(044)“エレメント召喚術”(1)
(1)
「ピグミー?」
パールフェリカが小さく呟く。
カーラの足元の地面が一瞬ボコンと波打ち、そこから灰色の丸い塊が飛び出した。
顔を斜めにして偉ぶっているカーラの正面で、それはくるくる回転した後、ぱちんと弾けた。
そして、そこに浮かんでいたのは──体長が“うさぎのぬいぐるみ”と変わらない、半透明の老人だった。老人というより、老いた小人──頭が大きくて、ずんぐりむっくりの四頭身の爺さま。
半透明なものだから、老小人を見ているのにその向こうを走るヤヴァンの背中が透けて見えた。
老小人の顔はくしゃっくしゃの皺があって茶色に近い肌、左目には白目部分が無い。黒曜石でもはめ込んだかのようだ。反対の右目には単眼鏡、モノクルが埋まっていて瞳は確認できない。背中は盛り上がっていていかり肩、ごつごつぼこぼこした両手をたらんと下げている。その姿勢でぷかぷかと宙に浮いていた。頭には可愛らしい三角帽子が乗っていて、くるくるの髪とヒゲもこれまたくるくるで質量たっぷりウエストラインまでありそうだ。どちらも真っ白である。
老小人はカーラを見下ろし、これまた真っ白の眉尻を下げた。
『まーぁた、おまえさんかえ、しょーぉうがないのぉ』
甲高い声だった。
「先頭を走っている男を足止めして!」
『ほいほぉ~い』
両手をあげ、勢いよく頭から地中へくるくるっと回転しながら消えた。さながらドリルだ。かと言って地面に穴は開いていない。次の瞬間、前方両サイドのレンガがバリバリはげる。先頭を逃げる男に降り注ぐ。
──……ピグミー? 小人種族?──
「……召喚霊で、土のエレメントを担ってるって……」
小さな声の問いにパールフェリカも声をひそめて答えた。召喚霊、それであのピグミーとやらは言葉を発したのだ。
召喚霊とは、異界から召喚する霊の事だ。召喚獣と違い、人語を解し、召喚に応じても力を発揮するとすぐ還ってしまう。特例を除いて1分とその場に留まれない。
今カーラのした事は、霊を召喚しその力を使わせた、すなわちエレメント召喚術である。
召喚獣にしろ霊にしろ、それぞれ性格がある。ピグミーなどは防御や今のような妨害はしても、生物を傷つけるような願いは聞き入れてくれない。
また、特殊とも言える初召喚の儀式によって繋がる召喚士と召喚獣、霊は一対一の契約を結ぶが、その後多数居る召喚獣や霊と結ぶ契約は、仲介する霊と行う。ピグミーの場合は、神の7番目の“使い”ミカルだ。ミカルの仲立ちによってピグミーは召喚されてくる。
辺りは静かになり、再びカーラはパールフェリカの腕を掴んで走り出す。
落ちたレンガ瓦礫の下からバキッと目の大きな爬虫類──大きさは、これまた“うさぎのぬいぐるみ”より少し大きい程度、100cm程の身長だ──が、飛び出した。
「く、くせぇええええええええ!!!」
闇市に居てこちらに話しかけて来た、小型のヤヴァン──外見がそっくりなのでヤヴァンの弟か身内なのかもしれない──が先頭きって走りながら叫んでいる。
「うっぶぉおおおあぅ……! くせぇ!!」
すぐにヤヴァンの声も上がった。それでも足を止めない辺り、目的の為に頑張る一端の冒険者である。
「──嫌ぁ!……チュパカブラじゃない!?」
カーラがチュパカブラと呼んだ青緑の鱗の爬虫類は、その手の拳より大きい赤い目が外見的特長だ。
チュパカブラは両手の爪をむき出しにして両手を掲げ“キーッ!”と威嚇する。その背後、向こう側で瓦礫がぼこっと揺れた。黄色い頭巾を被った男だ。逃げていく。
「くぉの! 待たんかボケ! ……くせぇ」
小型ヤヴァンが追いかけ、チュバカブラの頭に手を置いて、跳び箱の要領で飛び越えた。が、すぐに両手を上げて走り出す。
「げ! こいつぬるぬるしてる!! べたべただ!」
泣きそうな声にも聞こえる。
「ぬぁああ……! 俺は、いやだぁああ……!!」
そう叫んでヤヴァンは狭い路地の壁に手を付きつつチュパカブラの頭の上を飛び越えた。
「ちょっとぉおお!」
どちらも出来ないカーラが、チュパカブラの前までたどり着き、足を止め、両手で拳を作って脇を閉め、ぶんぶん上下に振りつつ叫んだ。
「置いていかないでよ! ──っくさ!」
カーラは慌てて鼻を摘んだ。
「くさい」
パールフェリカも同様だ。
──…………硫黄に似てるわね──
“うさぎのぬいぐるみ”の小さな、淡々とした声がパールフェリカの腕の中から漏れた。
「っつぁ! これは強烈ですね! え? なんですかあのバケモノ?」
