(034)”みーちゃん”の手(3)
(3)
笑い終えたネフィリムが、城下町に住むクライスラーを呼ばせて1時間が経った。クライスラーとは、この“うさぎのぬいぐるみ”を作った張本人、精緻な“人形”を作らせたらこの国で右に出る者は居ない人形師だ。
クライスラーが到着するまでの間、王立図書院長官フラースのミラノへのヒアリングが行われていた。国内での出来事や情報を収集して記録するのが王立図書院の最大の役割で、この部屋は関係者へのヒアリングに使用される。それで、ワイバーン襲撃から“神”の召喚獣リヴァイアサンの件についてミラノからの話を聞いていたのだが、ミラノの返事は“わからない”か“知らない”のどちらかだった。
諦めて“仕事がありますので”とフラースが下がってしばらくして、全身灰色のよれよれ庶民服で身を固めた表情の暗い男がやって来た。30前後のまだまだ若い男なのだが血色が悪く無表情のせいで老けて見える。視力はそれほど良くないのに眼鏡をかけていない。人の表情が見えないのが楽──周囲にそう明言する職人である。よれよれの大きな袋のような帽子で目元も見えない。片手には大きな鞄を持ち、背中にはさらに大きな、棺桶のような、体より大きな角ばったリュックを背負っている。修理依頼で呼んだ為だ。
入り口でガツンガツンとぶつかりながら入ってくる──いや、入れない。隙間からあちらを覗けば、散らばった書籍や書類を拾っている職員が見えた。
「クライスラー、ここ、左よ、左がひっかかってるわ」
クライスラーがリュックをガンガンと入り口に打ち付ける音と一緒に女の子の声がする。シュナヴィッツが扉に近付いた。
「パール?」
リュックの間からあちらを見下ろすと、亜麻色の髪の頭がひょこっと動いた。
「あ。シュナにいさま、ちょっとリュックのこの角、持ち上げて」
クライスラーは相変わらずガツンガツンと前へ進もうとしているだけである。
「クライスラー、ちょっと待て」
シュナヴィッツは一度クライスラーを止めてから、横に回りこんでリュックを押し上げた。「よし」とシュナヴィッツが言うとクライスラーは先程までの勢いでガンっと足と進め──ひっかかりが無くなっていたので──たたらを踏んで部屋に飛びこんで、ずっこけ、棺桶リュックの下敷きになった。
そして、クライスラーが顔を上げた先に、白いぬいぐるみの足があった。
シュナヴィッツがリュックを取り除いて壁際に置いてやると、クライスラーは立ち上がり、そして呻く。
「……お…………おぉ?……?……」
膝立ちまで立ち上がるクライスラーの正面に、2本の足で“うさぎのぬいぐるみ”がどーんと立っていたのである。
無精ひげと帽子の間の目は大きかったらしい、それをさらに大きく見開いてうさぎを見ている。
「ど……どうやって……? はりがね?」
舌っ足らずのまだるっこしい声が、“うさぎのぬいぐるみ”の顔を真正面から見て出てきた。“うさぎのぬいぐるみ”はそれに対して、ゆるく首をひねった。
「え? うごいた? からくり? え? むりですよね? 糸もでてないですよね?」
クライスラーは“うさぎのぬいぐるみ”を遠慮なく持ち上げくるくる回す。
「あの──」
頭を真下にされて両耳が床に転がったところで“うさぎのぬいぐるみ”から声が出る。びくりとしたクライスラーの隙をついて、パールフェリカがうさぎを取り上げた。
「いくらクライスラーでもちょっと扱いが荒いわよ!」
普段から振り回しているパールフェリカの言えた事ではないが、シュナヴィッツが小さく頷いた。
王女と王子が注意しているというのにクライスラーは気にした様子もなく、“うさぎのぬいぐるみ”を指差した。
「え? しゃべった? しゃべりマシタか? 俺そんな風に作ってないよ? え? 今それがしゃべったの?」
「クライスラー」
ネフィリムがその名を呼ぶと、さすがにクライスラーも帽子を外した。姿勢はそのままだったが椅子に悠然と腰を下ろしているネフィリムを見上げた。
「事情があって、他言無用にして欲しい。出来るか?」
「え?……あ、はい……話すの、キライですから」
もごもごと発せられた声は、妙な答えでネフィリムは眉をひくりと動かした。が、すぐに頷いた。
「お前の作ったその“うさぎのぬいぐるみ”に、パールフェリカの召喚したモノが入っているんだ」
「……はぁ」
シュナヴィッツとパールフェリカがちらりと視線を交わした。
「それで、手が使いづらいらしいから、直してやってくれないか」
「手……?」
「本のページがめくれるようにしてやってくれ」
「これ……」
そう言ってパールフェリカに抱かれた“うさぎのぬいぐるみ”の右腕を左手で取り、右手に持っていたカバンから取り出した大きなハサミでさくっと切り落とした。
