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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【2nd】 ─ RANBU of blood ─
37/180

(037)うさぎと僕の静かな時間(3)

(3)

 それでも何人かの貴族らと会話を、バルコニーに居たままシュナヴィッツは交わしていた。話しかけられてまでぞんざいな対応はしない。時折笑顔を交える程度の事はする。城に居る間はむっとした顔で居る事が多いので、それなりに効果があるらしい事はもう学習済みだ。共に戦線に立つ騎士や兵士らにはシュナヴィッツの笑顔はそれほど珍しいものではないのだが。

 とはいえそれも30分程でシュナヴィッツは我慢の限界に来たらしい。ラナマルカ王の元にやって来て退室を告げた。

「そうか、わかった。しっかり休みなさい」

「──あら、シュナ様、もう退がられますの?」

 どこに居たのやら、アンジェリカ姫が現れた。彼女は招待されて来ているわけではない。大国プロフェイブの王女として顔パスでここまでやって来ている。

 艶のある赤い髪は先日と同じく縦に巻いてある。相変わらず濃い目の化粧であるのは、プロフェイブ流とも言える。素顔とのギャップがややありそうだが、美人には違いない。それ以上目の輪郭を塗ればパンダのように見えなくも無い、しかし愛らしい垂れ目には自ら光を発するエメラルドグリーンの宝石の瞳を宿している。ネフィリムに言い寄りまくって“婚約者候補第一位”というわけのわからない立場を“婚約者”だと言い張って周囲に認めさせている。公的にそういうものは存在しない。ごり押ししたり無理矢理言わせているのではなく、天然でそう思い込んで自ら吹聴してしまくって、周囲に思い込ませるという害の無いタチの悪さだ。

 シュナヴィッツは気だるい気分をなんとか持ち直して声をかけて来たアンジェリカを見た。

「ええ。連日戦いが続きましたから」

「そうですか、ですがネフィリム様は今日も前線へ行ってらっしゃるのでしょう?」

 アンジェリカとしては、ただ愛しのネフィリム様を持ち上げる事しか頭に無いのだが、人によってはこれは嫌味にも取れる。シュナヴィッツはこの点──アンジェリカがネフィリムに熱を上げすぎている事──は把握しているので聞き流す。彼女が単にネフィリムに会いたかったという気持ちを隠して言ってみた結果だとしても『僕が行けば喜んで頂けましたか』とは言わない。

「僕が言うのもおかしな話ですが、兄上はアンジェリカ姫のおっしゃる通り大変秀でた王子ですので、不出来な弟を庇ってくれているのです。僕は兄上には感謝してもしきれません。──では、失礼しますね」

 アンジェリカに対しては、本人かネフィリムを褒めておけばそれだけで喜ぶ。案の定、アンジェリカは満足そうに頷いている。

 シュナヴィッツはラナマルカ王にも一礼して下がる。その背にラナマルカが声をかける。

「シュナ、パールのうさぎも持って戻ってやってくれないか。ダンスも始まるだろうし、白いのだから踏まれて汚れては後でパールも哀しむ」

 そう言って王はちょいちょいと指を動かしシュナヴィッツを招き寄せた。

「全く動かないでいるのは疲れるだろう?」

 小さな声で囁き、シュナヴィッツは小さく頷いた。王はミラノを気遣っている。

 シュナヴィッツはもう一つの、パールフェリカ用の椅子の横に置かれた“うさぎのぬいぐるみ”をひょいと拾い上げ、小脇に抱えた。30分以上、微塵も動かないでいたという事を改めて考えると、大した精神力だとシュナヴィッツは思った。

 パーティ会場の扉を抜け、廊下の角を何度か曲がる。3階から上下階へは移動していない。城のより奥側は中庭を囲むように、ロの字で建っており、その形で上へ伸びている。パーティ会場は城前広場に面してバルコニーがあるが、反対側まで行くと中庭を臨む形で小さなバルコニーがいくつか並んだ廊下に出る。バルコニーに対してはガラスの扉がある。両開きのそれを開き、バルコニーに出た。

 小さなバルコニーには4、5人が掛けられる程度の白い猫足のベンチが置いてあるだけだ。シュナヴィッツは“うさぎのぬいぐるみ”をそこに座らせ、自身は柵にもたれ中庭を見下ろした。今日は城に招かれる者達があるという事で、様々な木々や花が植えられた中庭はライトアップされている。

