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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【Last】Summoner’s Taste
94/180

(094)召喚“士”ヤマシタミラノ(3)

(3)

 噴水はやや東、この空中庭園の中央にある。音は遠く、はっきりとは聞こえない程度ながら、水の気配はある。

 城の居館に沿って、廊下が突き出すような形で小さな丸い部屋が増設されている、庭園を臨む、ガラス扉のある可愛らしい小部屋だ。

 真っ白の内装の部屋には、薄桃色と水色と鮮やかな黄色の垂れ布が、小窓から入るゆるやかな風に揺れている。

 部屋のど真ん中、額縁に入った絵が飾られている。

 この丸く突き出した小部屋は総ガラス張りで、絵の人物が季節に彩られる庭園を眺められるようにと、作られた。

 絵の人物は等身大より1.5倍大きく、額縁は高い位置に飾られている。

 ゆったりと椅子に腰を下ろす人物の足が、パールフェリカの目の前辺りにくる。

 パールフェリカがその小部屋に入り、ガラス扉を閉めると、エステリオはガラス扉の外で、庭園側を向いて立つ。パールフェリカはそれをちらりとだけ見て、額縁の方へ体を向けた。

 深い紫に、銀糸をメインにした刺繍の入った衣服。幅の広いハーレムパンツが目の前に、そのひだも丁寧に描かれてある。

 見上げる。

 ウエスト辺りはゆるい、ジャラジャラとしたアクセサリではなく、レースの腰布が巻いてある。その腹は、ちょっとぽっこりしている。

 パールフェリカが“そこ”に居た頃、この小部屋は作られ、その人は好んでここでお茶を飲んでいたと、聞かされた。

 さらに見上げる。

 自分そっくりの、そのまま大人にしただけといった顔が、そこにある。

 蒼色の瞳はその色の深さまで同じ。違うのは髪の色、パールフェリカは亜麻色で、その人のそれは栗色。

 口元は少しだけ開いて、笑みの形。目も弓形、濃い睫は今にも瞬いて、動き出しそうだ。今にも、瞳がこちらを向いて、語りかけてきそうな──。

 パールフェリカが生まれる前に描かれた絵だという。

 母、シルクリティ王妃の肖像画だ。

 パールフェリカの最初の記憶は、2歳の頃。

 今ではその片鱗も無いが、シュナヴィッツの罵倒だった。

『パールがかあさまをころしたんだ! かえせよ! かあさまを!』

 その意味がわかるようになるには、それから少しだけかかった。

 わかるようになった頃には、シュナヴィッツはパールフェリカにひたすら謝るばかりで、とても甘ったるい兄になっていた。顔をあわす度に謝るシュナヴィッツに、それをやめさせるのも、少し時間がかかった。

 平気なのだとアピールするために、一杯笑っておどけた。クセになった。これが、パールフェリカが兄らをからかう事を覚えた土台にもなったのだが。

 いまさら、そういった事を根に持つなどという感情は無い。

 パールフェリカは、自分が生まれたという“きっかけ”で母が亡くなった事が、誰にもどうにもし難い事だったと、もうちゃんとわかっている。その頃も、きっと今であっても、誰にもどうにもできなかっただろうと。

 自分のせいというわけでは、無い事も。

 それだけは、泣いて眠れなかった日々に、父が毎夜頭を撫でて言い聞かせてくれた。

 様々な言い回しで父は慰めてくれたが、その中で忘れられないものがある。

 ただの病気で、事故で、あるいは謀略で亡くなるよるもずっと名誉のある素晴らしい死に様であり、他の誰にも不可能な、パールフェリカという世界にただ一つの存在を産み落とした功績は、何にも代えられない、と。

 父との思い出は、これ以外あまり無いが、パールフェリカにとっては、とても深い。その思い出があるから、笑っていられた時もあった。

 すれ違うかのように、自分は生を受け、母シルクリティは死んだ。

 パールフェリカは肖像画を見上げる。

 日に日に似ていく。この庭園の肖像画は、シルクリティが亡くなる数ヶ月前、33歳の頃のものだと聞いた。

 似れば似る程、母を知る人は口々にその名を懐かしんで呟く。パールフェリカを、見て。

 シルクリティ王妃の娘である事を、確かに実感出来る瞬間ではあるが、同時に、自分の存在を見てもらえているのかどうか、不安になる。そっくりだと言われる度、母との繋がりを感じられて寂しさが紛れるのに、同時に消えていくものがある。

