き受けてもらうことは言ったがな」

 採用が決まったと山沖が言ったからには柔道部のコーチを引き受けたということだろう。

 できれば一高で教えたいと言っていたのだから、断れなかっただろうが。

「でも、よかった。先輩はできれば母校の一高の先生になりたいって言ってたから喜んでると思う」

「そうなのか。それはよかったというべきだろうが、おまえはずいぶんと山沖くんと込み入った話までしているんだな」

「え? そ、そう?」

 ポッと頬が熱くなる。

 そんな麻里子を見て恭一郎は面白そうに笑った。

「それ以上は訊かないでおいてやろう。それはそうと、前に言ってあったことだがな…」

 

 

読んでいただきまして、ありがとうございます。

※第十八話ではなく、十七話目でした。6月10日修正しました。

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