(072)兄弟いろいろ(2)
(2)
「カーディリュクス、昨日は助かった」
後ろから聞こえた声に、カーディリュクスは振り返り、さっと敬礼──右腕を曲げて拳を左肩辺りに当てる動作─をする。
「シュナ殿下、具合はいかがです?」
ネフィリムの部屋を突然の来客で追い出された王都警備隊一番隊隊長、20代後半の巨躯のカーディリュクスは、足を止め後ろを振り返る。タタッと軽い足取りで駆け寄って来るのは、ミラノをネフィリムの部屋の前まで案内し、自室へ戻る途中だったシュナヴィッツだ。怪我をしてはいるが、危なげな様子も疲れた風でもない。
「この通り、何とも無い」
「本当ですか? 私は殿下の護衛騎士スティラードとは同期で飲み仲間ですから、時々聞きますよ? シュナヴィッツ殿下は我慢をしすぎる、とね」
「……そんな事を言っているのか、あいつは」
「殿下もほどほどになさいませ。スティラードは元々ネフィリム殿下の護衛ですからね。彼はネフィリム殿下のお気持ちもご存知だからこそ、シュナ殿下が心配なのですよ」
シュナヴィッツは片方の口角を引いて、ほんの少し、幼さを見せる。幼少の頃から親しく知っている相手だと、出てしまう表情だ。
気が緩んでこういう素振りを見せる辺り、近しい者にとってわかりやすいと言われてしまう所以だ。
「本当に疲れていたらちゃんと休む。僕は何度も言っているんだがな。──カーディ、時間はあるか?」
「ありますが?」
ネフィリムとの約束は流れてしまったので、今の時間は空いている。
「証拠を見せてやる」
シュナヴィッツはにまっと笑って先を歩いた。
本殿東側の1階から、いくつかある訓練場の1つに出られる。
城下町側ではなく、周囲を城、背面に巨大な樹を見上げる事が出来る場所。屋外にある。
広さは周囲を大人が全速で走って30秒かかる程度。それほど広くはない。そこの手前にある準備室もまたあまり広くはない、大きな棚があって備品はそこに収められている。その棚を除いて、物らしい物は置いていない。
城の深いところにあるこの第5訓練場を利用するのは、大将軍やエリート中のエリートである近衛騎士。彼らは王家に絶対の忠誠を誓う者として、その代名詞にもされる存在。さらに王族も姿を見せる。
幼い頃からシュナヴィッツの修練場はここで、今も城に滞在中は毎日通っている。
シュナヴィッツとカーディリュクスは昨日の事件──“飛槍”や“赤と黒の鎧”の連中の“ガミカ拠点”に関するゴタゴタ──はまだ内密なので、他愛ない雑談をしながらやって来た。
ネフィリム程活発ではないが、シュナヴィッツも一定以上の要職に就く者らとは小まめにコミュニケーションをとっている。特に、将来大将軍の地位に就くつもりでいるので、城に居る限りは軍関係者とは接触するようにしていた。
備品の棚からシュナヴィッツは包帯状に巻いた布を4巻取り出し、2つをカーディリュクスに投げた。
「素手ですか?」
「顔はバレやすいから、無しでな」
カーディリュクスは呆れたように笑った。
「最近毎日のように実戦に出られてるじゃないですか、休まれないんですか?」
「…………体を動かしたい」
シュナヴィッツは布を丁寧に拳に巻きつけながら、カーディリュクスに背を向けた。
「いらぬ事ばかり考える。体を動かしていたら、考えずに済む」
そう言って一気に巻き終え、訓練場の方へと出て行った。
カーディリュクスは、シュナヴィッツが武装無しの布の普段着のままなので、ライトアーマーを脱ぎ、慌てて拳に布を巻いて表へ出た。
シュナヴィッツは腰の長刀と短刀を外し、地面に置く。昨日使用したものはカーディリュクスの部下らが回収してくれたが、使える代物ではなくなっているので、今は城の刀鍛冶の元にある。