 喧騒は遠く聞こえる。明るい音楽が聞こえ始めて、王の言っていた通り、ダンスが始まったのだろう。

「ここまで聞こえていたんだな」

「……そのようですね」

「ミラノは“人”で出たいと思わなかったのか? パールのようにめかしこんだり……女性はそういうのが好きだと聞いた事がある」

「私はパールに無駄な力を使わせたくないだけ。あの紫色の顔で倒れたのは、昨日の事ですよ? 本当は、まだ元気とは言えないはずです」

 やはり静かな淡々とした声で“うさぎのぬいぐるみ”は言った。

「そうか。でもパールは残念そうだったが。“人”のミラノを皆に自慢したいんだろう」

「パールがもし本当にそうしたいと言うなら、私は構わないけど。出来るなら避けてあげるべきだと、思っています。年長者として。あの子はまだ、自分をちゃんとコントロール出来ないみたいだし。多分……」

 言っている事はどこまでもパールフェリカの事を考えた、冷静な大人の対応と言える。断定もしない辺り、柔軟な思考を用意している構えだ。パールフェリカ自身の気持ちを反映しているかどうかは別として。

「……なんだか想像がつかないな」

「何の?」

「ミラノにも、パールと同じ13歳の頃があったのだろう?」

 ──母上を亡くしたばかりの頃の兄上にも、あったように。

「だが、想像が出来ない」

 そう言ってシュナヴィッツは笑った。パーティで見せていた笑顔と違って、随分と爽やかなもの。

「人をバケモノか何かみたいに、言わないで?」

 やや力の抜けた声がした。

「私だってそれ相応の、13歳という時間を過ごしてきたわ。だからこそ、気にかかるのよ、13歳……本人は、一人前で居るのだから」

 シュナヴィッツはただ黙ってミラノの言葉に耳を傾けている。一瞬迷ったが、ミラノは続けた。

「……その時が過ぎれば、不思議ね、誰かのそれは危なっかしい。自分だって何だかんだと乗り切って、通り過ぎてきたのに。でも、13歳から今に繋がって私がいるのは、差し伸べてくれた人の手があった事は間違いないわ──無かった人もあるでしょうけど……。当時は、気付きもしかった。だけど、だから、次は私が手を差し伸べる番。ただ、そう思っているだけよ」

「……なるほど。パールは、落ち着きが足りない所があるから、ミラノが傍で見ていてくれるなら僕も安心だな」

「認めてくれるのはありがたいのだけれど、私はここの事をよく知らないし──“人”性能の、ただの召喚獣でしょう? 役に立つのかしら」

 “ただの”かどうかは別として──シュナヴィッツは笑った。

「役に立たない召喚獣なんていない」

 何よりもパールフェリカが、父や兄、そして自分以外であんなになついている姿を見るのは初めてだ。パールフェリカとミラノの間には、確かに“召喚士”と“召喚獣”を繋ぐ絆がある──だが、それだけでは説明出来ない精神的な部分で、パールフェリカは姉か母親でも求めるような目で、ミラノを見ている。

「残念だけど、私は燃費が悪いみたいだから」

 “人”になるだけ、に関しては問題なさそうなのだが、魔法陣を出した瞬間、パールフェリカはかくりと力を失う。派手な事をすると倒れてしまう。

 ふと足音がして、“うさぎのぬいぐるみ”が動きを完全に止めた。ぬいぐるみのフリを始めたようだ。

 カタリと、半開きだった戸が大きく開かれたのだ。



 廊下から、見事なメタボリック貴族Aが現れた。

 あからさまにシュナヴィッツが嫌そうな顔をした。

 “うさぎのぬいぐるみ”はシュナヴィッツがどのコマンドを選ぶのか観察していた──たたかう、ぼうぎょ、にげる……。

 貴族Aは貼り付けたような笑顔をしている。弓形の目は薄気味悪ささえ漂っている。ぎりぎり、脂は拭き取られているようだ。あとヒゲでも付けば胡散臭さは完璧である。

「これはこれはシュナヴィッツ様、こちらにおいででしたか」

 シュナヴィッツは視線を逸らす──探し回ったのだろうに。

 近寄ってきた貴族の男は艶のある黒の上下を着ているが、色の効果で締まって見える事は無い。ぎりぎり禿げ散らかっていない髪は撫で付けてある。50前後の男だ。シュナヴィッツにはうんざりするほど見覚えのある顔である。

