(081)久遠の呼び声(2)
(2)
結局、ミラノが首から下げているネックレスの事など、完全に忘れている。
パールフェリカは、空中庭園の真ん中でぼんやりと座っていた。
空が赤く染まるのを遮るように、魔法陣は王都と空の間を白色に輝きながら、広がっていく。
王都全体を覆う巨大な魔法陣は、ゆるゆるとゆるゆると回転している。
いつものパールフェリカなら、見つけた途端走り出してだれかれかまわず呼びかけ、空を指差し騒いだかもしれない。
──リヴァイアサンの時のようにミラノがなんかして、私がグッタリして、それで終わるわよ。
庭園中央にある噴水の淵に腰を下ろして、パールフェリカは腕を伸ばし、指先で水を弾いた。
噴水の外観は白い石材で出来ていて、細かく幻獣などの彫刻が施されている。
円形で3段の水受けの池部分、噴水口は全部で5段あって、それぞれ違う角度で水を噴出している。天辺の噴水口が一番たくさんの水を高く、広く噴き出している。それは、夕日を受けてオレンジに染まり、飛沫は光の欠片のように美しく、パールフェリカの視界を彩る。
少し離れたところ、と言っても10歩以内ではあるが、エステリオが控えている。
森の中の、巨城エストルク。その3階にある空中庭園。数多くの植物、花が、ところ狭しと植えられ、育てられている。新緑の清々しい、また色とりどりで大きく小さく咲き誇る花達の、甘く優しい香り。
広さはパールフェリカの部屋の10倍程で、城の庭園と言うには狭いが、建物の中に作られた人工的なものとしては広い方だ。
ずっと続くドドドという噴出音と、ばしゃばしゃと落ちる水音に耳を傾け、パールフェリカは口を尖らせている。
波紋が寄せては返す縁で、指の付け根までを水に浸して、ゆらゆらとした感触に任せる。水面には、表情の無い、だらけた姿が波紋の形に歪んで映っていた。口を、引き結んだ。
──シュナにいさまも、ネフィにいさまも、本当にすごいわ……。
シュナヴィッツがいつも怪我まみれになりながらも前線を駆けるている事は、よく知っている。サルア・ウェティスでいつも戦いに明け暮れていた事も聞いている。
ネフィリムが朝から晩まで、父王の補佐だけに留まらず、政のあらゆる事に絡んで国の為に走り回っている事も──母をあまり知らないシュナヴィッツとパールフェリカ2人をとても気にかけてくれている事も、知っている。
兄ら2人とも、あれやこれやと忙しいのに、自分を鍛錬する事も忘れない。自分の方が疲れてるのに、ちゃんとみんなを労う。
みんな、その姿勢を見ているから、決して2人を悪く言ったりしない。心底から、敬意をもって頭を垂れる。
パールフェリカとて、わかっている。
──ミラノも、召喚するものだとか分けて考えても、すごいの。
本当は右も左もわからないはずだ、ここはミラノにとって異世界なのだから。なのに、常に毅然として、落ち着いている。“飛槍”の連中に捕まった時だって、おろおろしたりする事も無く、普段静かなのに、動くと定めると迷い無く堅実に行動する。
召喚術の事を分けて考えても、すごい。“人”の形をしていても、“ぬいぐるみ”の形をしていても、ミラノは何も変わらなかった。
ならば、自分にだってあっていいはずだ、いや、あるべきだ。
誰にも聞こえないごく微かな声で、呟く。
「お姫様という以外で……私って……?」
優れた兄達を、今たくさんの人達が認めようとするミラノを、ただひがむよりも先に──。
水に浸していない方の指先で、もてあそぶように唇に触れた。
「私だけの………………私である……何か──」
しばらくぼんやりと水面を眺めるばかりのパールフェリカ。
ゆっくりと、エステリオが近付く。
「姫様、そろそろ戻りましょう」
言ってエステリオは空の魔法陣を見上げる。
脳裏には、兄アルフォリスの言葉。近い内に“事”があると、姫を護れ、と。もちろんそれが役目だし、そうでなくとも護ると決めている。だが、兄の言う“事”とやらは、“神の召喚獣”襲来らしい。先日のリヴァイアサンの破壊力を思えば、自分は姫を抱えて力いっぱい逃げるしかない。時を、見極めておかなければ。
ガミカが、モンスター達の大陸“モルラシア”に海を挟んで面しているとはいえ、こう連日襲撃があるのはおかしい。
それも“神”の召喚獣が立て続けに……。
サルア・ウェティスの次は、王都を直接だ。
パールフェリカの誕生日、初召喚の儀式によってミラノを召喚した日。
──ガミカの歴史でも本当に稀だった、ワイバーンの襲撃に端を発し、“神の召喚獣”リヴァイアサン顕現、さらに今日、再び王都にまでモンスター達が攻めてきた。そして今、空には巨大な“神”の召喚魔法陣。エステリオは唇を噛んだ。
──何かが、引き寄せている……?