 私を──見て、私の話を、して。

 そんな事は、言えない。

 夢見てしまう。

 物語の中の、庶民、ごくごく一般家庭の父親、母親、兄弟。下町を駆け回るぼろを着た少年少女が輝く笑顔で母親に「いってきます」と言って勉学に、冒険に飛び出す様子を。そこに、自分を投影して、重ねる。つらい事や苦しい事を、友と乗り越え、帰れば両親の温かな出迎えがある物語を。どれだけ夢見たって、パールフェリカの父や兄弟は忙しいし、母も居なければ、友達も居ない。

 現実は遠くかけ離れていて、家族に会うのも許可がいる。

 パールフェリカから会おうとするには、それでも身分が足りない。父や兄らに予定を合わせなければならず、緊急でもなければ10日待ち1ヶ月待ちが当たり前で、とても難しい。だから、ネフィリムもシュナヴィッツも、あちらから時間があれば足を運んでくれている、パールフェリカが寂しくないようにと。

 シュナヴィッツは今この状況だから連日城に居るが、パールフェリカの誕生日まで3ヶ月、ずっと前線で戦っていた。その前も帰ってきている方が少なかった。ネフィリムは城に居はするがあまりに忙しく、部屋に来てくれてもパールフェリカが寝てしまった後というのはよくあった。行くからと言ってくれていて、結局来てもらえなかった事は、数えきれない。そういう時の残念に思う気持ちも、とっくに無くなった。

 自分さえ生まれて来なければ、とは思わなくなったが、自分なんて居ても居なくても、と思う日はまだ無くならない。

 家族といっても、自分はただのお荷物……そんな気持ちが消えない。城のみんなもきっと、そう思ってる。家族といっても、いつかお嫁に行って、それも途切れてしまう。きっとみんな、そう思ってる。

 だから、一緒に居られるあと少しの間だけ、ちょっとはお役立ち度が上がればと、張り切って挑んだ初の召喚儀式。

 ──来てくれたのは、ミラノ。

 最初は、なんだかよくわからなくて、兄達にも認めてもらえないかもしれないと不安もあった。

 それでも、ミラノは真っ直ぐパールフェリカを見たから。

 きりっとして、体の線のわかる見たことの無い変わった衣服で立つミラノは、揺るがず真っ直ぐ、自分を見てくれた。

 “あなたは?”

 思い出しても、涙が出そう。

 そこに立っていたミラノにとって、お姫様というだけのパールフェリカでも、母の死の“きっかけ”として、代わりのように生まれて来たパールフェリカでも無かった。

 ただの召喚士としての、今、そのままの、ありのままのパールフェリカで居られる。そんな確信を、ミラノの眼差しに感じた。その確信に間違いは無く、手は差し伸べられた。

 ミラノを前にすると体の力が抜けてしまう。いや、逆かもしれない、体の上にのっかった色んなものが、ほどけて消えてしまう。そんなものを持っていてもいなくても、変わらないのよ、そう聞こえる。

 ……ミラノ……ミラノ……。

 パールフェリカは、心の内でその名を呼ぶ。

 不安が。

 “あの声”が聞こえてきそうで怖い。“あの声”の主がやって来たら、ミラノを取られてしまうのかもしれない。渡すつもりはなくても、自分には抵抗出来ない気がするのだ。だって、いつでも、お荷物……。

 同時に、少しずつ、事態が変わり始めている。

 シュナヴィッツの目が、あの黒い瞳に奪われた。

 相変わらずシュナヴィッツは頭を撫でてくれる、その目の奥に消えない後ろめたさがちらちらとある。けれど、その心の中心の在り処を、パールフェリカに隠している。目を逸らす。それに気付かないとでも、思っていたのだろうか。

