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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【3rd】BECOME HAPPY!
87/180

(087)BECOME HAPPY!(2)

(2)

 ひとしきり笑って、ネフィリムが表情を引き締めた。

「ジズも消えたようだし、戻るか」

 立ち上がろうとするその二の腕に、ミラノがそっと手をかけて止める。

「昼より随分と……」

「え?」

「疲れていませんか?」

 あれだけ巨大で、森の木々を根こそぎ溶かして消してしまうような“神の召喚獣”ジズと相対して、疲れているのは当たり前だとはミラノも思うが、無意識に手が出た。もう少し休ませた方が良い気がしたのだ。行動理由は、ただ妹弟を持つ姉気質としか言いようが無い。腰を浮かしかけているネフィリムを見上げる。

「ちゃんと休んで……寝てるんでしょうか」

 問いかけではなく、思うままを言葉にするミラノ。それにネフィリムはフッと脱力するように笑って、また腰を下ろした。

「ミラノはどうしてそんなに、勘が良いのかな……」

 ネフィリムは立てた両膝の上に両肘を置いた。両手の指を組んで、足の間の地面を見た。溜め息を、こらえているのかもしれない。声の張りが、少し弱くなっている事にミラノは気付いている。

「勘、良いですか……。では、ついでに──“護る”……ですか?」

 ネフィリムは顔を上げてミラノを見た。ミラノは、正面を向いている。

「もう少し、護られる側の事も考えて欲しいですね。この世で、あなたはあなた一人しかいません」

「いや、私がいなくとも、シュナもいる。父上を、シュナを、パールを護れるなら、私は死んでも問題ない。それだけの価値が彼らにはある」

「それはつまり」

 ミラノはネフィリムの方を向く。

「命と価値が同じ意味ですよね。3人を護る事とあなたの命が同等? あなたはあなたしか、いないんですよ? ──もし、私があなたの兄弟であったなら……」

「兄弟なら?」

「ふざけるなと、殴ってしまうかもしれません」

 言葉はミラノにしては過激だが、声のトーンは相変わらずだ。

「ミラノが? 殴るのかい? 想像できないなぁ」

「そうですか? 私は……聖人君子でもなんでもないのですが。……わかる事はいくつかあります」

 ミラノは目線を一度下げて瞬きをしてから、顔を上げた。

「あなたの価値を決めるのは、あなたじゃないわ」

 その言葉に一瞬きょとんとしたネフィリムは、すぐにくくっと笑う。

「似た言葉をどこかで聞いた気がするなぁ」

 以前、ネフィリムがミラノに言った──彼の受け売りだ。

「私もそう思います。認めざるを得ない言葉です」

 淡々と言うミラノに、ネフィリムはさらに微笑を深める。そっと、こわごわと手を伸ばし、ミラノの頬に触れようとして、やめた。手を元の位置に戻して、迷うように視線を下げ、そのまま口を開く。

「…………私は、ただいつも、父上や、シュナ、パールが、幸せであればと。それだけを考えている。私はどうでも良いんだ」

 懺悔にも似た、心根の吐露。

「……そうですか」

 間はあったが、いつも通りの淡々とした声が返って来た。ネフィリムは気になって顔を上げて、やはり表情の無いミラノを見た。

「でも、ミラノ、私は間違えているのだろうか?」

「なぜ?」

「ミラノは、私を責めているように思える」

 殴る発言が効いているらしい、ミラノはちょっと失敗したかなと思いつつ、言葉を選ぶ。

「そうですね……。責めている、というよりは……」

 そこで言葉を区切り、黙った。

 ───“幸せであれば”と、ネフィリムは言った。

 正面の木々を、降り注ぐ光の粒子を、見つめる。

 光は、今も大空に残る魔法陣の端から、ほろほろと零れ落ちて来ている。“神の召喚獣”が消えて黒い雲も無くなり、空は再び快晴を取り戻して、半月と星々が煌く。完全に日が暮れているので、魔法陣から遠ざかれば、ひたすら闇夜。その闇に降り注ぐ、魔法陣の光の欠片。それらを見回すだけの時間空けても、ネフィリムはミラノの言葉を待っていた。

