(098)遺す(1)
(1)
パールフェリカが、眺めるのを止めた後の事になる。
100体居た敵ドラゴンの数を、民衆の歓声が上がる中、次々と撃ち落し、半分以下に減らして半刻あまり経った頃。
それは突然。
晴れ渡るスカイブルーの空を、七色の閃光が駆け抜けた。空の色は失われ、白く強烈な光に覆われた。
その閃光は、“炎帝”の吐き出す熱光線の10倍の厚みを持って、七色の魔法陣を真っ二つに割った。
あまりの眩しさに、双眼鏡を覗いていたミラノは顔を逸らした。それでもなんとか、片目で割られた魔法陣の方を見た。
慌てたように“炎帝”や“雷帝”、ティアマトやマンティコアなど、そこで戦っていた飛翔召喚獣が退いていく。敵ドラゴンは光の向こうに居て、姿の確認が出来ない。
その一帯の木々が、一斉に渦を巻くように薙ぎ倒されていく。
閃光は、カクカクと折れ曲がりながら突き進み、ミラノの張っていた巨大な七色の魔法陣を食い散らす。上下左右にとジグザグに暴れ、穴を開けていく。閃光は、龍さながら、長大な体をうねらせ、口を大きく開いて、ミラノの魔法陣に毒牙を突き立てていくようだ。さらに、光の胴体で魔法陣の面を激しく打ちつけ、亀裂を加えていく。
恐ろしいことに、閃光がもう1本、空を割って飛んできた。
それはもう一枚の魔法陣に激突し、同じように破壊していく。空の色は、七色の光を濃くした。
誰もが言葉を失い、目を見開き呆然とする。
──閃光が飛んできた方向は、神の御座すクーニッドだ。
魔法陣が割られた事で、飲み込まれていた火炎と爆雷が逆流して返ってきた。辺りに飛び散り、森に轟音が響き渡り、木々の焼け焦げる臭いと、黒煙が立ち上る。王都の1/5に当たる森が、それで焦土と化した。
今、ガミカを護っていた七色の魔法陣が、新たに現れた七色の閃光によって打ち壊された。
視界をはみ出る大きさの魔法陣は、さらに巨大な力で砕かれたのだ。
──どちらが、神の力か。
そんなものは一目瞭然である。神こそが絶対なのだ。強い方が神の力に決まっている。強い方の力は、神の御所から飛んできた。
ならば、ガミカを護っていた七色の魔法陣は何だったのか。
たった今まで歓声の上がっていた城前広場は、水を打ったように静まり返り、彼らの胸に不安が広がっていく。それをさらに煽るように、七色の魔法陣を食らい尽くした2本の閃光は、そこでグルグルと高速回転して、新たな魔法陣を生み出す。回転は今までに無い速さだ。
閃光から生まれた2つの魔法陣からは、回転とは裏腹に、ゆっくり、ゆっくりと“悪夢”が浮き上がる。
巨大な魔法陣にふさわしく、いかなる召喚獣も超越した大きさで、姿を現す。
一つ目からは、黒に近い紺色の翼。凶悪な、黒光する爪。
もう一つからは、黄色の羽毛がふわりふわりと、舞う。
それで、ピンと来ない者は居ない。
誰かがつぶやく。
「クーニッドから魔法陣が……“召喚獣”が……」
混乱と動揺が瞬時に駆け抜けた。
ミラノは目を大きく開いてから、瞬く。そしてネフィリムを見る、彼もこちらを見た。2人とも、見覚えがある。突如発生した2枚の魔法陣から、顕現する召喚獣……。
──あれは。
「リヴァイアサンと、ジズ……」
ネフィリムの呟きに、3階バルコニーにわっと声が溢れた。広間の人の出入りは激しいが、現状30名居た。それが一斉に口を開き、場は騒然とする。
「“神の召喚獣”だと!?」
「そんな馬鹿な!」
「神はガミカを滅ぼすおつもりだ! “神の召喚獣”は、それが役目だろう!」
王と大将軍はバルコニーに身を乗り出し、新たに生まれた“神の魔法陣”を、ひたと見据えて動かない。
ガミカを護っていた七色の魔法陣は、割られた。“神”によって破壊されたのだ。
ミラノは、体の力をふうと抜いて、腕を下ろし、目線を誰も居ない方へずらした。
自分の今後というものが、簡単に想像出来てしまったのだ。
──やれやれ……ね。
そのすぐ後。
「この女だ! この女が“神の怒り”に触れた!」
異変にタイミング良く現れたミラノを、“魔女視”する声が上がりはじめる。
無表情のミラノに、囁かれる“魔女”という罵声。王城内で上がるには不適切な、二つ名が生まれる。
王に、王子に、“神とよく似た力”を見せ、取り入ってどうするつもりだ、と。“神とよく似た力”が、“神の怒り”に触れたに違いない、と。
