(008)うさぎとネフィリム(1)
(1)
パールフェリカが落ち着いた頃、衛兵が戻り、国王への謁見が叶ったと伝えられた。パールフェリカは“うさぎのぬいぐるみ”を抱えたまますっくと立ち上がると、護衛のリディクディとエステリオがそれに従う。一呼吸遅れて、シュナヴュッツも前へ歩み出た。
「僕も行こう」
シュナヴィッツには当然彼の護衛、ブレゼノが従った。
エステリオは扉の前に残る衛兵に「トエド医師が来られたら中で待って頂いくように」と伝えた。
そろそろ昼になる、自分を抱えるパールフェリカから小さな腹の音が聞こえてきたが、ミラノは空腹を感じなかった。
再び廊下へ出て、ゾロゾロと歩く。
角をいくつも曲がった後、また大きな廊下へ出る。廊下にも赤を基調とした絨毯が敷かれており、足音は響かない。
しばらくしてパールフェリカの部屋のものの5倍はあろう、両開きの扉の前に出た。扉の横に立っていた衛兵二人が縦に長い取っ手を手前に引く。引き始めは重そうにしていたが、途中からすうっと軽く動く。反対側、扉の内側に居た衛兵二人が左右それぞれを押し開けている。
シュナヴィッツ、その半歩後ろにパールフェリカ、その2歩後ろにブレゼノ、エステリオ、リディクディが歩いて、その扉をくぐった。
赤い絨毯は続いており、それに沿って進む。
左右には今までと違って、刃が見える状態の槍を右手に携え、構えをといた状態で衛兵が5歩置きに立っている。
30歩程歩いた先、5段程階段があって、その先に玉座がある。
ゆらりと、初老の男が玉座から立ち上がり、階段を降りた。ゆらりと見えたのは、動きが流麗でしなやかであったから。年齢を感じさせない柔らかな体運び。
もちろん、この男が、王だ。
シュナヴィッツとよく似た雰囲気の衣装だが、上衣の丈が膝下まである。基本の色はパールフェリカと同じ白と、彼女が赤の箇所が、王は紫だった。名をラナマルカという。
亜麻色の髪には耳上から頭の後ろを半周して反対の耳へ下げられた金の装飾具で纏められている。髪の長さは肩甲骨には届かない程度。前髪は上に持ち上げている。彫の深い顔立ちで、思慮深い目元はパッチリしたパールフェリカやシュナヴィッツとはあまり似ていない。二人の目元は母親に似たのだ。ラナマルカ王はグレーに近い青い瞳を巡らせた。
「急ぎと聞いたが」
シュナヴィッツとパールフェリカが王から5歩の距離で両膝をついた。あとの3人はさらに5歩後ろで同じように両膝をつき、さらに額と両手を床についている。
「パールフェリカ、こちらへおいで」
「とうさま!」
王の優しい声音にパールフェリカの顔がぱっと閃き、立ち上がり駆け寄るとラナマルカ王の胸の抱きついた。ちなみに、その時“うさぎのぬいぐるみ”は放り出され、床に転がっている。
ラナマルカ王は眦を下げてパールフェリカの頭をよしよしと撫でた。目線をシュナヴィッツに移す。
「シュナヴィッツも、遠路ご苦労だった。お前もこちらへ来なさい」
シュナヴィッツも立ち上がりそっと近寄る。ラナマルカ王はハハッと笑った。
「シュナ、お前また背が伸びたな。私はもう抜かれてしまったかな」
「北はまだまだ害獣が暴れていますからね、体を動かさない日はありません。おかげでよく食べますので」
シュナヴィッツは緩く肩をすくめて微笑った。
「そうか、激戦区を任せてすまないな」
「加減なくティアマトも暴れさせてやれますので、楽しいですよ」
「ははっ、そうか、それは良い」
ラナマルカ王は、笑いをおさめるとパールフェリカを撫でる手を止めて覗き込む。
「パール、急ぎ話があると聞いたが?」
その声に、パールフェリカはゆっくりと父王から手を離して、見上げた。
「それが……私の召喚が……その……」
その時。
「やぁ、パールの召喚はどうなったんだい? 私もとても気になっていたんだ」
玉座の向こう、垂れ布の間から20代半ば程の男が現れた。床をカッカッと蹴るようにキビキビとした動きだった。長い亜麻色の髪を緩く編んで左前へ垂らしている。
「ネフィリム、お前には“聖なる炎”の管理を任せていただろう?」
「“炎帝”はもう召喚し配置しています、彼女は私に忠実だから大丈夫ですよ、父上」
自信に満ちた笑顔で、階段をとととっと降りてきて、パールフェリカの頭を撫でた。
「元気かい? お姫様」
「ネフィにいさま……」
