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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【2nd】 ─ RANBU of blood ─
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(057) ─ RANBU of blood ─ (2)

(2)

 ガランと音がして顔を上げた。音がしたのはミラノの居る方だ。

 ──当然、彼女が動いたわけではないのだが。

 ミラノは膝をついた姿勢のまま、その姿が半透明になり、消えてゆくところだった。閉じきらず伏せた瞼の向こう、色の無い瞳を見て耐え切れずシュナヴィッツはその名を呟こうとした。その前に、彼女は完全に消え、残りの4本の剣も地面にガシャガシャと落ちた。

 刃にべっとりと付いていた血も、壁と地面に散っていた血も、離れて落ちていた髪留めも……彼女のすべてが、消えた。

 息を飲んだシュナヴィッツの耳に、パールフェリカの低い声が聞こえ始める。見ると、その四つんばいの手足の下に白い魔法陣が浮かんでいる。

 シュナヴィッツは少しだけ唇を食み、強く瞼を閉じて、下を向いた。そっと肩を下げた。

「………………そう、か……“召喚獣”……だった……」

 白い魔法陣が回転し移動する。魔法陣を移動させたのは、少しでも力の消耗を減らす為だろう。同じ場所に──落ちた剣の傍に、再び浮かび上がる、ミラノの姿。

 元々の、グレーのスーツには剣で裂かれた穴など無く、血に染まっている事も無く、初めてこの世界で“人”としての姿をとった時と微塵も変わらぬ凛とした姿勢でそこに立っていた。どこかへ飛んでから消えた髪留めも復活している。垂れていた髪もちゃんと結い上げられている。ミラノはゆっくりと、伊達眼鏡を外して、ポケットにしまう。

「……再召喚……か」

 シュナヴィッツがぽそりと呟いた。

 だが、呪文の詠唱を終えたパールフェリカがどさりと前のめりに倒れたのに気付いて、すぐにそちらへ駆け寄った。支え起こす前に一番上の上着を脱ぎ捨てた。血にまみれすぎている。その上着でもましな、返り血のほとんどついていない所で手を拭った。

 薄い生地の長袖にほとんど血は染みていないが、汗で湿っている。暑くも寒くもない地下通路だが、激しく動いた後なので涼しい。

 近付いて見えたパールフェリカの頬には、涙の筋がいくつもあった。青い顔をしている。召喚士の力を使い尽くしたのだろう。ミラノが“人”の状態で展開した魔法陣から出てきたものを思えば、青い顔程度で済んで良かったのではないかとさえ思いはするが。

 その体を起こし、壁へもたれかけさせた。

 そっとパールフェリカから手を離し、片膝を立てた姿勢のまま、ほっと一息吐き出した。

「──……私、どうなりました?」

 いつの間にやって来たのか、2歩の距離にミラノが居た。

 涼しい目元はいつも通り、若干の戸惑いはあれど相変わらず淡々としている。

 その姿を見て、しばし口がきけなかった。シュナヴィッツはこれでもかという程の溜め息を吐き出す。

「…………心臓が潰れる思いをしたのは──いや…………こんなに疲れたのは、初めてだ」

 ほっとして、一気に筋肉が悲鳴を上げ始めた。どさっと腰を下ろし右膝を立て、その上に肘を置き、左膝は曲げた状態で地面に倒した。体がぎりぎりと痛い。限界まで、いや、限界を超えて動かしてしまっていたらしい。手や足を見れば切れた衣の下、痣や傷が増えている。感覚も随分と飛んでいたようだ。正面の岩壁を見つめ、シュナヴィッツはゆっくりと瞬いた。

