(004)パールフェリカ姫の儀式(3)
(3)
“それ”は悠然と、かつしなやかに歩み寄ってきた。
洞穴の光が失せて5分余りした後の事だ。
“それ”は両手を空へ掲げている。
その手の上に、パールフェリカが横たわっていた。左手でパールフェリカの腰を、右手で首を支えているらしい。“それ”の形では、そうやって運ぶしかなかったのだろう。
しかし──。
「……みー……ちゃん……?」
腰をひいた状態で、リディクディが“それ”を指差して呟いた。
マスクで見えないが、エステリオはただ口をあんぐりと開いているだけだ。
そう――パールフェリカを両手で持ち上げ、大地に両足を突き立て歩いて来るのは紛れも無く、先ほどまで姫が振り回していた“うさぎのぬいぐるみ”……。
丸くつぶらな、刺繍の赤い瞳は当然ながら無表情だ。
両手を掲げたままみーちゃんは2、3回首を回し、リディクディとエステリオを見比べた。両者の瞳を見つめているらしい。
再びしゃなりしゃなりと歩いて、みーちゃんはリディクディの真正面に進んだ。
「……なんでみーちゃん……え……こんなカラクリ、クライスラーさん仕込んで……え?……いや、いくらなんでも……」
リディクディは動揺を隠せず思っている事をポロポロと吐き出している。みーちゃんはつま先と両腕を伸ばして持ち上げ、パールフェリカをリディクディに近付ける。
「この子、気絶してしまった」
しゃべった。
女の声だ。みーちゃんは大人の女の声を出すんだ。
「…………」
「…………」
「あなた、名前は?」
「…………リディクディと申します」
「…………」
「そう。リディ、あるいはエステル……その二つの単語を呟いているのを聞いたわ。あなたはこの子の知り合い?」
みーちゃんこと“うさぎのぬいぐるみ”は口を開くことも無く──構造上、口がないので当然だが──すらすらと、流麗に聞こえる声を発した。一体どこから声が発生しているのか、疑問は尽きない。
「…………私はその方をお護りする任にある者です」
リディクディが言うと“うさぎのぬいぐるみ”は小さく頷き、次に首を60度グルンとまわし、エステリオの方へ無表情の顔を向けた。
「あなたはエステルでいいのかしら?」
「…………」
目をぱちくりとさせるばかりでエステリオはまともな反応が出来なかった。
「あなたがエステルでいいのかしら?」
“うさぎのぬいぐるみ”が再び問う。
「……あ……は……い……私はエステル……エステリオです」
垂れ目の抜けた可愛いぬいぐるみの顔から、柔かいがどこか厳しい印象のある声が出てくる。ギャップに驚きつつ、エステリオはなんとか持ち直して答えた。
「では――」
“うさぎのぬいぐるみ”のみーちゃんはリディクディに向き直った。
「足がつぶれてしまいそうなので、この子をお願いできますか?」
見ると、みーちゃんの足は本来の半分以下の長さにぺしゃんこでつぶれている。
足だけではない、全身でも本来の半分程の背丈になっている。
今のように万歳の姿勢になっていれば五歳児の背丈はあろうものを、それが半分。
垂れるだけの長いうさぎの耳は力なく地面をずるずると擦ってきたようで、先が汚れている。
不思議な思いでリディクディはパールフェリカをそっと受け取り横抱きにした。
パールフェリカは、そのけぶるような睫毛を力なく伏せ、完全に意識を失っている。眠っているだけのようで、呼吸は規則正しく確かだ。その様子にリディクディの冷静さは取り戻されていく。
「みーちゃん……いえ、あなたは?」
リディクディの問いに、ぴょいぴょいとその場で飛び上がって縮んだ体を伸ばすようにストレッチをしていた“うさぎのぬいぐるみ”は動きを止めた。次に声が出てくる。もちろん無表情で。
「色々な事は私の方が知りたいのですが──。とはいえ、こんな子供が気を失ってしまっているような状況でああだこうだ言うより、どこかその子を介抱してあげられるような場所へ移動した方がよくはないでしょうか?」
至極真っ当な意見を“うさぎのぬいぐるみ”首をかしげつつ言い、リディクディを見上げた。
「えっと……」
「召喚の儀式とやらは、終わっているようですよ。その子が何か言っていたわ──そうね……『なんで、実体のある霊がきたの? でもこれで召喚の儀式は終わった。これでいいのよね?』と」
「実体のある霊!?」
リディクディとエステリオが大きな声を上げた。“うさぎのぬいぐるみ”は顔を少し横へ向けた。うるさいという事らしい。
「続けても?」
相変わらず柔らかいながら冷たさのある声音で“うさぎのぬいぐるみ”は言った。
「ど、どうぞ」
その空気に圧されつつ、リディクディは先を促した。
「『ああ、こんなことってあるのかしら』──私は『あなたは?』と聞いたわ。『私はあなたの召喚主、パールフェリカ、私とともに歩んでくれますか?』『どういう意味かわからない』……そう返事をしたのだけれど、その子、パールフェリカちゃんはこう言ったわ。『ああ、もうだめ、力が足りない……リディ……エステル……助けて』と」
先っちょの丸い左手を器用に顎にあて、“うさぎのぬいぐるみ”は諳んじるように続ける。
「パールフェリカちゃんはこう言ったわ。『今の私の力ではあなたを支えきれないみたい。こっちに移ってもらえない?』その後、気を失ったわ。こっちと指差されたのが、この、ほつれた感のある“うさぎのぬいぐるみ”だったのよ。──こんな説明でいいかしら?」
ごくりと、リディクディとエステリオは息を飲んだ。二人はお互いの顔を見合わせる。
「リディ、これは……急ぎ陛下にご報告申し上げた方が良いだろう」
「そのようだね、エステル……」
リディクディは“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろした。
「みーちゃん、急ぎ戻ります。御身をこのエステリオが抱えてゆきます事、お許しいただけますか?」
「……この足ではね……どうぞ」
その愛らしいシンプルな“うさぎのぬいぐるみ”の姿に似合わず、落ち着いたクールな女性の声は通る。それに頷いてエステリオはみーちゃんを抱えた。
「それはそうと、私はヤマシタミラノです。──みーちゃんと呼ばれても問題は無さそうだけれど」
“うさぎのぬいぐるみ”は、無表情のまま名乗ったのだった。