「僕はもう部屋に退がる。あちらで自由にしてくれていたらいい」

 シュナヴィッツは“うさぎのぬいぐるみ”をベンチから取り上げ、小脇に抱え歩き始める。

「殿下! シュナヴィッツ殿下。少しお話が──」

「僕には無い」

 そう言って立ち去ろうとするシュナヴィッツの前にその男は回り込んだ。

「殿下にはとても良い、お話です。もう20歳におなりでしょう、その歳ですとラナマルカ王はもうご結婚なさっていましたよ? シュナヴィッツ殿下にも──」

 男はひそめるような声で顔を前後させ、声に奇妙な抑揚を付けて言う。こういうセリフは聞き飽きている。見慣れている。

「そうか、わかった、だが不要だ」

 そう言って通り抜けようとしたが、貴族の男はさらに回り込んできてシュナヴィッツの“うさぎのぬいぐるみ”を抱きこんでいる左腕を掴んだ。シュナヴィッツはその腕を睨め付けるが、男の顔は別の方を向いている。仕方が無いので空いている右腕で強く払った。

「ファーナ! ファーナ! おいで」

 ファーナというのは名前のようだった。男の声に、はっきりした金色の髪を縦に巻いた少女がやって来る。この縦ロール、現在ガミカでは流行の兆しは全く無い。年の頃なら16、7。目元は濃い位にメイクしている。全体的に派手な印象だが、垢抜けていると言えなくも無い。どこかアンジェリカで見慣れた大国プロフェイブの女性を思わせる。

 シュナヴィッツの正面にやってくると、少女は頬を赤らめ目を合わせてくる。そして、高めの鈴の鳴るような声を発する。いわゆる作り声だ。

「先日、花の都であるシャントリアへの留学から戻りました。フィルファーナと申します」

 そう言ってドレスの裾をつまんで膝を曲げた。正装した女性の会釈だ。シュナヴィッツはさらさらの前髪に指を突っ込んで髪をかきあげた。男は自慢気に娘の背を押してシュナヴィッツによく見えるよう立たせる。

「娘のフィルファーナでございます。ミイゼンテイム学院を特級で卒業し、この春まで学園都市シャントリアへ留学しておりました。器量に関しましてもプロフェイブの者達との交流から最先端の美しさを──」

 ──売り物か何かかと、吐き気がする。

「わかった。覚えた。もういいな? 連日戦っていた、疲れている。一人になりたいんだ」

 そう言い捨てて、シュナヴィッツはさっさと立ち去った。



 廊下を通り過ぎてしばらくして、シュナヴィッツは緩やかに足を止めた。

「……やはり疲れる──兄上とサルア・ウェティスに行くんだった……」

 逃げ口上の“疲れる”とはまた別の意味だ。そう呟くシュナヴィッツに対して、小脇に抱えられた“うさぎのぬいぐるみ”は、“ぬいぐるみ”のフリを決め込んだままなのか斜めの姿勢のまま音を発する。

「パールは、笑っていましたよ?」

 淡々とした感情の無い声は、逆により多くの事を語っているようにシュナヴィッツには聞こえた。

 口を閉ざすしかなかった。

 答えるべき言葉が無い。それでただ中庭から臨める月に視線を飛ばした。

 遠く、パーティで奏でられる楽器の明るい音楽と、人々の囁きが聞こえた。

 ああいう断り方をしている間は、いつまでもこの状況が、続くのかもしれない。何も変わらない、立ち止まったままに、なるかもしれない──ミラノはそれを、示唆している。



 人の気配が完全に消えてから、“うさぎのぬいぐるみ”がにょきにょきっとシュナヴィッツの腕から逃れ、ひょいと飛び降りた。

「ミラノ?」

「一人になりたいのですよね?」

 そう言って3歳児サイズの“うさぎのぬいぐるみ”はひょこひょこと、大きな頭だろうがバランスを崩すことも無く歩いて離れて行く。

「え、いや……ミラノは“人”じゃないだろう……」

 それはやや消極的な声で、背後から聞こえて“うさぎのぬいぐるみ”は足を止めた。呆れた笑みのようなものがこみ上げたが、それを表には出さず、ミラノは言う。

「私はパールの部屋へ戻ります」

「道、わかるか」

「はい」

 先日エステリオに付いて会場から戻った際と、そして今回やってくる時に通路は見ている。大体覚えている。シュナヴィッツからすると非常にゆっくりな、しかし“うさぎのぬいぐるみ”としては早い回転でスタスタと足を動かして立ち去る。

