(022)パール姫の冒険(3)
(3)
──最初にクーニッドに大岩が落とされた。
“はじめの人”降り立ち、そこに“アルティノルド”を召喚した──
「それって創世神話……アルティノルド叙事詩?」
パールフェリカの問いにシュナヴィッツが頷いた。
クーニッドの森は、深い。
王都から北東へ2時間程飛んで来た辺りで、山々の木々の色が変わる。明るい緑の多かった木々が、より深く濃い緑、時に黒くすら見える木々に変わる。
そこまで辿り着くと、召喚獣達は一斉に驚き慌てふためいたように逃げ出す、まともに制御が出来なくなる。ティアマトでさえ、例外ではない──クーニッドの森は、召喚が当たり前のこの世界で唯一、召喚の一切が行えない土地なのだ。故に、神“アルティノルド”の座す地とされている。
アルティノルド叙事詩では“はじめの人”を神とするか、クーニッドの大岩を落としたとされる“アルティノルド”を神とするかで議論され意見が分かれている。実際に世界を創造したのは“アルティノルド”の方であると明記されている為だ。こうなってくると卵が先か鶏が先かの次元にはなる。これは一般的に“卵が先”であるとある程度の結論は出ているが、この世界の神に関してはまだ出ていない。“はじめの人”とは言葉としても格好が付かず、最初のこの一文にしか現れない為、アルティノルドがこの世界唯一絶対の神であり、この大地自体であると言われている。
世界そのものが神であると。それがこの世界での基本的な宗教観だ。
その神の突端となるのが、“はじめの人”が降り立って“アルティノルド”を召喚したというクーニッドに落とされた大岩だ。
クーニッドはただ地名を指す。結論、この大岩が地上、人々の前に現れている、神の一部である。
騎乗する召喚獣が使い物にならなくなり、シュナヴィッツらは地上へ降り、山道を自分たちの足で歩いて進む。
行脚してくる者が多いので、山道はある程度整備され、平な道にはなっている。幅も広く10人程度が横に広がっても問題はない。左右には当然、色の濃い葉を付けた木々を抱える森が広がる。
整備されていると言っても深い山なので、時々ヘビが顔を出す。するとパールフェリカが「ギャー」と騒ぎ、野うさぎがでてきては「きゃー! 可愛い!」と駆け寄り石に蹴躓き、よろけて転びそうになる。それをシュナヴィッツは注意する事無く、いちいち手助けをしてやっている。エステリオなら小言をいくつも飛ばしていそうな状況の連続にもシュナヴィッツは丁寧にパールフェリカにそっと手を伸ばしてフォローをする。その度にパールフェリカも「にいさま! ありがとう!」と満面の笑顔。リディクディはその兄妹愛に和んでいるが、エステリオは“甘やかしすぎている”と眉間に皺を寄せていた。
肩から足首近くまで、全身を包み込んでいる柔らかい生地のシンプルな外套を払って、シュナヴィッツは亜麻色の髪をかきあげた。早朝飛行という事での外套だったがこれだけ歩くとやや暑い。
「兄上の方が詳しそうだが。召喚と言葉が付けば食いついているからな。──“ならば! 世界は獣か霊か、それが私の命題だ”──なんて嬉しいのか困ってるのか、普段より妙に太い声で朗々と話してたな。ひっくるめてとても楽しんでるんだろうが」
「ネフィにいさまって、カッコイイのに時々どうでもいい事考えてそうだよね。侍女たちがいつもうっとり眺めてるけど、基本的にネフィにいさまってちょっと変よね? この間もマンドレイクを何株も両手に持って帰ってきてたわ、すっごく臭かった! あの見た目であの臭いは反則だわって思って私逃げ出しちゃったもの! それに人と似た根っこだから気味が悪いでしょう? なのに侍女たちはうっとりだもの、とっても変だったわ。あれ? これってネフィにいさまが変なの? 侍女たちが変なの? う~ん? ──あ。獣も霊も無いのに──神様は神様じゃないのかなー。ネフィにいさまは召喚獣とか霊にすぐ結びつけるクセがあるのかな? 直結?」
退屈しのぎにこの兄妹は、上の兄を話題にしている。
ミラノがパールフェリカの今の言葉を聞いていたなら、無言で目を逸らした事だろう。ワールドギャップとでも言えばいいのだろうか。インターネットゲームのスラングで直結とは、乙女が口にして良い単語とは言えないせいだ。下半身直結厨の略であり、性的な結合に思考がすぐ直結する輩を指す。
