第十六話 一年過ぎて
時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。
波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
想像していたよりもずいぶんと忙しい。
二年生になった麻里子はサークルの仕事に追われていた。
中心となる三年生の数が山沖たちの代よりも圧倒的に少ないのだ。
必然的に二年生がフォローする形になる。
「こう言っちゃなんだけど、昨年のあたしたちってずいぶんと楽させてもらってたのね~」
「人数が少ないんだからしょうがないじゃない。その分、今年は一年生が多く入ってくれて助かったでしょ?」
「それはやっぱり麻里子のおかげだよね~」
今年の入学式の日、サークル部員の勧誘に駆りだされた麻里子と朱莉は座っていただけだったのだが男子学生たちが声をかけてきたのだ。
そこを狙った三年生たちが勧誘し、麻里子たち二年生よりも多い新入部員を確保できたのだ。もちろん、女子学生たちもいるが男子に比べると少ない。人数的に偏りが出たかと思ったが、二年生は女子が多いのでバランスはとれている。
そろそろ初夏といってもいい季節になり、日が暮れるのが遅くなってきた。
帰り支度をしていると、一年の男子が声をかけてきた。
「瀬川先輩、このあと予定はありますか?」
「え?」
彼の名前は上原という。下の名前までは覚えていなかったが、人懐こくて見た目も良い。
麻里子は問われた内容を理解すると微かに眉根を寄せた。
「えっと…」
戸惑った顔でチラリと朱莉を見ると、彼女はすぐに麻里子の腕に自分の腕を絡ませた。
「駄目よ! マリはこれからあたしと買い物に行くんだから!」
「じゃ、じゃあ、時間はとらせませんので、ちょっとだけでもいいですか?」
朱莉の剣幕に身を引きかけた彼はそれでも踏みとどまった。
「…じゃあちょっとだけ…」
サークル棟から離れた人気のない場所にくると、予想したとおりのことを言われた。
「瀬川先輩、俺と付き合ってもらえませんか?」
「…ごめんなさい。あの、私…」
「年下には興味ないですか?」
「え? そうじゃなくて」
「付き合ってる人はいませんよね?」
矢継ぎ早に言われて、麻里子ははっきりと断ることができない。
「い、いないけど、でも」
「だったらいいじゃないですか」
「い、嫌っ」
麻里子の口から拒絶の言葉が出るとは思わなかったのだろう。
上原は口を噤んだ。
「ごめんなさいっ、嫌っていうか、その、私は好きな人がいるので、あなたとは付き合えません」
「先輩はその好きな人に告白したんですか?」
どうしてそんなことに答えなくてはいけないのだろう。
麻里子が黙っていると上原は肩をすくめた。
「だったら俺と付き合ったっていいじゃないですか」
「だから、付き合えないって言ってるでしょう?」
どういう理屈でそういう考えが浮かぶのか。
「だ、だいたい、どうして私と付き合いたいの?」
「先輩は美人ですし、それを鼻にかけないし、おしとやかで優しそうだからかな」
「それだけ?」
好きだとか、恋しているとか、そんな感情はないのか。
麻里子の見かけだけを気に入って交際を申し込んできているだけなのか。
ああ、彼も同じなのだ。
麻里子を連れて歩いていればそれだけで自分のステータスに繋がると。
がっかりだ。
そう思ってはいても、最初の一言が好意を示すものならよかったのに。
そう考えるとどうでもよくなってきた。
「悪いけど、そういう理由なら絶対に付き合わないから」
それだけ言うと上原を置いてサークル棟へと戻った。
歩きながらもつい苦笑してしまう。
いつの間にか強気でモノを言えるようになったなあ、と。
たぶん周囲の人々の影響だろう。
誰、とは言えなかったが。
「あー、戻ってきた! どうだったの? やっぱり…どうしたの?」
麻里子は自分の鞄を持つと朱莉の腕を取った。
「シュリちゃん、帰ろ!」
「あ、ちょっと待ってよ」
朱莉を引きずるように部室を出ると、そのまま校門へ向かって歩き出す。
視界の端に上原が戻ってくるのが見えたが無視した。
校門を出て歩き出すと朱莉が訊いてきた。
「なあに、上原くんはそんなに腹立つこと言ったの?」
「だって、付き合って欲しいっていう理由が見た目ばかりなんだもの」
「そりゃ駄目だわね」
朱莉も呆れたように言った。
麻里子がそういう理由で交際を申し込まれることを嫌っているのを知っているからだ。
この話題から離れたほうがいいと判断したのか、朱莉は話を変える。
「そういえば、山沖先輩とは連絡とってる? 私、最近は全然姿を見ないんだけど」
