第十二話 クリスマス・イブ
時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。
波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
十二月。
街は年末商戦が始まり、クリスマスカラーで統一されている。
そんな中、「福天堂」は学祭と並ぶもう一つのイベント「クリスマスパーティー」の準備に追われていた。
といってもこちらはそんなに忙しくはない。
十二月二十四日にとあるホテルの一ホールを借り切ってみんなで飲み食いするだけのことだ。もちろん会場内ではある程度の催し物もあったりはするが、参加者の目当てはクリスマスを一緒に過ごすパートナーを探すというものだ。
「要するに、集団見合いというか合コンよね」
「う…それもそうよね」
朱莉はあっさりと言い切った。
「マリ、山沖先輩を誘ってみたら?」
「ええっ、そんな……誘えないわよ」
「なんで? 別に引退した三年生が参加しちゃいけない決まりはないでしょうが。それに、このパーティーに参加するっていうことは、クリスマスに過ごす相手がいないってことでしょ? 望みができるじゃない」
「そうだけど……」
「誘ってみないうちから諦めないの!」
さんざん朱莉に言われたため、夜になってから山沖に電話をいれてみた。
『はい。どうした?』
「あ、す、すみません、先輩っ。お忙しいところを」
緊張のあまり声が上ずった。
この時期の塾は忙しい。
受験生にとってはラストスパートに入る時期だ。
中学三年生を担当している山沖も夜遅くまで受験生に付き合っているということだった。
『いや、別に構わないぞ。おまえから電話してくるってことは何か用事なんだろ?』
「あ、はい、えっと……クリスパスパーティーのことなんですけど」
『ああ、そういやそんな時期か。忙しくて忘れてた』
「先輩がお忙しいのはわかっているんですが、クリスマスパーティーに来られませんか?」
『イブだろ? ……』
「楢崎先輩とか、三沢先輩たちも来てくださるって」
考え込んでいる様子が窺えて慌てて付け加えた。
『悪い。その日はちょっと……』
「そ、そうですか! そうですよね。クリスマスですから、ご予定くらいありますよね。余計なこと訊いてすみませんでした!」
『おいっ』
麻里子は電話を切るとぎゅっと携帯を握りしめた。山沖が何か言いかけたようだが、今さらかけ直せない。
「クリスマス、だもんね。一緒にいたい人だっているわよ、ね」
麻里子は気づかなかった。
電話を切った拍子に電源まで落としていたことに。
風呂に入って部屋に戻ってからようやく気づく。
電源を入れるとメールが届いていた。
『イブは朝からバイトだからな!』
件名もなく用件はそれだけだった。
もともと山沖からのメールはそっけないが、これは最たるものだった。
サーッと血の気が引いていく。
(怒ってる!)
電源を切っていたためにメールを送ってきたのだろうが、これは返信したほうがいいに違いない。
慌ててメールを送ったが、その後の山沖からの返信はなく、ますます落ち込み度を増していったのだった。
準備に追われているうちにあっという間にクリスマスパーティーの当日。
午後二時から午後五時まで開かれるパーティー会場の受付で麻里子と朱莉は小声で話していた。
「シュリちゃんはいいの? 彼とのデートは?」
「夜に会うからいいのよ。マリ一人にしておくのも不安だし」
「え、何で? 別に私一人がスタッフじゃないんだもの。大丈夫よ」
「いや、そうじゃなくて……」
二人の服装もパーティーを意識してドレスだった。麻里子は拓海の妻、光佳から借りたものだが、朱莉はレンタルしてきたらしい。
一応スタッフの腕章をつけているが、その腕章はこの場にはものすごく不似合いだ。
「瀬川さんっ!」
「はい?」
受付を終えた男性がいきなり麻里子に話しかけてきた。
面食らった麻里子は無意識にのけぞる。