ぽとん……と、“うさぎのぬいぐるみ”の手の先10cmが床に転がった。
「……え」
呆気に取られるパールフェリカをよそに、“うさぎのぬいぐるみ”のもう一方の手をちょっきんと切り落とした。
“うさぎのぬいぐるみ”は、綿の出ている両手を顔の前に持ち上げ、赤い目で見た。
はらりと白い綿は漏れ広がる。
クライスラーはさっと立ち上がると壁に立てかけられたリュックを床にどすーんと倒して紐を解き、布を開いて、中の箱の蓋を外して放り投げた。
中には、人形のパーツ、頭や目の玉やもちろん手足から胴がバラバラに詰め込んである。その中から小さな手の左右を取り出す。
そしてパールフェリカから“うさぎのぬいぐるみ”をひょいと取り上げると胡座を掻いてその上に乗せ、先の無くなった両手と取り出した“人形”の、5本の指があり関節も作られた肌色──薄いクリーム色──の手首をだーっと細かい目で縫いとめた。
「補強でもう一度縫いますね」
言ってクライスラーはその姿勢のまま鞄に手を伸ばす。“うさぎのぬいぐるみ”にはサイズぴったりの幼児の手が付いた感じである。
ミラノはクライスラーの膝の上で両手を持ち上げた。
「これは──」
呟いた後、モキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキモキと“うさぎのぬいぐるみ”の合計10本の指が滑らかに、ピアニストのそれの如く蠢いた。
「いやあああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
高速タイピングの得意なミラノの動かす“うさぎのぬいぐるみ”の指は、実にしなやかに流れるように──その両手をパールフェリカががしっと掴んで止めた。
「なんで!?」
パールフェリカの目には涙が溜まっていた。“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目を見た後、クライスラーに視線を移した。
「なんでこんなことするの!?」
そのパールフェリカを無視して、“うさぎのぬいぐるみ”はクライスラーの無精ひげ面を見上げた。
「ありがとうございます、これなら問題無さそうです」
日ごろ表情の無い声が、心なしか弾んでいるのである。
「いやよ! ミラノったら! なんでそんなに嬉しそうなの!? 信じられない!!」
クライスラーが引き寄せた鞄から別の糸を取り出す。
「ちょっと! いやよ!」
そう言ってパールフェリカは乱暴に“うさぎのぬいぐるみ”の腕にハサミを当て、中途半端にジョキッと切る。“うさぎのぬいぐるみ”は、大きく退いて逃げた。まさかパールフェリカに切られるとは思っていなかったのだ。逃げた“うさぎのぬいぐるみ”は切られた箇所を抱えてうずくまる。
「……ミラノ?」
「……いえ──先ほどは驚いていたし、あっという間でしたし、我慢もしたのですが」
左の人形の手が半分切れた状態で折れて垂れ下がっている。“うさぎのぬいぐるみ”は顔を上げた。
「パール、“人”にしてもらいたいのですが。どうにも痛覚があるらしくて──」
「え!?」
見守っていたネフィリムとシュナヴィッツの方が動揺した。
「パ、パール!」
シュナヴィッツは慌てて横に居たパールフェリカの背中を押した。
「え? う、うん」
今いち状況を掴めないまま、パールフェリカはぶつぶつと呪文を唱え始める。クライスラーの膝から降りて床に立っていた“うさぎのぬいぐるみ”の足元に白い魔法陣がふわっと広がる。
“うさぎのぬいぐるみ”が、ころりとクライスラーの膝に転げる。その先に、艶のあるパンプス、そこからすらりと細く伸びる脚。そのまま見上げていくクライスラーはそこでゴロンと後ろに倒れた。シュナヴィッツがミラノの横から長い足を出して、彼の肩を蹴倒したのだ。ミラノのスーツのスカートの丈は膝より高いから──。
転がったままのクライスラーが、“人”になったミラノを見上げる。ミラノは本来の“人”の姿で、両手の手首と肘の間辺りをそれぞれ撫で擦っている。
「その状態では何ともないのかい?」
ネフィリムが問うと、ミラノは彼を見て、首を傾げる。“うさぎのぬいぐるみ”の時にもよくやる仕草だ。
「何ともありません。不思議ですね」
そう言ってクライスラーに右手を伸ばした。
「立てますか?」
クライスラーは胡座をかいた足の形のままひっくり返っているのだ。手を繋いだ状態でクライスラーは完全に立ち上がるまでミラノに引っ張らせ、そのままクライスラーは食い入るようにミラノの顔を見ているのである。
