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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【Last】Summoner’s Taste
99/180

(099)遺す(2)

(2)

 今となっては、パールフェリカと関わりがあるという方向で、つまり召喚獣として、お披露目されなくて良かったとミラノは思う。

 ミラノは、自分が『神の怒りを買った』だのと言われる分には問題ないと考えているが、パールフェリカが声高にそう批判されたなら、彼女には耐えられないのではないかと思うからだ。

 ミラノにとって、真実かどうかもわからない、本来の彼女自身を評価したわけでもない罵りなど、どこ吹く風だと思える。鬱陶しくはあるが、他人事のように聞き流す事は可能だ。

 自分自身というものを、その価値を知って、確固たるものとして持っていると、確かに把握しているからこそ、揺るがない。

 だが、13歳のパールフェリカは別だろう。この国の“姫”という立場にある彼女は、別だろう。

 追い出せと叫ばれた時、パールフェリカは、全ての拠り所を無くしてしまうのではないかと、想像に難くない。

 ミラノが召喚士として紹介された事から、その名を賞賛と共に叫ばれた声も、ここまで、パールフェリカにまで、届いて聞こえてしまったのだろう。考えていた通り、彼女はすっかり心を乱している。

 薄くとろけそうな白い肌は上気して、目尻まで真っ赤に腫れている。こすったのだろう、目元の柔らかい肌がただれてしまいそうだ。

 今更ではあるが、気丈に振る舞おうと涙を拭って身を起こすパールフェリカ。ベッドの真ん中辺りで正座を崩して、お尻をペタリとついて座り込んだ。

 ミラノはベッドの端に“うさぎのぬいぐるみ”を寝かせ、さらに近付く。パールフェリカと一番距離の近いベッドの淵に、静かに腰を下ろした。ゆっくりと、体を少しひねって、ベッドの中央に居るパールフェリカを見る。パールフェリカは、数瞬視線を泳がせ、目を逸らすと、鼻をすすった。

 人をからかい、心の内を隠して明るく振る舞って──その結果を、ミラノは想像出来る。

 母親もなく、大人ばかりに囲まれた彼女の辿る心の道筋を、今、目の前で泣き腫らす姿から、おおよその見当をつける事は可能だ。

 ミラノにも、13歳という時は確かにあったから。その見当が本当かどうか、またパールフェリカ自身の問題は何なのか、それは今から、聞き出していく事になるのだが。

 しばらく黙っていると、パールフェリカはちゃんと目をあわせて来た。

 ミラノは口角を少しだけあげて、微笑み、首を緩く傾げる。遠いわよ? と。

 気まずそうにパールフェリカは再び目を逸らしたが、もそもそと四つんばいになって前へ進み、ミラノの隣に腰掛けた。

 ミラノはそっと肩を傾け、パールフェリカにさらに近寄り、手を伸ばしてその頬に触れ、指先で目元をそっと撫でた。

「パールは……甘え下手なのね」

 心を隠す可愛い子狸の、頬はとても温かい。

「本心から、甘えられる人が、いなかった?」

 その優しすぎる声に、パールフェリカの目は涙で溢れた。

 パールフェリカはひやりとさえする、細く柔らかなミラノの手に触れて、頬に押し付けた。溢れた涙はとくとくと零れ落ちて、ミラノの手の平と自分の頬の間に染み込んだ。ぬるぬるとズレてしまいそうな手を、パールフェリカは必死で押さえつける。

 顔を左右に揺らした。唇はわななき、言葉がうまく出てこない。口をぱくぱくとさせ、どうしたらいいのかわからず、目線を泳がせた。そして、ただ大きく口を開いた。少し鼻にかかった、猫のように細く高い声で、言葉にならない、抑えた声を出した。始めは小さく、次第に大きく。