「あ、あのさ、このパーティーの後って予定ある?」
「予定ですか? ありますけど」
「そ、そうですか……」
すごすごと去って行く男性を見送って首を傾げる。
「これだから……」
「え、何、シュリちゃん?」
ボソリと呟いた朱莉は目を細めた。
頭が痛いとでもいうようにこめかみを揉んでいる。
「だから山沖先輩誘えって言ったのにー!」
「先輩は塾のバイトがあって……」
「わかってるわよ! 受験生は追い込み時期だってこともね。で? この後の予定って?」
「家に帰るけど……」
「帰るの!?」
「う、うん、だって、今日は家でもクリスマスパーティーがあって、拓海兄さんが赤ちゃん連れてくるって言ってたんだもの。早く帰らなきゃ」
十月に生まれた拓海の初めての子は男の子だった。とても可愛らしくて、麻里子は現在赤ちゃんに夢中である。時間があればとにかく可愛い赤ちゃんを見たくてたまらないのだ。
「あーそう……色気も何もないわねー」
「いいのよ。別に」
一緒に過ごしたい相手なんて一人しかいない。
それが駄目なら家に帰って親しい人たちと一緒にいるほうがいい。
パーティーが始まると麻里子たちスタッフは忙しくなる。
会場内を動き回って問題がおきていないか、料理の不足はないかと細かなチェックが必要になる。
「よ、マリちゃん!」
「楢崎先輩!」
ポンと肩を叩かれて久しぶりに楢崎の顔を見た。
初めて見るスーツ姿に目を丸くする。
「先輩は来られてたんですか?」
「悪かったねぇ、独り身で」
「そんなこと言ってないですけど」
「なんてね。後輩の様子を見てきてくれって頼まれたんだよ」
誰にと言われずともわかる。
「山沖もさあ、バイトなんて言わずに来ればいいのにな」
「バイトだから来れないんですよ。そんなこと言ったら受験生たちが気の毒ですよ」
「そりゃそうだ」
楢崎は笑うとまじまじと麻里子を見下ろした。
「マリちゃんはそういう格好すると本当に見映えするなあ」
「そんなことはないですよ」
ドレスはどちらかといえばおとなしめだし、化粧だってほとんどしていない。目立つはずがないのだ。
わかってないなあと楢崎は言う。
「そうだ。マリちゃん、このあと予定ある?」
「え」
「クリスマスデートしようか?」
「は?」
どうして今日はこうも誘われてばかりなのか。
「俺も今日は暇でさあ、このあと予定がないんだよね。マリちゃんも予定がないなら晩飯くらいはおごるよ」
「いえ、私は用事があるのですぐに帰らないといけないんです」
「そっか。うん、まあそんな返事だと思ってたよ」
楢崎はわかってるというように頷くとため息をついた。
「誰も彼もが山沖か~」
「え? ち、違います。私は本当に用事があって……」
「うん、わかってるけど。でもマリちゃんは山沖がいいんだろ?」
「えっと……」
「でもさ、山沖はたぶん、本命がいると思うよ」
「え……」
自分がやらなければいけない用事も忘れて楢崎の言葉に反応した。
本命ってどういう意味だろう。
「あいつに直に聞いたわけじゃないよ。そういう話はあんまりしたがらないから」
「そう、ですか」
わかっているはずなのに、何故か考えたくなかった。
「それではお疲れさまでしたー! みんな楽しいクリスマスを!」
「おおーっ」
クリスマスパーティーを終えた「福天堂」のメンバーは片づけの終ったホールを後にした。
時間はすでに午後七時を回っている。
「マリー、本当にもう帰る気?」
「うん、これ以上遅くなったら怒られちゃうし」
コートを着込んだ麻里子は朱莉と別れて駅へと向かう。
ここからなら三十分もかからずに家に着けるだろう。
あと少しで駅に着くというところで通り過ぎた喫茶店の前へ後戻りする。
そして愕然とした――
その窓際の席には向かい合って座る山沖と小塚沙織の姿があった。
楽しそうに話をしている。
二人は窓の外にいる麻里子には全く気づかずに話をしている。
麻里子は呆然と立ちすくんだ。
心臓が嫌な音をたてはじめる。
(どうして?)