 だから、ミラノは改めて話し始める。

「はっきりしていることがあります」

 月と星と、光の欠片の舞い降る空を見上げたまま。

「我慢ばかりでは、つらいわ。満たされなければ、幸せだと感じられない。幸せだという人はみんなよく、笑うわ。あなたの弟も妹も……」

 そこでミラノはふふっと微笑った。脳裏に浮かぶのはパールフェリカの全開の笑顔。ネフィリムと比べると実にのんびりとした気質に感じられる、素直なシュナヴィッツ。

「よく、笑っていると思うわ。とても、自然体のように、見えるもの」

 すぐに引っ込んだ笑みのあったその顔を、ネフィリムは見つめたまま問う。

「では、私はちゃんと、幸せにしてあげられていた、かな」

 はたと気づいたようにミラノはネフィリムを見る。

「なぜ、疑問に思うんです?」

「私では、わからないから……」

「……いいえ、そうではなくて」

 困ったように言ったネフィリムに、ミラノの言葉はゆっくりと降り注ぐ。

「なぜ、幸せにしてあげられたかどうかを、心配する必要が、あるの? あなたの大事な人達が幸せと感じているかどうかは、あなたの能力外の所にあるのに。幸せかどうか感じるのは、当人次第……。誰かに幸せにしてもらおうなんて思っているなら、その時点でその人はきっと、ずっと不幸だわ」

 ネフィリムは食い入るようにミラノを見る。ミラノの方は、少ししゃべりすぎたかなと自分で引き気味になり、再び正面の木々の方を向いた。ちらりとネフィリムを見れば、彼は次の言葉を待っているようで、ミラノは一度口をきゅっと閉じた後、続ける。

「ネフィリムさんは、誰かを幸せにしてあげようと思った時点で、少し、道を逸れてしまったのかもしれない……ですね。簡単に、見失うもの。自分のものでも。まして、誰かの幸せなんて。……幸せが人それぞれというのは、満足する事が人によって違うからでしょう? それは、人、場所、時でころころと変わるのだし。結局幸せなんて、本人自身が感じようとしなければ、永遠に手に入らないわ。人に幸せを与えるという事は、本当の意味では出来ないわ、手伝う事は出来るけれど。もしあなたが心配に思うなら、手伝えていたかどうか、という意味になると、思うわ。本当に幸せを与えてあげられるのは、自分だけ。孤独な寂しい考え方と言われても、それが本当だもの」

 ミラノはそっと自分の胸に手を当てた。

「自分自身の心の足かせを、責任を全部、自分の努力で果たして、目標を一つ一つ自分の力で達成していく。そして、頑張った自分にちゃんと満足して、褒めてあげる。ほんの些細な事でも……構わない。きっとそんな時、幸せはあると、私は思います。だから幸せは、本当は世界に満ちて溢れる程、あるのよ」

 世界が、“神”の力で満ちているように、ちゃんと気付けば、ある。

 ミラノはネフィリムを、蒼色の瞳をひたりと見た。

「──あなたは、見るからに自分を褒めるのが苦手そう。幸せに、鈍感なタイプなのね、元から。責めているんではなくて、私はそう思って、見ているわ」

 それが、ネフィリムの問いに対するミラノの答えだった。

 ぷっと、勢いよく噴き出した後、ネフィリムは腹を抱えて「はははっ」と声を上げて爆笑した。しばらくそうして笑うネフィリムから、ミラノは視線を逸らし、木々の方を向いてその笑いがおさまるのをおとなしく待った。

 そうして、ネフィリムは目尻の涙を拭って、体ごとミラノの方を向いた。

「鈍感、と言われたのは、初めてだな」

 それを振り切るように、正面を向いたままミラノは立ち上がると一歩前へ出た。ハーレムパンツについた土を払う。

「あなたの兄弟はきっと満たされていたと思いますよ。当たり前のように、幸せだったんじゃないでしょうか。一点を除いて」

「一点……?」

 先程までのゆっくりとした口調から、ミラノのそれはやや早い。あっさりとしたものに変わっている。

 ネフィリムが落ち込んで見えたので、らしくもなく沢山話してしまったと、ミラノはごまかすように、また言葉を重ねる。

「あなたが幸せであるか不安なら、満たされないでしょう? あなたは自分を犠牲にして、盾になろうとした。その事は、パールにもシュナヴィッツさんにも、ラナマルカ王様にも、酷い不幸だったと思うわ。なんでもっと自分を大事にしてくれないのか、と。あなたは彼らを護れても、彼らはあなたを護れなかったという不幸に落ちる。彼らは護られたって、あなたが居なければ、不幸なのよ? あなたが、足りない。それでもう満たされないから。護ったぞと押し付けたって無理よ、幸せは、さっきも言ったけれど、それぞれ本人が感じる事」

