(175)彼女の本気(3)
(3)
ぎりぎりとにらみ合ったのも数瞬、空に直立不動で立つソウェイラは手をかざすでも無く、ただ虹色の魔法陣を出現させる。
魔法陣は“ミラノの体”が持つ召喚士としての力。
召喚する力は本来の自分の力──この世界流に言うならば召喚霊ソウェイラの力。
ただし、間にアルティノルドの力を介す為、元々の力の十分の一も持ってこれずにいる。
一方パビルサグはソウェイラすなわち“ミラノの体”の背後に闇の亀裂──“霊界”への入り口を開ける。
目だけで穴をちらりと確認したソウェイラは魔法陣から数本の火線を打ち出す。
が、パビルサグは後ろへ下がるどころか前方へ突進、日線を迂回して“ミラノの体”へ迫る。
今までで最も速く駆けたパビルサグは蹄の足で容赦なく“ミラノの体”──腹を蹴りつける。
虚を突かれたソウェイラはうっと呻いてダメージ逃がしに退くがそこは“霊界”の穴──。
闇の亀裂の淵を片手で掴み、両足をひっかけて押し込められるのを耐えるソウェイラ──顔が苦痛に歪む。
もう一方の手は黒い“うさぎのぬいぐるみ”を落とさないように力を込めた。
「うぅっ」
呻くソウェイラの黒い瞳がすぅと醒め、両者の間に虹色の魔法陣が浮ぶ。
『しつこいぞ!』
パビルサグの後ろ足が“ミラノの体”の細い右足を踏みつける。みしっと嫌な音がして膝が逆を向いた。
「ぁあうっ!!」
同時に闇の亀裂も広がる。
「──あっ……うっ……このっ」
ソウェイラはギロリとパビルサグを睨むが鼻で笑われる。
じりじりと指が闇の淵を滑り、ソウェイラの集中は魔法陣から指先へと移った。
右手と左足だけで“ミラノの体”を支えており、虹色の魔法陣も波打ってかすむ。
『お前は自ら“人柱”に立ったんだろ?』
怒りさえ滲むパビルサグの目はソウェイラには別人にすら見えた。
そうだ、これこそ──“秩序”……!
「あぅっ……!」
パビルサグの蹄が“ミラノの腹”を抉り、ソウェイラの小さな悲鳴がこぼれる。
体は脆い人間にすぎないのだ。
借り物の体を、“ミラノの体”をこれ以上、傷つけられるわけにはいかない。
黒い闇に半身埋めながら、ソウェイラはパビルサグを睨む。
──存分に力をふるえたなら、パビルサグなど……!
『もう、諦めろ!』
「やめ──!」
パビルサグが闇の淵を一気に広げ、ソウェイラの体が“霊界”に吸い寄せられる。
──飲み込まれる寸前、“霊界”の内側に現れた黒い魔法陣に“ミラノの体”はじき出された。
「……私の体なんです、乱暴に扱わないで」
闇の亀裂の傍にも黒い魔法陣がぐるっと現れた。
大地と水平の向きに出現した魔法陣を足場にして、黒い“うさぎのぬいぐるみ”がしたっと立った。
ソウェイラも──“ミラノの体”も穴からはじき出されるまま、四つん這いで着地した。呻いて横に倒れるとゲホゲホと咳き込んでいる。咳で力が入る度、関節の歪んだ左膝の激痛に全身を震わせた。
ミラノの出す黒い魔法陣は透けない。その利点を用いたのだ。
『……そうかよ』
パビルサグが半眼で見下ろし、次の瞬間ぐっと手を伸ばして黒い“うさぎのぬいぐるみ”を奪いにかかった。
その手をアルティノルドがぱしりと掴んでいた。
早すぎて避ける事が出来なかったところだ。ミラノはほっと息を吐く。
『ねぇミソラ、何事だい? ひどいよね、これは』
アルティノルドは空いた手で“ミラノの体”の膝に触れた。あっという間に折れて赤く腫れていた膝が治ってしまった。
横に転がったままソウェイラはふぅと息を吐き出した。
静かにパビルサグを見やるアルティノルド。
『──君は誰だ? 私の世界で私が知らないなんて、どうしてだい?』
アルティノルドの問いにパビルサグは心底、気の毒そうに眉を歪めた。
『……本当に馬鹿だな、ここの神は』
「可愛いと言って」
お腹を押さえつつ立ち上がるソウェイラはきっぱりと言ってからアルティノルドを見上げた。
「……ともかく。ラミ──……“アレ”の事もあるし、アルティノルド──」
『なんです?』
「あんたは、事が済むまで眠ってて」
『え?』
ソウェイラがアルティノルドに抱きついた。
次の瞬間にはアルティノルドの形が消え、青い光の塊が大クリスタルに吸い込まれてしまった。
水晶を眺め、ソウェイラは目を細めて言った。
「──お目覚めのキスはミラノにしてもらってね」
優しげな目でアルティノルドを見下ろす様は、はっきり2度と会えない事を予見しているかのようだ。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”の瞳でミラノはまじまじとソウェイラの表情を読もうとする。だが、外見は自分の肉体で、よく考えれば感情を読み慣れない顔だった。
ソウェイラが何を考えているのか全く想像出来ない。それでも、曖昧で切なげな──どこか死を覚悟した戦士のような印象をミラノは受けた。