山沖はバイトだと言っていたはずだ。楢崎だってそう言っていたではないか。
なのに何故、こんな時間にあの人と一緒にいるのか。
コーヒーを飲み終えた二人は同時に立ち上がった。
このままここにいると二人が出てきて鉢合わせする。
麻里子はもう目もくれずに走り出した。
もういい。
もう何も目にしたくなかった。
家に帰るとリビングに顔も出さずに自室へと籠もった。
「マリちゃん、どうかしたの?」
コンコンとドアがノックされて、拓海の妻、光佳が入ってきた。今晩は泊まっていくとのことで、普段よりもゆっくりしている。
「光佳ちゃん……あ、ドレスありがとう。クリーニングが終ったら返しに行くから」
「それはいつでもいいんだけど、パーティーは楽しくなかったの?」
沈んだ表情から何かあったと思ったのだろう。光佳はそっと訊ねてきた。
「あの、あの、ね? 私、好きな人がいるの……」
「そうなの? どんな人? カッコいい?」
光佳は華やかな外見とは裏腹に、性格は真面目で穏やかで、人の話を聞くのも巧い。
「うん……、理一兄さんや拓海兄さんたちとは違って、綺麗ってわけじゃないんだけど、キリッとしてて笑顔が優しくて、頭も良くてみんなに頼りにされてるの」
「そう……マリちゃんが好きになるくらいだからきっと素敵な人なのね」
「でも、その人は今日ね、バイトだって聞いてたのに……喫茶店で元カノと会ってたの」
「あら、それでマリちゃんはショック受けちゃったの?」
コクリと頷くと光佳は苦笑した。
「それだけで何もかも決めつけてしまったら、マリちゃんの好きな人がかわいそうよ」
「え?」
「だって、何か事情があったのかもしれないでしょう? バイトだって聞いていたのなら、それは嘘ではないんでしょうし……」
それはそうかもしれない。考えないことはなかったのだが、麻里子は自分でも何にショックを受けているのかわけがわからなくなっていた。
「マリちゃんはきっと……その人が嘘をついたとかいうよりも、その元カノさんと会ってたってことがショックなのよね?」
そうなのだろう。
楢崎から聞いた山沖には本命がいるという話に少なからず動揺していたのは確かなのだ。
ヨリを戻したいと言っていた沙織を振っていたとはいうが、本命が誰かなんて誰も知らないのだ。
「だって、本命が……好きな人がいるんじゃないかって聞いたから……」
「ねえ、マリちゃん」
光佳は麻里子の手をやんわりと握ってきた。
「マリちゃんはその人と仲がいいのよね?」
「仲がいいかはわからないけど、電話したり、メールしたりするし、よく面倒も見てもらってるから……」
「その人の本命がマリちゃんだってことは考えなかったの?」
「……え」
麻里子は目を丸くした。
まさか、そんなことあるわけがない。
「だって、そんなこと」
「考えたこともなかった?」
頷くと光佳は微笑んだ。
「だって、訊けないでしょ、そんなこと」
頬が熱くなる。「先輩、もしかして私のこと好きなんですか?」なんて訊けるわけがない。
間違っていたらものすごく恥ずかしいではないか。それこそ自意識過剰というか、今後彼に合わせる顔がない。
「じゃあ告白もしないの?」
それは朱莉にも訊かれたが、いつかはしたいと思っている。
「今すぐじゃないけど、いつかは告白しようと思ってる」
もう少し、もう少しだけ自分の心を見つめてみたい。自分が想っているように、彼からも想われたいと本気で思えるようになったら、そのときに。
「私も応援するわ。マリちゃんがその人にちゃんと告白できますようにって」
きゅっと手を握りしめられて麻里子はホッとして微笑んだ。
母を失ってからは、光佳や桜子が姉のように自分の話を聞いてくれる。
朱莉とはまた違うよき相談相手となっていて、自分は恵まれていると思えるのだった。
読んでいただきまして、ありがとうございます。
完結済み作品ですので、改稿でき次第UPします。