(063)パールフェリカ姫のやる気(2)
(2)
誰からも視線を外した状態で、ミラノは伊達眼鏡を胸ポケットに挟んで、“うさぎのぬいぐるみ”と絵本を拾いあげると膝の上に乗せた。その上でゆっくりと手を軽く合わせた。
──“人”になると表情を隠さないといけないから面倒なのに。
そんな事を考えているミラノはすっかり“うさぎのぬいぐるみ”への順応を完了している。
「私ね! ホルトスを見ていて決めたの!」
唐突の宣言である。
「?」
「あんなだらしのない召喚士にはなりたくないわ! 呪文をどもるは、あげく失敗……あんなの……いや!」
リャナンシーというちょっと特殊な召喚霊を召喚してセイレーンの声封じを解除してくれた事はもう、記憶に無いらしい。他人の記憶に残る評価などそんなものだと、ミラノは肩を下げて小さく息を吐いた。
「それと、私を“人”にする事は関係があるの?」
「あるわ! 修行よ!」
「修行?」
ミラノの問いにパールフェリカは傍に居たシュナヴィッツを見上げた。
「ね! にいさまたちもやったんでしょう? 術の維持とコントロールの為に、召喚しっぱなしっていう修行!」
突然声をかけられ、シュナヴィッツは慌てて顔をあげた。──じっと、ミラノの横顔を無意識で見ていたのだ。
「あ、ああ。その修行ならした。日常的に出来る事だからな」
「ね! だから、ミラノ、私もそれをするの! はい、こっちきて!」
と言ってミラノの腕を引っ張る。
「ちょ、ちょっと……」
足を組んでいた状態で無理矢理引っ張られて、ミラノは姿勢を崩さないようにするのが精一杯で、抵抗もなく寝室へ連れて行かれてしまう。よろめくミラノをシュナヴィッツは支えようと途中までついて来たが、侍女サリアが遮りニコリと笑って膝を落とした。
サリアの両手には濃い紺色の衣服と白金のアクセサリがジャラリと乗っかっている。そのままパールフェリカとミラノの後をついて寝室に入って扉を閉めた。取り残されたシュナヴィッツは扉の前でただ立ち尽くす。
──……髪留めは私の使うとして…──
その耳に、扉の向こう、寝室からパールフェリカの声が聞こえてくる。日頃から大きなパールフェリカの声しか聞こえない。
──……理由? 後でちゃんと説明するってば! ……あれ? ……これなに?……え? ……なに? 別にいいじゃない、名前聞いてるだけよ? ……ぶらじゃー? …………ふーん……苦しくないの?……へぇ~……ミラノって着やせすんのねぇ……どうしたらそんなに胸…………………………──
シュナヴィッツは慌てて顔を背け、ソファでも寝室から一番離れた端に移動して腰を下ろした。
しばらくして、パールフェリカがバシーンと寝室の扉を開いた。
「じゃーん!!」
パールフェリカに手を引かれ、ミラノが寝室から出てくる。
衣服の型は未婚という点でパールフェリカと同じ型のものになる。基色は濃紺。生地はパールフェリカの絹とは違うらしく、やや厚手だが肌触りのとても滑らかなものだ。元気一杯のパールフェリカの衣装には金糸銀糸の刺繍がこれでもかという大輪で描かれていたりするが、ミラノのものは銀糸の刺繍が品よく散りばめられていて、大人の落ち着きを醸している。装飾も白金のみのシンプルな形のものがいくつかぶら下がっている。
「朝は急ごしらえで侍女服みたいなのしか無かったけど、そう! 私ってば思い出したのよ! かあさまの昔の服があるじゃない!? って! とうさまに聞いたら“オッケー!”って言ってたから、ミラノ、安心してね!」
ミラノはすぅっと目を細め、小さく息を吐く。
──“オッケー”って言葉、あるのかしら。
「ミラノのあの格好も、とってもカッコイイんだけど、奇抜でとっても目立っちゃうんだもの。 でもこれなら、もう大丈夫!」
「…………奇抜……奇抜? ……奇抜なのね」
あちらの働くお姉さんのデフォルト戦闘服は奇抜だったのかと、ミラノはちょっとショックを受けている。
やる気満々のパールフェリカに逆らうにはそれを上回るエネルギーが必要な気がして、やれやれとミラノは目を一度伏せてから、そっと顔を上げた。
2歩の距離。シュナヴィッツがソファから立ち上がり近くまで移動して来ていた。その頬がほんの少し朱色に染まっている事に気付いた。
「…………」
彼なりに、面に出さないように気を付けているようで普段通りと言ってしまえばそう通る程度ではある。残念ながら、観察力の鋭いミラノにはしっかりとバレている。
