(020)パール姫の冒険(1)
(1)
パールフェリカの部屋を後にして、広い廊下を歩きながらネフィリムが至極真面目な顔をした。
「どうにも、召喚が完全に切れているのかもしれないな。あれでは初召喚前とそう変わらない。“召喚の絆”というものが、働いているのかどうか──結局、召喚しなおしてそれ以上に相性の良い召喚対象に空きが無く、ミラノさえ拒否しなければ、もう一度呼べるのは、呼べるだろうが」
「ミラノは“霊”だか、“獣”だか曖昧でよくわかりませんからね。異界から呼ぶのか、この地上から呼ぶのか、とにかく数撃って試すしかない気がします」
「──それは、そうだがな。パールの体力も無限じゃない。……一度繋がった絆だ、いずれは必ず呼べるはずだ──が、パールは何もかもが初めてで不安だろう。周りに出来る事と言えば、古い知を集める位だな。図書院の連中を急かすか、クーニッドに乗り込んで長老に話を聞くか──。……ところで。召喚士としての力は私達の中でパールが、一番強いと思うんだが、シュナはどう思う?」
クーニッドは召喚士達の聖地とされる集落だ。召喚についてわからない事があれば最後はここに行け、と常々言われている。
「現時点の話ですか?」
「──さすがに」
ネフィリムは笑った。その反応にシュナヴィッツは一度頷く。
「…………現時点で既に、僕が16,7だった頃の力はありそうですね。もし、パールの召喚獣がティアマトだったなら、今のパールでも最大サイズのティアマトを召喚出来そうです。召喚するだけ、でしょうが」
「ああ、私のフェニックスも、昨日私がした位の事はやってのけられるだけの力を、13のパールは持っているだろう。そうなると“ミラノ”は──」
「考えるだけで恐ろしいですね。召喚するだけで召喚士がバタリ──あんなぬいぐるみに放り込んでられるというのも意味がわからない……」
シュナヴィッツが左右に緩く首を振った──信じられないといった態だ。
「一体、どれほどの“存在”なんだろうね。召喚獣マニアの私としては血が騒いで仕方ないんだがなぁ」
「……………」
シュナヴィッツの顔が少しかげったのをネフィリムは見逃していない。顔をシュナヴィッツと反対側に向け素直な子だなぁと微笑んだが、すぐに真剣な顔に戻した。妹も可愛いが、弟も大事な兄弟だ。
「シュナ──私は召喚士として、召喚対象として、言っているからな?」
足を止め、念を押すようにシュナヴィッツの顔に人差し指を見せてネフィリムは言った。シュナヴィッツも足を止め、兄と指先を見比べた。どういう意味かわかっていない辺りに、ネフィリムは笑いそうだったが、堪えた。
「……え?……どういう?……え……あ…………はい」
「よし」
わからないままに返事をするシュナヴィッツを見て、ネフィリムは頷いて手を下ろし、再び歩き出したのだった。
近衛兵に先導され、ネフィリムとシュナヴィッツは謁見の間、玉座のラナマルカ王の前で両膝を付いた。
王に疲れた様子は無く、昨日の件の事務処理も全て滞りなく進んでいるのだろう。その為に、ネフィリムも明け方まで手伝っていたが。
ネフィリムは仮眠をとった後、毒を受けたものの無事であると聞かれたシュナヴィッツを見舞いに部屋を訪ねたが居らず、パールフェリカの部屋で彼を発見したという経緯だ。
「二人とも、昨日はご苦労だった。シュナ、傷の具合はどうだ?」
「問題ありません、少し熱っぽい程度です」
「そうか、何よりだ……」
ワイバーンの猛毒を受けた話は聞いているのだろう、王はほうと息を吐き出し、玉座に深くもたれた。
「ミラノには、感謝してもしきれないな」
戦闘をより早く終わらせるのにその力を惜しみなく振るったミラノ。短期決戦で終わせ、シュナヴィッツを、真っ先に会い向かわせたミラノ。そのシュナヴィッツの小さな傷をあっさりと見つけ、早々に手当てをさせたミラノ。