 声がやっと出るようになると、パールフェリカはついに「あーん」と、赤子のように泣いて、ミラノに抱きついた。堪えていた沢山のものが、堰を切った。

 ミラノは、パールフェリカをそっと抱き寄せて、落ち着くまで頭を撫でてくれた。



「だって、私に価値なんて、お姫様って事しか、ないんだもん!」

 しばらく泣くだけ泣いて、気持ちも程々に鎮まった後も、喉をひくひくと鳴らしながら、パールフェリカはミラノに寄りかかっている。

「何度考えても、私、何も無くて……ミラノの事まで……その……私……なんていうか、憎たらしくなって……」

「…………………………パール、そういう時は妬むという言葉の方が適切ね」

 先程までの優しく包み込むような声は無くなっていて、いつも通りの冷静な声音が返ってきた。

「憎むとは違うの?」

「妬むの方が適切だと思うわ」

「ふーん……うん、覚えた! 私、一つ賢くなったわ!」

「……良かったわね」

 女という生き物は、いくつになっても大きくは変わらない。とりあえず派手に泣けば、多少はすっきりしてしまうのだ。パールフェリカから、奈落の底に居るかのような、悲嘆な様子は消えていた。

「それでね、えっと、何を言おうと思ってたんだったかしら。あのね、えっと………………?……」

 うまく説明しようとすると、わけがわからなくなるらしい。

「…………そうね……。パールは、なんで泣くの?」

「……え?……」

「お姫様という価値しか無い……。パールはなぜ、価値が無いと言って泣くの?」

「だって……価値がなきゃ……その……生きてる意味なんか、ない……し……居ても居なくても……私でなくたっていいって意味で……」

 選ばれたのは自分ではなく、ミラノだった。

 パールフェリカは、自分が召喚士として人々に名を呼ばれ、華々しくミラノを召喚披露するはずだったのに、そうはならないで、ミラノだけが必要とされた事が、痛くてたまらなかった。だって、召喚主は私じゃないの、と。

 パールフェリカという存在に、価値を見出してもらえなかったと、思っている。

「それで、なぜ泣くの?」

「……ミラノは、なにを聞いているの? わからない」

「生きる意味が無くて、自分じゃなくてもいい、それはわかったわ。それで、なぜ、涙をこぼすの?」

「……………………えぇっと? …………か、悲しいから?」

「なぜ疑問なの? 悲しいの? 悲しくないの?」

 きつい内容にも聞こえるが、ミラノの声音はゆったりと、また淡々として変わらない。

「……そんな気が……するだけ……で……その……」

 パールフェリカは、しがみついていた両手をゆっくりと緩めた。ミラノの両腕の肘少し下辺りに、掴んだ両手をずらし、その距離でミラノを伺うように見上げた。ミラノは一度瞬いて、整った顔立ちのまま──無表情ながら、言うなれば“きょとん”とした様子で──口を開く。

「……厳しい事を言うようだけど、それは単に、自分で自分を哀れんでいるだけ。価値が無い自分って可哀想、と」

「……!? ち、ちがっ──」

「なら、なぜ、涙をこぼすの?」

「…………」

 パールフェリカは下へ向いた。ミラノの両腕が動いて、パールフェリカの手の下に、彼女の手が潜り込んできた。そっと、手を繋ぐ形になった。それを、パールフェリカはじっと見下ろす。ミラノの手はやっぱりひんやりとして、火照ったパールフェリカには気持ちいい。

 なぜ泣いたのかだなんて、考えもしなかった。苦しくて、涙は勝手にこぼれた。気持ちが抑えきれなかった。

「パール」

 それは柔らかい声で、うつむいていたパールフェリカはミラノの黒い瞳を見上げる。しっかりと繋がれたミラノの手に、少し力が加わった。

「価値なんていうものは、自分で作り上げるのよ、自分の中に」

「…………」

「お姫様という価値は、誰かが、そうね、あなたのお父さんとお母さんがあなたに与えた価値。それにすがっている限り、あなたの望む、本当のあなただけの価値は、無いわ」

 まっすぐ、ミラノはパールフェリカの蒼い瞳を覗き込んでくる。

「だから、あなたはこれから、自分で自分の価値を作る必要がある。今はただ、与えられた価値があるだけ。それでは当然、あなたがあなたであるかどうかなんて、どうでもいいわね? それで泣くなんて、意味が無いわ。手に入れてもいない宝物を無くしたと騒いでいるのと同じ」

 ──それは、まるで道化。

「…………」

「誰だって、価値は本人が作って行くのだから。ネフィリムさんも、シュナヴィッツさんもそう。彼らも、ただ王子という価値だけを、持って生まれてきた。けれど、ネフィリムさんが王様に沢山の人に信頼され、召喚術について頼みにされて。シュナヴィッツさんが戦いとなれば最前線に立って多くの命を預かって先陣をきるのは……。沢山の人が彼らを認めているのは──彼らが作り上げてきた、それぞれ、彼らだけの価値だわ」