「私も…電話とメールはもらってるけど。今度、教育実習に四週間ほど行かなくちゃいけなくて、その準備とか母校への挨拶とかで忙しいんだって」
「先輩って、付属出身なんだっけ?」
「うん、第一高校」
「一高!? そりゃ名門だねぇ。って、先輩って中学教師を目指してるんじゃなかったの?」
「あ、ううん。塾では中学生を教えてるけど、もともと高校の教師を志望してるみたい」
麻里子も付属中学へ教育実習に行くのではないかと聞いたら、付属中学には恩師がいるから照れくさくて行きにくいという話をしていた。
「先輩とは学部が違うから会わない日は徹底的に会わないもんね。相変わらずアルバイトはやってるし、今は就活もあるしね」
「うん……」
忙しい山沖に合わせて電話はあまりできない。
彼からの連絡を待っているといったほうがいい。
つながりが消えるのが嫌でメールだけでもいいからと毎日一回だけは送っている。
「しつこいと嫌われるかなぁ…」
「何言ってんの! そんなことないって! 先輩は絶対に喜ぶから!」
何故か朱莉はこれに関してはやたらと強気だった。
だからだろうか。彼女に言われるともうちょっとがんばってみようという気になるのだった。
五月の下旬から山沖は教育実習に入った。
朝から晩まで学校に詰めっぱなしで、本当に会う暇もなさそうだ。
そんな中、金曜日の夕方に電話がかかってきた。
午後六時半に大学の最寄の駅で待ち合わせ。
晩御飯を食べに行こうと言われたので、朱莉も含めて幾人か誘ったのだが、何故か皆遠慮した。
「いや、ここはやっぱりねえ?」
「馬に蹴られたくはないよね」
別に二人きりで会いたいなんて言われていないのだから、一緒に行ったっていいではないか。
というか、二人きりで食事なんて緊張する。いつぞやファミレスで晩御飯を食べたときはそれどころではなかったので、あれは除外だ。
結局、誰も一緒に行かないというので一人で行くことになった。
待ち合わせ場所の駅前のショッピングセンターで時間つぶしをして、化粧室で身なりを整える。
いつも化粧しているのかしていないのかわからない程度のナチュラルメイクなのだが、一応化粧を直してリップグロスも塗りなおした。
(おかしな服…じゃないよね?)
昼間はずいぶんと気温が高くなっているので、半袖のカットソーに膝丈のキャミワンピ、夕方になって冷えるのを想定して夏物のカーディガンを羽織っている。
ローヒールのパンプスを履いていたが、山沖と歩くのならもう少し踵の高い靴でもよかったかもしれない。
時間ギリギリになって駅前に向かう。待ち合わせするのは苦手だ。人待ち顔で立っていると、やたらと声をかけられるのだ。
もしも時間ちょうどになっても山沖が現れなかったら、その辺をウロウロと歩いているしかない。
そう思っていると、改札口から山沖が歩いてくるのが見えた。
「山沖先輩」
小走りで駆け寄ると山沖は笑みを浮かべる。
彼と会うのは卒業式の追い出しコンパ以来だ。
麻里子は山沖の身なりを上から下まで見ると、大げさに言った。
「先輩のスーツ姿なんて初めて見ます」
実は彼が改札口を出てくるときにほんのちょっぴり見惚れてしまった。いかにも社会人ぽくて、しかもスーツもビシッときまっているので、大学生には見えなかったのだ。
「教生はスーツ着用が基本だからな。先生方はわりと好きな格好してるぞ」
行くかと山沖が歩き始めたので麻里子はただついて行く。
どこへ晩御飯を食べに行くというのだろうかと思っていると、連れて行かれた先は全国にチェーン展開している居酒屋だった。
サークルの集まりなどでは来ることもあるが、誰か特定の人と来たことなどない。
「フレンチとかイタリアンレストランのほうがよかったか?」
「いえ、そんなことは」
ぷるぷると首を振ると、山沖は注文を取りに来た店員に次々とメニューを告げる。
注文し慣れているようだ。
「食いもんは適当に頼んでるけど、飲み物はどうする?」
「えっと…」
ドリンクメニューを見ていると山沖が頬杖をついて面白そうに言った。
「二十歳になったんだろ? 酒飲むか? チューハイでいいな?」
「は、はい」
たたみかけるように言われてコクコクと頷いて、とりあえず飲みやすそうな巨峰サワーなるものを注文してみた。
「あのぅ、先輩。もしかして私にお酒を飲ませるために…?」
「せっかく酒が飲める歳になったんだからな。今年も誕生日の祝いしてやれなかったこともある」
「へ……? あ、ありがとうございます……」
メニューを選ぶフリをして顔を伏せた。酒も入っていないのに顔が熱い。
(「も」がひっかかる! 「今年も」って何!?)
