第一話 入学式での出会い
時間の流れは速いですが、話の展開は遅いです。
波乱万丈なストーリーではないので、ハラハラドキドキをお求めの方にはおすすめできません。
その日のキャンパス内はとてもにぎやかだった。
それもそのはずで、入学式を終えたばかりの新入学生を上学年の学生たちが自分達のサークルに勧誘するために集まってきているのだ。
空はよく晴れていて、空気もぽかぽかと暖かい。少し身体を動かせば汗ばんできそうな春の日だ。
麻里子は入学式の行われた大講堂から大学の正門まで続く道に溢れかえっている学生たちの中をじっくりと眺めながら歩いた。
高校では諸事情で部活動ができなかった。大学に入ったら何かやってみるといいと世話になっている伯父たちにも勧められ、弟にも自分のことは気にしなくていいからと言われたので、大学のサークルに入ってみようと思ったのだ。
スポーツ万能な弟に比べて自分はあまりスポーツは得意ではない。体力もないことだし、運動系のサークルはパスだ。
となると文化系なのだが何がいいのだろう。
一般的に高校などにありがちな部活動のようなものではなくて、もっと変わった活動をしているサークルはないのだろうか。
「君、マネージャーやらない?」
などとスポーツ関係のサークルから声をかけられるのだが、元々興味がないのでビラを受け取ることもせずに足早に立ち去る。
もしかして、文化系のサークルはこういうところに顔を出さないものなのだろうか。
無理にサークル活動をしたいとは思っていないので、興味を引くものがなければないでもいいのだ。
そのかわりにアルバイトでもしてみようかと思う。
高校ではアルバイトをするのは禁止されていたので麻里子はやったことがない。
伯父たちには止められるかもしれないが、これも社会勉強の一つだと思う。
ただのひやかしのような状態となってしまいながら正門に向かって歩いていると、ずいぶんと賑やかで派手な呼び込み(?)をしているところがあった。
「うちのサークルの活動期間は主に学祭前のみ! 幽霊部員も大歓迎だよ!」
幽霊部員を大歓迎ってどんなサークルだ。
麻里子は思わず笑ってしまった。
その笑い声を聞きつけたのか、呼び込みをしていた男子学生がくるりと振り返った。
「おっ、こりゃあ!」
その男性は麻里子を見つけると近寄ってきた。
「君、うちに入らない?」
「え、えっと…なんのサークルですか?」
どこから見ても優男風の派手な顔立ちの男性だった。少なくとも運動系ではないだろう。
かといってどんな活動をしているのかわからなかったので、一応訊ねてみる。
「うちはさ、イベント企画サークル! まあメインは学祭の企画と運営を担当してるんだけどね」
そう言いながら彼は麻里子の背中に手を当てて促すように歩き出した。
え、ちょっと、何。
初対面の、しかも女性に対して随分と馴れ馴れしく触ってくる。
女子校出身で親族以外の男性とあまり親しくすることのなかった麻里子から見れば、一歩引いてしまうような図々しさだ。
この人に悪気はないのだろうし他意もないのだろうが、他人に対する気遣いはあまりなさそうだ。
「あの、ちょっと」
露骨に嫌がると相手が気分を害するかもしれない。
だけど、肩にまで手を回されて鳥肌が立った。
親しくもないのに触られたくない。
「おい、いいかげんにしろよ」
ふ、と肩が軽くなった。
慌てて振り返るとすぐ後ろに背の高い男性が立っていた。
見上げるほどの高さに麻里子は思わずのけぞる。
その男性は、先ほどまで麻里子の肩に触れていた男性の手首を掴んでいた。
そしてやれやれとため息をつく。
「ちょっと目を離すとすぐこれだ」
「な、なんだよ。サークル部員の勧誘してただけだろ?」
「勧誘はしろと言ったけど、ナンパしろとは言ってない」
目の前で言い争いを始められてしまって、麻里子はどうしたらいいのかと焦った。
「あ、あのぅ…」
「っ…!? あ、ああ、ごめんごめん」
