(052)ホルトスさんの召喚術(3)
(3)
リャナンシーのフランと名乗ったこの召喚霊は、左手の人差し指を尖らせた唇の真ん中に当てて何か考えている。ちらちらっとホルトスを見ている。ホルトスが真剣な顔で頷くと、フランはパッと両手を広げ、微笑んだ。
『そっか、おっけ~! 任せてん♪』
リャナンシーは一度ふわっと飛び上がりピンクの髪を揺らして、頭からホルトスに激突──いや、吸い込まれた。
リャナンシーの姿が一瞬でかき消え、うつむいて顔をしかめたホルトスが正面を向いた時、瞳孔が大きく開いて──まるで、パールフェリカがトランス状態に陥った時のように──ぼんやりした目つきで、しかしはっきりした立ち居振る舞いで、長刀構えるシュナヴィッツの横に歩み出た。
すっと姿勢を正すと大きく口を開き──。
100人が一斉に歌いだすよりも大きな音量で、テンポの速めの歌を歌い始めた。
シュナヴィッツとパールフェリカは慌てて両耳を塞いだ。
地面に着地して、たるんと垂れていた“うさぎのぬいぐるみ”の耳は器用に内側に動いて、へたへたへたっと頭から体にぴったりとフィットした。そうする事で耳を塞いだようだ。ライブハウスの音量の比ではない、この大音量は、壁の天井の、また岩肌をかすかに削る。パラパラと砂埃が落ち始める。
トロルと言えば、まるでドミノ倒しのようにばたばたと直立硬直で倒れていく。
「──耳が割れそうね」
苦痛を、精神面だけでも和らげる為に、ミラノはぽそりと呟いた。その声もホルトスの歌声に押しつぶされて聞こえなかったのだが。
トロル達全員が完全に昏倒するとホルトスの歌は止み、ひゅるんと頭の上にリャナンシーのフランが満足そうに飛び出して来た。相変わらず半透明で向こうが透けている。
にこやかなリャンシーをパールフェリカは見上げ、困惑した声で告げる。耳鳴りが残っているが、それを気にしてはいられなかった。
「こんな大きな音をさせたら追撃が!」
リャナンシーは人差し指をちっちっちと左右に揺らした。
『平気よ~♪ 音はこの、ちょこっとの範囲だ・け! ホルトスがそう望んだから、そうしたのよ? そういう事も出来るのよ、だってあたし召喚霊ですもの!』
言って肩をきゅっと持ち上げ、ふわふわピンクの髪を揺らして笑った。
「ええ、ありがとう」
ホルトスがそう言うとリャナンシーはウフッと言ってまたその首に巻きついた。
「──そう、同じなのね。 トロルは大きな音が苦手……?」
ミラノの知る自分の世界のトロルの伝承では、化け物と妖精のどちらの側面もある。どちらであっても、大きな音は苦手なのだ。
シュナヴィッツは姿勢を正すと、長刀を鞘に収めた。
「そういうことか。 確かにトロルには弱点らしい弱点が無い、だが騒音からは逃げる。 ここまでの音量になると、弱点となるのか」
トロルは体皮が硬く最前線で盾役となるタンカータイプだが、彼らが前へ出てきた時は盾や軍靴を打ち鳴らして怯ませるのは、モンスター戦での戦い方の一つだ。
シュナヴィッツがそう言うと、リャナンシーはギロッと彼を睨んだ。ピンク色の髪がフワリと上昇した。
『そーうーおーん~!? 言うに事欠いて、騒音ですってぇ!?』
「ま、まぁまぁフラン、落ち着いて、とても素晴らしかったですよ」
ホルトスがそう言うと、リャナンシーのフランはきゅうっと眉尻を下げた。頬をやや赤らめている。
『……もっ! ホルトスがそんな事言ったら、あたし、もう怒れないっ』
フランはぎゅうううっとホルトスに体を絡めて抱きついた。
「あ! 今ね! ホルトス! イチャイチャするだけなら帰ってからやんなさいよね!」
「…………パール……」
さすがに呆れた声をミラノが出した。
「トロルは騒音が苦手ですから、以前にこれトロルにやった事あるのですがそれと同じなら、彼らはまる一日は起きません。 リャナンシーはちょっと特殊な召喚霊で、私に憑依する事で比較的長時間居る事が出来るんです。さっきこの子が言ったような理由も大きいですが……ははっ。彼女が私に憑依している間、私は“音楽”に関してちょっと、人より優れます。それで吟遊詩人なんて真似事をして生活しています。 それでまぁその、この子はちょっと……嫉妬深いので、私が他のものを召喚するのを嫌がってしまって。それで私も練習不足になりまして、リャナンシー以外の召喚術は苦手なんです。先程はあの、未熟な所をお見せしてしまって、本当にお恥ずかしい」
ホルトスはタハハッと照れ笑いを浮かべている。“先程”とは広場での度重なる呪文間違いの事を指している。
『愛情深いって言って!』
リャナンシーは『んもぉっ!』とホルトスに抱きついたまま、その腕に人差し指をぐりぐり回して押し付けている。ホルトスが“騒音”と言ったのは、聞こえなかったか聞こえなかった事にしたようだ。
音楽に関して秀でるにしても、今回のような大音量では誰も評価出来ないが、日頃はまともな音量で歌っているのだろう。
「──いろんな召喚霊がいるのね」