メニューの陰に隠れて悶々としていると、山沖は上着を脱いでネクタイを緩めた。
「先輩、教育実習お疲れさまです」
ようやく第一週が終ったところだ。
今日が金曜日だから土日は休みで、まだ残り三週もある。
「おー、今日は早く帰れてよかったよ……」
「何かありましたか?」
「柔道の黒帯なんて持ってなきゃよかった……」
「はあ…」
それが何か?と言いたくなった。
弟の和佐から山沖は有段者だと聞いてはいたので、それについては驚くことはない。
山沖はテーブルに突っ伏した。
「もう何年もロクに道場に行ってないのに、柔道のコーチを頼まれたんだ……。あのクソオヤジ!」
「クソオヤジ……」
どういうことなのだろう? わけがわからないので首を傾げると、山沖はため息をついた。
「クソオヤジっていうのが体育教師なんだけど、柔道部の顧問でな。俺が高校のときからいるんだけど、当時柔道部に入らなかったのを根に持ってて、短期間なんだからコーチくらいいいだろう。これも教育実習の一環だなんて言われたら断れないだろ」
「そうですね」
「おかげで早く帰れなくなった。生徒たちより早くあがるわけにはいかないからな。今日は他の先生の口添えで早く帰らせてもらったんだよ」
「そうだたったんですか。……あの、教育実習の間のバイトはどうしてるんですか?」
「休ませてもらってる。さすがに両立はキツイ」
「ですよね」
「お待たせしました」
ちょうどそこへ料理が運ばれてくる。
「あ、れ、瀬川先輩?」
「え…あ、上原くん」
顔をあげると、店の制服を着た上原がジョッキを手に持っていた。
先日の告白のときは彼に腹を立てていたが、そういうのは彼だけでなくいつものことだし、サークルの後輩なのだから気まずい関係になるのも嫌だと思って翌日からは普通に接していた。
「ここでアルバイトしてたの?」
「はい。大学から近いし楽なんで。あのー、瀬川先輩は今日は…?」
チラリと山沖を見る。
「お兄さんですか?」
スーツ姿から年上と思ったのだろうが、麻里子は慌てて否定した。
「何言ってるの? 違うわよ。というか、知らないの? こちらの山沖先輩は昨年のうちの代表なのよ?」
「うちの代表……って、ええっ!? し、失礼しました!」
頭を下げる上原に山沖は気にするなと言った。
「しょうがないよなー。四年は所属するだけで活動はしないからな。知らないのも当然だよ。おまえだって俺の前任者を卒業式後の追い出しコンパのときまで知らなかったじゃないか」
「う、そ、そうでした…」
ほらみろと笑い声をあげた山沖と、麻里子を交互に見やった上原は面白くなさそうに口を曲げたが、手に持っていたジョッキをテーブルにおく。
すると、山沖が自分の前に置かれたジョッキと麻里子の前のジョッキを入れ替えたのを見て、怪訝そうな顔をした。
「これでいいんだよ」
「そうでしたか。すみません」
そっけなく言うと上原はそれ以上は何も言わずにテーブルを離れた。
他にもたくさんお客さんがいるし、忙しいんだろうなと麻里子は思ったが、山沖はすました顔でジョッキに口をつけた。
「よし、食うぞ。俺は腹が減ってんだ」
読んでいただきまして、ありがとうございます。
完結済み作品なので、改稿でき次第UPします。