 大国プロフェイブのキリトアーノ第三王子などは、国は異なるが同じ『王位継承権を持つ者』という価値を持っていながら、女遊びに呆け、身内さえからも蔑まれている。

「……にいさまたちは……すごいから……」

「すごいという価値は、彼らが作ってきたものよ。パール。日々、彼らが作ってきて、今も作り続けているものよ。あなたの知っている『すごいにいさまたち』の、あなたが感じる価値は、生まれつきもっていた王子という価値では、ないでしょう?」

 2人の兄に頭を垂れる人々が、ただその身分にだけひれ伏しているのではない事を、パールフェリカはちゃんと知っている。王子という価値だけではないものが、あの2人にある事を、誰もが知っているのだ。

「…………」

「あなたにも、あるのよ?」

 それは、あまりに優しい声で。握りこんでくれているミラノの親指が、パールフェリカの手の甲を撫ぜる。

「…………」

 その声だけで、涙が溢れた。痛すぎる傷に、やさしく沁みこんで癒してくれる。だけど、わからない。それが悔しくて、また涙は止まらない。

「ちゃんと、あるのよ。もう、築いている価値はあるわ。でもそれは、ちゃんと自分で気付いて。私が言ってしまっては、いけないの。自分で気付いた自分の価値は、それから自分を作り上げる為の、礎になる。確かな形になる。私が横から言って、あなたを惑わせたくない。自分で気付いて、磨いて、あなただけのあなたになれば、それはもう、誰にもマネ出来ない価値が、あるの」

「……でも、価値があるかどうかなんて、判断基準とか、よくわかんないし……」

 ミラノが、ふわりと笑う。

「それは、一番簡単よ?」

「え?」

「あなたが、価値があると感じた事、それを基準にすればいいわ」

「でも私の判断基準が低すぎたら? 高すぎたら?」

「自分を見つめてみればいいの。自分がマネできない事には、人は基本的に価値を見出すわ。……うらやましい、なんていう気持ちで。自分にとって出来ない事だったとして、出来るようになろうと努めるの。出来るようになったら、次に出来ない事を──。そうして自分は高められる」

「…………」

「そうして同時に、価値の基準は高まるわ。同時に、自分の価値も、高まるの。でも、他人に求めるものじゃない、それはわかる?」

 自分の価値は、他人に押し付けるものではない。他人には勝手に、判断させる。こちらも勝手に判断するのだから、当然のルールだ。

「うん」

「自分が、どうあるか。今持っているものは何か。自分自身であるか、それを捕まえていられたら、揺るがないわ」

「でも……わかんないわ……そんなの……。自分探しとか、したらいいのかしら?」

 うつむき気味にぽつりと言った言葉に、ミラノがプッと笑った。

「え?」

 ミラノがそんな風に笑うのは珍しい。パールフェリカはまじまじとミラノを見上げた。ミラノはそれに気付くと、再び表情を消してしまった。

「自分探しなんて……滑稽だわ。いえ、人によっては必要だと言う人もいるのでしょうけれど。私は、とても滑稽な作業だと思うわ。だって、自分なんてそこに居るのに、いったいどこに誰を探しに行って、どれだけの時間を無駄にするつもりかしら?」

「……ふむ~」

 ミラノの言う事は難しい。だが、自分探しという何をどうしたら良いのかわからない行為よりも、自分はそこに居るのに探しに行く事は滑稽だという方が、理解出来た。

「もっと身近に考えたらいいのよ。──私は、笑う事が出来る、出来ない。あの嫌な人を簡単にあしらう事が出来る、出来ない。なぜ、出来ないの? なぜ出来るの? 簡単なところから、探せばいいのよ」

 ミラノは簡単だという。だがそれが一体、自分の価値というもののどこに繋がるというのだろうか。

「わかんないよー」

「……人なんて、感情なんて、自分の為で、言葉で聞けば卑怯で汚い点ばかりよ。それを、認めてあげなさい? 自分を守ろうとして卑怯になろうが、そうする自分を否定しない。肯定もしては、よくないけど。ケースバイケースなのだけど……」