 シュナヴィッツは、それを抱え上げる事も無く後ろを付いて来ている──両手両足で必死に登る階段だけは見かねたらしく持って上がってくれた。

 来る時の倍以上の時間をかけてパールフェリカの部屋の前に到着した。

「覚えてたんだな」

「ええ。それに、忘れていてもその辺で“ぬいぐるみ”のフリをしておけば、この“みーちゃん”はパールのものだと皆さんご存知のようですから、いずれ戻れたでしょうし」

「そういう事か」

 扉の両サイドには衛兵が立っているが、彼らに“うさぎのぬいぐるみ”で頼むのもなんだか妙な気がして、ミラノは両手を高く上げて扉の柄の長いノブを引っ張る。自分で扉を開けようとしたが、微塵も動かない。ぬいぐるみの力は弱く扉を開けられないようだった。すぐにシュナヴィッツが気付いて開けてくれた。

 ひょこひょこと、灯りがついていない薄暗い部屋へと“うさぎのぬいぐるみ”は進んだ。扉辺りでシュナヴィッツには帰ってもらおうと一人だけ中に入りミラノは振り返る。

「──ありがとう。……傷の具合は……どうなのですか」

 ミラノなりに、あの炎渦巻く中に居て、にも拘らずシュナヴィッツの様子は重症には見えないので気になっていた。

「ティアマトで相殺したり、反射して返しているからあまり届いていない。僕自身は召喚獣が防げずに抜けたものを食らうんだ。だから、大した怪我は本当に無いんだ。リディクディの方が、あれの召喚獣は移動が高性能な分、あちらこちらと駆けずり回って兵を助けていたようだから、よっぽどダメージは大きい。防御性能は低めなのに、随分と頑張ってくれていた。とはいえ僕の方も、さすがに“神”の使いはとんでもなかったな。フェニックスを借りてすらまともに攻撃が届かなかった……いい経験をした」

 薄暗いせいなのか、シュナヴィッツはよくしゃべった。

 灯りのスイッチなんていうものはあるのだろうか、そう思ってミラノは壁を見回す。侍女が居れば、衛兵同様“うさぎのぬいぐるみ”のミラノの事もわかっているので気軽に声をかけられたのだが。

「ですが、怪我は怪我ですから。大事になさってくださいね──みんなパーティへ行っているのですね」

 ミラノは今朝の反省を少しだけ踏まえて言葉を選んで告げた。その事にシュナヴィッツが気付いているかどうかまでは、後半をしゃべっている間に視線を部屋の中や壁に移してしまっていたのでわからない。

「……主役はパールだからな。その侍女ともなれば総出でも忙しいだろう」

 窓からの月明かりを頼りに、ミラノは部屋の奥へと進みスイッチを探してみる。このままでは本を読めるレベルではない。スイッチの類で灯りは制御されているのだろうか。ランタン? 火? 油?

 ふと、後ろ、扉を閉めて、シュナヴィッツが部屋の中に入って来ている。

「……? 一人になりたかったのではないのですか」

 と、シュナヴィッツの気持ちを知っていながらの、2度目の問い。

「…………………………………………」

 シュナヴィッツはゆらゆらと歩いて、月明かりの窓際、そっと楽器に近付いて、ギターと琵琶の中間のような楽器を手に取った。シュナヴィッツは手元だけを見て、奏でる。パーティ会場で流れていた軽快なリズムの音楽ではなく、ゆったりとして低音の効いた温かい音楽。“うさぎのぬいぐるみ”のミラノはスイッチを探すのを止め、逆光のシュナヴィッツを一度だけ見上げた。そして、ソファに移動してぽとりと座った。

 どの程度の腕前なのかは、ミラノ自身楽器を覚えていないのでわからないが、日頃聴いていたプロが演奏しているような音楽と遜色なく、滑らかで聴き心地が良かった。音の端々にどこか“男っぽさ”が見え隠れしていて、ミラノは少し面白いと感じた。

 曲が終わって──。

 “うさぎのぬいぐるみ”のぽふぽふぽふという軽い拍手。ソファの上に立って、窓際のシュナヴィッツを見た。

「──ネフィリムさんの話では、戦いの前線が趣味のように聞こえていましたが」

「この程度なら、覚えさせられるんだ」

 シュナヴィッツの声は何気ない、軽いものだったが、ミラノは一瞬止まってしまった。妙に、パールフェリカの言葉が頭を離れない──王族なんて“見世物”以外の何だって言うの?──、ミラノは左手を口元に当てるだけに留め、他の言葉や仕草を封じた。

