(025)召喚獣リヴァイアサン(3)
(3)
“使い”は、その長大な胴を大きく振り回し、地面さえ抉り取りながら、海をモンスターを、人を薙ぎ倒していく。その頭辺りを狙って大きさに比例して威力の増したフェニックスの熱光線がコーッと走る。それに対して“使い”は巨大な牙がびっしり生える口をがばっと開き、火炎を吐き出す。同時に鼻からは黒煙が立ち登っている。
ばさりばさりと“使い”の正面に翼を広げ、兵を護るようにその上空でフェニックスは熱光線を巧みに操る。短いものをいくつも吐き出し、ホーミングレーザーのように“使い”を追いかける。対象は巨大なので当たりやすいが、その硬い濃紺の鱗はダメージを受けている様子が無い。フェニックスのレーザーミサイル、弾幕の隙間を縫ってティアマトが機動性を最大限活かし、“使い”に近寄る。外装が硬いなら、目──基本だ。
ティアマトは、熱光線をかわし、火炎ブレスを吐き終え、自身の黒煙で視界を悪くしている“使い”の正面へ回り込み、滑らかに大きく口を開くと、ガガガッガガガッと先の尖った礫のようなものを何十本何百本と吐き出した。一つ一つは人の振るう大剣、バスタードソード級の大きさだ。
礫は“使い”の顔面を襲い、両目にそれぞれ10本以上突き立った。
しかし、一度の瞬きで全て落ちる。穴の開いた瞬膜はどろりととろけ、涙のようにこぼれる。その傍から、新しい瞬膜が生まれている。
感情があるのか無いのか、どこから聞こえているのかわからない低い──例えるなら腹の虫の音のような──不吉な音が辺りを満たす。
ティアマトは顎を上げ、羽ばたき、軽く上昇した後、後退する。
“使い”はフェニックスを、その向こうに居るネフィリムを睨みすえ、大きく息を吸い込む。海水が巻き上がる。歯の隙間から黒煙と炎が溢れ──その喉の奥からエネルギーの塊が吐き出された。
これだけ離れていてもわかる。“使い”のこれまでに無い超巨大火炎ブレス──この焦土全てを焼き尽くしてしまいそうだ。
「──っ」
呻いたネフィリムはこちらを振り返るフェニックスと目を合わせる。
──いけ。
静かに、しかし迅速に声を飛ばした。
その火炎ブレスが届く前、フェニックスが両方の翼をバサリと大きく広げ、最大長の大きさになる。自らを巨大な、一枚の盾とする。
シュナヴィッツの眼前、“使い”との間に遮るようにフェニックスの翼が割り込む。ティアマトは高度を下げ、さらに砦側へと退く。
燃え盛る体と、“使い”のブレスがぶつかり、弾ける。
──空が赤く、オレンジに染まり、輝く。
爆発は目を開けていられない程の光と、吹き抜ける熱風を辺りばら撒く。
本来の“使い”の火炎と熱風を、フェニックスが抑え切れなかったものが溢れてきているのだ。焦土に居たガミカ兵も、モンスターすら、この空を埋め尽くす巨大なブレスからは免れ、あらかた無事であった。
低空に移動していたシュナヴィッツは砦側に避難していた。眩い空に手をかざし、“使い”と“炎帝”を見守る。
火炎ブレスとフェニックスの燃え盛る体がぶつかりあい混ざり合い──両方が大気に消えた。
相殺をしたのだ。
シュナヴィッツはティアマトの頭を返して、砦屋上を振り返った。
「──兄上!」
遠く、ガクリと膝をつくネフィリムが見えた。そちらへティアマトを操る。
「……に、にいさま……!」
遠くからシュナヴィッツの声、さらに近くからパールフェリカの声が飛ぶ。
「兄上!」
上空までやって来たティアマトからシュナヴィッツの声が降ってくる。
──フェニックスは消滅した。フェニックスが持つ本来の耐久度を超えるダメージに、召喚士の作り出す召喚獣の実体が消滅したのだ──強引な、外側からの解術。そのダメージは召喚士に比率で返る。
ネフィリムはくらくらする頭を抑え、膝を立て空を見上げ叫ぶ。その空にはシュナヴィッツが居る。
「気を抜くな! あちらも消耗は大きいはず、手を休めるな!」
シュナヴィッツは頷き、再び“使い”へティアマトを飛ばす。
パールフェリカはよろよろとエステリオから離れ、ネフィリムの傍に来ていた。同時にエステリオも駆け寄る。
「ネフィリムさま!」
あの火炎ブレスで、パールフェリカのトランス状態は解けている、だがどこか熱っぽい眼差しでネフィリムを見上げる。
「にいさま……」
