(003)パールフェリカ姫の儀式(2)
(2)
延々と傾斜のある深い森が広がっている。
北は海に面し、国土の7割はこういった森で、残りは湖だ。
隣には大国プロフェイブが5倍の国土で睨んでくる。
パールフェリカ姫の国ガミカはそれほど大きな国ではなかったが、大陸で最古の歴史を持ち、召喚士のレベルは随一で揺るぎ無い。
王家の者ともなると最上位の召喚獣を召喚する。
パールフェリカ姫の兄二人はドラゴン種でもこの世に一匹しかいない最強優美の召喚獣ティアマトや“炎帝”とあだ名される――こちらもこの世に1匹しかいないフェニックスを従えている。
召喚士は細分すると2種類ある。
この大地のいずこかで命果てた獣の霊を召喚し、実体を与え操る獣使い《ジュウツカイ》。
異界の精霊を召喚してその力を発現させる霊使い《レイツカイ》。
なお、異界の霊には実体を与える事が出来ない。
過去様々な方法で異界の偉大な英霊に実体を与え、この大地に定着させようと実験が試みられたが、成功した試しがない。
異界の霊は呼び出してもほんの数秒しかこの世界に留まることが出来ない。
また、高位の召喚士が呼び出すと異界の霊……その中でも“神”の類を引き寄せる。
現在異界の“神”を召喚出来るのは大国プロフェイブ国王一人だけである。しかし、やはりそれをこの世界に留める事は出来ない。
昨夜、パールフェリカは身を清める為と山の中腹の神殿で一夜を明かした。
待ちに待ったこの日、興奮からほとんど眠れなかった。
何せ、初めての召喚術の実践なのだ、期待と緊張が交互に襲ってきて眠るどころではない。柔らかいシーツにくるまれて右に左に寝返りを打ち続けて朝を迎えた。
緑の木々に囲まれた山道も抜け、さらに北の門を潜り、木々の間から朝陽差し込むより深い森の奥へと、リディクディとエステリオを伴ってパールフェリカは歩みを進める。
山に分け入って1時間余りが経過していた。
種類まではわからないが、辺りの声を上げながら鳥たちが一斉に飛び立って逃げ去っていく。
山頂近くを歩いていたが何事かと足を止めた時、木々の合間から風が吹きぬけた。
見上げると、青空に黒い点が7つ……三角の形に広がっているのが見えた。三角の頂点を先頭に空をすいと動いている。その頂点が一番大きな点だ。
手を額の上にかざして見上げていたリディクディが口を開いた。
「あれは……」
「見えるの?」
リディクディは細めていた目を元に戻し、パールフェリカを見て微笑んだ。
「ドラゴンの編隊ですね。先頭は間違いなくティアマトです」
「え!?」
パールフェリカはぱっと顔を輝かせて空を見上げ、両手を大きく振った。ぴょんぴょんと飛び上がる。
「にーさまー! シュナにーさまーー!!」
パールフェリカが大きな声で叫ぶと、編隊の頂点が三角形の隊から離れ、小さくクルリと輪を描くように動いた。その後すぐに元の編隊の形に戻る。
「にいさま、気付いたかな!?」
パールフェリカは王城の方へ飛んでいった編隊を見上げたまま言った。
「気付いていらっしゃったのではありませんか、あのように隊を乱してまで……」
エステリオが低い声で言うのをリディクディは乾いた笑いを浮かべて聞いていた。
この世にただ1匹と言われ、最強の呼び声高いティアマトを召喚出来る召喚士もまた、この世にただ一人。
パールフェリカの兄で、召喚古王国ガミカ・ノ・ミラ第2位王位継承者シュナヴィッツだ。彼も妹であるパールフェリカに異様に甘い。今年20歳になるこの兄は、北の要所で指揮を執っていたのだが、今日は見た目の美しいドラゴン種を召喚出来る者を引き連れて王都へ帰還している。
「にいさまとは三ヵ月ぶりね、お会いするのは。ああ……! 私も早く帰らなくっちゃ! その時は、きっとにいさまに負けないような召喚獣を連れて帰らなくては!」
「その意気です、姫様」
微笑んでガッツポーズを取るパールフェリカにエステリオが頷いた。ガッツポーズの下で“うさぎのぬいぐるみ”の耳が握り拳で潰されつつ、プランプランと揺れて、地面で足を擦っていたのだった。
10分余り進むと、洞穴が見えた。
入り口は人が4、5人横に並んで歩いて通れる程度。ごつごつとした岩肌が森との境界線を引いている。
