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(2)
扉がノックされ、“うさぎのぬいぐるみ”のミラノはハッとして現実に引き戻された。
「パール様、お忍びの品、取りに行って参りました」
今日、侍女のサリアはおつかいに出ていたのだが、帰ってきた。
「街は大変な様子じゃなかった? ありがとう!」
パールフェリカは顔を輝かせてサリアの手にあるカゴを受け取った。上にかけられた布を少しめくって中身を確認するとにっこり笑う。
「すぐにお茶の用意をして!」
現実なのに、夢のようだ。
ミラノは王都へ戻るまでの間にソウェイラとかわした会話へ再び思いを巡らせる。
「やっぱりよくわからないわ。“秩序”? どういうイミなの?」
ミラノは問い返した。
「そのままのイミでしょ。世界は“秩序”が目をひからせているの」
「“秩序”……わからないわ。何?」
言葉だけの秩序という意味で言っていないことだけはわかるのに、その正体をはかりかねた。
「だから、そのままよ。言葉の通りよ。私達は“秩序”と呼んでいるの。存在する何かではないわ。あなた達、生きている存在にわかりやすく言うならば、一般的な運命という言葉でも置き換える事が出来るかもしれないわね」
ミラノは言葉のあちこちにひっかかりを覚える。
──『生きている存在』? ならばあなたは?
その疑問は飲み込んだ。彼女は自分のことなら答えない。ならば問うべきは……。
「運命……?」
ミラノの価値観からするとそれはひどく胡散臭い。
「“秩序”に見つかってしまえば逃れられないわ。ただでさえミラノは存在自体がとっくに“秩序”に見つかっているのに。召喚術を使い続けては付け入られるわ」
黒い“うさぎのぬいぐるみ”はソウェイラに抱えられたまま頭を振った。
「言っている意味がよくわからないわ。運命に見つかる? 付け入られる?」
根本的な価値観が違うのかもしれない。相容れないような気がしてならない。
「もう一度言うわよ、ミラノ。あなたが死ぬ事を“秩序”は望み、そのきっかけを待っているの。気をつけて。この世界の人間ではない“あなた”が召喚術を使う事は、この世界の“秩序”の外の事で、“混沌”に値する。介入される余地よ。付け入られたら、殺されるわよ」
「言っている意味がわからないわ」
ミラノの言葉の後、たっぷり10分以上の沈黙をおいて──遠目に王都をおさめられるところまで飛んでくるとソウェイラは一度停止した。
ソウェイラは空に浮いたまま、髪やスカートが風で揺れるに任せて遠くを見つめた。そうして一つ息を吐き出した。
「世界を往復する度に、召喚術を使う度にあなたの内側にある“でたらめさ”は増えてったの。どうなるか知らないわよ?」
「でたらめ?」
ネフィリムによく言われる言葉だが、ミラノは意味が少し違いそうな気がした。
「とっくに、神の召喚獣騒動の時に沢山の人間を生き返して、“秩序”に許されたあなたの“でたらめ”は極めているの」
「どういう意味?」
「“でたらめ”ばっかりやってると“秩序”に見つかるわ。それはそれでいいけれど、“秩序”は“でたらめ”を元の状態に戻そうとする。わかるわね? あなたの内側に溜め込んだ“でたらめ”を“秩序”は元へ戻そうと動く。一番手っ取り早い方法はあなたという存在そのものを消してしまう事よ」
「それで、殺される? 一体何に……」
「だから、“秩序”だと言っているでしょう。偶然とも言えるし、どこに居るか知らない“神の手”とも言えるわ」
「…………予定調和として、私は死ぬと?」
以前の“神の召喚獣”騒動でミラノの死はパールフェリカのユニコーンによって免れた。それは、パールフェリカによって“秩序”が曲がった証でもあった。あの時も既に“でたらめ”だらけのミラノは世界の思惑のままに死ぬはずだった。
「そういうこと」
ソウェイラは肩をすくめて続ける。