 ネフィリムの目もまた、その黒い髪を追い始める。いずれ国王となる事を背負った一番上の兄が、その伴侶をとても慎重に選んでいるのは見て来ていた。顔をあわせると優しい目も、見上げると厳しく周囲を見つめる。それと同じかそれ以上の目線で、広く世界を見られる相手を探しているのは、わかっていた。優秀な兄の要求を満たす存在はなかなか現れず、やがてそこには、誰も近寄る事の出来ない高い壁が堅く建っていた。そうやって隠されてしまった本性をも真っ直ぐ見抜いて受け入れてしまうミラノには、壁なんて意味も無く、奥の本心も自ら姿を見せるはずだ。そんな事に、気付かないとでも、思っていたのだろうか。

 “召喚獣”としてやって来たミラノが見抜くように、その最も相性の良い“召喚士”たるパールフェリカにも、全部見えていた。

 自分だけではなく兄達もまた、王族だとか、今以外の自分というしがらみから、ミラノの前では解き放たれる事を知ってしまった。その居心地の良さに、気付いてしまったのだ。

 “あの声”と同じように、ほしいと、よこせと言い出すかもしれない。

 茶化してからかって、でも不安は拭えない。

 どうしたいのか、自分でもわけがわからなくなってくる。

 笑っていたくてからかって、兄達やミラノをけしかける。滑稽なピエロを演じる。でも誰よりも、ミラノは自分のものだと言いたい気持ちがある。そんな気持ち、ミラノは知らない。きっと言ったって、うまく伝わるわけないんだ。

「パール」

「…………」

 声に、振り返る。

 エステリオがそっと開くガラス扉の向こう。

 白い“うさぎのぬいぐるみ”が、両脇に花の咲き乱れる花壇に彩られるレンガの道を、よったよった歩いて来る。

 後ろを見ると、兄ネフィリムの護衛騎士レザードが居た。また彼がミラノの護衛に就いているようだ。

 ──ネフィにいさま、ほんとに本気なのね。ミラノは、形を殺されたって私が再召喚すればいい、ちゃんと元に戻る存在“召喚獣”なのに、レザードをつけるなんて。

 今までの物思いを引きずって、無表情で“うさぎのぬいぐるみ”を見ていた。だがすぐに、暗い気持ちなどどこへやら、我知らず、にまぁ~と笑みを浮かべていた。

 “うさぎのぬいぐるみ”は左右にひょっこひょっこ、たたらを時々踏みながら、耳と手を総動員してバランスを取りながら、こちらへやって来るのだ。

「っも! かーわーいーい!!」

 パールフェリカは堪えきれず叫び、“うさぎのぬいぐるみ”に滑り込んでぎゅむっと抱きしめた。勢いのまま花壇のレンガに突っ込んで、自分とレンガの間に“うさぎのぬいぐるみ”を挟んでしまったのは、ご愛嬌だ。

「パ、パール、離して。さすがにつぶれてしまいそうだわ」

「いや~ん。かわいい……。へちゃっとしてるミラノもかわいいわよ!」

「それは……わかったから……」

 パールフェリカはそっと後ろに下がた。“うさぎのぬいぐるみ”を立たせるが、よろりと転びかけるので、立ち上がっていつものように胸の前に抱きかかえた。

「ね、ミラノ。それって足の裏のクッション、取っちゃったせい?」

 ふらふらとして、真っ直ぐ立てないらしい。パールフェリカの問いに、ミラノの返事は少し時間がかかった。

「…………そうかもしれないわね。せっかく手が使えるようになったのに、足がこれではね……」

 パールフェリカはあはっと笑う。

「クライスラーが来るまで我慢ね!」

 どうせ──兄らがあんな反応をするのだ、それにミラノも“人”にはならないと言っていたのだ──しばらくはミラノを“人”にする事は無いだろう。

 そう考えていると、横からレザードが口を開いた。

 その内容を、パールフェリカは半眼で聞いていた。

 父王ラナマルカの、兄王子ネフィリムからの命令に、逆らえるはずなどない。

 “うさぎのぬいぐるみ”を地面に置き、両手を合わせて呪文を唱える。白色の魔法陣がきらきらとまわった。コロリと、地面に転がる空っぽの“うさぎのぬいぐるみ”をパールフェリカは拾い上げ、横に来ていたエステリオに押し付けた。魔法陣の消えていく辺り、“人”の姿として現れたミラノを、見上げる。