入り口の左右には結界として石柱が立てられ、赤と銀のロープが張り巡らされていた。
柱の頂点にはメラメラと炎が立ち上っていて、森の中では異彩を放っている。これは“浄化の炎”と呼ばれている。実際はただの火だが、古王国ならではの伝統だ。
この洞穴は関係者以外立ち入り禁止になっている。
エステリオは背負っていた荷物を下ろし、腕の長さほどの松明を取り出すと“浄化の火”を移した。そのままパールフェリカに松明を渡す。
「では姫様、私どもはここでお待ちしております。お気をつけて」
「パール様、何か異変があればすぐにお戻りくださいね」
エステリオとリディクディの見送りにパールフェリカは笑顔で応え、結界の内側――赤と銀のロープの隙間に身体を捻じ込ませた。
次に手にぶら下げた“うさぎのぬいぐるみ”をひっかけないように器用に引き寄せる。最後に松明を持った左手を器用にくぐらせ、全身を暗い洞穴に投じた。
──洞穴は、暗い。
手元の火で照らせる範囲などたかが知れる。
何千年とガミカ国とともにあって神殿に管理され、最も召喚に適した聖なる場所として長い年月王家の人間の歩みを受け入れてきた。
地面は壁の岩肌ほどはゴツゴツしておらず、難なく歩けた。
一人、足音をコツコツと鳴らして歩く。道は一本だ。迷いようがない。
5分も歩かないうちに広間に出る。
直径が50歩程度の円形の部屋。
天井はとても高い。
中央、直径30歩程度の台座がある。その縁取りには細かな彫刻が施されていた。
ここまでくると床は平らで、切り出されて形を整えられた石がぴっちりと敷かれていた。
天井からは色とりどりの大きな布が何枚も垂れ下がっている。松明の火に照らされるそれらの、なんと美しい事か……。
ここは神殿の者が毎日清掃整備を続けているので、洞穴とは言い難い。神秘的で厳かな、重たい空気を保っていた。
パールフェリカは小さく溜息をついて5段ほどの階段を登り、台座の真ん中へ歩み寄る。
中央には松明を差し入れる穴があるのでそのまま置いた。
「……ここで、選別されるのね。私が、獣使いか、霊使いか」
先ほど空に居たティアマトを召喚するパールフェリカの兄は獣使いだ。
ティアマトは大昔に死んだドラゴンの霊で、兄の召喚術によって実体が与えられている存在。
また、異界の“神”を召喚出来る隣国プロフェイブ国王は霊使いだ。霊使いは霊を召喚し――霊そのものを操るというのではなく――霊が元から持つ力を振るわせる術だ。
王族であれば王位を継ぐなり王を補佐する重要な役職に就く事が多く、獣使いであろうと霊使いであろうと扱いは大きく違わない。
だが、一般庶民にとっては一生を左右するほどこの分かれ道は大きい。
獣使いの場合、最初に召喚した獣がどのようなものかで軍に配属されるかどうか分けられる。戦いに適した獣を召喚できた場合、強制的に軍へ配属される。それが世の、ガミカ国の民の務めとされていた。
霊使いの方が遥かに自由であるとはいえ、獣使いと霊使いの比率は9対1……霊使いはとても少ない。商家の者などが軍に属したくないと言って霊使いと偽る事もままあるので、実際はさらに少ない。
13歳の誕生日に行われるこの儀式で最初に召喚されるものは召喚士にとって非常に重要な意味を持つ。召喚士としての力の指標とされる為だ。
最初に召喚したものは、その召喚士にしか召喚出来ない。この時の召喚士と召喚獣あるいは召喚霊は強い絆で結ばれているとされる。それは、1対1の関係だ。
パールフェリカの兄シュナヴィッツは最初の召喚でティアマトを召喚した。つまり彼が存命する限り、他の誰もティアマトを召喚する事は出来ない。シュナヴィッツだけがティアマトを召喚する事が出来る。
最初の召喚で召喚されるものは、その召喚士の力を読み解いた上で訪れると言われている。
今現在の力で召喚されてくるのではなく、将来持ちうる力――可能性を見越してやってくる。
今後、どれだけの力を発揮する召喚士かを証明をする。
召喚される側が選別して自らやって来るのだ。
この13歳の誕生日に行われる初召喚の儀式で、どのような召喚士として生きていくか問われてくる。
初召喚の儀式ではその時点での召喚士の力は召喚される側へ語りかける程度のものしかない持っていないのがほとんどだ。