「殺されるだの死ぬっていうのは、今の“あなた”、ミラノにとって、という言葉であって、実際のところはさっきも言ったけれど、アセンションね。1つ上の存在に切り替わるってだけなの。変わってしまえばどうってことないのだけど」
「記憶喪失になっても、本人には理解は出来ても自覚がないように?」
「そう。今と違うものになっても、特に何も感じないわ──少なくとも、私はそうだった」
ニコッと笑って、ソウェイラはすぐに真面目な顔をする。
「でも、ミラノを巻き込みたくないの。それで、何とかするために私は来たのよ……私の代わりは“別の子”だと思ってたのに、ミラノになってしまっていたから……後手になってしまった……」
目線が落ちた。深刻そうな顔をして、またすぐ笑った。
「忘れないで。今は生きているわ。死にたくないと本気で思うなら、予定調和……過去を謳うだけの運命を変える事なんて難しくない。未来へ生きる者には簡単に変えられる。一度は変えられたわけでしょう?」
「──簡単な事ではなかったわ」
ソウェイラはまた肩をすくめながら笑って「気をつけてね!」と言った。その手にミラノは触れた。
「あなたの──」
「え?」
「アルティノルドにも、私にも禁忌がある。あなたにもあるんでしょう? あなたの禁忌は──」
ソウェイラはにっこりと微笑んだ。
「もう、侵したわ」
そう言ってソウェイラはミラノの次の言葉を打ち消すように王都へ向けて飛んだのだった。
風が強すぎて、ミラノの声はソウェイラに届かなかった。
が、その回想──ミラノの物思いには、すべてを切り裂く強さで割り込む声がある。
「──ラノ……ミラノ!……──ミラノ?」
「……何?」
黒い“うさぎのぬいぐるみ”の顔が動いた。
周りを見れば、ソファ前のテーブルにケーキと紅茶の配膳が済んでいた。
「えっと? 聞いてなかったの?」
パールフェリカが屈んでこちらを覗き込んでいた。
「ええ、ごめんなさい。考え事をしていたわ」
「あ、ん、そっか。その……ケーキなんだけど、ミラノは食べられる?」
「食べられないし、お腹もすかないみたい。ソウェイラに、私の体に渡してもらえるかしら」
「……そっか」
ミラノと食べたかったんだけど、でも腐っちゃうものねと小さな声で呟くパールフェリカ。
意気消沈するパールフェリカにエステリオが「ネフィリム様がおこしです」と告げた。
「にいさま? ミラノに会いに来たのかしら? お通しして!」
相変わらず疲れた様子を見せないネフィリムが悠然とした足取りで室内に入ってきた。
「パール、まだ寝ていなかったのか」
「ミラノがいるのよ、寝ちゃったらもったいないわ! 今日はもう寝ないって決めてるの! それよりにいさま、街はどう? 大変??」
ネフィリムはパールフェリカの頭をぽんと撫ぜた。
「大丈夫だよ。心配はいらない」
「よかった……」
ネフィリムが従えているのは騎士はレザードだ。アルフォリスはまた別の役目を負ってあちこち走り回っているのだろう。
キョウがレザードににこやかに話しかけていた。
「……──キョウったらまた……ちょっと! 何話してるの?」
キョウとレザードの間に割って入っていくパールフェリカ。
「え? パールちゃんも聞きたいの?」
パールフェリカらがどやどやと騒いでる合間を縫い、ネフィリムはソファにいる黒い“うさぎのぬいぐるみ”に近寄ってそっと耳打ちをした。
禁忌の結果を知らせたのだ。
ロレイズが産気づいたのはネフィリムが立ち去ってすぐの事だったという。
パビルサグとソウェイラが暴れ回った事は王都にとっては謎の襲撃事件として扱われた。
その裏で、騒動に医者も捕まえられないままお産が始まり、ロレイズも育ちきっていない体で子を産んだはいいが後産で血が止らなかった。
大量の出血の末、失血死を迎えた。
父親の知れない赤ん坊が産声をあげる中、駆けつけたロレイズの母親は崩れ落ちたという。
王都の騒動にロレイズの父でもあるキサス宰相は蒼白の顔で城に現れたもののすぐに倒れ、城内でトエド医師の診察を受けた。