“神の召喚獣”が2体も現れようとしている。不安は恐慌に変わり、人々の心を蝕む。疑心暗鬼は、都合よく現れたミラノを、あっさりと悪魔に仕立て上げる。この不運を、誰かのせいにしなければ、心を保てないのだ。
神の怒りに触れた、ガミカに天罰が下る、早々に追い出せ、と。
早く神に引き渡せ、と。
バルコニーに迫る、鎧に身を包んだ騎士や重鎮らの方を、ミラノは冷めた表情で振り返る。彼らの声は、水中の音声のようにミラノの耳を通り過ぎる。当然のように、スルースキル発動である。
他人の罵声など、慣れたもの。
魔女と呼ばれるのだって、初めてではない。あの女が私の彼を奪った、魔女め、と。勝手に片想いをされて、その男に思いを寄せた女が、面と向かって、あるいは陰で口さがなく言う。そんな声は呆れる程聞いた。聞いてやるだけ、馬鹿馬鹿しいが。
そこへ、未だ白く輝く空を割って、青色のペガサスが3階バルコニーへ飛び込んで来た。馬の嘶きに罵声も一時止む。騎乗の人は鎧を鳴らして馬を降り、王の前で膝を折った。
「ご報告申し上げます!」
ぱっと上げた顔に、ミラノは覚えがある。パールフェリカの護衛騎士、リディクディだ。
「クーニッドの神殿が大破致しました。中より、大水晶が浮き上がり、こちらへ飛んで来ています!」
「陛下! あの女を早く“神”に捧げるのです!」
リディクディの報告に、王が言葉を発するより先に誰かが叫んだ。
クーニッドの大岩こと大クリスタルは、神の一部と言われている。
「“神”直々、こちらに!?」
「ガミカは終わりだ!!」
「あの女だ! その召喚士が“神”のご不興を買ったのだ!」
その声を合図に、一斉にミラノへ視線が集まる。
ミラノはと言えば、スーツ姿ではないが、いつも通りの堂々とした立ち姿で、それらを受け止める。表情は無く、涼しげな目元は淡々としている。
次々と上がる声を、王もネフィリムも黙って聞いている。
召喚士としてミラノを担ぎ上げたのは、彼らだ。王が決め、ネフィリムは止められなかった。
ミラノは、自分を睨み据える重鎮らの、化け物を見るような視線に、にこりと微笑んで応えた。もちろん、作り笑いだ。顔色を変えて見せてあげたのだ。そろそろ『何とか言え』と、罵声のバリエーションが増えるだろうと踏んだからであり、微笑を選んだのは、さすがにイラッとしてきたからだ。
皆、ぎょっとして言葉が止まる。
その時、風がばさりと吹き込んだ。
「──父上! 兄上!」
ティアマトとマンティコアが、3階バルコニー正面に風をぶわりと乱して姿を見せた。
リディクディの横に、シュナヴィッツはがしゃんと鎧を鳴らして降りてくる。兜を取り払うと、汗が散った。頬に亜麻色の髪が張り付いている。
「……?」
ミラノが睨まれ、父も兄も押し黙っている。妙な構図に首をひねりながら、シュナヴィッツは父と大将軍の傍に歩み寄った。
「新たな魔法陣から、リヴァイアサンとジズが召喚されつつあります。現在、敵ドラゴン、両召喚獣に動きはありませんが、どうします?」
「…………“神の召喚獣”が完全に召喚されるまで、どれ程かかりそうか?」
ラナマルカ王がやっと口を開いた。
「前回の事もありますが、今回はやや早いようです。とはいえ、半刻から一刻はかかるのではないかと。その間に兵を休めたいのですが」
「わかった。半数を現状維持、半数を休ませ、途中交代させるように」
「はい」
立ち去ろうとしたシュナヴィッツは、一度目線を落とした後、広間にいる重鎮らを見回した。
「何か、ありましたか?」
シュナヴィッツの問いに、重鎮らは眉間に皺を寄せ、顔を見合わせている。
城前広場からも、絶望の声が響き始めている。天罰だと、神の怒りだと、先程まで重鎮らが上げていた声と、そう違わない。
「…………」
カツっと踵を鳴らして、回れ右で歩み去るミラノ。下ろした黒髪がさらりと流れた。気味悪そうに道を空ける重鎮らの間を、つかつかと進む。
「──ミラノ!」
ネフィリムが追う。その後を、シュナヴィッツも戸惑いながら追い、マンティコアに騎乗しているブレゼノに声を投げた。
「スティラードと兵を分けて、交代で休憩に入れ!」
広間を出て、廊下。
壁に向かうように、ミラノは立っていた。
「ミラノ……すまない」
「兄上、何があったんです?」
廊下に人はおらず、ミラノを追ってネフィリムとその護衛であるアルフォリス、レザード、最後にシュナヴィッツがやって来た。
壁を向いていたミラノが、こちらを向いた。相変わらずの無表情だが、今は氷のような冷たさを湛えて見える。
