(045)“エレメント召喚術”(2)
(2)
ミラノがそんな危ない事を考えていると、路地の向こうで、ボンッと爆発音がした。路地の枯れた草が小さく揺れ、建物が少し震え、天井からパラパラと埃のような細かい砂が降ってきた。
揺れがおさまってから“うさぎのぬいぐるみ”が身じろぎした。
「……爆発するような召喚術があるの?」
「んーと……えへ?」
ミラノの問いにパールフェリカはにへっと可愛らしく笑ったのだった。つまり、わからないらしい。
シュナヴィッツのティアマトなどのブレスは火炎が何かとぶつかると爆発するような、爆炎のように吐き出すものがあった。基本的に、召喚された獣や霊の能力がそのまま力となって現れるようなのだから、単純には考えてはいけないのかもしれない。以外に奥が深そうだとミラノは思った。ネフィリムがハマりこんだのは、この世界かと納得をした。いかにも出来る男といった感じのネフィリムがハマリ続けているのだし、まだ極められていないという事、一朝一夕で理解できるような生易しい分野ではないだろう。
──召喚獣であれ爆弾であれ、どちらでも良い。爆発した、その事実でミラノには十分だった。頭数も揃って小競り合いを始めたのかもしれないという可能性を導くだけだから。
しかし、ミラノにとっては驚くべき事態が──定番の事情説明会である。
ゼーハーゼーハー、荒い呼吸が近付き、逃げて来るのは黄色い頭巾の4人だ。衣服がちょっと煤けていたり、腕など熱で皮でも剥けたのかほんのりピンクになっていたりする。ちっさな水ぶくれなども見える。あれは痛そうだ。
「ちょ、ちょっとまて!」
聞いた事の無い声だ、黄色い頭巾の方、“飛槍”の誰かだろう。せめて有利不利の無い同じ環境でいられる通路での対話を選んだらしい。
「待てるかボケ! ユニコーンをどこにやった!?」
「そうよ! あれは私達が見つけたのよ!? 返しなさい!」
「……そうだそうだ!──て、え? ええ? ユニコーンはあの女の子のでしょ? て、ああぁぁっ!! いつの間にかいない!?」
ボケを連呼したのは、小型ヤヴァンだったとミラノは思い返す。次にカーラ、最後はホルトス。ホルトスだけのようだ、パールフェリカが一抜けしている事に気づいたのは。
彼らがわいわいやっているとまたドタバタと足音がして──。
「うお! 待てこのボケぇ!」
ボケはどうやら語尾らしい。小型ヤヴァンの声だ。どうやら“飛槍”の連中は一瞬隙を作って逃げた、という事だろう。
ミラノは“うさぎのぬいぐるみ”の体を動かさないように、馬鹿馬鹿しくてあり得ない……という溜息を堪えたのだった。
やはり、このヤヴァン達の仲間というのがユニコーンを掻っ攫っていった。騎乗していたのがパールフェリカ姫とわかって、彼女もどこかへ連れ去る算段だったのだ。大通りに出る前に、ヤヴァンらの仲間が居るはずだったココへ連れて来た。ところが、ユニコーンはさらにこの“飛槍”の連中に横から持っていかれた。それが、現状のようだ。
バタバタと追いかけるように走って行く足音の後。
「あれ!? どこ!? おおーい? ええっと、名前……名前……? うぁああ! そういえば聞いてないよ!?」
ホルトスの声である。すぐ壁一枚隔てているのにとパールフェリカはちょっとだけ申し訳なくなった。