カーディリュクスも同様に自身の長剣を置いた。
2人は4歩程距離を開け、姿勢を低くして構える。
軽くとんとんと左へ回りながら、ゆるゆると距離をはかる。
すぐに、シュナヴィッツが一気に駆け寄る。そのままカーディリュクスの太腿に左足を乗せ、高い蹴りを入れる。カーディリュクスは胸辺りに両腕を持ち上げ防御するも、ずしりとした重みによろめく。
深い位置からシュナヴィッツはその足でさらに顎へ素早く膝蹴りを入れかけ、止めた。
後ろにストンと降りる。
とっさの防御態勢ではあったが、カーディリュクスはダメージを振り払うように首を左右に2,3度揺らした。布を巻いた拳の手の平を開いくと首を撫で、シュナヴィッツを見る。
「殿下、いきなり自分が顔面狙ってくるなんて、ひどいじゃないですか」
「すまん」
シュナヴィッツはニヤリと笑った。
「──本気でいけば、良いんでしょう?」
カーディリュクスも口角を上げ、シュナヴィッツの挑発に乗ったのだった。
「あれ?」
東の塔への回廊を走っていたパールフェリカは、足を止めた。
両手にアクセサリーをじゃらじゃら持ったまま、音のする方を覗く。
この先には第5訓練場があるので、そういう音がしても不思議ではないのだが、天気の良い日は城の正面側にある第1から第3訓練場が使われる。それでも音がするのならば──。
回廊から逸れて芝生へ、植えられた木々を抜けて訓練場の端に出た。
「あれ。シュナにいさま?」
「パール様、どちらまで行かれるのです?」
後ろからついて来ていたエステリオがすぐに追いついた。
「ねぇエステル、シュナにいさまの相手は誰?」
アクセサリーで一杯の右手で、パールフェリカは自分の視線の先を示す。銀のチェーンが垂れるのを、パールフェリカは腕をくるくる回して巻き上げた。
エステリオは促されて訓練場を見る。
「訓練中ですか。シュナヴィッツ様、怪我をなさってトエド医師に止められているでしょうに、また……。相手は、あれはカーディリュクスですね」
小言を交えながらもエステリオはパールフェリカの問いに答えた。
「かーでぃりゅくす?」
「王都警備隊一番隊隊長です」
隊長クラスなら、運が良ければ次の昇進時には騎士に叙勲されるだろう。ちなみに、騎士らの憧れの的たる近衛騎士からの選り抜きが、王族直属の護衛騎士になる。エステリオやリディクディらだ。
護衛騎士スティラードと度々つるんでいた為、カーディリュクスは異例中の異例で、身分差甚だしくもネフィリムやシュナヴィッツと懇意にしているのだ。
「へぇ~……見て行く!」
「ひ、ひ、ひめさま……待って……」
ぜえぜえ喉を鳴らしながら、侍女サリアが追いついた。
パールフェリカは準備室の扉の方へ、訓練場を回り込むように駆け出す。エステリオも一息置かず追う。サリアは、両膝に両腕を乗せてひーひー言った後、再びよたよたと走り始めた。
何度か拳を交えた頃──。
「──シュナ……」
訓練場の出入り口、準備室の扉に寄りかかるようにして、腕を組んだネフィリムがいた。その後ろから護衛のアルフォリス、さらに“人”型のままのミラノが歩み出てくる。
「あ……いえ……」
シュナヴィッツは額から首まで伝う汗を、上衣の袖口で慌てて拭った。カーディリュクスも同様で息を整えていた。2人はばつの悪そうな顔を見合わせている。
「あー……ネフィリム殿下。私がお願いしたのです。3ヶ月もサルア・ウェティスに常駐して修行をされたその腕前を、ぜひにと。私もちょっと腕がなまってきてまして」