 ──こんなに、激情に任せて刀を振るったのも、初めてだ。

 ここに居た敵“飛槍”からは情報も得ねばならなかったのに、全員殺してしまった。ユニコーンももう死んだ……。

 壁に背をもたれさせていたパールフェリカの目がふぅっと開く。ミラノに左手を伸ばした。

「ミラノ……よかった…………」

 それだけ言って、がくっと首を前に倒し、左手も落とした。完全に気を失ってしまったらしい。数秒の沈黙の後、シュナヴィッツは横に立つミラノを見上げた。

「──“召喚獣”は、元々の致死量を超えるダメージを受けると強制解除されるんだ。今、パールが再召喚をして、ミラノはそこに居る」

「…………そう、ですか」

 ネフィリムが、フェニックスをリヴァイアサンの攻撃の盾とし、そのダメージで消滅したものを再召喚したのと同じ事だ。ただの人であれば死んで終わっていたが、ミラノは召喚されたもの。致死量のダメージをくらっても召喚が強制解除されるだけである。再召喚をすれば、召喚士への消耗は大きいが、その姿を再び現す事が出来る。

 ミラノの首が少し動いて、血の海を、見たようだ。薄暗いと言っても十分見える。

「……」

 すとんとミラノがしゃがみ込んだ。右手の指先を地面に付けて支え、左手は胸元より少し下辺りを押さえている。

「? ……どうした」

「……いえ、さすがにちょっと」

 くらりとする視界をミラノは地面についた指先に力を込め支える。

 トロルの死体は我慢出来た。言葉もわからないし、見た目も人と違いすぎた。何より血の色が青緑色でヴァーチャルリアリティの延長のような感覚で見る事が出来た。

 そう、無かった──このようにむせ返る強い臭いは──。

 体の力が抜けていくのを止められない、現実への拒絶反応。突っ張っていた右肘が曲がる。ずるっと崩れ、膝を付く。

 シュナヴィッツは膝立ちで近寄り、慌ててミラノの右の一の腕に手を伸ばし、掴んだ。

「ミラノ……?」

「人の遺体を見るのは、初めてなので──さすがにちょっと……」

 ミラノは必死で意識を繋ぎとめようとする。血の濃い匂いと、視覚的には惨劇が広がっている。周囲を確認する為と視線を走らせてはみたが──目を剥いて動かない人の形や、千切れた手足が転がっているのだ。ごく一般庶民として平和な日本で生まれ育ったミラノには、厳しい。