パールフェリカが部屋に戻ると、入ってすぐのところにネフィリムの護衛騎士であるレザードが控えている事に気付いた。まだミラノの護衛を解かれていないようだ。
部屋の中央には、兜だけ外して、隙間のほとんど無いフルアーマーに身を包んだシュナヴィッツが居た。
ソファの近くで、シュナヴィッツから1歩の距離にはミラノが立っている。2人は話をしていたようだ。
「あれ? シュナにいさま、どうしたの?」
「……いや……」
シュナヴィッツは身を動かさず、ミラノを見て目を細めたが、振り切るように扉の方を向いた。
がしゃがしゃと鎧を鳴らし、扉の前に立つパールフェリカの傍へとやって来る。ごつごつした手甲をしていて、分厚いグローブに包まれた手で、パールフェリカの頭をそっと優しく撫でると、部屋を出て行った。
「?」
何の言葉も無かった。パールフェリカはミラノに駆け寄った。
「ね、ミラノ。シュナにいさまどうしたの?」
「……どうしたのかしらね」
ミラノは視線を落とした後、ソファの右端に戻って腰を下ろした。“うさぎのみーちゃん”のピコピコクッション外しも、あと数針で終わるようだ。
その裁縫道具の横にあるダイアモンドのネックレスに、パールフェリカは気付いた。
「あれ? これどうしたの?」
「……もらったの」
「あ、エルトアニティ王子様?」
ととっと駆けてミラノの横に座り、パールフェリカはネックレスを持ち上げてまじまじと見る。
「エルトアニティ王子様ってあれよ、この大陸でも1,2を争う大国の、第一位王位継承者なのよ? ミラノったらすごいわね! モテモテ!?」
いつものようにあっけらかんとした声で、言えているはずだ。笑顔でパールフェリカはミラノを見上げた。
「………………」
「…………ミラノ?」
疲れた顔でミラノは一度、瞬いた。ミラノを覗き込み、パールフェリカも真顔になる。
「どうしたの?」
ミラノは中指を眉間にそっと当てて目を閉じた。
「…………」
「?」
「パール」
「何?」
身を乗り出すパールフェリカを、額から手を離したミラノが見下ろす。
「──もうすぐ“みーちゃん”の足も直るから、そろそろ“人”にしっぱなしという修行をやめない?」
「なんで? 私はめきめき強くなっていってると実感してるのに!」
正直なところ、普段と大して違わない。ミラノの希望を断って、ちょっと意地悪を言ってみたのだ。
「………………」
いつもと変わらない感情の薄い表情に違いはないのだが、どこか違う。想像以上に、ミラノは辛そうに見えた。何かあったのだろうか。
「でも…………もし……」
そういう顔は、見ていたくない。パールフェリカは、まず自分から笑顔を向ける。
「ミラノがその方がいいって言うなら、修行、我慢するわよ?」
そう言うと、ミラノはこちらを向いて笑みを作った。
パールフェリカには、その曖昧な──さまざまな感情の入り混じった──微笑の意味が、わからなかった。
「──ちょっと、いいかしら?」
「?」
返事をする前に、ふわりと、言葉に言い表しがたい、空気のように柔らかく、温かな香りがそっと身を包んだ。ミラノが、両手を伸ばしてパールフェリカをぎゅっと抱きしめたのだ。
「え…………………………? ……あ…………あれれ? ミ、ミラノ? …………どうしたの??」
慌てて問うパールフェリカだが、答えは無い。こめかみ辺りにミラノの顎が当たっている。おろした艶やかな黒髪がさらりと目の前に流れて来た。ミラノの鼓動は、胸からは少し離れているせいか、聞こえない。
「…………」
「んー……よしよしー」
パールフェリカは、ミラノの腕の下から右手を回してその後頭を、左手は背中を、ナデナデしてあげたのだった。