「ああ……大丈夫だから、さがっておいで。大人しくしてるんだよ」
言葉は優しくそう言うが、顔でわかる。
パールフェリカはすぐに退った。
──今、邪魔だと言われたのだ。
ネフィリムは再び立ち上がると、ぶつぶつ唱え、先ほどと同じ程のサイズのフェニックスを召喚しなおした。さすがに肩で息をしている。召喚するだけで、これだ。“使い”の火炎を押し返すのに力の大半をもっていかれた。あちらも同じ程度には、ダメージを受けていてくれるといいのだが──ネフィリムは“使い”を睨む。
“使い”の鼻からは黒い煙のような呼気がふしゅふしゅと小刻みに溢れ出ていた。息が、上がっているらしい。
そこへシュナヴィッツのティアマトは襲いかかり、再び召喚されたフェニックスが援護弾幕を張り巡らせる。
──体力勝負のように見えて、これは……。
ネフィリムが無い打つ手のどこに勝機を作り出すか思案していた時、見張り兵が走って来て報告を一つ持ってくる。
それにネフィリムは大きく眉間に皺を寄せる。
シュナヴィッツの要請でリディクディが行くはずであった王への伝達を任されていたクーニッドの長老マルーディッチェと、ネフィリムがこの砦から魔法陣の件について王へ報告に行かせていた護衛騎士レザードが、大国プロフェイブからの援軍とともここへ来るのだという。
「──プロフェイブから? アンジェリカ姫か、余計な事を。こんな事で借りは作りたくない──」
ネフィリムは苦いものを口に含まされたような顔をした。
──国の、大陸の存亡にも関わりかねない“使い”の来襲を、こんな事と、ネフィリムは言った。
巨大ブレスに驚いて一度我に返ったパールフェリカだったが、一度退ると再びあの眩暈が波のように襲い来る。パールフェリカ自身は、この状況に正気を保っていられないのだと思い込んでいる。そんな自分に精一杯渇を入れながら、心の内でミラノの名を呼び続ける。
見上げればフェニックスの熱光線と“使い”のブレス、そして攻撃のチャンスと見てはその懐に飛び込むティアマトの姿。砦の下は押し寄せるトロルやらオーガやら、闇の眷属とガミカ兵と召喚獣が剣を牙を打ち鳴らしている。
正面を見れば、背筋を伸ばしながら、額に汗が流れる兄ネフィリムの姿がある。ほのかに開いた口から荒い息がわかる。眉間の皺は取れそうに無い。
「……こわい……」
パールフェリカは傍に居るエステリオにも聞こえないような小さな声で呟いた。
先ほどから焦土を、周囲を見回していたパールフェリカが、ぶつぶつとなにか言っている。
「パール姫……?」
つい先ほどのトランス状態──人としての意識を保ち、召喚術を行使する状態を一歩飛び越えて、召喚獣や召喚霊の居るとされる“霊界”へ意識を投げ出し直接語りかける──であったパールフェリカをエステリオは心配している。トランス状態は一歩間違えば意識を持っていかれ、残った体は魂を失って、つまり死ぬ。
トランス状態になれば、日頃は呼びかけても声が届かないような霊にさえ繋がる。
パールフェリカの体がまた、ぐらりと傾げる。
エステリオは、パールフェリカの小さな体をとっさに支え、膝立ちで抱きとめた。パールフェリカはエステリオにぐったりと寄りかかったまま、ぶつぶつと何か呟いている。
「──イカナイデ……オイテイカナイデ……」
パールフェリカの脳裏には、羽虫のように、ノイズまじりに“神”の魔法陣から溢れていたあの声が聞こえている。
──ワタシヲ……ヒトリニ……──
そう、私を──
「──私を……一人に……しないで……──」
そして、パールフェリカの握り締める、床に転がったうさぎのぬいぐるみが白い魔法陣で包まれる。
パールフェリカの虚ろだった瞳の片方に──唐突に意識の光が戻る。
「私は、こっち──!」
半分をトランス状態にしたまま、パールフェリカはエステリオを押しのけ這い出し、“使い”へ小さな体を向け、冷静な声で叫ぶ。
「──こっちよ! ミラノ!」
そのはっきりした意志の宿る大きな目をさらに見開いて、“使い”の目をギラリと睨んで手を伸ばした。
パールフェリカの深い蒼い瞳と、“使い”の黒光りする紺色の瞳が、正面からぶつかる。
パールフェリカは一度奥歯を噛み締め、顎に──言葉に力をこめる。
「──お前になんか──渡さない──!!」
ハッキリと、強い口調でそう言い切った。