「ね!? にいさま、ミラノってばステキでしょ!? 絶対似合うと思ってたんだー! ほんとはフリフリでもよかったんだけどー、ミラノの雰囲気って絶対こっちよね!?」
パールフェリカはシュナヴィッツに意見を聞くような発言をしているが、特にその反応は見ていない。自分の達成感で一杯のようだ。
シュナヴィッツは「僕に聞くな」と不機嫌を装って顔を背けるが、ただ表情を隠しているだけという事を見抜いてしまったミラノは、心の内で呟く。
──……手遅れのようね……。
「で、ミラノ!」
パールフェリカはミラノの腕をはしはしと叩いて自分に注意を向けさせた。促されるままミラノはパールフェリカの笑顔を見下ろす。
「いーい? なんか聞かれたら私のお客さんって事にしといてくれたらいいからね! じゃ! 私ヘギンス先生のところ行ってくるから!」
「パール? 平気なの?」
ミラノは自分を“人”にしたままで大丈夫なのかと聞いているのだが、廊下への扉の前まで駆けたパールフェリカは大きく手を振る。
「平気平気ー! 私あれやってみたいのー! 召喚獣追跡というの! あれでしょ? 大体の位置を把握するってヤツ! じゃ、ミラノ、城の中自由にしてていいからねー」
サリアとエステリオを伴って、パールフェリカは言いながら、部屋を出て行ってしまった。
「……ヘギンス先生?」
「パールの召喚術の先生だ」
ミラノの呟くような問いに隣のシュナヴィッツが答えてくれた。
「その……パールも言っていたが、似合ってるな」
「そうですか……? 自分ではあまりわかりませんね」
自分の世界でも10年前、20年前のお洒落は理解出来ない事がある。世界が違えば一層わかったものではない。ミラノは半ば投げやりで答えている。
「それなら城の中も好きに動き回れるんじゃないか? “うさぎ”ではそうもいかなかったろう? パールの召喚獣については皆に説明されていないし、今後も目処はたっていない。“人”でうろつくなら客扱いになるだろうが、あの奇抜な格好では“うさぎ”とそう変わらないからな。パールにしてはちゃんと考えたようだな」
ミラノはすっと腕を組んで目線を斜め下に落とした。自分の立場、設定が少し変わったらしい。腕を下ろし、シュナヴィッツの方を向いた。
「この濃紺の衣服は、もしかして身分も多少なりとも示しますか? あなたやネフィリムさんは、濃い紫ですよね?」
「ああ。王位継承権のある王子は濃紫を基調にする。王女は結構適当だな、お洒落、という事らしい。濃紺は上級貴族の基調色だが、女はやはりお洒落という事で好き勝手な色を着ている。が、濃紫は僕ら以外許されないし、濃紺も上級貴族だけが着る。もともと濃紫も濃紺も染めるのに高い技術と希少な原料を使うから、簡単には用意出来ない。一目で身分がわかる、という事だ。ミラノのその服は、アニルタ地域の特殊な繊維で織った生地で、濃紺の染め粉が一番綺麗に入るそうだ」
ミラノは一瞬口を薄く開く。
「……詳しいんですね」
「国の事は知っておけと叩き込まれた」
苦笑いを浮かべるシュナヴィッツは、どうやら覚えるのに苦労でもしたのだろう。
ミラノの首や腰のジャラジャラした装飾は、パールフェリカと比べると数が少ない。朝の侍女服を着る際にミラノが抵抗した事をパールフェリカは記憶していたようだ。だが、金や銀をぶら下げているパールフェリカに対して、ミラノには白金のアクセサリーが与えられている。ガミカでは、金よりも白金の方が貴重だ。見る者が見れば、ミラノが王族では無くとも、非常に高い身分であると簡単に勘違いをするだろう。
「パールの修行とやらでは、この部屋を移動した方がいいらしい。 案内するが?」
「怪我は、大丈夫なのですか?」
「部屋で安静にしているとトエドがしょっちゅう来て休まりもしない。歩く位、問題ない。それに、僕が居ればミラノの顔を知らない連中からの誰何は無い、慣れるまでその方がいいだろう」
投げやりモードが発動し始めたミラノにとって、手遅れのシュナヴィッツに対する態度の決定はまだである。その為、迷子になる方が面倒だという結論にあっさり到達した。
「では、お願いします」
見上げるミラノに、シュナヴィッツはそっと手を前へ出した。エスコートしてくれる、という事らしい。その手を取りつつも、彼への態度の決定を急いだ方がいいかもしれないと、ミラノは思ったのだった。