起
心地よい揺れのせいで、少し眠ってしまっていたらしい。カーテンの隙間から外をのぞくと、どこかのパーキングエリアだろうか。両脇のトラックに挟まれる形でバスは広々とした駐車場に鎮座していた。他の乗客はみんな降りてしまったのであろうか。車内は静寂に包まれている。左手につけた腕時計に目を落とすと、それは午前3時を指していた。もうかれこれ6時間は走っていたのか。通りで腰も痛いはずだ。僕の席は最前列なので、後ろを振り向くと、必然的に他の乗客の顔を見ることになる。なんとなしに振り向くと、思った通り車内に人はほとんど残っていない。残っている人たちも先ほどの僕のように、眠りについてしまっている。僕はそこで何かの気配を感じた。いや、気配というよりも何か薄気味の悪い感覚。誰かが僕を見ている。それも悪意に満ちた目で。誰だ? そしてどこから見ているんだ? あたりを見渡しても、正体不明の視線の出所をつかむことができない。だんだんと気味が悪くなってきた僕は一度外の空気を吸おうと思い、上着を羽織り、裸足からサンダルに履き替えた。慣れない深夜バスでの旅に疲れてしまい、少しおかしくなっているだけだ。外の空気を吸えば、それも治る。
深夜のパーキングエリアは不思議な空気に包まれているように思う。広々とした駐車場にまばらに止まるトラックやバス。もちろん人もほとんどいない。売店も閉まり、自動販売機のみが動いているような寂しいはずの場所なのに、そこには不思議な温かさがある。
僕は自販機でブラックコーヒ―を買い、ベンチに腰かけた。空を見上げると、今夜は満月のようだ。暗闇の中で真ん丸の月が美しい。僕の心の中にある悪いものや醜いものが全て浄化されていくようだ。そう僕の中にある汚いもの、汚い過去。浄化したい過去、忘れ去りたい過去。
だが、あれは僕のせいじゃない。もし僕のせいであっても、それは仕方のないことで、責められるべきことはしていないはずだ。そうだ。僕は悪くない。悪くなんかない。悪いのは奴だ、奴なんだ。
―ほんとうに?―
抑揚のない無機質な声が僕の心で響く。声質から察するに少女の声だろうか。
ああ、間違いない。あいつが、あいつが5年前、俺にしたことと比べるとお釣りがくるくらいだ。そもそも俺はわざとやったわけじゃない。ベストは尽くしたさ。だが5年前の奴はどうだ? 俺の、俺の世界で一番大事なものを、自らの欲望だけで奪い去りやがった。
僕は気が付くと、正体不明の少女の声にこたえてしまっていた。まるで本能がそうさせるように。
―そう。あなたは彼を恨んでいた。だからあんな簡単な手術で失敗を犯した。それは取り返しのつかないことなのよ。わざとじゃないのかもしれない。いや、おそらくあなたはベストを尽くしのだと思うわ。だけどあなたの中にあった、恨みや憎悪があなたに迷いを作った。そうでしょ? そうじゃなきゃ、世界に名をはせる名外科医のあなたが、あんな簡単な手術でミスするわけないじゃない。気持ちはわかるわよ。昔愛した女と今は憎むべき相手となった過去の親友。そんな2人の子供の手術なんて、私情を挟むなってほうが無茶よ。―
僕はプロだ。プロの医者だ。そんなことで落ち着きを失っていたら、盲腸の手術だってできやしない。
―それじゃあ、なんで二人の子供、由実ちゃんだっけ? を殺しちゃったの?―
あれは事故だったんだ。仕方がなかった。病院に運び込まれた段階でもう助からないことは決まっていたんだ。だいたいお前は誰だ? どうして僕の心の中に入ってくる。トリックはなんだ。
―トリック? そんなものはありゃしないわよ。私はあなたと話したかったから、あなたの心に少しお邪魔しただけ。もし、嫌なら出ていくわよ。別に直接あなたと話せばそれでいいんだし。けど、あまりお勧めはしないわよ。あなたにとってそれはあまりいいことには思えないし。―
ああ、とにかくこれ以上僕の心に土足で踏み込まないでくれ。早いとこ出て行ってくれ!!




