(074)レイムラースの召喚術(1)
(1)
時間は少し、遡る。
「おかしい……」
ユニコーンを輸送している“飛槍”の男達の速度を考え、今頃なら到達しているであろう山道の上空で、レイムラースは飛翔召喚獣ペリュトンの足を止めさせる。
いつも輸送に使う山道で、間違いない。なぜ、まだ来ていない。
さらにペリュトンを駆り、近く遠く、周辺に目を配る。
やがて、ガミカの軍旗を掲げる一団が見えた。
すいと山林にペリュトンを降ろし、木々の間を音も無く駆ける。
50人ほどの騎馬隊のようだ。正規軍の鎧は、彼らの体をシャープに包んでいる。
ペリュトンは足を地面に付かず、低空のまま山林を風のように駆け、先回りをする。
ガミカ領土内に置かれていた“赤と黒の鎧”侵攻拠点本部、出入り口の洞辺りへ移動する。
出入口付近、人が100人程うろうろしている。
その中には、“飛槍”の幹部、また反抗的な者を縛る為にと地下に捕らえていた人質達の姿がある。
レイムラースは兜を外した。手から落ちた兜は地面に落ちて、がんと鈍い音をたてる。
青白い、しかし凛々しい顔に、苦々しげな表情が浮かぶ。
この“赤と黒の鎧”連中の侵攻拠点本部は、パールフェリカらにちょっかいを出して捕まった冒険者ヤヴァンらと共に居た、“飛槍”の末端からネフィリムに漏れた。
正確とは言えない情報を掴んだネフィリムは、一先ずクラン“光盾”のよく知った冒険者オルカらに“赤と黒の鎧”の侵攻拠点本部に関する情報を集めてくるよう依頼した。その際、モンスター、及びモンスターに与する人間が蔓延っているようであれば、殲滅してくるように、と。
昼を過ぎた今、“光盾”の面々が人質らを救出、敵モンスターの死骸を地上へ引き上げている。人に仇なすモンスターを討伐した場合、国から報奨金がもらえる事があるので、引っ張り出しているのだ。
レイムラースはペリュトンの首をめぐらせ、ガミカ王都へ向け最速で飛ばした。
目的地付近、やや離れた木々の間から覗き見た。
ガミカ王都近く、昨日まで居た“拠点”は王都警備隊に封鎖され、警備兵が立っていた。ここはパールフェリカらが連れてこられた“拠点”で、王都警備隊カーディリュクス隊長の指揮する一番隊が制圧済みだ。
裏へと周り、物資輸送出口のある洞へ行ったが結果は同じであった。
レイムラースは右の拳をぎりぎりと握り締めた。
「──やはり、“モンスター”や“人”だけでは覆せないのか」
まだまだ、“モンスター”を“人間”達の大地へ誘う、最初の一歩、前触れでしかなかったのに。そこで躓いた事が、信じ難かった。自分が、これ程時間をかけてきたというのに。
握った拳を額にあて、指のでこぼこに沿って強く擦りつけた。眉間に深く皺を寄せ、目を瞑る。
しばらくそうしてから、レイムラースは手を下ろすと、天空を見上げる。
「“神”よ。私の願いを聞き届けてくれ──」
黒い髪が揺れた。
ペリュトンを空へ飛ばし、レイムラースは巨城エストルクをその視界の中央に据えた。
「その“神”の寵愛を、“モンスター”と呼ばれる醜いもの達にも──」
大空のペリュトンの騎影を中心に、一斉に数十、数百、千を超える魔法陣が展開した。
半透明で光を放つのが通常の魔法陣である。
だが、レイムラースの魔法陣はそれと異なり、あちらを見通す事が出来ない。色は完全な“漆黒”……。
レイムラースは、2種類の色の魔法陣を生み出せる。1つは呪文の必要な青紫の魔法陣、もう1つがこの漆黒の魔法陣。本来ならば2種類は在り得ない。だが、レイムラースだから使える理由が、ある。
レイムラースは、呪文を唱える事も無く、次々を生み出していく。
──一切の光を許さない、力溢れる黒。
黒の魔法陣。
「その為にはまず、“人間”を減らす必要がある。そういう、事なのでしょう? ──“神”よ」