ワイバーンの毒は、早期発見、早期治療、これ以外に死を免れる方法はなく、ほとんどの場合、気付かずに戦闘中にその毒で命を落とす。この毒は致死率が高いのだ。
「……ミラノ、不思議な召喚獣ですね。いえ、召喚獣と呼んでいいのでしょうか」
ネフィリムがしみじみと言った。
「丸太や鋼の板を次々と、詠唱も無く、召喚してみせましたよ? さて、どこから突っ込んでやりましょうかね」
「昨日も申していたな。それは本当なのか?」
「召喚獣に関して、私はとても真摯かつ純粋ですよ? 父上」
「ああ、それはわかっている」
ネフィリムが丁寧に念を押すので、王は笑った。もしネフィリムに趣味、嗜みがあるとするならば間違いなく“召喚獣と召喚霊、それら召喚術”だ。それは城の誰もが知っている事なのだ。
「──まず、召喚出来るのは獣か霊のはず。前例にはそれしかありません。なのに、丸太。なのに鋼。城に転がってた“モノ”です。それを、呼び寄せ、しかも飛翔系のように、いえ羽ばたきもしないのだからあれはまた違う気もしますが、“モノ”を宙に浮かせる。全て、術の詠唱も何も無しで。──そして“黒の魔法陣”です」
「黒……灰色とかではなかったのか?」
「いいえ、全くの黒です。向こうが透け見えたり、光を放つという事は一切ありません。むしろ、光も色も全てを飲み込んでしまいそうな程、黒。……全ての色を混ぜた黒。──力に満ち、濃すぎて透けない魔法陣。何もかもを飲み込んだ後のような“黒の魔法陣”」
「魔法陣とは個々人、色があって、力によって光っている……つまり、あちらが透けて見えるのだが」
「……父上、来賓の方々には安全の為という名目で早々に帰って頂きましょう。我々もパールの召喚獣であるミラノについて詳細を把握できていません、外に漏れるにはまだ早い」
「そうだな、そのように指示しよう」
そこへ3者の近く5歩の距離に近衛兵が駆け寄り膝を付いた。王はちらりとそちらへ目をやると、下を向いたまま近衛兵が声を張る。
「アンジェリカ・プロフェイブ王女殿下がお越しです」
「はて。予定にはなかったがな。通せ」
何も言わず、ネフィリムとシュナヴィッツは階段を上がり、玉座のやや後ろ、左右に立った。
近衛兵に先導されてやってきたのは、赤い髪を縦に巻いて、頭上には金のティアラを乗せた美しい女性。
顔の中心ではスッキリした鼻が主張している。少し垂れ目のエメラルドグリーンの瞳は、長い睫毛に彩られ強い力を放っていた。頬紅を少し過剰に塗ってあるが、女性的な色気が漂う。淡いピンクと水色のドレスは、ウエストから大きく広がり、全体がレース地を幾重にも重ねた仕立てだ。耳にも胸元にも豪奢な飾りが下げられている。ガミカ国から見ると、贅沢極まりない姿だが、彼女の故国プロフェイブでは華美すぎず無礼に当たらない程度のおしゃれである。21歳の王女を、子供っぽくも、大人っぽすぎずにも演出し、つまり、よく似合っていた。
「失礼致します。プロフェイブ国のアンジェリカでございます。
昨日は突然の災厄、お見舞い申し上げますわ、ラナマルカ王」
名乗ってきているが、ラナマルカ王やネフィリムらはとてもよく見知った顔である。10年以上前から彼女はこの国に頻繁に来ているのだ。
「アンジェリカ姫、昨夜はよく眠れましたかな? 一国の姫たる貴女がお越しの日に、申し訳なく思っています」
「お気になさらないで。皆無事ですし、カミガ召喚古王国の健在ぶりを我々は身をもって知る事が出来ました。父上には今後も力強く手を取り合うのが良いでしょうとお伝え致します」
「……ありがとうございます」
「それに……」
アンジェリカはネフィリムをちらりと見、ネフィリムはにこっと微笑み返した。アンジェリカの眼差しは熱い。
「ネフィリム様のとても素敵なお姿……ご雄姿も拝見出来ました。アンジェリカはその事ばかり、昨夜は考えておりましたのよ?」
「姫のお心を一時でもいただけた事、光栄に存じます」