「ちょっと変かどうかは、僕には言えないが……召喚獣マニアなのは間違いないな…………マンドレイクは植物だろう? なんでそんなもの持って帰ってるんだ? マンドレイク……何に使うつもりなんだ、兄上。──獣か霊かなんて。世界はどう考えたって、地面は地面だし、空は空なのだと思うが」
「知らない~。そういえばネフィにいさまの変な話でね、この間リャナンシーっていうのを召喚出来る人を召して──」
リャナンシーは召喚霊の名前であるが、パールフェリカはよく知らず口にしている。リャナンシーは美しい女の姿をした霊で、召喚主は必ず男。素晴らしい音楽の能力を一時的に与えてくれるが、その代償は、これも乙女が口にして良いものではない。いわゆる精気を持っていくので、リャナンシーという召喚霊の詳細を聞かれたら困ると思い、シュナヴィッツは聞かないフリを決め込みつつ、別の話題を探した。
3ヶ月ぶりの再会が一昨日で、ゆっくり話すまともな機会が無かった、それで今なのだ。二人は実によくしゃべった。シュナヴィッツも別に無口な男ではないので、それなりに会話を楽しんでいる。若干噛みあってはいないが、ネフィリムがいないと天然気質の入った二人は止まらないし、それでも通じてしまうのだ。
二人のするネフィリム話を聞きながら、エステリオとリディクディはひたすら聞こえないフリをしていた。高貴なお方にお仕えしているという自負がどこかに飛んでしまいそうな気が、したからだ。
30分程、緩い起伏の山道を抜けると、クーニッドの村に着く。世界レベルでの神話息づく村だが、あまりに山深い為牧歌的な雰囲気が漂っている。人口も500人程度、外から訪れている旅人も日に50人未満である。召喚術を使えない不便さが、人をあまり寄せ付けないのだ。
広い山道の先に、階段が現れはじめ、左右の木々は枝が整えられたものになる。30段ほどの石積みの階段を上りきると、大人2,3人が両手を伸ばし繋いでやっと届くような太い丸太をそのまま使った門が、どんと立っている。切り出したままの形なので、人工物の少ない景色で実に調和している。
王都と異なり、家は地面に直接建っていて、豚やら牛、鶏などの家畜がそのまま村の中をうろうろしている。それを子供が追いかけているのだ。パールフェリカはにこーっと笑って、白色の外套の中で“うさぎのぬいぐるみ”を抱いたまま両肩を上げつつ、鼻で息を吸い込み周りを見回している。好奇心一杯といった仕草だ。
ばっとシュナヴィッツを振り返って、笑顔のままその口を大きく広げようとした。が、ぽんと頭に手を置かれた。
「後にしなさい」
森の中を歩いて来た時とは打って変わって、シュナヴィッツは“王子”の顔になっている。表情を消して凛々しく辺りを見、静かな声でそう言った。
「……はい」
この辺の切り替えをパールフェリカはまだ出来ないので、しゅんとして返事をしたのだった。
村の中を歩く。精緻で品のある刺繍の施された外套を身に纏う、どう見たってノーブルな美貌の男女と、いかにも護衛騎士といった風体の厳しく武装した者がその前と後を歩き、警戒し進んでいる。村人らの目を引かないはずはない。
が、ここはそこら辺の普通の村ではなく、創世神話の地。村人らは、またどこぞの貴族様か王族のお偉い様がいらっしゃったのだと、そそくさと膝をつく、子供らもだ。騒ぎになるような事は全く無かった。
しばらく進むと、白い石を積み上げて作られた神殿が見えた。
あれがクーニッドの大岩を包むように後から作られた神殿。特に名前は無いが、外から来る者はそのままクーニッド神殿と呼ぶ。
神殿は4階建ての建物程の高さがある、がこれは1階しかない。幾重にも壁で仕切られ、建物の中央に“クーニッドの大岩”があるだけの神殿で、ここを管理する為の人員は神殿横の小さな木造の建物に居る。
神殿の入り口に白い法衣──真っ白のだぼっとしたズボンに、これまただぼっとした上着、その上に膝丈まである貫頭衣を着ている。この貫頭衣には青いラインが縦に大きくいくつか入っていて、位を表している。これが真っ青の貫頭衣を着ている者が一番偉い。
エステリオは、左半身に5本の青い線をした衛兵らしき男に話しかけ、神殿の長、つまりこの村の長を呼ぶよう伝えた。衛兵は木造の建物へ慌てて走って行った。
シュナヴィッツとパールフェリカは少し離れ、リディクディが傍に居た。