ペリュトンに騎乗するレイムラースは、黒の外套をばさりと弾いて右手を巨城エストルクへ掲げた。
「しかし……アザゼルらを召喚したものも、ここにいるかもしれないのか。──ならばその姿、私の目にも見せてみろ……!」
空に、ワイバーンや翼持つ毒蛇ワイアーム、取り残された悪意たるゴースト、さらには死して霊となってなお“霊界”にかえらず腐臭を放ち、地上に遺った末のドラゴンゾンビら、大量の飛翔系のモンスターが、召喚獣として次々と黒の魔法陣の中から湧き出てくる。
ばさりばさりと大きな翼を羽ばたいて、あるいは浮遊体を揺らして、実体化してくる。
どれもが“人間”にとっては巨大で、1体1体が建物一つ分をゆうに超える大きさがある。
レイムラースは王都を見下ろす。
黒の魔法陣が、遠く地上へ、大量に展開する。その数やはり千以上。そこから、オーガやトロル、巨大な黒い凶犬クルッド、深い緑色の頭の大きな蛇バジリスクなど、続々と這い上がる。
空も大地も、凶悪なモンスター由来の召喚獣で、黒く染まった。
ネフィリムはエルトアニティ王子に忠告をすると、パールフェリカの肩に手を伸ばし、連れ立って訓練場を出た。
シュナヴィッツは、キリトアーノ王子と戯れているようだったが、もう本人に任せる事に決めた。
パールフェリカを連れて行く事で、ミラノも、当然エステリオ、アルフォリスもついて来た。
カーディリュクスはシュナヴィッツに護衛が居ない事を気にしたのか、残った。
その頃になって、エルトアニティ王子とキリトアーノ王子の護衛2名がガシャガシャと重そうな鎧を鳴らして準備室から訓練場へと駆けていく。王子ら2人は3階渡り廊下から降りて来たが、この護衛らは城内の階段を通って来たらしい。
「にいさま?」
真剣な眼差しのまま、準備室で両手に巻いた布を解き、棚の内、使用済みの箱の方へ放り込んだ。パールフェリカの声を無視して、ネフィリムはアルフォリスを見た。
「アルフ、急ぎ父上に伝えよ。“炎帝”が嗅ぎつけた。また、“くさい”らしい──来るぞ」
「はい」
返事をしてアルフォリスはすぐに駆け出した。
ミラノが、首を緩く傾げてネフィリムを見ていた。ワイバーンに襲撃される前にも、ネフィリムはフェニックスが“くさい”と感じていると発言していた。ミラノはそれを覚えている。
「ミラノ」
「はい」
「エルトアニティ王子やキリトアーノ王子らに、パールの召喚獣を知られたくない」
それで、ネフィリムの私室で言葉を遮ったのかと、ミラノは納得する。
「…………使わなければ良い、という事ですか?」
ミラノの“黒の魔法陣”が生み出す謎の召喚術を、ネフィリムは大国プロフェイブからのお客様に、見せたくないのだ。見たなら、彼らは必ず求める。
奪いに来られては、大国プロフェイブ相手に小国ガミカはまず敵わない。
いかに強力な召喚獣を揃えていても、北の大地から襲い来るモンスターをしのぎながら、圧倒的物量を誇るプロフェイブの相手など、ガミカには出来ない。
エルトアニティがどういった理由からかは不明だが──彼が本気で自分の妃の一人として欲しがっているとは、ネフィリムは思っていない──、確かにその興味はミラノへ向いている。ネフィリムはゆっくり目を瞑り、胃の痛くなる思いを堪えた。
王都が落ちても意味がないのだ。
ミラノの使う、ワイバーンやリヴァイアサンを追い払った召喚術らしきものは、やはり強力だ。
ネフィリムのフェニックス、シュナヴィッツのティアマト、そしてパールフェリカのミラノ。
パールフェリカの召喚獣は確かに非常に脆い人間型ではあるが、兄らのそれに劣らない、いや遥かにしのぐ力を既に三度、示して見せた。
「危ういようであれば、バレない程度に頼む」
思いあぐねた上で出た言葉に、ミラノはゆっくりと頷いて、後は何も言わなかった。
ネフィリムの瞳の奥の苦渋を、あっさりと察したのだ。