 ミラノはそこで区切ってから、言葉を改めた。

「本当の、自分。なんで逃げたの? 傷つきたくないから? 傷つくってなに? 痛くて苦しい? それで逃げた、ああ、なるほど、とね」

「なるほど、でいいの? 痛くて苦しくても、逃げたらだめなんじゃないの? 我慢しないと……」

「我慢できなかったから逃げたのよ、それはもう過去の話で。我慢した結果逃げなかったなら、痛くて苦しくて傷ついたはずよ。我慢しないで逃げたのは、その傷に耐えられないと感じたからよ。ならば、傷に耐えられる自分にいつかなる、その位でいいのよ」

 よくわからなくて首を傾げてはいるが、パールフェリカの眉間の皺は、いつの間にか取れて、涙も止まっていた。

「でも……でもぉ…………」

「感傷なんて、ここにね」

 そう言ってミラノは、繋いでいた片手を離し、自分の胸の中心をとんとんと揃えた指先で触れた。パールフェリカの同じ場所にも、とんとんと触れた。

「必要ないのよ。義務もね。ただの事実だから。事実があって、それをどう受け止め、そしてどうするのか。そこで、浸りこんでしまうから、悲しいだの苦しいだの言葉が出てくるのよ。自分に酔って苦しんでいる自分可哀想と、泣くんだわ」

「浸ってしまうのは、弱いから?」

 また、ミラノが笑った。離れていた手が再びパールフェリカの手の下に滑り込んで来て、そっと握ってくれた。

「強いだの弱いだのの話じゃないわ。その時、それに耐えられるかどうか、というだけ。耐えられなければ逃げるだけ。逃げ方も、さまざまだけど。価値を高めたいなら、自分に価値を与えたいなら、そこでどういう態度を取る人に自分が価値を感じるか、考えなさい。追い詰められて泣き叫んで助けを求める人になりたいか、ぐっと堪えて戦う人になりたいか、笑ってさらりとかわして別の方法で乗り越えたいか。活路は、ひとつじゃないわ。価値は、ひとつじゃないわ。その結果で、喜んだり悲しんだりするのは、自分である必要はないわ。そこに価値を見出すか否かは、他人の仕事でいいのよ」

「でも、たとえば期待されていて、がんばれって言ってもらって、出来なくて、価値が無いって思われたら──」

「それは仕方がないわ、出来なかったのなら、それだけの価値が無かったのよ、ただの事実だわ」

「つらいし、申し訳ないし、悲しいわ……」

「どうして? 期待して、ガッカリするのはあちらの勝手で、こちらの価値を正確に見抜いていなかっただけ。あちらの手落ちだわ」

「こたえられなかった自分が……」

「頑張って出来なかったのなら、出来なかった自分がその時の本当の自分のはずよ。期待にこたえられなかった自分が、等身大の自分」

 その等身大の自分を思い知りたくなくて、がんばれと言われる事を嫌がる人も居る。

「つらくなったり悲しくなったりするのは、等身大の自分を否定する事だわ。そんな事をしたら、自分を見失うだけ。頑張ったあなたをガッカリという行動で否定されても、あなたは頑張った事を褒めてあげるべきよ。頑張った自分を否定するという事は“今の自分”を否定する事なの。また……“振り出し”よ。いえ、頑張って進んだ1歩を、自分から2歩戻っているようなものだわ。いつでもスタート地点は、“今の自分”なのよ。それを否定したら、“以前の自分”に戻るしか、ないの。前の、前の、前の、ずっと前の……どこまでだって、逃げられるわ。生まれたばかりの頃は、当然弱いわね? 価値も生まれたというだけよね? 本当はそこから1歩ずつ進んでいたの。探そうとしていた“自分”は、本当はずっと前からちゃんといたの。積み重ねていたの」

「…………」

「──なのに。理想や夢ばかり、上ばかり見て、何も出来ないと嘆いて、周りばかり羨んで、あるいは目を逸らしてひたすら別の事ばかり考えて、“今の自分”を認めない。そうして、0価値まで、逃げられるわ。生存しているだけ、生まれてきたという両親の与えてくれた価値まで、ね。そこまで逃げたら、私なんて生きていていい人間じゃない、なんて言い出すの」