ミラノの小さな声がする。
──新参者と言ってたわね……この男は絡んでいないのかしら──
その声を聞きつつ、パールフェリカは隙間から顔を出した。
「こっちです」
「──え!? おお!! そんな所に!? いや、無事でよかった~」
線の細い美形という顔立ちのホルトスが、ほっとしたように笑った。そして、体を屈め、穴を覗いて来た。いくら細いと言っても、さすがに通れないようである。
「出ておいで、今のうちにちょろっと逃げておこうね? なんだか、あの人達、思っていたより物騒みたい」
ホルトスはそう言って手を伸ばしてきた。パールフェリカはその手を取り、また路地へ出て、いそいそと広場の方へホルトスと走る。
広場へ出て周辺にはまだ露店やテントも無い。出てすぐ、背後の路地から──。
「ホルトース! お前裏切ったなぁ!」
「その小娘を寄越せ!!」
ヤヴァンと“飛槍”の男達が肩を並べて、狭そうにではあるが走ってくる。
「手を組んだわね……──」
仲良く『ちょっとまて』と、“飛槍”の連中までホルトスとパールフェリカを呼び止めようとしている。
ミラノの淡々としたこの声はいつもの音量だ。ぬいぐるみのフリをやめたというよりは、ホルトスには聞こえないだろうという判断。
「ひ、ひぃいいいいいい~~!?」
ホルトスは血相を変えている。“飛槍”とさっきまでの仲間が手を取ってこちらへ武器携え駆けてくるのだ、名指しで。慌てふためき、ホルトスはカタカタと震えながら弓をつがえた。そんな状態で引けるはずも無く、矢はぴょるんと下に落ちた。まず戦闘要員の数が違うのだ、ミラノは逃げの一手で間違いが無いのに時間の無駄使いだと、呆れる。
「しょ、召喚術使えないんですか?」
パールフェリカが問う。
「え? いや、つ、使えるけ、けど……」
慌てすぎて唾が絡むようだ。
「火は?」
「え? え? 火ですか? えーっとえーっと」
ホルトスは気づいていないが『火は?』と問いかけたのはミラノである。狭路からこの広場側へ追っ手が来る。先ほどミラノが脳内シミュレーションした、火炎放射である。このシーンでは一番簡単な手だ。
「き、きたれ、
猛き山に棲まう者、“5番目”に跪く者よ。
汝……」
ホルトスが言葉を止め「なんか違うな……」と呟くと、彼の足元に出ていたショッキングピンク色の魔法陣も止まった。
「えーっと。
きたれ、
猛き山に棲まう者、“7番目”に跪く者よ。
汝──」
「7番はピグミーよ?」
パールフェリカが言った。さっきカーラが唱えていたのを覚えていた。再び回転し始めていた魔法陣がまた停止する。
「え? えっとじゃあ……
きたれ、
猛き山に棲まう者……?“2番目”? に跪く者よ。
汝、全て燃やす? 者、いろんな火を消す? 者よ……。
涼やかな風ととも、神の言葉を携えたるダルダイルの契約に基づき、
い、出でよ、サラマンダー!」
シーン……──
「あれ?」
「……に、逃げたほうが良くない?」
ヤヴァンらと“飛槍”の連中はもう数十秒足らずでこちらへ着いてしまいそうだ。
「パール、カーラの足元」
ミラノの声は一人足を止めたカーラの足元に光る濃紺の魔法陣を示す。それを見たホルトスが甲高い悲鳴を上げる。
「きゃーーー!?
き、きき、き、きたったきたれ!