ティアマトを召喚したパールフェリカの兄シュナヴィッツや隣国で“神”を召喚した国王など最上位の召喚獣や召喚霊を召喚する者は現在、この大陸、いや全ての召喚士らの中でも五指に入れられるような存在だと言えた。
「……さすがに緊張するわね」
この初召喚の儀式は今持っている召喚する技術より、潜在能力を試す側面があるのだが、それ以上に、召喚士にとって最も相性の良いものが召喚されると言われており、召喚される側が引き寄せられてくる――という。
召喚されたものは召喚士にとっては生涯の友となる。
召喚獣も霊も快く側に居られる召喚士かどうかという点も見ているらしい。力だけではなく、内面まで問われるのが初召喚の儀式なのだ。
最初の召喚の儀式の後、様々な大小召喚獣や霊と契約する事はあっても、この最初の儀で結びついた召喚獣や霊はここで召喚した召喚士にしか従わない。
召喚士にとって、人ではない人生の友を得るこの初召喚の儀式はとても重要なのだ。
「ネフィにいさまはフェニックスだし、シュナにいさまはティアマト……ちょっとハードル高いわよね」
呟いて、台座をウロウロ歩いた。このウロウロというのも手順の一つなので別に遊んでいるわけではない。
何歩西へ、何歩東へ、などという理屈のわからない事だったが、今はそれを詳しく知らなくてもいいと言われ、パールフェリカは手順だけを頭に入れてきたのだ。
最後に、中央の松明の元に行き、“浄化の火”に両手をかざした。
パールフェリカはごくりと唾を飲み込んで目を閉じ、息を整えた。
濃淡のある赤から黄色へ色を変え、姿を揺らめかせる松明の火がパールフェリカの白い顔を照らす。
パールフェリカはゆっくりと目を開いた。
いつもの表情豊かな可愛らしいパールフェリカとうってかわって、無表情にも見える真剣な眼差し。
両手を掲げ天を仰ぐ。
「我が名は、パールフェリカ! 我が魂に価値を見出す者あらば我が声に応えよ」
言うなれば気合の言葉である。
その後、パールフェリカは目を細めてぶつぶつと低い声で呟いている。
先ほどパールフェリカがた東西南北歩いた足跡から、天井へ向けて垂直に真っ直ぐ光が放たれた。台座の周囲の彫刻らも光を帯び始める。
やがて、広間自体が光に満ちた。
洞穴の外で腕を組んでいたエステリオが、結界の中へ目を向けた。光がにじみ出て来ていたのだ。
「はじまったな」
「……姫様……」
「リディは……」
エステリオは心配そうに眉間に皺を寄せるリディクディに、呆れた声を出し、組んでいた腕を解いた。
「お前な、いい加減にしろ。家臣であるお前の態度を知らぬ者が見たら姫様を見くびっていると取るぞ。この国の王家の者は家臣に侮れていると」
こんな場所、深い森の奥で二人しか居ないのに言われても詮の無い事ではあったが、リディクディは素直に慌てた。
「え……いや、そんなつもりは」
「……パール姫なら心配無用だ。確かに能天気でおっちょこちょいで少し常識に欠けるが、我らが召喚古王国の連綿たる力ある血を引いておられる」
何せパールフェリカの兄の王子らは唯一の召喚獣を召喚するのだ。どちらも世界で五指に入る立派な召喚士だ。
「……そうだね」
リディクディは息苦しくなって口元のマスクのチェーンを片側を外し、光り輝く洞穴を見た。
7歳のパールフェリカを知っている。
10歳のパールフェリカを知っている。
今日、13歳を迎えるが、いつだって変わらず、ずっと大事な大事な可愛い主君――。
リディクディの顕になった顔は、整った甘い顔立ちをしている。こちらもエステリオと同じく二十代前半だろう。少年っぽさも見え隠れするが、背も高く立派な成人男子である。瞳は光によっては透けるのではないかと思わせる琥珀色。
「顔は出すな」
苦い声でエステリオが言った。
「え……」
「もう姫様も戻られる。神殿に寄るのだしな」
「はあ」
言われてマスクを留めなおすリディクディを、エステリオは小さな溜息を吐き出して視界の端に捉えていた。神殿仕えの――慎ましやかな生活を送る女達ですら「きゃーきゃー」言って集まってしまう顔立ちなのだから、簡単にマスクを外す習慣を付けさせるわけにはいかない。
そうして、しばらく待って洞穴から出てきた“もの”に、二人はぎょっとしてしばし言葉を失った。