 ミラノはそっと肩をすくめた。薄暗い中、ミラノの黒い瞳は、少しだけ悲しそうな色に見えた。

「簡単に、どこまでも逃げられてしまうのよ、誰でも、いつでも。でも、そのままではいつまでたっても変わる事は出来ない、前へ進む事は出来ないわ。“今の自分”を見つめる事からだけは、逃げてはいけないの。“今”を否定する事だけは、してはいけないの」

 強く言いながら、ミラノはほんのり、自分は時々現実逃避してるなぁなどと考える。だが、ミラノもずっと逃げ続けているわけではない。いつもどこかで踏ん張る。それが出来る。

 だが、“精神的に子供である人”に伝えようとすると、その曖昧さが伝わらない。“子供”が“大人”は汚いと叫ぶ所以だ。

 自分に厳しく、優しく、2極の事を同時にする曖昧さ……柔軟さを身に着ける時、“子供”は“大人”に近付くが、“心が子供”の間は受け入れられない、卑怯にしか見えないのだ。2極、良いか悪いかで“子供”は育てられ、良いか悪いかで解決しない数多の価値観の、他者との関係性で成り立つ“大人”の社会に出る時、良いか悪いかで済んだ“子供”の中で反発がおこるのは、当然の事なのだ。それをわかっていない“大人”も多く、もちろん“子供”も気付かない。そしてこの反発の時こそ、“自分”というものは見失われやすい。居場所を、見失いやすい。

「なんでもいいの、昨日より早く靴がはけた、起きようと思っていた時間より5分早く自分で起きれた、それでも、もう変われている。それも、がんばった事と、認めてあげる、大事な事よ。ちっぽけな事かもしれないけど、間違いない前進だもの、ちゃんと満足して、褒めてあげて、出来た事に幸せを感じて、そして、次にいきましょう?」

 ミラノの表情は、わかりにくい。でも、今確かに微笑んで、パールフェリカを元気付けようとしてくれている。

「……ミラノは、いつもそういう風に考えているの?」

「そうね……。私は、私でしか、ないもの。それ以上でも、それ以下でも無いから」

 だからこそ、ミラノは必ずかえると決めている。本来の“今”からかけ離れたこの世界は、ミラノの世界ではないのだ。

 自分は一つしか居ない。きっと、どちらかの世界にしか、いられない。きっと、どちらかを選ばなければ、どちらかの“今”を確実に失うのだと、ミラノは考えている。こちらに居れば居るほど、本来の世界の“今”を、27年を生きてきた世界を、失う。それは、“今”を築いてきた自分を否定する事に、等しい。だから、ミラノは必ずかえると決めている。未来は、どちらかにしかきっと無い。ならば、生まれてから築いてきた確かな価値を、自分を貫く為、かえる必要がある。己が己であり続ける為に、かえらなくてはならない。

 決して、自分を否定したくない。真っ直ぐに、見つめる、受け入れる、それこそが、ミラノのアイデンティティ。

「私も、それ、マネしていい?」

 少しだけ身を乗り出して、繋ぐ手に力を込めるパールフェリカに、ミラノは笑顔を見せた。

「してもいいけど。ちゃんと自分を捕まえておきなさいね?自分を捕まえておけるのは、自分だけなんだから」

 パールフェリカは穏やかに微笑んだ。嬉しいのだ、単純にとても嬉しい。

「うん」

「──付け加えておくけれど。感情は、大切よ? ただ、価値という言葉の前では、惑わせるばかりの霞になるから、考えてはダメ、というだけよ?」

「……感情は捨てたらいけないの?」

 ミラノがふっと笑った。どうしようもないという風に、形の良い眉をひそめた。

「捨てようったって、捨てられないわよ。最後の最後、人を突き動かすのはそれよ。ただ、価値を作る、自分をコントロールする上で、コントロール不可能な感情は、避けて考えるのが良い、というだけの話」

「ふ~ん……ミラノの言う事はなんだかちょっと難しいけど……うんー……わからない気は、しない、かなぁ」

「──いつか、考えて、自分なりの考えを持てば良いわ。今話した事は、ただの私の考え方だもの。あなたは、あなた自身の考えで、あなたの価値を作れば良いの」

「……そか……そっか……」

 言いながら、パールフェリカは少し蒸れてしまったミラノと繋いだ手を、上下にぶんぶんと振った。離れそうになる手を、強く握った。

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