助けてくれた男性は驚いた顔で麻里子を見つめたが、我に返ると苦笑いを浮かべて彼女に向き直った。
背が高い。
先ほども思ったが、身内に背の高い男性が多い麻里子が見ても、彼らと変わらない背丈がある。
百八十センチはあるのではないか。
おまけになかなかの男前で、キリッとした顔立ちのわりに爽やかな印象を与える感じのいい笑顔だった。声は低めだがハキハキとした物言いをするので聞き取りやすい。
この人、モテるだろうな。
麻里子は第一印象でそう思った。
その男前が口を開く。
「こいつ、美人に目がなくてさ。君みたいな綺麗な子を見ると、とにかく勧誘しまくってんの。ホントにごめんな」
「山沖! まるで俺が女好きみたいなこと言うなよな!」
「じゃあ違うってのか?」
「いや、違わない。だって可愛い子を見たら声をかけたくなるのが男心ってもんだろう!?」
「気持ちはわからんでもないけどな。でも…」
友人らしい他愛のないやりとりに麻里子は控えめに笑った。
いいな、こういうの。本当に仲がよさそうで。
麻里子が笑っていると、男性二人は気まずそうに顔を見合わせた。
「笑われたぞ。恥ずかしいやつだな、おまえ」
「おまえのせいだろ!」
麻里子を助けてくれた背の高い男性は『山沖』という名前らしいということはわかった。
そして最初に勧誘した男性が気を取り直したようにチラシを見せる。
「改めて、君、うちのサークルに入らないかな? さっきも言ってたけど、うちはイベント企画をするサークルで、学祭の企画と運営を担当してるんだ」
「どうしてそういう活動をしてるんですか?」
「あ、興味ある?」
山沖という男性がそれに応えるようにサークルの専用テーブルまで案内する。
そこには数人の学生がいたが、女子学生もいたので麻里子は密かに安堵した。
「お、山沖ー! 新入生ゲット?」
「楢崎くんじゃダメだったか」
「だから言っただろー? 女子を呼び込むなら山沖だって」
「俺が役立たずだってのか!?」
なるほどあの人は『楢崎』というのか。
「誰もそんなこと言ってないって」
山沖は楢崎の肩を宥めるように叩いた。
「俺にはおまえみたいな呼び込みはできないからな」
「そ、そうか?」
「でもな、初対面の女の子に馴れ馴れしくしたら、相手引くって」
なあ、と山沖が麻里子に同意を求めるので、その通りと肯定していいのかわからなくて苦笑いを浮かべた。
「え、そう? 俺って馴れ馴れしい?」
楢崎にとっては普通の行為らしい。
あっけらかんとした態度になんだか憎めないものを感じて麻里子は笑った。
肩をすくめた山沖は楢崎を指差す。
「とまあ、こういう奴だから気にしないで。あ、俺は教育学部三年の山沖雅也。こいつは楢崎ね」
彼につられてその場にいたサークル部員も次々と自己紹介する。
今は他に新入生がいないのか、全員が麻里子の周りに集まった。
少々気後れしつつも麻里子は名乗った。
「あ、私は商学部の瀬川麻里子です」
「瀬川、麻里子さん、ね。商学部かぁ、楢崎と同じ学部だな」
山沖がそう言って振り返ると、楢崎は「おー、後輩!」と万歳するように両手を挙げた。
「よろしくな! 講義のこととか知りたいことあったら教えてやるよ!」
「あ、ああ、はい。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げると、他のサークル部員の二人も同じ商学部だと言った。
「やっぱり商学部だとこういう活動って興味ある?」
「はい。イベントの企画とか運営ってどうやってやるものなのかなって思ったので」
「ん。それはいい傾向だ。じゃあとりあえず、ここに学部と名前だけ書いてくれる?」
「あ、はい」
テーブルの上に置かれた名簿を見ると、すでに十数人の名前が書き連ねてあった。
「あの、連絡先とかは…」