この短期間で様々な召喚霊とやらを4体も見た。淡々とした口調ながら、ミラノなりに驚いている。やや溜息交じりであったが。
リャナンシーはホルトスに腕を絡めたまま、そんな“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目を覗き込んだ。
『…………? あたしが変わってるって言いたいの?』
「そんなに数を知らないから、判断出来ないけれど、珍しいのでしょう?」
『……まぁ、珍しいとは思うけどぉ──……あたし、あなたほど変わってないわよ?』
リャナンシーはきょとんとした表情で言った。“うさぎのぬいぐるみ”の耳がひくりと揺れた。
「……どういう意味かしら」
『ぁ! やぁね! 勘違いしないで! 悪い意味は一つもないわよ? ほんとよ? あたし“あなた”の為ならなんでもするわよ~! これもほんとよ? だって、そうじゃないとあたし達──“楽しく”ないもの! ま、ホルトスの事は、譲れないけど~♪』
そしてまたぎゅうっとホルトスに抱きついた。
「………………」
意味がわからない。“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりと顔を横に背けたのだった。
「えっと、では、私は王都戻りますね、いくらこの子が長い時間居られるとはいえ、それも我慢しての事ですから、力を渡したいですし……私宿屋行かないとぶっ倒れますので……」
「ホルトス。この“うさぎのぬいぐるみ”だが──」
「もしかして、ですが。姫様の召喚獣か、霊、なのですよね?」
「……そうだ。他言無用にして欲しい」
「ええ! もちろん誰にも言いません。ネフィリム殿下はとても素晴らしい方です。そしてあなた方はその弟君に妹君。そして、そのうさぎさんは妹君の召喚獣でしょう? お披露目もされてませんし、内緒にしなければならないのなら、ネフィリム殿下がそう望まれているのでしたら、私は墓に入ったって口を割りません」
ホルトスは断言した。
「そうか、兄上に会った事があるのだったな」
シュナヴィッツはちょっと考えて、繊細だが派手すぎない細い銀の腕輪を左手首から外した。これは細いものを5本束ねて1本に仕上げていて、じゃらりと音がした。
「宿代も無いのだろう? これで金を作るといい。城には大体いつでもパールが居るから、こちらを訪ねて来るといいだろう。パール、お前が兄上からの報酬を奪われた件はなんとかしてやれ」
「え!? 私が!?」
「本当ですか!? それは、とても助かります!」
『ホールートース~』
会話が広がってしまいそうで、フランが焦れている。
「あ~、では、その、失礼しますね」
「大丈夫か?」
「ええ、フランが憑いてますので、口さえ封じられなければ、会う敵会う敵、そこのトロルみたいになって頂きます」
にこやかに言って、彼らは手を振って、パールフェリカの指摘した通り帰っていった。当のパールフェリカは、城の外の者との対面自体少ないのに、何をどうやってホルトスのスリ被害を対処したらいいのかとブツブツ言いながら考えていた。
「ホルトスさん同様、街に戻るか、この先を進んでいるであろうユニコーンの手がかりを掴むか、どちらかです。階段で見てわかるだけの物資と人の痕跡、モンスターが居る。そのどれだけがこの奥に居るか、まではわかりませんが……危険だと、思います」
パールフェリカを一度ホルトスと共に地上に逃がすか、ユニコーンを追うか……という事をミラノは言っている。
ハッと気付いて、パールフェリカは呟くのをやめた。
「私も! 声も戻ったんだし! いざとなったらミラノを“人”にして、頑張る!」
「…………毎回乗り切れると思わないで欲しいのだけど……」
──頑張るの意味もよくわからないわ──と後者の言葉は飲み込み、ミラノはパールフェリカの召喚獣扱いに、やれやれと心の内で呟いたのだった。
「僕の召喚術もある、そう引けは取らないだろう」
それが結論になった。2人とぬいぐるみ1体は、この幅広で高さもそこそこある薄暗い洞窟を進む事に決めた。
歩み出す前、“うさぎのぬいぐるみ”は廊下からこの洞窟に切り替わる場所辺りを見回す。すぐに、自分の背丈と変わらない樽を見つける。
樽の蓋を右手で器用に開けようとするが重い。手こずっている所へシュナヴィッツが近寄って来てそれを開ける。
「──松明か……ちゃんと備えてあるんだな」
シュナヴィッツは樽の中を見てそう言い、“うさぎのぬいぐるみ”に視線を移した。
「牢に居た時から思っていたが、ミラノは何もかもお見通しなのか?」
「……いいえ?」
樽にしがみついていたのを、地面に降りてミラノは言った。
「松明に関しては、この、基地、ですか。ここへの入り口でも樽にしまってあったのを見たので探してみただけ。見つけたのは偶然です」
シュナヴィッツは松明1本と、腕を伸ばして底のマッチを取り出し、火をつけた。
「……偶然、な」
思案するように言って、シュナヴィッツは先を歩き始めたのだった。