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第十五話 雪の降る日

時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。

波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。

 

 

 

 午後九時を回った頃になって、ようやく動きがあった。

 医師が病室を出てきたので山沖が立ち上がる。

「先生」

「とりあえず、危険な状態は脱しました。予断はできませんが」

「そうですか」

「ありがとうございます」

 後から駆けつけてきた山沖の祖父母らしい老夫婦と若い叔母たちが頭を下げる。

 少し離れて立っていた麻里子に山沖が近づいてきた。

「瀬川、悪かったな。遅くまでつきあわせて」

「いえ、いいんです。よかったですね、おかあさま」

「まだ、油断はできないけどな……いまのうちに送っていく」

「いいです! 大丈夫ですから!」

 慌てて手を振った。自分から居座っていたのに、そこまでさせられない。

「でも、もう九時を回って…」

「家に電話して迎えに来てもらうから大丈夫です。先輩はおかあさまについててあげてください」

 麻里子はそれだけ言うと、山沖家の人々に向けて言った。

「あのっ、先輩…ま、雅也さん、は、風邪をひいてて、まだ少し熱があるんです。また具合が悪くなったらいけないので…」

「ええ、わかったわ。あなたにも申し訳なかったわね。こんなに遅い時間まで」

「瀬川さんだったね。今日はありがとう。気をつけて帰りなさい」

 山沖の祖父母は瀬川家の祖父母よりも若く、特に祖父のほうは理知的な目をしていた。山沖は祖父に似たのかもしれない。

「はい。それでは失礼します」

 ぺこりと頭を下げてエレベーターに向かう。

「瀬川」

 山沖が追いかけてくる。

「下まで送る。せめて」

「大丈夫ですよ。ここまで迎えに来てもらいますから心配いりません。それよりも具合が悪くなったらどうするんですか? ちゃんと休んでください」

 ほらほらと追い返すように背中を押す。

「そう言いながら駅まで歩くとかするんじゃないぞ。必ず迎えに来てもらえよ」

「はい」

 山沖はエレベーターの扉が閉まるまで心配そうに見ていた。

 

 面会時間はとうに過ぎていたので、夜間の緊急出入口へと向かう。

 とても静かだった。

 この病院は救急病院でもあるが、緊急搬送された患者もいないのだろう。

 暗い廊下は静まりかえっている。

 麻里子は携帯電話を取り出すと、着信がなんども入っていた。病院にいたので電源を切っていたので気づかなかったが、ここはなるべく怒られないようにと一番穏便に済ましてくれるだろう桜子に直接電話した。

『マリちゃん!? どうしたのっ、こんなに遅くまで連絡もしないで!』

 しかし、さすがの桜子もカンカンに怒っていた。

 連絡だけでも入れておけばよかったと激しく後悔したが後の祭りだ。

「ごめんなさい。それが…」

『十時になっても連絡がなかったら、警察に連絡しようって言ってたところなのよ!?』

「ご、ごめんなさい…あの、あのね…せっ…せんぱい…山沖先輩のっ…おっ、おかあさまが…」

『マリちゃん…? どうしたの? なんで泣いてるの?』

 我慢ができなくなって涙が零れた。

 山沖たちがいるところでなんて泣けなかった。

「先輩の、おかあさまが危篤っ…で」

『え!?』

「でも、もちなおしたって……よ、よかっ…」

『マリちゃん…わかったから…今どこにいるの? 迎えに行くわ』

 切れ切れの言葉だったが、桜子はなんとなくでも事情を察したのだろう。声が優しくなる。

 泣きながらもなんとか病院の名前を告げて電話を切ると急いで夜間出入口を出る。

「…うっ……ふぅっ…」

 口を押さえて必死に声を押し殺した。

 よかった。周りに誰もいなくて。今が夜で。

「……った……せんぱい……よ……っ!?」

「おまえは、何勝手に泣いてんだ?」

 後ろから抱え込まれるように抱きしめられ、一瞬呼吸が止まる。

「せんぱ…?」

「やっぱり心配になって来てみれば、勝手に一人で泣いてるし」

 背中から抱きしめられているので山沖の顔は見えない。

 耳元で囁かれる声は呆れているようでもあり、嬉しそうにも聞こえた。

 そして山沖は体を離すと麻里子の体を反転させて、真正面から抱きしめた。

 麻里子の後ろ頭に手を添えて、肩口に押しつける。

「先輩」

「可愛いな」

 ポツリと呟かれた言葉。

「おまえは本当に可愛い」

 山沖はそれだけ言うと桜子が迎えにくるまでずっと抱きしめていた。

 

 

 一度は持ちなおしたものの、意識が戻らないまま山沖の母は一月末に息を引き取った――

 