ミラノはすっと顔を逸らし、下に転がっているうさぎを拾った。
「パールが切ってしまいましたが、やはり“人形”の手を付けてもらってもいいですか?」
そう言って渡す。クライスラーは相変わらずミラノを見つめ──。
「あなたの頼みなら、完璧に仕上げます!」
舌っ足らずではっきりしない声音だったのが、これは背筋の伸びた、新人将校並の張りである。“うさぎのぬいぐるみ”を受け取り、何故かこの部屋の王族3人にもしなかった敬礼をミラノにして見せた。
「…………おねがいします」
ミラノはそれだけ言うと、そっとパールフェリカの後ろへと回った。逃げた。
「え? ミラノ?」
そして、ミラノは左手を胸の下に寄せ、その甲に右肘を乗せ、右手の指でこめかみを押さえているのだった。その様子にネフィリムがぷっと笑う。ミラノは目線だけをネフィリムに向けた。
何か言おうとするミラノにクライスラーのはっきりした声が飛ぶ。
「両方とも“人形”の手でよろしいのですね! しっかり縫いとめます! 少々お待ちください!」
「え? いやよ! 待って! 待って!!」
パールフェリカが食いついた。
──パールフェリカはうさぎの新しい手を“かわいくない!”、ミラノは丸いままでは“役立たず”だと言い張る。この手を“使うのは私だ”と主張するミラノに、パールフェリカは“所有者は私だ”とだだをこねる。
結局、パールフェリカとミラノの妥協点は、左手が“うさぎのぬいぐるみ”の手、右手が“人形”の手という、奇怪極まりないものだった。
パールフェリカの後ろでクライスラーの作業を眺めているミラノの横に、シュナヴィッツが移動した。
「ぬいぐるみで痛覚があるというのは、耳を掴まれたりぶつけられてる時も痛かったりしたのか?」
「いいえ? 耳はほとんど感覚が無いみたいでした。自在に動かせる箇所ほど、感覚があるみたいですね」
ミラノはクライスラーとの間にパールフェリカを置くように立っていたのだが、彼は何故か出来上がった“うさぎのぬいぐるみ”をわざわざミラノに渡しに来る。
「新作を考えているんです。それには是非、貴女にモデルになって頂きたい! お願いします!!」
「……新作って……」
「現実に最も近づけ、肌の質感にもこだわった、等身大のフル稼動の“人形”です!」
ミラノはぎゅーっと目を細め、眉をしかめた。基本的に表情の無いミラノが、珍しく心底嫌そうに顔をしかめている。ミラノの脳裏に浮かんでいるキーワードは“シリコン樹脂製高級ダッチワイフ”である。
「絶対に嫌」
「そ、そこをなんとか……!」
「嫌です。パール、“うさぎのぬいぐるみ”に戻して。“人”で居たくない」
ミラノはクライスラーの記憶に留まりたくなくて、急かすようにパールフェリカに言った。
「あ、うん。あー……手が~……はぁ……」
パールフェリカはため息をつきながらぶつぶつと呪文を唱えるのだった。
うさぎに戻っている間にネフィリムの嫌な呟きが聞こえた。
「なるほど、ミラノはクライスラーみたいなのが苦手か」
「え!? 俺嫌われましたか!? ただその斬新な姿を“人形”にしたいと、そう思っているだけ……思っているだけなのに……」
語尾が再び舌っ足らずの声に戻っていった。ミラノの“人”の姿が無くなってテンションも下がったらしい。
「……斬新?」
うさぎが首をひねる。
「だって。そんなに足を出している女の人なんてそういませんしね。体の線がそんなにくっきり出るような服の人なんていませんしね。髪と瞳がそこまでしっかりと黒い色をしている人もいませんしね。よくある“美しい人形”というのは正直飽き飽きしているんですね。だから、こう、斬新な“モチーフ”を俺は探していて……」
「──“モチーフ”だとか、“モデル”だとか、そういうものとして見られる事が嫌なんです、理解して頂けなさそうですが」
“うさぎのぬいぐるみ”がそう言うとクライスラーは帽子をかぶりなおし、小さく溜め息を吐いて頷いた。溜息を吐きたいのはこちらの方だと、ミラノは心の内で思っている。
「いいですよ、こっそり見に来ますから……俺執念深いし」
自分でそう言ってクライスラーは荷物をまとめ部屋を出て行った。また、棺桶リュックを扉にガツンガツンぶつけながら。
それを見送った後、“うさぎのぬいぐるみ”はネフィリムを見た。
「ああいう……ストーカーになりかねない“創作魂”とか“マニア”を紹介しないで下さい」
“うさぎのぬいぐるみ”は一瞬だけシュナヴィッツを見、すぐネフィリムに視線を戻して続ける。
「……タチが悪いです……」
淡々としたミラノの声は、トーンダウンしている。ネフィリムはそれをただ楽しそうに微笑むだけだった。