「あ、カーディ。いや、そんな事はない。僕が稽古をつけてもらおうと話をもちかけて──」
ネフィリムは2人を半眼で見て、近寄ると口元に笑みを浮かべる。
「ほぉー……言いたいことはわかった。くそ忙しいカーディと怪我人のシュナ」
「えっと……」
「カーディ、なまっているんなら私にも稽古をつけてくれるか。何せ私は無傷の上、昨日“拠点”を潰したばかりのお前以上にとてもなまってるんだ」
珍しく嫌味たっぷりのネフィリムの発言の直後。
「今度はカーディとネフィにいさま!?」
唐突の声に全員がそちらを見た。
準備室の壁に沿って5,6歩程行った辺り、パールフェリカとエステリオが立っていた。シュナヴィッツが驚いて口を開く。
「パール……見ていたのか」
「危ないから訓練場には顔を出してはいけないと、パール、何度言ったらわかるんだい?」
ネフィリムは目を細めてパールフェリカの方を見ていたが、すぐに息を吐き出し、こめかみ辺りの髪へ乱暴に手を突っ込んだ。
踵を返して準備室に入る。2人のしているものと同じ布を両手に巻きながら外に出て来て、腰の長刀を地面に置いた。
「カーディ。付き合え」
「え!?」
「私の気晴らしに付き合えと言っている」
そう言ってネフィリムは笑った。
シュナヴィッツはそろそろと後ろへ下がり、ネフィリムの視界の外でカーディリュクスに両手をあわせ「すまん、すまん」と謝った。そうして、自分の長刀と短刀を拾い上げる。
一方、ネフィリムが準備している間に、ミラノとアルフォリスはパールフェリカの傍まで来ていた。
「うわぁ……カーディったら……」
両手を頬に当て、笑みを堪えるようにパールフェリカは言った。アクセサリーは全て、追いついたサリアに回収されたので、手ぶらだ。
「シュナヴィッツさんは前線で体を動かすのが趣味のように聞いたけれど、ネフィリムさんもそうなの?」
隣に立ってミラノが問うと、パールフェリカは首を大きく左右に振った。
「え? ううん。ネフィにいさまは部下をめいっぱい使うから、前線に行かないだけらしいわよ。凝り性のネフィにいさまは……今でもちゃんと毎日訓練してるの。格闘術も、召喚術も。だから毎日時間ぎりぎりで忙しいのよ」
両手をおろしてパールフェリカはミラノを見上げた。
ミラノの後ろにいたアルフォリスが、パールフェリカの言葉を受けて補足する。
「シュナヴィッツ殿下も日々の修練を欠かされないお方ですが、それもネフィリム殿下をご覧になっての事と、伺いました。武術と精神修練は密接な関わりがあります。ネフィリム殿下の場合、召喚術の根幹である精神修練として武術を始められたそうですが、パール姫様の仰る通り、凝り性な方ですから……」
そして、今度はネフィリムとカーディリュクスの組手が始まる。
体のほぐれていたカーディリュクスがネフィリムに近寄り、右拳を打ち込む。
すり足からそれを読んでいたネフィリムは、左腕でカーディリュクスの腕の内側から受け流し、すかさず右の拳を打ち出す。引き抜く時にはカーディリュクスの首を下へ押し付けている。そこへ左拳を素早く縦に打ち込む。
流れるような一連の返し技はあまりに鮮やか。
パールフェリカは「うひょー!」と声を上げ、ぱちぱちと手を叩いて喜んでいる。
膝を崩してよろめくカーディリュクス。
「ちょ……これ、顔はなしってルールなんですけど……」
下から聞こえてくる声に、ネフィリムはにっと笑った。
「急所からは逸らしてある。シュナが怪我をしていると知っていて止めなかった罰だ、甘んじて受けておけ」
はぁと息を吐いて顔を上げるカーディリュクスに、シュナヴィッツが離れた所からもう一度、「すまん」と謝ったのだった。