「そうですか。パールも弾けるのでしょうか」

 楽器を元の位置に戻しながら、シュナヴィッツはちょっと笑った。噴出して笑うのを堪えたようにも見える。

「聴いてみたらいいと思うぞ」

「……そう言われると想像はつきますが、聴いてみたいですね。元気いっぱいでしょう? きっと」

「ああ」

 ふとした間に、“うさぎのぬいぐるみ”は周囲を見回す仕草をして見せた。

「明かり、つけ方わかりますか?」

 シュナヴィッツは気付いた風だけで返事らしい返事はせず、召喚術らしい、何かぶつぶつと唱えた。その足元に彼の金色の魔法陣が浮かび、拡散して壁に吸い込まれる。すると壁が廊下と同じように光を宿した。夕暮れ時より少し明るい程度の明るさになる。

 ミラノは、なるほどそうかと納得した。それほどこの世界では“召喚術”は定着しているのかと。こちらに電化製品が無い事を引き合いに出して頭の中で価値観を整理した。

 明るくなってミラノは書棚へとことこと歩み寄って、よじ登る。借りていた絵本を1冊取り出して、ぴょんと飛び降りた。

「……絵本か」

「文字を覚えたいので」

「ニホンと文字は大きく違うのか?」

「かなり……違うようです。そうですね、10日位で覚えられたらよいのですが……」

 ハードだろうなと思いつつ、文字を覚えた後には“調べる”というコマンドが残っているのでその位で終わらせたいのだ。

「10日……随分急いでるんだな」

「……言葉が通じていますから……でも、難しいでしょうか」

「違いがどの位か想像も付かない。やってみるしかないのだろう? ミラノは、ニホンでは庶民だと言っていたな。ニホンでは庶民はどの程度“勉強”に勤しむのかでも違うだろうが……」

「一庶民です。長く学生をしていましたね。ちゃんと戸籍もありましたし、税金も納めていました。一人前の成人した、大人として」

 ふと、“うさぎのぬいぐるみ”の首が下を向いた。

「……ここでは、私はパールの召喚獣で、人では無いようですね……自立が出来ていない状態というのは、不安だったのですね。──ままならない事が……。少し、思い出しました」

 ──だから、帰らなくては。このままでは27年精一杯生きてきた時間が、自分という存在が、コケにされているような気にも、なるのだから。

 ミラノにとっての問題は、元の世界を捨てるか捨てないかなどという陳腐な極論ではない、自分自身であり続けるかどうか、だ。過去の延長線上の自分を、これからも続けられるかどうか。今までの人生とこの嘘のような世界との交差を、現実のものとして受け入れ、その上で元の世界へかえり、自分の人生を引き続き確かに歩む為、だ。

 “鉄の女”と人に囁かれたミラノでも、やはりこの状況──唐突に召喚された見知らぬ世界──を乗り切るにはそれなりにストレスを感じていた。だから、こうして沢山の事をまとめて話した後なので、つい、ぽろりと弱音を吐いてしまったのだが。シュナヴィッツはミラノにとって弱音を吐いていい相手ではない事を、この時はつい忘れている。ミラノは後で後悔をするだろう。

 シュナヴィッツはと言えば、そういう違いに気付いたり出来る程、人の心の機微に聡くも無く、彼は彼自身の感覚でものを考え、そして、彼もまた、思わずぽろりと、言葉をこぼした──。

「人として生活していたのだとしても、召喚されたのなら──」

 しかし、シュナヴィッツはそこで気付いて口をつぐんだ。そして話を逸らす為、顔を上げた。

「ミラノは、召喚獣になるのが嫌だったか? 僕は、ティアマトや兄上のフェニックスだとか、心から召喚士に仕える召喚獣しか知らない」

「……残念だけれど、否応なく私はここに居るから、答え難いわ。でも、前にも言ったけれど、現状は現状ですし、特に嫌ではないのですよ。──そろそろ、読んでもかまいませんか?」

 嫌ではない、否定するだけ馬鹿馬鹿しい──これが無視の出来ない現実なのだから。

 遠く、軽快な音楽が聞こえる。パーティはまだ続いているようだ。

「ああ……僕も何か……」

 言いながらシュナヴィッツは昼間と同じようにパールフェリカの部屋の本棚をさぐる。召喚獣に関する本を手に取ると、“うさぎのぬいぐるみ”の対面のソファに腰を下ろした。

 パーティの喧騒が消え、くたくたになったパールフェリカが戻るまでの、ささやかな時間。

 時折言葉を交わしながら、静かな時間が、ただ淡々と、流れた。

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