 シュナヴィッツは、口元に左手を当てて青い顔をしているミラノを覗き込んだ。

 艶のある黒髪の間、左目の目じり、睫には涙の珠が浮いており、どこか朝霧の露を思わせ、ドキリとした。目を開いて、じっと見てしまった。

 そのミラノの視線が、右腕を掴むシュナヴィッツの手を伝いこちらの顔を一度見上げ、しかし気まずそうに逸れた。

「……ごめん、なさい……」

 微かな声で言って、ふっと下を向き、ミラノの体はかくりと力を失った。その重みがシュナヴィッツの腕にかかる。

「……!」

 慌てて倒れ込む先に自分の体をまわして受け止め、抱きかかえた。

 そして、ぽつりと呟く。

「…………………………ちょっと、驚いた……」

 ──なんだかとても、人らしくて……“女”らしくて……。

 自分の鼓動が早くなっている事に気付いて、戸惑った。口の中が少し乾いて、自分の唇を一度舐めた。

 ふと気配を感じて、シュナヴィッツは地面に腰を下ろし、ミラノを横抱きに支えなおして、待った。

 ハトの大きさのティアマトが、銀色の鱗に少ない光を集めつつ、パタパタと飛んでくる。

 シュナヴィッツの左腕はミラノの頭を支えている。

 右腕を、座ったままの肩の高さで掲げた。腕の上をトトッと駆けながらティアマトは着地し、シュナヴィッツの肩に座った。

 しばらくして、人の駆けてくる足音がする。ティアマトさえ居ればほとんどの人間など敵ではないので、シュナヴィッツはそのまま待った。

 足音の主は、パールフェリカの護衛女騎士エステリオだった。

「こちらにおいででしたか」

「エステリオはパールを頼む」

 シュナヴィッツは壁にもたれて眠るパールフェリカを視線で示した。エステリオはそっと傍に駆け寄り、膝を付く。

「姫様……!」

「力の使いすぎだ」

「──ミラノ様も?」

「ミラノは、血に酔ったようだ。パールを無理にも起こして“うさぎ”にさせる方がいいか悩んだが」

「そのままの方が姫様の負担は軽いものと思われます。お二人とも、意識が無いのでしたら」

「わかった。それでこの場所……“飛槍”の拠点の件だが」

「はい、地上には既に王都警備隊の一番隊カーディリュクス隊長が到着しています。この拠点内の制圧は私が外へ出る頃には完了しているでしょう。残念ながら、敵主力部隊は不在のようで。

 ──ネフィリム殿下も、城にお戻りです」

「兄上も……?」

「ネフィリム殿下の情報網は……私にはわかりかねますが……。

 パール様とユニコーンの行方がわからなくなった事と“飛槍”が王都に残ったままだという事をご存知でらっしゃいました」

 エステリオは本当に困った様子で声を絞り出している。他意は無く、わからない事が自分の力不足のように感じている、そんな雰囲気だ。

「いや、兄上は何かと謎が多いから、エステリオは気にしなくて良い」

 シュナヴィッツは言ってふと、ミラノの頭を少しずらした。息苦しそうな角度に見えたから。

 ネフィリムは、ひょいと姿を消したり、現れてみたり、神出鬼没でもある。反対勢力からすると、とにかく煮ても焼いても食えない、そんな第一位王位継承者らしいのだ。

「シュナヴィッツ殿下のお怪我は──」

「この程度なら問題ない。ミラノも僕が運ぶ」

「わかりました。姫様の召喚獣ですので本来は私共の役目です、力及ばず申し訳ございません。では失礼致します」

 そう言うとエステリオはパールフェリカをひょいと片腕で負い、反対の手で落ちていた“うさぎのぬいぐるみ”のみーちゃんを拾い上げ脇に抱えた。女性であっさりとこの力仕事が出来る辺り、エリート中のエリートである王の近衛騎士の、その中から選り抜かれただけの事はある。

 ──慌てて牢を出なくてももしかしたら、助かっていたのかもしれない、とか。その方がユニコーンは生きながらえたのかもしれない、とか。色々思う事はあった。だが、それを小さく首を横に振って、払った。過ぎた事だ。

 シュナヴィッツはそっとティアマトの召喚を解除し、還した。

 サルア・ウェティスに詰めていた時だって、こんな短時間にこれ程色々と起こってしまう事など無かった。

 ミラノが召喚されたという日から、ワイバーンと戦い、リヴァイアサンと対峙し、そしてこれだ。少々疲れた。

 血生臭く、薄暗い地下通路では遠ざかるエステリオの足音が少しずつ消えていく。

 ティアマトを還してしまうと、2人きりだという事に気が付いた。

 ──ミラノを見て、シュナヴィッツは、力のない彼女をぎゅっと抱きしめる。

 左足でその背を引き寄せ、右腕で抱え寄せる。

 細くて、軽くて、柔らかくて、温かい。

 うなじからその肌と甘やかな髪の香りが漂う。

 通路の血の臭いを押しのけて、感じられるその存在。

 心はざわめきながら、同時にこれ以上無い程の安らぎが広がる。

 首筋に頬を寄せて目を閉じた。

 ──初めて、思う。

 はぁと息を吐いた。ずっとこうして、深く和やかに心が解きほぐされる事を、望んでいた気がする。

 ──出会えた事を、実感する。

 そのまま、思い起こす。

 脳裏に蘇るミラノの声。

 ──私はパールの召喚獣で、人では無いようですね……。

 ──パールは、笑っていましたよ?

「…………」

 シュナヴィッツはむっと口をへの字にして、目を開く。

「もう、逃げないさ」

 そう断言すると、ミラノを横抱きにしたまま立ち上がり、出口へと歩いた。

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