 否定ともとれる言葉に、眉間に皺を寄せるネフィリムの表情は酷く不機嫌で、見る者の言葉を奪いかねないものだが、ミラノは全く意に介さず続ける。

「だから──一番手っ取り早いのはやっぱり」

「やっぱり?」

 ミラノはネフィリムを真っ直ぐ見下ろして、柔らかな声音で言った。

「あなたが、幸せである事」

 ネフィリムの鼓動が初めてドクリと大きく波打つ。

 同時にネフィリムの脳裏に蘇る言葉がある。

 ──“あなたが、幸せである事を、心から、祈っています”

 ゆっくりと、しかし真剣な眼差しでミラノを見上げた。不機嫌などというものは、もうどこかへ吹っ飛んだ。

 すがるような目線に促され、ミラノは口を開く。また、淡々とした声に戻っている。

「あなたが幸せであれば、彼らもきっと安心して幸せだと感じるんじゃないかしら。もちろん、王様も。あなたの弟も妹も、とても優しい子達。あなたの背中を見て、育ってきたのでしょう? あなたに支えられて、あなたの幸せにしたいという思いを受け止めて……きっとだから、あなたにその幸福を返したいと、願っていると、思うわ。──あなたの幸福も、彼らの幸福の条件、そういう、意味よ」

 どれだけわかっていても、自分で言い聞かせても、誰かの言葉でなければ染み渡らない事がある。誰も、ネフィリムにそれを伝えて来なかったのだろう。それは、ネフィリムの不幸の原因になった。もしかしたら、ネフィリムは誰にも言えなかったのかもしれない、また誰も彼に伝えられなかったのかもしれない。そういう立場にあったのかもしれない。それは少し、同情する。ミラノはそう思った。

「……ミラノは、この世界にまだ6日しか居ない。私たちと接したのはほんの数日。なのに、どうしてそんなにわかるのかな」

「そんなことは──」

 一度言葉を止め、ミラノはふわりと微笑んだ。

「ちょっと見ていれば、すぐにわかるわ」

 ──それは、ミラノだからだ……。

 耐えられなくなってネフィリムはミラノの手を取り、膝立ちで近寄った。ミラノの片手を掴んだ自分の両手に額を当てて、すがるように。

 仕方が無いと、ミラノは笑顔をひっこめて見下ろしていたが、しばらくして、ネフィリムも立ち上がった。離れるかと思えば、ぎゅわっと抱きついてきた。突き離す事も出来ずに居たが、数秒で彼は離れた。

 顔を見合わせて、ミラノはほんの少し口を開く、驚いたのだ。ネフィリムの片目からほろりと、涙が零れていた。

「──君の言葉で、私は自分を褒めてあげられる気になれた。満たされた、という事かな? 幸せとは、これなのかな?」

 そう言ってもう一度ミラノを抱きしめた。

 その腕と肩辺りに圧迫されながら、ミラノは少し横を向いて息を吐き出した。こめかみ辺りにネフィリムの頬があって、温い呼気が微かに黒髪を揺らす。

「私の言葉なんかで満たされて、どうするんです。本当に鈍い人なんですね。みんな、あなたの幸福を祈っていたのに。幸せを祈られる対象となり得ているのは、それだけあなたが頑張ったからでしょう? それは、幸せの合図なのに」

 ミラノの言葉に応答は無く、ネフィリムの腕の力が少しだけ強くなった。

 しばらくは大人しくしていたが、正直、ミラノは首筋にかかる息がくすぐったいのでさっさと離れて欲しいと思っている。だが、ネフィリムは動く気配が無い。

「……もう、よろしいですか。戻らないと、みんな心配していますよ」

 そろそろと、ゆっくりとネフィリムは離れる。もう涙は無い。代わりに、裏などない、とても素直な笑顔があった。

 束ねた髪を後ろへはねのけて、晴れやかに、爽やかに告げる。

「敗北宣言は、完全撤回だ」

「え?」

 にまっと笑うネフィリムを、ミラノは瞬いて見た。

「では、戻ろう!」

 ネフィリムはそう言って背を向けて、先に歩いて行ってしまった。視線をついと逸らしてミラノは右手の指先を顎に当てる。

「……撤回?」

 ミラノはハッとして、しゃべり過ぎた事を後悔したのだった。

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