やがて、その木造の建物から、真っ青に染められた貫頭衣を着た老人が姿を現した。茶色く変色してるようにも見える顔は皺くちゃだったが、はっきりと笑顔である事が分かる。好々爺のようだ。それでも腰が曲がっているという事も無く、しっかりした足取りでシュナヴィッツの前までやってきて、両膝を付いた。他の衛兵らも同様に膝を付く。
「ようこそおいでくださいました。シュナヴィッツ殿下、パールフェリカ殿下」
一礼して老人は顔をあげた。
「いきなりですまない。マルーディッチェ」
「いいえ、そろそろ王家の皆様から何かしらあるのではと思っておりましたので」
老人は笑顔のままそう言った。
「……どういう意味だ?」
パールフェリカの召喚の事などは、いくらなんでもまだここまで伝わって来ていないはずだ。
「おや、別件ですかな? 私はてっきり──。いいえ、中でお話致しましょう。神力宿る、大岩へ──」
そう言って、シュナヴィッツがマルーディッチェと呼んだ老人は立ち上がった。
神殿内部は、王城と同じくうっすらと光る石が用いられており、暗いという事は無かった。ただ、装飾もなく、ただ石が積み上げらているばかりの、やや無骨な造りにすら見えた。
何枚もの扉をくぐった後、4、50名が入ってもゆとりのある部屋へ辿りつく。天井はもちろん4階建て分ある。
最後の扉が後ろで閉められた。室内には、シュナヴィッツ、パールフェリカ、エステリオ、リディクディ、そしてマルーディッチェ老の5人だけとなった。
部屋の中央には、半透明に輝く大きな石が地面に突き刺さっていた。クリスタル、というものだ。
「これが伝承にある……大岩?」
パールフェリカが思わず呟いた。想像していたものと違ったのだ。普通の灰色から茶色っぽい岩を考えていたのに、宝石と見まごう、巨大な水晶がこの部屋の4割を占める大きさで、壁からの明りを受けて、その内にゆらりゆらりとほのかな光を宿しているように見えた。
マルーディッチェ老はパールフェリカに笑顔で頷いた。
「そうでございますよ」
そして、シュナヴィッツを見た。
「一昨日これが何度か光りまして。外へその光が染み出る程に」
シュナヴィッツは眉間をひくりとさせた。
「光った?」
「ええ、今日にも王都へご報告に参じるつもりでしたが」
「光るものなのか?」
信じられないといったふうに問うが、マルーディッチェ老は笑顔を貼り付けたまま、「いいえ」と大きく首を左右に振る。
「さらに昨夜も一度、大きく光りました。少し違う光り方をして気になってはいるのですが」
「どうちがう?」
「一度光ったのち、光の塊が飛び出し、北へ飛んでいきました」
「北へ?」
「サルア・ウェティス《聖なる墓所》へ」
「………………」
シュナヴィッツは目を閉じ、黙した後、厳しい表情をマルーディッチェ老に向けた。
「この大岩は、神の一部と言われている。
ならば、神が何かしたというのか」
「そうなります……そのうえで、気になる点が」
「なんだ」
「昨夜、光が飛び出したのですが」
「それが?」
「その光は、魔法陣でした──」
シュナヴィッツはいよいよ眉間の皺を深くした。エステリオやリディクディが息を飲んでいる。パールフェリカは事情が飲み込めず、兄や護衛二人の顔を見て不安そうにしていた。この土地で、人が魔法陣を展開する事は出来ない。もし魔法陣が展開されたならばそれは──。
「…………………………」
「神が“使い”を召喚された可能性が──」
これは、深刻な問題だ、マルーディッチェ老のこの顔は笑顔ではない、そういう顔なのだろう。茶色に近い顔が、やや青ざめた。
アルティノルド叙事詩にある。
──神が“使い”を地上に召喚する時、天罰が下される──
シュナヴィッツは外套を翻して足早に神殿を出た。
「にいさま!」
パールフェリカが追いかけ、エステリオ、リディクディも従った。
「にいさま、どうしたの!? どういう意味??」
外に出たところでシュナヴィッツが足を止めた。背を見せたまま告げる。
「リディクディ、お前の神速のペガサスで一刻も早く神の“使い”の件を父上に伝えよ。エステリオ、お前はパールを連れて城へ帰れ」
「え、ちょ、ちょっと待って、にいさま。まだミラノの召喚が──」
「残念だが、それは少し先延ばしだ」
「シュナヴィッツ様は?」
リディクディが訊ねるとシュナヴィッツは振り返る。既に、森の中で話した“兄”の顔でも、村へ来たばかりの“王子の顔”でも無かった。力ある牙持つ召喚士の、戦う顔だ。
「僕は、先に北へ、サルア・ウェティス《聖なる墓所》に向かう」