ホルトスが追いついて来た。
「“飛槍”のザコの召喚獣よ! 臭いばっかりで威嚇しかしてこないわ、馬鹿じゃないの!?」
そう毒付きつつ、カーラはしっかり足止めされている。
「キーーッ!」
またチュパカブラが両手の爪を上げて威嚇してくる。長い長い、人の人差し指程の太さで腕の長さはありそうな舌が、その細かい牙の間からひゅるんと伸びた。口元から、漏れる息が若干黄色い。
ざっとレンガを踏みしめた。
「い、いや……来ないでよ! なんでチュパカブラなんて召喚するわけ!? 戦うんなら普通に攻撃型の獣系召喚しなさいよね!?」
相手が居ないままカーラは叫ぶ。
不毛な睨みあいをしているとドタバタ足音が迫って来て──。
「うぉ! カーラ!? 逃げるぞ!?」
「えぇ!?」
“飛槍”の黄色い頭巾の男を追っていたはずのヤヴァンがチュパカブラを飛び越え、ホルトス、カーラ、そしてパールフェリカと“うさぎのぬいぐるみ”をまとめて押しやる。
「早く! 早く行け!」
「お前ら! 何してんだ! 逃げろよ!」
さらに後ろから小型ヤヴァンが来る。完全につっかえている。
「“飛槍”の仲間が来た! 数負けだ! はーやーくーいーけー!」
ヤヴァンが叫び、だまになりながら、来た道を走って戻る。
後ろからガシャガシャと足音がする。
ごちゃごちゃの並び順になって狭い路地を駆ける。パールフェリカの腕も開放されている。
チュパカブラの位置と、路地の出口──広場──までもう少しという所で、パールフェリカは、穴の開いた横の建物の中にスッと入り込み、隠れた。ミラノから指示があったのだ。その穴はパールフェリカの小柄な体格だから入れるような、小さいものだった。
走り去った冒険者達の背を建物の内側で見て、敵と思われる連中が走って来る側の壁に背を当てた。すぐにドタドタと足音がして、4人、黄色い頭巾を被ったライトアーマーに長剣をぶら下げた男達が走って行った。それらを見送った後。
「パール……反対側に」
と“うさぎのぬいぐるみ”が言った。彼らが駆け去った側、広場側の穴のへりにパールフェリカは立つ。
「追加の追っ手は来ないわね」
「……ねぇ、ミラノはなんでそんなに平気な顔してるの? 何をしたらいいかわかってるの?」
“うさぎのぬいぐるみ”なので表情などわかったものではないが、パールフェリカは確信して問う。冒険者ギルドで再会した時から思っていた事だ。パールフェリカにはミラノがどうしてそう平然としていられるのか不思議でならないのだ。
「平気……? そう見えるの?」
ミラノは似たような会話をネフィリムともしたなと思い出していた。
「うん」
相変わらず両手で“うさぎのぬいぐるみ”を抱えてパールフェリカは頷いた。珍しく、ミラノの返事が遅い。
「………………よく、わからないわね。こうする以外に、どういうリアクションを取ればいいのかしら?」
つまり、目の前に起こる様々な出来事に対して、ミラノはごく冷静に見つめる。起こりうる事を見抜く、だから対処の方法の目処がある程度ついている。
その状況に、何をすべきか把握出来ている状態に、常に身をおくクセが付いているのだ。──対処の仕方に見当が付かなくても、落ち着き払ったままに見えるのは、案外簡単に、こっそりと現実を逃避する為で、それはミラノの性格とも言える。それに気付く者はほとんど居ないが。
そして、パールフェリカが背をついた壁の向こうでまたドタバタと足音がして、4つの黄色い頭巾が駆け抜けた。広場まで出た所で4対4──こちらは小型ヤヴァンにヤヴァン、カーラとホルトスが居たはずだ──それがわかって、通路の頭巾連中と広場に展開できたヤヴァンら、こちらへ形勢が逆転したのだろう。しばらくして。
「ぬぁああ! 待たんかボケ!」
小型ヤヴァンの声が響いた後、3つの足音が駆け抜けた。
「パール、反対へ……しばらく下手に動けないわね」
「え? もしかして……」
彼らの駆け去った側へ移動する。しばらくして、ヤヴァンらが追いかけられて来た。あちらの通りか広場へ出て、また逆転したのだろう。
「狭路で、何をしているのかしら。馬鹿しかいないのね」
ミラノの淡々とした声には、棘らしい棘は無かった。そのせいで逆に優しく聞こえる所が不思議である。しかし、脳裏には──上から手榴弾か、出口で待ち伏せて火炎放射……ってとこかしら──危険な発想が過ぎっている。若干の現実逃避によって、趣味のゲーム的な発想がひょっこり姿を現していたのだった。