ネフィリムは微笑んでそう言った。さらりと亜麻色の髪が揺れ、その美貌を彩った。昨夜の疲れ、ほぼ徹夜であった片鱗は微塵も見せない。
「まぁ……」
その微笑にアンジェリカはぱぁっと顔を赤らめた。
「ネフィリム、発つまで時間があろう、アンジェリカ姫を案内して差し上げなさい」
案内も何も無い程、彼女はガミカによく来ているのだが、ラナマルカ王もネフィリムもそんな様子をおくびにも出さなかった。
「はい、父上。失礼致します」
そういってネフィリムは王に一礼し、階段を降りてアンジェリカ姫へにこやかに手を差し伸べた。アンジェリカは満足そうにその手を取り、微笑んで去っていった。アンジェリカはひたすらじいっとネフィリムを見つめるばかりで、周りが見えていない。舞い上がってしまったのか、ラナマルカ王への退席の挨拶無しである。ネフィリムはそれを取り立ててフォローもしなかった。
二人が去った後、ラナマルカ王が一度小さく溜息を吐き出す。
「あれも、折角の縁なのだからアンジェリカ姫を毛嫌いせず、さっさと婚儀を挙げてくれればいいのだが、のらりくらりとかわして……さすがにプロフェイブの王もいぶかしがろうに」
あの対応、あの笑顔を見せ付けておきながら、ネフィリムはアンジェリカを好いていない。その理由を本人ははっきり言わない。シュナヴィッツなら見てわかるのだが、ネフィリムでは何を考えているのかさっぱりわからない。
結局、この父も大概甘い。王子二人が妹に甘いのもこの父の影響だろう。肝心なところで本人を尊重し、その意思に任せるところがある。
「そうですね、兄上がさっさと結婚して早く世継が出来たなら、僕も担ぎ上げの対象から少しは外され自由にも出来るのですが」
一瞬驚いた表情を見せたラナマルカ王は玉座の肘置きにもたれて、やや後ろに居るシュナヴィッツを見た。
「まだ近付く輩は居るか?」
「15の頃までは気分も頭も悪い貴族連中が、そこからは見え見えな姫達から猛アタックでしたね。18の時にティアマト召喚も安定して、北の要所サルア・ウェティスを兄上に譲って頂いてからは、かなり自由にさせてもらってはいますが。忘れた頃に時々、程度ですね」
ふと、王が黙った。
「父上?」
「──好いた姫の一人でも出来たか?」
「え!? なぜそのような話になるのです?」
長々としゃべっていたシュナヴィッツをよそに、王が考えていたのは“自由にできる”という言葉だった。
自由にしたい、とやっと思うようになったのだ。つまり、好きな女が出来たと言ったようなものだ。今まで、そんな発言を欠片もして来なかったのだ、シュナヴィッツは。自分は第二位王位継承者として、弟として、王を兄を支える王家に忠実な僕である、それをひたすら大げさな程主張し、その為だけに強くなろうとしてきた健気な少年……男だったのだ。女性に心からにこりと微笑みかけるなど、妹にしかしなかった堅物でもあった。それがこの挙動不審っぷり、わかりやすい。
「そうか──いるのか……」
「え!? 居ませんけど!?」
焦っている時点で不審だと言うのに、それも飛んでいるらしい。王はふふっと微笑んだ。ちょっと人の悪い笑みにも見える。ネフィリムは基本母親譲りの性格をしているが、容姿とこういう茶目っ気、仕事への考え方は父親似だ。先天的な性格と容姿、後天的に似た価値観、と言える。
「怪我の事もある、下がって良い。サルア・ウェティスへは今日の昼にネフィリムが行ってくれるそうだ。安心して休むといい」
「いえ、父上、何か誤解が……!」
「早く休めって──」
ラナマルカ王は、しっしと追い払うのだった。何だか納得いかないと悔しがって背を向けて下がるシュナヴィッツを、王はいひひと笑いながら見ていた。
色恋を避けていたシュナヴィッツが初めて、その心を動かしつつある、それが微笑ましく、嬉しく思う。それはラナマルカ王もネフィリムも同じ気持ちで、笑うのだった。