(058) ─ RANBU of blood ─ (3)
(3)
翌朝。
昨日と同様に、快晴。
王城の敷地内だが巨城エストルクから少し離れた、城下町とは反対側の小高い丘。草原が広がる。向こうへは延々と続く森を見下ろせる。朝の爽やかな風が吹きぬける。
草原の突端、その下は切り立つ崖でそこからまた森が広がる。景色を広く見渡せる場所に、太陽の日差しが輝く。
頂点に円とそれを支えるV字の棒があり下部先端から真っ直ぐ太めの棒が延びて地面に刺さっている。全体で大人の腕程の大きさだ。
その頂点の円は“神”アルティノルドを、V字の左右それぞれは召喚獣と召喚霊を示し、その下の支柱となる棒は召喚士を指していると言われている。
墓碑だ。
突き立てられた地面はこんもりと土が見えている。昨日の内にネフィリムが手配して建てさせた。
墓碑の正面で、しゃがんだままパールフェリカが見上げていた。
「──ごめんね……」
小さな声で呟く。思い出す度、何が何だかわからなくなる。だが、結論として、ユニコーンはもう居ない。名前も、付けてあげられなかった。
その後ろで、大人3人が立って見守る。シュナヴィッツ、ネフィリム、そしてミラノ。ミラノは昨日から“人”の姿のままだった。朝にはパールフェリカの眠る横、そのベッドで目覚めた。夢は、見なかった。気を失った一瞬後、そのような覚醒の仕方だった。
「パール? そろそろ戻ろう」
呼びかけるネフィリムの声は、普段よりずっと優しいものだった。
パールフェリカは首を小さく横に振った。
「……パール」
ネフィリムがふうと小さく溜め息を吐いたが、それ以上は何も言わない。パールフェリカに付き合うようだ。
ミラノが半歩下がり、ネフィリムの向こうのシュナヴィッツを見上げた。
「──チャラにしませんか?」
ミラノはスーツ姿では無く、パールフェリカの着ている服とよく似た仕立ての、こちらの国の衣装を身に纏っている。パールフェリカは白だが、ミラノは彼女の従者の着る薄い紺色を基調としたものだ。それでもそこらの貴族の娘さんが着るようなものより良いものを与えられている事は、ミラノの知るところではない。アクセサリをジャラジャラぶら下げるのは抵抗があって数える程、アクセント程度にしか付けていない。
スーツは血まみれのシュナヴィッツに抱えられて戻ってきたせいで着られるものではなくなっていて、現在洗濯してもらっている。再召喚されれば元にも戻るのだろうが、ミラノはパールフェリカの消耗を避けたいと申し出て、着替えたのだ。ちなみに“うさぎのみーちゃん”は、左耳と左手がぺったんこの上破れ、両足裏損傷わたハミ出しの為、製作者クライスラーの手で修理中だ。
「ちゃら?」
手指に包帯の増えたシュナヴィッツが体ごとミラノの方を向いた。
「ワイバーンの毒、私が恩人という事になっている件について」
「ああ、それか。だがチャラというのは……」
「昨日、助けて頂きましたから。 ちゃんと、自分の足で帰りたかったのですが……」
広場で、階段を上がった所で、地下通路で──。
「僕は当然の事をしただけなんだが……それに」
──一番大変なところで目を離して、助けられなかった。
そう言おうとするシュナヴィッツを遮るのはミラノの声。
「毒を見つけた私も、当然の事をしただけだと思っています。ですから、チャラです。私は忘れます」
ひんやりとさえするような淡々とした声を、シュナヴィッツは微笑った。
「わかった、それでいい」
ネフィリムがちらりとシュナヴィッツを見る。『おや?』と思ったのだ。
「シュナ?」
「──なんです?」
ミラノから視線を兄に移して、シュナヴィッツは答える。いつもと変わらない。
「……怪我の具合はどうなんだ? かなり無茶をしたようだが」
考えと全く別の事を平然と問うのはネフィリムのポーカーフェイス。