た、たたたけたけたきけ──」
ふわりと、先ほど硫黄の異臭を嗅がされたから余計に鼻腔をつく。
「──きたれ」
柔らかく甘い香りが最初に舞う。
「──猛き山に棲まう者、“3番目”に跪く者よ」
それは低すぎず、高くも無い落ち着いた声。
「汝、全て焼き払う者、あらゆる炎を絶つ者よ。
儚き羊の恐れ慄く、荒々しき原初の力持つ者よ。
神の先鋒を務め、その正義示す剣たるイスラフィルの契約に基づき──」
パールフェリカが背後を振り返りパっと笑顔を咲かせる。ミラノにも背後が見えた。見上げの角度になる。
亜麻色の真っ直ぐの髪が揺れている。淡い蒼の瞳は、真っ直ぐ路地の奥を見ている。話しかけるような声音で、彼は続けた。
「出でよ、サラマンダー」
金色の魔法陣から赤い珠が飛び出し、ぱちんと弾けると、人より少し大きい位の、オレンジのトカゲ──山椒魚を二足歩行にしたような形──が姿を見せる。全体的にシャープな印象で、パーツパーツが筋肉質でガッシリしているが、ウエストや足首などは細い。鱗が溶岩のような色合いとランダム配置になっている。トカゲだが全身乾いているようだ。太く長い尻尾と首からは襟巻きのように炎が噴出している。口からもカフッと呼吸の度に小さな火が漏れている。目の部分には光る珠を詰め込んだように、丸く光っていて、瞳などが無い。そしてやはり、向こうが透けて見える、半透明だ。
がふっと息を吐き出す。熱い息なのかそこの空気が波打って見えた。
「軽くあぶってやれ」
『オッ、ケェー』
低く泡のような音の混ざる声。火トカゲは4本の指を器用に動かし、親指を立てる。トカゲの顔をしているのに、ニヤリと笑ったように見えた。
路地から広場へ出てこようとして、慌てて引き返し逃げようとするヤヴァンらに、火炎のトカゲは宙で一回転すると、体当たりのように飛び込み、半透明でスルリと駆けた抜けた。サラマンダーは残像を残して消える。それは熱風となって狭い路地でヤヴァンらに纏わり付いた。
「アチッ! アチィー!!」
「アッアッ! また! 痛っ!」
悲鳴が聞こえた。“また”と言ったのは、先ほどの爆発でダメージを受けた“悲槍”の黄色の頭巾の男の方だろう。
「ティア」
大型バイクサイズの白銀のドラゴンが広場の上で羽ばたいていた。ぶわっと風が巻き上がり、周辺の砂利が音を立てて払われる。
呼びかけにその金色の瞳を路地へ向けた。そして口を開くと、カッと剣が1本飛び出て、一番奥に居たカーラの頬を掠めた。
遠目でもカーラの顔色が真っ青に落ち、さらにティアマトの一睨みで彼女がたった今召喚した熊に似た召喚獣が逃げ去った。召喚霊ではなく召喚獣の方なので、召喚士の解除か、召喚士の力尽きてしまわない限り還る事が出来ない。だから、物理的に逃げるのだ。
「にいさま!」
パールフェリカが体全身を彼の方に向け、見上げた。
「パール、無事で良かった。ちょっと待ってろ」
そう言ってシュナヴィッツはぶつぶつと唱える。するとティアマトがハトサイズになってしまう。
「追え」
シュナヴィッツの短い言葉に、ぱふっと小さな白銀のドラゴンが羽ばたいて路地へ飛んでいく。小さい割に驚く程早い。
──狭路でウゴウゴしていただけの冒険者達をあっさり去なしてしまった。
シュナヴィッツにしろ、ティアマトにしろ、格が違うようだ。
落ち着いた所で、ホルトスがへなへなぁと地面に座り込んだ。
そのホルトスをちらりと見た後、シュナヴィッツはパールフェリカの方を向いてちょっと驚いた。
「──ミラノも居たのか」
つい、と“うさぎのぬいぐるみ”から視線を外した。
「パールと会えていたんだな。やはり召喚士と召喚獣の絆が働いたようだな」
やや早口である。
「────……私、聞きたい言葉があるのですが」
緩く首を傾げる“うさぎのぬいぐるみ”に、気まずそうに、しかしシュナヴィッツはちゃんと──彼の“ポカ”で彼女を落っことしてはぐれてしまった事を──認める。
「あー……いや……………………す、すまん」
「今助けて頂きましたから、チャラにしましょう」
「──あ、ああ」
「え? なに? なになに?? にいさま??? 何の話????」
パールフェリカは視線を逸らすシュナヴィッツの正面に、“うさぎのぬいぐるみ”を両腕で抱きしめて、わざわざ彼の目に入るよう入るよう、回り込むのだった。
「…………パール、わかってやってないか?」
「?」