 ミラノは特に何も言わず、素直に“人”になってくれた。

 もう“人”にはならないと言っていたが、パールフェリカが逆らえない事を、ミラノはわかっているのだ。だから、何も言わず従ってくれた。そんな事も全部、わかる。

 いつものグレーのスーツ姿で、黒い髪は結い上げて、細い眼鏡をかけてキリリとミラノは立っている。

 “うさぎのぬいぐるみ”の時のようによろけてしまう事は無く、“人”になってすぐ、ミラノは何度か瞬いていた。パールフェリカが口を開く前に、別の近衛騎士がやって来てレザードと何か話している。ネフィリムのでも、シュナヴィッツのでも、パールフェリカのでも無ければ、他の近衛騎士は皆、父王ラナマルカの護衛だ。彼は謁見の間へ“ミラノ”を連れて来るよう告げ、先に去って行った。

「…………」

 先を歩いていくミラノとレザード。エステリオは少し離れた距離のまま待っている。

 パールフェリカは、一歩二歩と後ろへ下がり、丸い小部屋へ入って扉を閉めた。

 ──ねぇ、私はただ、ミラノを召喚する為だけに、居るの? 私の存在がまた、置いてけぼりにされてしまうの?

 パールフェリカは自分そっくりの肖像画を見上げる。声は、知らず震えた。

「ねぇ、かあさま。私は、本当にここにいるのかしら? ちゃんと、生まれて来たのかしら? 私こそ、“生霊”……」

 後は、言葉にならなかった。

 シュナヴィッツも、ネフィリムも、父王ラナマルカも、甘い。

 頬をぶたれる程、叱られてみたいなんて、思うのはおかしい? 今、父王の命令に逆らっていたら……何日か謹慎になる、ただそれだけだろう。

 あれだけ大人の兄を、ミラノをからかってみても、聞こえてきたのは“同情”で、怒られもしなかった。

 パールフェリカの手がふるふると小刻みに震え、そっと絵の中のシルクリティ王妃の足に触れた。両手を絵に当て、さらに頬を寄せた。額をこすりつけて、パールフェリカは瞳を閉じた。

「さみしい……かあさま。一つだけでいい。かあさまの声で、名前を呼ばれた思い出があれば、よかったのに……」

 ガラス扉の向こうだが、エステリオには聞こえないようにと、パールフェリカは小さな声で呟いた。



 玉座に座すのは父、ラナマルカ王。

 その左右に、ネフィリムとシュナヴィッツが立っている。

 広い謁見の間、赤絨毯の通路を避けて、その左右に白やら青の服の男女が膝を付いている。全部で100名は下らない。女性は3割程で、皆中高年。そのほとんどの顔をパールフェリカは知っている。この国を動かす重鎮達だ。最前列には大将軍クロードや宰相キサスが居る。

 静まり返った謁見の間を、パールフェリカとミラノは並んで歩く。後ろからついて来ていたエステリオとレザードは、重鎮らの最後尾に膝を着いた。

 玉座の前まで行くと、父が手招きをした。

 階段を上がり、玉座と兄シュナヴィッツの間辺りにパールフェリカは立ち、ここへ来る前に昨日の服へ着替えたミラノを見た。ミラノは相変わらずキリリと立っているが、瞬きの回数が少し増えている。その差に、パールフェリカは気付く事が出来る。ミラノは、この状況に戸惑っている。

「ミラノ、こちらへ」

 父王ラナマルカはミラノも呼び寄せる。

 パールフェリカと反対側、玉座とネフィリムの間に、促されるままミラノは立つ。

 厳粛な空気の中ながら、重鎮らの200の目が一斉にミラノに集まる。中には見覚えのある者もあるかもしれない。

 そこへ、父王の声が通る。

「先ほど話した。神の召喚獣リヴァイアサンを、ジズを退け、七大天使を召喚して王都を護った──」

 重鎮らが顔を見合わせ、やはりミラノを見上げる。

「召喚士ミラノだ」

 パールフェリカは、全てから顔を背けた。

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