また、ロレイズの死と赤子の誕生を聞いたディクトはその場で喉を突いて自ら命を絶ったという……。
基本的にこの世界での事には口を出さない。ミラノはそう決めていた。
例えば古くから「あかんべー」が挨拶の社会で、外から来た人間がそれは大変失礼だから皆やめようと提案したところで受け入れられるものではない。
会社の中での事に例えてもいい。
途中入社してそこではA運送会社から全て発送すると決めているものを、安いからという理由で個人判断から勝手に以前勤めていた会社で使っていたB運送会社を使う事は許されない。
A運送会社との取り決めがあって1個1個の発送料はB運送会社より高くても、A運送は他部署での大口発送を格段に安くしてもらっており、総コストが安くなっていたとしたら……。その事を知らなければ、この個人判断でB運送会社を使った時、会社はA運送会社へ契約違反を行ったとみなされる。知らなかったという言い訳は理由にならない。個人の勝手など許されない。
理由があって、社会のルールは決められ、タブー……禁忌は発生しているのだ。
ミラノの考える狭い範囲でも簡単に推測できる事だ。
それが、国だけではない、ここは世界が違うのだ。
人の死の基準も違うだろう。
社会が成り立つ為の秩序として必要とされる価値観がある。
この世界はモンスターが住み、召喚獣や召喚霊という、人が人を凌駕する力をふるう事が出来る。それも様々な種類の力だ。
車社会の現代でひき逃げが重大犯罪であるように、召喚獣を用いて人に仇なすならばそれも重罪になる。
人を傷つける種類が召喚獣や霊の種類だけたくさんある。
ネフィリムが独断でバルハンムを斬っても、銃社会で銃を持って暴れている犯人を警官が撃ち殺したのとそう違いはないだろう。
この世界の14歳未満の恋愛に関してもそうだ。
医療環境が整っていないから、妊娠出産のリスクが高い年齢までの恋愛を禁じているのだ。
それを「だって、好きなんだもん!」とダダをこねてタブーを侵した時にルールが提示していた危険が振りかかる。
ディクトとロレイズの件は稀な例となるが、タブーを犯し、こっそりと会っていたところを召喚霊インキュバスを持つバルハンムに見つかったのは事実だ。悲劇もそこから始まった。
禁忌は禁忌だ。
理由も理屈も通じない。
やってはいけないと言われたら、それを守らなければ、何らかの罰が待っている。
この世界では、もしかしたらソウェイラの言う“秩序”が仕切っていて、代償を払わせているのかもしれない。
だめなものはだめ──。
そう言い切られて反抗したくなる年代というのもあって、だめと言われるほど手を出したくなるのも人情だ。
だが、そのごく短いフレーズの奥にはとても深い意味と本人の為とする訓告が含まれている。
バレなければいいとかみんなやっているという理由は禁忌を侵すだけの力を、本当は持っていないのだ。
干渉しない──そう考えていたが、子供の死を聞くとあまりにいたたまれない。
「そう……ですか。教えてくださってありがとうございました……」
「私は事後処理がまだあるから戻るよ。ミラノ、巻き込んだのに優しい結末を伝えられなくてすまない」
父親が誰かわからなくとも、子供は無事生まれてロレイズとディクトはどうにか幸せを掴む──ミラノは当然のようにそうなるものだと思っていた。なるべきだと思っていた。
ネフィリムにしても、そう報告出来たら幾分マシだったと……知らないままではいたくないであろうミラノに伝えなくてはならない苦痛を我慢する必要もなかっただろう。なにより、一人でもっておくのもネフィリム個人としては悲しい出来事だった。
ミラノは近くにあるネフィリムの顔を見て、すぐに下を向いた。言うべき言葉が一つも無い事に気付いたせいだ。
「……いえ」
頷いて離れようとしたネフィリムの服を黒い“うさぎのぬいぐるみ”の手が一瞬だけ掴み、すぐに離した。