そのミラノが、ゆっくりと首を傾げた。
「なぜ、謝るの?」
「いや……」
言葉を探しながら、ネフィリムはミラノの肩に手を置いた。
「ミラノ、ここに居ない方がいい、パールの部屋へ下がろう」
ネフィリムの手を見て、ミラノは彼の顔へちらりと視線をくれる。蒼い瞳には気遣いばかりが占めている。とても心配しているらしい。言葉の通りに、一緒にパールフェリカの部屋へ行こうとしてくれているようだ。誰かしらがミラノをひっつかまえ、“神”へ捧げんと殺すのではないか、とでも考えているのだろうか。
彼らの背後、まだうっすらと開いている扉の奥の様子に、ミラノはふと気付く。こちらを伺い盗み見る、誰とも知らぬ重鎮らの好奇の目がある。わかりやすい事だ。
「結構よ」
そう言ってミラノは廊下を進み、角を曲がる。
ミラノは、ちゃんとわかっている。
馬鹿馬鹿しい陰口で、自分だけではなくラナマルカ王やネフィリム、シュナヴィッツが何かしらよくない方向に、疑われ始めている事に。
国なんて、興味も何も一切無いのに。王を、王子2人をかどわかすつもりだって、1%も無いのに。
今は、“神の召喚獣”とやらが眼前に迫り、もう後の無い危機にあるというのに、国家乗っ取りだなんて、一体どんな思考回路が弾き出した発想なのだ。その言葉を発して扇動した馬鹿の顔を、見てやりたい。
「派手に持ち上げて紹介してくれた割に、早々に突き落とすなんて、マスコミやら週刊誌よりひどいわね」
持ち上げておいて、後でこっぴどくこき下ろすのは、よく見かける常套手段だ。芸能ニュースなどで、ほのぼのエピソードと悪意をオブラートで包んだ覗き見スクープが、代わる代わる報道される。視聴率、あるいは発行部数を競って、数字の為金の為、欲望の為に、他人を貶める。
それと、ガミカ国を動かす重鎮らを並べてみた。ちょっとしたストレス発散だ。
角を過ぎて少し進んだところで、足を止めた。後ろから、足音がする。ネフィリムらが追ってきたのだ。振り返り、彼らの目を見てミラノは言う。
「好きにすればいいわ」
その足元に七色の魔法陣が浮かび上がり、ミラノはすとんとそこに落ちるように消えた。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
あれでは、何を考えているのかわからない。あの表情では、読めない。ネフィリムはゆっくりと瞬いてから、告げる。
「アルフとレザードはヒポグリフとコカトリスと共に父上のところへ。そのまま対召喚獣として待機」
「ですが!」
「私は城の中には居る、頼む、アルフ」
「……はい」
よく考える。
ミラノならば、どうする? 彼女なら、さっさと“うさぎのぬいぐるみ”に戻って、パールフェリカの負担を取り除こうと考えるだろう。
「兄上」
シュナヴィッツも同じ結論に達したらしい。頷きあって、2人は駆け出した。
薄ぼんやりと、城前広場の声が聞こえる。
パールフェリカの部屋の真ん中に、しゅるりと姿を現したミラノを、エステリオが口をぽかんと開いて見ている。その反応を無視して、ミラノはソファに歩み寄る。探しているものが無い。
「エステルさん、“うさぎのぬいぐるみ”はどこに?」
2,3度瞬いて、エステリオは狼狽をかき消した。いつも通り、応えてくれる。
「姫が、寝室へ持って行かれました」
「…………そう。ありがとう」
礼を言って、ミラノは寝室の扉の前に移動すると、ノックした。しばらく待つも、返事が無いので扉を開く。
灯りをつけていない寝室は、薄暗い。半歩足を進め、体を寝室へ滑り込ませると、扉を閉めた。
「パール。“うさぎのぬいぐるみ”は……」
「ここにあるわよ!」
声と同時に、胸のあたりにドスンと衝撃があった。
どうやら投げつけてきたらしい。ミラノは“うさぎのぬいぐるみ”を受け止めた。頭の方が重いので、下になっている。上下持ち替えて、いつもパールフェリカがしているように抱えた。そして、ベッドの上に居る彼女を見る。
うつ伏せていたのを、無理矢理体をひねり起こし、こちらを見ている。
その顔が、涙でべちょべちょに濡れているのを、ミラノは見つけた。
「…………」
「なによ! 皆してミラノミラノって! ミラノを召喚してるのは、力出してるのは私なのよ!? がんばってるのに! 誰も知らないなんて!」
「…………」
ミラノは“うさぎのぬいぐるみ”をそっとを抱きなおして、ベッドへ足を進めた。