(009)うさぎとネフィリム(2)
(2)
父と娘の温かな空気を、護衛役の3名もこっそり顔を上げて見て、笑みをこぼしていた。エステリオは思う、リディクディだけが、シュナヴィッツだけが愛らしいパールフェリカ姫に甘いんじゃない。大方の男と言う生き物が、愛らしい女の子という生き物に甘いんだ。
一方で、ネフィリムはミラノの前にしゃがみこんで赤い瞳に顔を近づけてジロジロと見ている。
「私は召喚獣や召喚霊の類が大好きでね。シュナは実戦が好きらしいんだが」
「…………」
ミラノは口を閉ざした。
シュナヴィッツは比較的わかりやすい性格をしている。
それは少し口をきいただけでもわかった。だが今目の前に居るネフィリムという第一位王位継承者はどうにも狸のように感じられた。
鉄で出来ているとあだ名されてはいるが、女は女。その女の感とやらがそう告げてくる。彼の笑みには嫌味がない。それで表裏がある位、別に嫌いではないが。
「異界から来て人語を解し、実体を持ってこの大地に立てる。獣と霊、両方の特徴を持っているんだね」
まるで、狩人のような目つきだ。ミラノは睨み返したいところだが、表情の変わらない“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目ではどうにもならない。
ネフィリムはふと視線を逸らして、後ろを振り向いた。
「パール、ミラノの……“人”の時の形はどんなのだい?」
その言葉に、パールフェリカはしばし考え、父王を見上げた。
「とうさま、国の人達にお披露目はしなくていいの?」
「ああ、しなくて良い。先ほどネフィリムが言ったように、両方の特徴を持つ召喚獣。詳しくわからない以上、他国へ知れるのもあまり良くはないだろう」
初召喚の儀式はその時点での召喚士の能力を無視したようなのが出てくる事がある、その儀式の後に体調を崩してしまう事も、よくある話なのだ。実際ネフィリムは後日お披露目という形を取った。シュナヴィッツは根性でお披露目に挑んだが、その後5日寝込んだ。
「じゃあ!」
パールフェリカは笑顔を閃めかせる。
「とうさま達だけ!」
そう言ってパールフェリカはラナマルカ王から離れ、ネフィリムの隣に立った。そして、機嫌良く「はい離れて離れてー」とネフィリムをぐいぐい押しやった。ネフィリムは「はいはい」と笑って父王の隣に、シュナヴィッツが居るのとは反対側に立った。
そして、パールフェリカが両手を口元にあてて何かぶつぶつと呟く。すると、ミラノの、“うさぎのぬいぐるみ”の足元に真っ白の魔法陣が浮かび上がる。煌々と光を放つ魔法陣は一気に回転して“うさぎのぬいぐるみ”を飲み込んだ。
そして、光が消えた時。
“うさぎのぬいぐるみ”は重心を失ってころりと倒れた。
そのすぐ傍──。
「──驚いたわ」
すらりと長身の女性が立っていた。
瞬きをして両手を眺めている。今まで綿の入った丸い手であった事を考えればそれは驚きだろう。
目尻側が少しつり上がった印象のある縦に細い眼鏡をかけ、その奥の瞳はしっとりとした闇色。きっちりと結い上げられたつやつやとした髪も、同じくどこまでも黒。光があたって反射する時、その箇所は白銀にも見える。唇は、ほんのりと塗られたグロスで柔かく輝く。西洋と中東の間辺りの外見の者が多いガミカ国においては、東洋人ミラノのナチュラルメイクは、彼ら基準での20歳前後に見せてしまうだろう。
グレーで体の線にぴったりあったジャケット。下の白いブラウスは胸元が見えない程度に開いているが、かっちりした形で定まっている。スカートもグレーだ、これも体にぴっちりとフィットしている。そしてヒールが少しだけあるパンプス。立ち方にもそつも隙も無い。
「いや……僕も驚いた」
茫然自失の態でシュナヴィッツが呟いた。
ミラノの背中を見ている護衛役3名もあんぐりと口を開いていた。皆“うさぎのぬいぐるみ”みーちゃんとしてしか接した事が無かったせいだ。
初召喚の儀式の折りにスーツ姿のミラノと話しているパールフェリカは、背筋を伸ばして立つ彼女に少しだけ目を細めた。
さらに近寄るパールフェリカの足元に先ほどまで2本の足で立っていた“うさぎのぬいぐるみ”が当たってころりと転がった。動く様子はさっぱり無くなっている。
「みーちゃ……ミラノ!」
パールフェリカはそう呼びかけて勢いよくミラノの肩に手を伸ばして抱きついた。“お姫様”だろうにパーソナルスペースが狭いらしい。パールフェリカの顔はミラノの胸に埋まった。ミラノは瞬きを2、3度繰り返してから、パールフェリカの頭を撫でた。『愛されっ娘ね』と、ミラノは心の内で思った。素直に、相手に可愛いと思わせる。
ミラノはパールフェリカを覗き込んだ。
「平気?」
ミラノの声はうさぎの時と同じだが、言葉に空気を感じられる事が、息吹である事がパールフェリカに妙なくすぐったさと安心感を与えた。
「うん! あの時は召喚もしたから、力尽きちゃって……。でも今もあんまり長くはもたないかも」
「そう……ムリをしないでね?」
「うん。ミラノ、ごめんね? いきなり異界から呼び出されて、驚いたでしょう?」
「……そうね」
そう言った後、ミラノは、目を細め口角を上げ、微笑んだ。
「でも、悪くはないわ」
その微笑みは、パールフェリカの笑顔とはまた違った破壊力を有していた。
「そ、そう? えっと……だってなんか変な召喚の仕方しちゃったみたいだもの、ごめんなさい……?」
常にどこか突き放したような声音で話すミラノ、今の微笑みにはあまりにもギャップがある。優しさと人懐こさを持ち合わせていた。パールフェリカは咄嗟に適当に問い返しつ謝ると、ミラノは一度頷いた。そしてその顔を持ち上げた時には、あの微笑は消えていた。
ミラノはそのままラナマルカ王を見る。
「はじめまして。ヤマシタミラノと申します」
「…………」
「…………」
「…………」
本当に“人”であった事に、ラナマルカ王は言葉を失くし、それを本来フォローすべきネフィリムもまた目を丸くしてミラノを見つめるだけだ。シュナヴィッツは口の中が乾いてうまく言葉を紡げないでいる。その光景にミラノは緩く首を傾げた後、パールフェリカを見た。
「そろそろ、うさぎに戻してくれる?」
「え? もう??」
「後から辛くなっても困るでしょう? 私が“人”の形で居る意味はないから、戻しておいて」
「うん……なんか、ちょっともったいない……」
パールフェリカはぶつぶつと文句を言いながらもミラノの言葉に素直に従ったのだった。