軽い口調で話しかけるネフィリムに対して、パールフェリカは眉を寄せてうつむいた。
「聖火の管理もお前が居てフェニックスを喚べるとなると、実に簡単な事のように感じてしまうな」
式典につきものの“聖なる炎”は一定以上の大きさの火を保たなくてはならない決まりになっている。緑深い山間の都で巨大な火を維持し操るのは並々の労力ではない。通常10人以上の男達が寝ずに見張り、大量の水を用意して挑む。
しかし、ガミカ国の第一位王位継承者であるネフィリムが居ると話は異なる。この男がフェニックスを召喚する、それで終わりだ。あとは全身に聖なる炎をたぎらせているフェニックス自身が台座に居るだけでいい。
フェニックスは炎を操る、確かに大火を大きく招く事は可能だが、それ以上に燃え上がった炎を水などを必要としないで制御できる点が“ありえない能力”だった。その能力によって森の木々に燃え移らせる事も無ければ、自身に触れる人の子に熱を伝えず、燃やさずその背に乗せてやる事も出来る。
ラナマルカ王の褒め言葉に、ネフィリムは眉を上げてにこりと笑った。
「兄上は少し黙っていてくれないか、貴方が口を挟むと話が長引いていけない」
シュナヴィッツが腕を組んだ。五つ年上のネフィリムは弟の肩をぐっと組んだ。
「おお、シュナじゃないか、久しぶりだな! また……でかくなって……私はもう成長しないから、抜かれてしまうのもそう遠くないな」
兄弟らの交流をラナマルカ王はも温かく見守っている。
そこへ。
「──水を差すようで恐縮なのですが。急ぎならば、早く要件に移った方が良いのではないでしょうか?」
女の声に、ラナマルカ王、ネフィリムが一瞬周囲を見回し、頭を下げているエステリオを見た。この場に女はパールフェリカを除けばエステリオしかいない、そういう理由だ。だがエステリオの声を二人は知っている。違う声だ。
「みーちゃん」
パールフェリカの声とともに、床に転がっていた“うさぎのぬいぐるみ”が2本の足で立ち上がる。
ネフィリムが目を細めた。
「ぬいぐるみに召喚霊を定着させた? 成功したのかい?」
今まで誰一人として、召喚霊を実体としてこの大地に止められた者は居ない、それが出来たのかと聞いたのだ。人語を解するのは召喚霊の方だから。
「いや、兄上、あれは召喚獣の方らしい。そうだな? パール」
「……うん。異界から召喚して、その魂の導きがあったからそのまま……実体を与えて……そうしたらその……“人”だったの」
「“人”を召喚したのか」
ラナマルカ王も驚きを言葉にした。
「父上、そのような事例、ご存知ですか」
ネフィリムの軽口を言う表情は消えていた。
「残念ながら私の知る限りでは、無いな。王立図書院、召喚院の面々に調べさせよう。今日は、そうだな、体調が優れないとでもして民に見せるのは中止だ」
「では私の方で手配致します」
「ああ、頼む。いつも細かい事を任せてすまないな」
「いえ、これが私の仕事です……。で、みーちゃんと言うのかい?」
後半は再び軽口に復活させてネフィリムはトントンと歩みを進めて、キリリと2本の足で立つうさぎのぬいぐるみの前で止まった。
「ヤマシタミラノです」
「ヤマシタ……変わった──」
「名はミラノの方です」
兄弟で同じリアクションねとミラノは思った。
「異界から来た霊には強制力があって、返還する前にものの数秒で異界へ戻されると聞いた。まだここに居られるなんて、変な話だね。人語を解しているのだから霊だろうに」
「兄上、ミラノはニホンから来たそうですよ」
「ニホン……ニホンね。プロフェイブ国王の霊と同じ異界から来たのだね。しかし、プロフェイブ国王の霊がニホンから来たものだって知っている者は、そう居ない。悪戯で言うには知りようが無い情報と言えばそうなんだけどね、確かに」
ネフィリムはしばらく黙して何やら考えているようだ。そして、口を開く。
「──パールと相性が良いのなら、私は問題無いと思いますが。父上はいかがですか?」
ラナマルカ王は微笑んですぐ傍のパールフェリカの頭を撫でた。
「召喚士の声に応えたものがそれぞれにマイナスになる事はない。パール、仲良くしなさい」
「…………はい、とうさま」
パールフェリカは目を潤ませて再び父王に抱きついた。
責めも否定もされなかった事が、パールフェリカは嬉しかった。