(069)“うさぎ”と“たぬき”の化かし合い?(2)
(2)
ミラノのいかがわしい現実逃避は、開始される前にパールフェリカの声によって思考そのものを切り裂かれる。
「うがーー! もっ! 直接聞く!」
両手にアクセサリーを握り締めたまま、パールフェリカは突然走り出す。扉に突進をかけるので、エステリオが慌てて開けてやると「ありがとう!」と元気に礼を言って廊下の向こうへ消えた。エステリオもサッとその後を追う。
「ちょ、姫様! その両手のものは置いていってください!?」
サリアも慌てて、白手袋のまま扉の外へと姿を消す。
そして、衛兵が静かにぱたりと扉を閉めた。
ソファにはアクセサリーの山が放置されている。
「…………」
「…………パールは、元気ですね」
ミラノはそれだけ言った。
紫の顔色になっても、翌朝には何だかんだ言いながら元気に復活している。今も、ミラノを“人”として維持する修行を継続しているはずなのだが、力いっぱい走って行った。パールフェリカの疲労の感じ方が、最初の召喚の時から物凄い勢いで変わっている──成長しているのかもしれない。
「あれがパールの長所、なのだろうな。多分」
くくっと笑ってネフィリムは言った。エステリオもサリアも付いて行った。高価なアクセサリーを放置し、両手にも一部引っ掴んで飛び出してしまった事は、ついて行った2人のどちらかがお小言で注意するだろう。誰も言う者がいなければそれはネフィリムの役目だったが。それでネフィリムは気楽に笑う。
ミラノは口元に微かに笑みを浮かべ、しかしすぐに消した。
「仲が良いんですね」
「年が離れているから、だろうね」
「そうですか」
それは適当な相槌。この部屋からパールフェリカが居なくなった事で、やっと本題に入れる。
召喚獣について聞きたい事は、漠然としすぎている気がした。『科学とはなんだ?』と問われた時、どこから答えてやったものかどう答えたら伝わるかと悩むように、この世界での常識的な召喚術を頭から問うのは、答えてもらえたとしても理解が難しいのではないかと、ミラノは推察する。さしあたって、身近な話題から近付く方が、自分もわかりやすいし、相手も説明しやすいだろう。
「話は変わりますけど、ユニコーンですが、なぜ、パールを外へ連れ出したのでしょう? ユニコーンを連れていた少女は“浮気”と言っていましたが」
「浮気?……ユニコーンが超希少種というのは知っている?」
「ええ。そう言っていましたね」
「ユニコーンは満月の月明かりを浴びたリゼヌの葉の朝露とセムの泉の水が交じり合う時、気まぐれに、神によって生み出される生物だ。こういう生物の事を獣と区別して、“幻獣”と呼ぶ。“炎帝”……フェニックスやティアマトもそのように生まれたと言われている、生まれ方は様々だが。唯一の召喚獣や、珍しいものは大体そうだな」
「幻獣……」
ミラノは記憶を辿り、変わった生まれ方として『神の切断された男性器が海に落ち、その泡から女神が生まれた』という自分の居た世界の神話を思い出す。
とはいえ、現物を目にしたユニコーンはまた違う。あのユニコーンがネフィリムの言うように生まれたという事は、なかなか受け入れ難い。が、この世界では文字も読めないほど、知らない事が多い。信じるしかない。確かめようが無いのにただ否定するのは愚かしいと、ミラノは思う。鵜呑みにもすべきではないと、考えているが。
「ユニコーンは本来とんでもない暴れ者だ。落ち着きが無い、とでも言うのか。周囲の動くもの全てをその角で破壊する。だが、ユニコーンは同時に大きな治癒能力を持っている。目に見える程、傷を癒し、疲れを取り去る。神を除いて、ユニコーンだけが他者を癒す事が出来る。たまたま襲われかけた“乙女”が居て、しかし無事だった。そこからユニコーンは“純潔の乙女”の傍に居たら大人しいとわかったそうだ。人はその治癒力を制御する為に“乙女”をユニコーンにあてがい、名目“つがい”にする。“浮気”というのはあの少女がつまり、ユニコーンの“結婚”相手だった、というだけだね」
ますます自分の居た世界の価値観からかけ離れていくが、これがこの世界の事実なら仕方無いと、ミラノは素直に受け入れる事にした。
「“結婚”……ですか。なぜ、浮気をしたのです?」
「……よっぽど、ユニコーンにとってパールフェリカの魂が魅力的だった、と。そういう事だろう。連れ去って2人きりになりたい、というような」
「は??」
──2人きりって……一体何をする為に……。
ミラノはつい眉間に皺を寄せた。意味がわからない。獣と人間、種族を大きく超えて何かあるのだろうか。
「……これは仮定でしかないのだが」
「はい」
「もし、この世のどこにもミラノが居なかったとする」
「……ええ」
「ユニコーンがもう数日早く死んでいたとする」
「?」
「パールフェリカの召喚獣は、ユニコーンになっただろう、という事だ」
今、パールフェリカの最も相性の良い召喚獣として、ミラノが召喚されている。それが居なかったならば、別のものが、つまりユニコーンが召喚されたかもしれない、それほどパールフェリカとユニコーンの相性は良かったのだろうと、ネフィリムは言う。
「……この世界のそういう理屈は、よくわかりませんが……」
ネフィリムがそっと笑った。
「相性なんだ、結局。魂の部分での。幻獣のユニコーンはそれを察知したのだろう」
「魂や霊というものを私は……信じていない、というのは、わかりますか?」
「わからなくない、というところだろうか。我々にとっては身近だが、ミラノの世界で身近でないなら、わからなくない」
ミラノは緩く腕を組み、左手を顎の下に置いた。
「いずれにしろ召喚されるものは……。──私は『かえる、かえらない』という次元には、いないのでしょうか。私には元の世界での生活があるんです」
隣に座るネフィリムをミラノは見上げる。ここでの生活が自分の生活ではないと、訴えている。
「………………召喚霊ならば“霊界”に強制送還される。召喚獣なら“霊界”待機、だといわれている。実際はわからない、聞いても答えてくれないからね。異界の霊であるリャナンシーは『真っ暗な“霊界”は退屈だ』と言っていた。彼女も召喚されない限り普段は“霊界”に居るそうだ」
「いずれにしろ“霊界”、ですか」
伏せた睫の奥の黒い瞳は、やはり感情を見せないまま。ミラノは、一度瞼を閉じる。“うさぎのぬいぐるみ”ではないから、意図して隠す。
「ミラノは一度召喚が完全に途絶えただろう、その時、元の世界へ戻らなかったのか?」
ワイバーンの王都襲撃後の事だ。ミラノは再びネフィリムを見た。
「夢を、みていました」
「判断できないな。実体が解けた時は?」
“飛槍”の拠点の通路で、串刺しにされ“死んだ”時の事だ。あれも召喚が解け強制解除された、という事になるらしい。
「……意識がありませんでした。その後、気を失った時も同じです。自分の感覚では、次の瞬間に目覚めています」
ミラノは顎に置いていた左手を広げて、鎖骨の下辺りを指でなぞる。鼓動が煩いのだ。
──どのような答えが返ってくるかはわからない。それでも。
ミラノは顎を上げ、ネフィリムをまっすぐ見た。
「“霊界”とは──死んだものの棲む世界、で、あっていますか? 召喚獣や召喚霊となるものは、必ず既に、死んでいるのでしょうか?」