「ああ、それは来週のサークルのオリエンテーションが済んでからでいいよ。正式に所属してもらうのはそれからだから。すぐに決めなくていいからじっくり考えて、俺たちの説明を聞いてからでも遅くないよ」
あくまでもこちらの意志を尊重してくれるらしく、それを聞いてなおのこと興味が湧いてくる。
「わかりました」
「でも、正式に所属してもらうことになったら、連絡先の住所と電話番号、それと携帯電話があればメアドは教えてもらうことになるけど、それでもいい?」
「はい……でも、あの、なんで携帯のメアド…?」
「ああ、サークルの連絡は全部メールでやるから。あっ…安心して! メールはこのパソコンから送信するだけで、名簿にも載せたりしないから!」
山沖は麻里子の懸念を察したのか、テーブルの上のパソコンを指した。
「大丈夫よ、そのあたりはうちのサークルの信用問題にもなるし、このパソコンは代々のサークル代表が受け継ぐもので、他の人たちは触ったりしないもの」
女子学生が麻里子を安心させるように言った。
「それじゃあこのチラシに書いてある来週の水曜日の午後四時。文学部の第三教室で説明会するから来てくれる?」
「はい」
「じゃあこれ、俺のサークル用の名刺。何か聞きたいこととかあったらこの番号に電話かメールして」
山沖が名刺を差し出したので両手で受け取ると、それを確認した。
パソコンからプリントアウトされたらしいそれには『イベント企画サークル【福天堂】代表 山沖雅也』と印刷されていた。
「えっ、代表?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「そういえば言ってなかったな」
「そうね」
道理で全部彼が仕切って話すわけだ。
「その携帯番号はサークル専用の電話にかかるようになってる。俺個人のは別にあるから、もしも知りたくなったら俺に直接訊いて」
「はい、わかりました………えっ!?」
それはどういう意味だろう。
麻里子は目を白黒させながら、名刺と山沖の顔を交互に見た。
そんな麻里子の態度がおかしかったのか、山沖はプッと吹き出すとクツクツと声を抑えて笑う。
からかわれた!
楢崎と違って軽薄そうには見えなかったし、男らしくハキハキと喋る姿には好感が持てたのに。
「山沖〜、ナンパするなって言ったおまえがナンパするなよ」
「何言ってんだ。サークル部員同士が直接連絡取り合いたいときは、お互いに教えあえって言いたかったんだ。俺に訊いたって他の奴の携帯番号は絶対に教えないぞ」
「なあんだ」
「そういう意味か」
からかわれたのかと思ってムッとなりかけた麻里子だったが、それならばと納得した。
「ごめん。まさかそういう反応を返されるとは思わなかったから、なんか可愛いな〜と思ってさ」
穏やかに微笑みながら謝られ、一瞬、呼吸するのを忘れてしまった。
「めっずらしい〜! 山沖くんからそういう台詞が出るなんて!」
「なんだよ、おまえ、そろそろその気になったのか!?」
友人たちにつつかれて山沖は困ったように眉根を寄せた。
「別にそういうつもりは…ただ、口をついて出ただけだって!」
「あ、あのっ、それじゃこれで失礼します」
「ん? あ、ああ、じゃあもしよかったら来週…」
「はい」
麻里子は慌てて一礼すると踵を返した。
小走りになりながら正門へと向かう。
びっくりした。
まさか彼の一言だけで心臓が大きな音をたてはじめるなんて。
美人だ、綺麗だなどと言われることはよくあった。だけど「可愛い」と言われたことはもう何年もなかった。
幼かった頃、今は亡き父が「麻里子は可愛いなぁ」とよく言ってくれたが、それともニュアンスが違っていた。
どうしてだろう。
彼に言われた一言がこんなにも嬉しいなんて。
麻里子は自分でも気づかぬうちに顔を赤くして、笑みを浮かべていた。
読んでいただきましてありがとうございます。
この作品は「I trust You」よりも先に書いたものです。
「trust」と矛盾している点を修正しながら更新していきます。