シュナヴィッツは一度視線を逸らした後、ネフィリムを見た。
「トエドにしばらく動くなと怒られましたね。父上も僕の部屋までいらして休めと……ウェティスにはルイスを行かせると」
骨の異常やひどい打撲などは一切無い。前線で暴れまわっているが、シュナヴィッツは王子なのである。軽いとはいえ全身裂傷と痣だらけでは、本人の“大丈夫”はさすがに周囲の許容範囲を超えてしまった、というわけである。
ネフィリムは笑った。
「それでか。ルイスがじっと私を見ていた」
ルイスはガミカの大将軍クロードの右腕とも言うべき大きな戦力である。普段は大将軍クロードとともに巨城エストルクに詰めている。先月、初めての子が出来てからは毎日早々に仕事を切り上げては家に帰っていたのだが。それがウェティスへ飛ばされたとあっては……。
ルイスもまた大将軍クロード同様、王の覚えもめでたい高潔な軍人だ。勤めとあれば喜んで行くだろうが、ほんの少し時期が悪かったようだ。
「ルイスの妻と娘には私から祝いの品を贈っておこう。少し遅い出産祝いだが、問題ないだろう」
ルイスの代わりにちゃんと家族のご機嫌をとっておいてやろうというのである。ネフィリムは表情を笑ませたまま言ったのだった。
会話が途切れ、しばらくしてパールフェリカが立ち上がった。背中を見せたまま言う。
「ネフィにいさま」
「なんだい?」
「私、色々考えた」
「へぇ? どんな?」
問うネフィリムに、パールフェリカはこちらをぱっと振り返った。
「ナイショ!」
言って笑った。だが、相手はネフィリムだ。パールフェリカを微笑み見下ろし、ネフィリムは歩み出てその頭を撫でてやる。
「いつか、“召喚獣”になって私達の前に来てくれるさ」
そのあまりに優しい声音に、パールフェリカの噛み締めた唇が揺れた。次の瞬間には、パールフェリカはネフィリムの胸にがしっと抱きついた。
声を殺してでも泣くのは、ここまで。城に戻る前に、全部、流してしまわなければならない。ネフィリムはパールフェリカをそっと抱きとめたのだった。
それを静かに見つめながら、しかしミラノの心は穏やかではない。
思い出すのは全てシュナヴィッツの声なのだが。
彼は、こういう言葉を発したことがある。
──獣使いは、この地上の魂を引き寄せ実体化させる。
──霊使いは、この地上外、異界の霊を引き寄せ、力を実体化させる。
どちらも、“魂”だの、“霊”だのと。
そして極めつけはこれだ。
──人として生活していたのだとしても、召喚されたのなら──
彼はそこで言葉を止めた。それをミラノは覚えている。
今、ネフィリムはこう言った。
──いつか、“召喚獣”になって、と。
ミラノはそっと胸元、鎖骨の下に右手の指を当てた。
少し、鼓動が早い。自分で動揺している事をはっきりと感じる。
“魂”だの“霊”だの、いつか“召喚獣”になるというユニコーンも全て、既に“死んだもの”なのだ。
鼓動は早いまま、耳元でどくどくと脈打つようにも聞こえる。
結論は、仮定に留めたい。それでも心の内で呟かずにいられない。
──私は、すでに、“死んだもの”なの?
ミラノはそっと、1人、小高い丘を降りた。
──私が、召喚獣にしろ召喚霊にしろ、いずれであったとしても……。
1人離れて、温かく、時折一筋二筋涼やかな風の混じる、爽やかすぎる春の風を浴びる。足元で緑の草がさわさわと揺れる。自然に囲まれ、ここは本当に清々しく心地よい。青空は澄み切っていて、ふと、それはシュナヴィッツの淡い蒼い瞳の色を思い出させた。彼が止めた言葉の先は……。
──“もう、死んでしまっている”……そう、なるのかしら。
──山下未来希の通帳の残高が無くなるまで、あと80日──
生活維持の為に戻らなくてはならない日まで、あと40日──
──生きて、いたならば。