(078)パール姫の冒険III(2)
(2)
パールフェリカが居なくなったのを、はかったかのように現れたエルトアニティ。視線を逸らし、ミラノはソファから立ち上がると部屋の中央まで歩み出た。
衛兵から侍女、レザードも敬礼をしている。相手は、隣国の第一位王位継承者だ。下手な挙動は許されない。
ミラノも、パールフェリカらに迷惑だけは掛けないようにと、心を戒めた。
「先程は大変失礼な事をしてしまったと、私も反省をしたのです」
エルトアニティはそう言ってミラノの一歩前まで近付いて来た。そして、そっとミラノの左手を取ると、さらりと光るものを置いた。
それは、ペンダントにダイアモンドの入ったネックレス。
「今はこれしか無くて──申し訳ない」
きっとミラノが今付けているものを見て選んだのではないだろうか。とてもシンプルだ。
シンプルなデザイン程、ダイアモンドそのもののグレードは求められる、その程度の事ならミラノも知っている。
大国の王子が持って来るのならば、それなり以上に高価なものと考えられた。が、ミラノは実際に自分で買った事が無いので、パールフェリカにジャラジャラとぶら下げられたアクセサリ同様、確かな価値はわからなかった。もちろん、この世界での価値も。しかし、この短時間で用意してきた辺り、常に準備だけはしてあるのかもしれないなどと、猜疑してしまう。
ミラノは広げたままの左手を押し返す。
「受け取れません」
「召喚するものがものだけに、クーニッド産のものがやはり良いのかな?」
触れるか触れないかの距離で、エルトアニティはミラノのネックレスを、手の平を上にした指3本で示した。彼も、動作の一つ一つが高雅だ。
ミラノが今身につけているものは、クーニッド産の水晶がはめられたものだ。これをひっつかんだのは、ほんの偶然。吐き出したい溜め息を堪える為、視線を逸らし床に移した。
エルトアニティは沈黙するミラノを見下ろした後、ソファの上のぬいぐるみに気付く。テーブルには蓋の開いた裁縫箱。針山には糸の伸びた針が刺さっており、はさみの取っ手が箱の淵にはみ出している。たった今まで使用していましたというのがありありと見える。
エルトアニティはミラノを回りこんでソファの近くへ歩み寄る。それを、ミラノも目で追った。
「縫い物を?」
「……ええ」
「ぬいぐるみですか、これはまた可愛らしい趣味をお持ちだ」
ネフィリムの言っていた言葉──パールの召喚獣を知られたくない──を思い出す。召喚術を使っているところは見られたが、それがまさか“召喚士”ではなく“パールフェリカの召喚獣”であるとは、簡単に結び付けないだろう。何せ、誰もミラノが召喚獣か召喚霊か、はっきりとわからない上、外見や言動は人間と一切違わないのだから。
当然と言えば当然で、ミラノもただ生まれた世界が違うだけで、自分の事を間違い無く人間だと思っている。
ミラノは、下手なヒントを与えてしまわぬ内に適当にあしらって、帰ってもらうつもりだ。
「──なぜ、ガミカに?」
エルトアニティの問いに、ミラノは体ごとそちらへ向ける。
「なぜ?」
「あれほどの召喚術を使えるのならば、プロフェイブに来られてはいかがか。私の権限の範囲内であるならば、王太子妃並の待遇でお迎えできるのだが」
──引き抜き、というやつか。
「不要です」
「ん?」
想定外の返事であったのか、それとも単に聞き取れなかったのか、エルトアニティは目を細め、首を傾けた。
「ですから、その話を私へ持ちかけるのは不要だと、申し上げています。私は、パールフェリカ姫のお傍を離れるつもりはありません」
いずれ自分の世界へかえるつもりではあるが、込み入った事情を話してやるほどミラノは親切ではない、本質的には面倒臭がり屋である。面倒臭がりだからこそ、後から面倒にならないようにと根を張る事は、忘れない。
「パールフェリカ姫とは、どのようなご関係かな?」
自分でボロを出すわけにもいかない。帰ってもらえたら何でもいいが、語弊のない程度に答えておこうと、ミラノは表情を変える事無く決める。
「パールフェリカ姫は、私の主です。私を動かしたいのであれば、パールフェリカ姫にどうぞ。私は今、姫の願いでここに居ます」
既に、パールフェリカの意思は示されている。先程訓練場でパールフェリカはきっぱりと言い放った。誰にも渡さない、と。その事は、両者の頭にちゃんと刻まれている。それをわかった上で、ミラノは告げた。これで、ネフィリム、パールフェリカ、ミラノ本人から完全拒否の姿勢を示した事になる。彼も一々再確認には走らないだろう。面倒を、後々残さない、ミラノの行動基準の一つだ。
エルトアニティの表情が、初めて冷え込む。鋭く見下ろしてくる。が、ミラノの淡々とした黒い瞳が揺れる事は微塵も無い。
睨み程度の脅しに屈する理由は一切無い。ただ、見るだけでいい。
「…………」
「なるほど。貴女のおっしゃりたい事、把握しましたよ」
エルトアニティがそっと、ミラノの頬に手を伸ばしかけた時、すぐ横でかしゃりと小さな音がする。レザードが動き、その鞘と鎧の擦れた音だ。それは、ここに居るぞという意思表示でもあった。ネフィリムから、エルトアニティの口付け未遂を聞いていたのかもしれない。
1歩の距離で向かい合うエルトアニティとミラノ。その両者から2歩の距離まで近寄ったレザード。
エルトアニティは伸ばしかけた手をそのままに、レザードへ顔を向けた。不機嫌に片眉を上げて言う。
「見た事があるな。ネフィリム王子の、護衛か──」
レザードは柔らかい物腰で、ゆっくりと賓客に対する敬礼をしてみせる。
ぎゃんぎゃんとよく喋る妹のアンジェリカ姫が、ガミカでネフィリムの妃候補として扱われていた頃。ネフィリムがレザードをエスコート役につけてくれたと言っていた事を、エルトアニティは思い出した。
聞くべき内容を間違えたな、と視線をレザードから移し、エルトアニティはネックレスを乗せたままのミラノの手をそっとくるみ、両手で握った。
──パールフェリカ姫と、ではなく、ネフィリム王子との関係を聞くべきであった。
そして、ミラノにだけ聞こえるように、囁く。
「受け取っておいてください。他意はありません。私はこれでも大国プロフェイブの次期王位継承者です。面目を、守らせて欲しい」
エルトアニティはそう言って、近い距離でミラノと目を合わせて来た。
このパールフェリカの部屋では侍女らの目もある。サリアと同じ侍女服の者が2名、こっそりとこちらを覗いて聞き耳を立てている。
面目など糞食らえと思わなくもないが、相手は大国王子様という事、断ってパールフェリカらに何かあっては困ると、ミラノは承諾する事にする。
「あとで、お返しする事になりますが?」
「それはご自由に」
エルトアニティはにっこりと微笑んだ。
彼は、本人の言うとおり大国の王子である自信からか、華やかで快活な雰囲気を纏っている。顔立ちもはっきりとしていて、妹のアンジェリカ姫同様、美しい。
だがその微笑が、薄ら笑いに見えて仕方無かった。
──贈り物……恋情のようなものは、この人からは感じられない。狙いは“七大天使”を召喚する者……。
プロフェイブに連れ帰るやら、口付け未遂やら、この贈り物という、突然すぎる行為の数々で真意を隠してはいるが、結論は間違いなさそうだ。そういった疑心を顔に出さず、ミラノは部屋を去っていくエルトアニティの背を見送った。