 告別式が行われたのは雪の降る日だった。

 麻里子はもちろんのこと、「福天堂」のメンバーは全員が弔問に訪れた。

「山沖先輩のお母さんて見たことなかったけど、すごく綺麗な人だったんだね」

 遺影を見た朱莉がポツリと言った。

「あれは元気だったころの写真だと思う…。私が会ったときはもっと痩せてた」

 葬儀が終った後、なんとなく全員が集まっていたら山沖がやってきた。

「みんな、悪かったな。今日はわざわざ来てもらって」

「何言ってんだ、馬鹿。俺、すっごくおばさんに世話になったんだぞ。来るのは当たり前だろ」

 中学からの付き合いの楢崎は怒ったように言った。

「それより山沖くん。いいの? 喪主がこんなところにいて」

「ああ、ちょっとなら大丈夫」

 麻里子は山沖の様子を窺った。

 あれからまだ数日しか経っていない。

 見たところ少しやつれているようだが、顔色は思いのほかよかった。

 風邪のほうは治ったみたいだ。

 こんなときに山沖のことばかり気にしているなんてとは思うのだが、体調くらい心配したっていいだろう。

「雅也」

 低い声に皆が反応すると、山沖が振り返った。

「親父」

 喪服を着た壮年の男性が近寄ってきた。年の頃は恭一郎のすぐ下の伯父と同じくらいだろうか。

 彼は山沖と同じくらい背が高かった。

「こちらは皆大学の?」

「友達と後輩だよ」

「そうか…。皆さん、今日はどうもありがとう」

 男性は自分の息子と同年代の学生たちに頭を下げた。

「雅也、ちょっと来なさい」

「なんだよ。話はもう終っただろ」

「来るんだ」

 命令に近い言葉に舌打ちすると山沖は父親についていった。

 二人が歩いていく先には少女がポツンと立っていた。

 きっとあの子が年の離れた妹なのだろう。和佐と同い年だと聞いていた。

 弟の背丈が高すぎて勘違いしがちだが、あのくらいの背丈があの年頃の子の標準のはずだ。

 目が合ったので麻里子は微笑んだ。気遣うつもりはなく、ただ安心させようと思ったのだが、少女は泣きはらしたような目を瞬かせるとはにかんで微笑んだ。

 その麻里子の隣で朱莉は不思議そうに言った。

「山沖先輩って、もしかしてお父さんと仲が悪いの?」

「え…さあ、先輩からはお父さんの話は聞いたことないけど…」

 すると皆が楢崎に注目した。

「な、なんだよ…。何かっていうとみんな俺に訊くよな」

「だって楢崎くんが一番仲いいじゃないの。付き合いも一番長いし」

「そうだけどさあ」

 楢崎は整えられた髪をかき乱すと観念したように言った。

「まあ、確かに仲はよくないよ…。両親が離婚した当初は荒れてたからなあ。山沖は親父さんの出張が多くて家にいないのが不満だったようだし。そのくせ学校の成績についてはうるさく言われてたみたいでさ。成績は常にトップクラスじゃないといけない! みたいな」

「うわー、いやだ! そんなの」

「でも山沖の場合は元々頭の出来がよかったからそれは問題じゃなかったんだけど、このままだと仕事まで跡を継がせられるみたいなことを言ってたな」

 しかし、今の山沖は教師を目指している。

「中学のときの担任の先生がすごくいい先生で、山沖はその先生とすごく仲がよかったから、先生みたいになりたいって言って教師を目指してたもんだから、親父さんとはしょっちゅうぶつかってたし」

 楢崎は肩をすくめた。

「親父さんのことを嫌ってるわけじゃないんだろうけどさ、男同士だからな。ぶつかることもあるさ」

「そんなものですか?」

「そんなもんだよ。俺だってうちの父親とはしょっちゅう喧嘩してるもん。ま、これでも中学とか高校のころよりも大人しくなったもんだけどな」

 麻里子は弟のことを思い出した。

 小さなころは素直で可愛らしかったのに、今では理一郎の言葉に反発している。反抗期かと思うが言うことを聞くこともあるし、どういうことが反発心を起こすのかわからない。

 さすがに自分と育ての親といってもいい伯父の言うことには逆らわないけれど。

 

 その日の夜。

 居間で桜子たちと話をしていると携帯電話に着信が入った。

 山沖からだったのだが、電話をしても大丈夫なのだろうかと思いながらも自室へ戻りながら電話に出た。

「もしもし」

『よう、今いいか?』

「はい。でも、あの、いいんですか? 電話なんかしてて…」

 自分の部屋に戻るとベッドに腰掛ける。

『もう落ち着いたから大丈夫。といっても今はじいさまの家にいるんだけど』

「え、おじいさまのおうちって確か…」

 隣の県だと聞いていたが、今日のうちに移動したのだろうか。

『高速使えばすぐだからな。それに、墓もこっちにあるから都合がいいし』

 高速を使えばとはいうが、あと数日は戻ってこれないだろう。

 そう考えていると山沖も同じようなことを言った。

『さっき楢崎にも電話したんだけどさ、何日かこっちにいないといけないんだ』

「そうですか。気をつけてくださいね。病み上がりなんですから」

『ああ、風邪はもう大丈夫だよ。あのときは悪かったな。いろいろとバタバタして』

「い、いえ」

 あの日のことを思い出して赤面した。

 山沖の母のことがあったためすっかり忘却の彼方に追いやっていたが、あの日、確かに山沖をキスをしたのだ。

 生々しい感触まで思い出してしまう。

 温かくて柔らかくて、少しかさついた唇が、自分の唇に触れていたのだと思うとそれだけで顔が熱くなる。

『あ、悪い。呼ばれてるから、これで切るな。今日は本当にありがとうな。おやすみ』

「おやすみなさい」

 電話を切るとベッドに倒れこむ。

「~~~~~~っ……駄目っ」

 考えまいとすればするほど唇の感触が蘇ってくる。

「でも……もち、よかった………じゃないっ!」

 ブンブンと頭を振って考えないようにするのに。

 山沖の声を耳元で聞いてしまったら、それだけしか考えられなくなってしまう。

 こんな日に不謹慎ではないか。

 そう思ったら少し落ち着いた。

 起き上がって窓の外を見る。

 冬の夜空はよく晴れていて星が見えた。

 

 早く会いたい――

 

 こんな風に人に会いたいなんて、一度も思ったことがなかった。

 

 けれど、かなりの期間を山沖に会えずに過ごすことになるなんて、今の麻里子は思いもしなかった。


 

読んでいただきまして、ありがとうございます。

完結済み作品ですので、改稿でき次第UPしています。

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