黒い魔法陣に立つミラノ。
少し離れたところに浮く“ミラノの体”をしたソウェイラ。その正面にパビルサグが移動した。
『無茶をするな。人間の体をしている以上、俺が有利なんだぞ』
にやりと笑うソウェイラ。
「覚悟があんのよ」
言葉に重ねるように両者の間に虹色の魔法陣が浮びあがる。
「あんたも邪魔なの」
やはり召喚術を介して本来の力を召喚し、火線を打ち出すソウェイラ。
「とっとと“霊界”へかえんなさい!」
後ろ足で空を蹴って一気に間合いを開けるパビルサグ。
『おい、ありゃ簡単には目を覚まさねぇぞ。お前のここでの力の源だろうが』
召喚士達が求める程度の力ならば、アルティノルドも眠ったまま振り分けてやれる。
直接口頭で頼めばもっとアルティノルドに力を使わせる事が出来たはずだ。それならば五分にはやりあえたかもしれない。なのに、眠らせてしまった。
ただの召喚術では、本来の力抜きではパビルサグをしばらくの間、再起不能に追いやろうとするには全く足りない。
「あら、案外平気なのよ」
両手を広げて今までにない巨大な虹色の魔法陣を背後に生み出すソウェイラ。
空が一段、明るくなる。光の欠片がきらきらと森へと降り注いだ。
「アルティノルドの力を使わないでどうにかするには、これしかないの」
風に乗ってミラノに聞こえてきた苦しげなソウェイラの声。彼女は聞こえていないと思っているもしれない。
強気な態度しか見せていなかったソウェイラの半泣きの声。
「ごめんね……!」
魔法陣がぎゅるっと回転した。
『魔法陣をでかくしたところで──』
言いかけてパビルサグはぎょっとして言葉を飲み込んだ。
景色の色が──変わる!
足元を埋めていた森が、木々が一気に枯れた。周囲の山がへこんで更地になった。緑栄えた夏の景色は一気に色彩を欠いた荒野に変わる。
山が崩れ、川が枯れる。
木々がやせ細って倒れていく。
世界から力が消え失せる……。
神の力は地表を満たしている。
抜き取られればその分地表の力が消えるという事……。
最も“秩序”が敏感になる世界の維持を崩している。
『お、お前……!』
滲む脂汗が一筋──しかし、不敵に笑みを浮かべるソウェイラ。
「パビルサグ、お前とも、もう会えないかもね」
視界を埋める巨大な虹色の魔法陣から光が溢れ、おびただしい数の火線が半人半馬を貫ぬいた。
後には、埃のような微かな黒い塵が風に消えたのみだった。
ミラノはパビルサグの居た辺りとソウェイラをそれぞれ2度見た。
ソウェイラは世界から力を奪ってパビルサグにダメージを与えて強制返還したのだ。
4ヶ月前、“神の召喚獣”騒動でミラノはパールフェリカとの絆を封じられ、“召喚士の力”の供給を受けられず召喚術が使えなくなった事があった。
何も出来ないままはいられないと試したのは、自分に残っていたもの、実体を維持する為に与えられていたパールフェリカの“召喚士の力”を使って召喚術らしきものを発動させた。
逆召喚や七大天使召喚、ベヒモス乗っ取りなどだ。
それと同じ事をソウェイラはしたのだ。規模は大きく異なるが。
あの頃の召喚獣だったミラノの体は、パールフェリカの請うままアルティノルドによって作り出されたものだった。
この世界もまたソウェイラに請われてアルティノルドが作り出したもの。
言い換えたならば、この世界は召喚士ソウェイラが召喚した召喚獣。
ミラノが体に残った力を使ったように、ソウェイラもまた世界に残った力を使ったのだ。
あの時、ミラノの体は次々と消失した。今、世界の片隅が消えた。
ソウェイラの本気の攻撃でクーニッドの森の一部が消え失せた……。
「あーあ……」
風に乱れた髪をソウェイラは掻き上げる。
「…………こういう終わり方も……」
ふふっと薄く笑った。
「……悪かないのかもね」
顔を上げると、黒い髪が風に舞って大きく揺れた。
ソウェイラは放棄してきた。
かつて、”人柱”となる為にこの世界を立ち去ったのに、その役目を放棄してこの世界へ介入してきたのだ。
今、“人柱”を見失った“霊界”は荒れ、この世界も再び混沌に飲まれる。
これだけ派手に暴れては、この世界の亡びの源を絶つのに、もはや“秩序”の追捕の手は逃れられない。
事をおさめるには、この世界の亡びの危機を取り除き、しかして“霊界”の混沌も阻止するしかない。
ソウェイラは目を伏せる。
一つ、手遅れになった。
止まらない。“秩序”に見つかってしまった今はもう、“霊界”に戻ったところで混沌は止められない。
“霊界”の混沌を回避出来る方法は二つある。
別の“人柱”をたてるか、ソウェイラが自我をも放棄して“霊界”と同化して共に眠る事──消滅する事だ。
──代わりの“人柱”……自分と同等の存在は今、一人しか確認出来ていない。だが、ダメだ。それは嫌だ。
それが嫌で“人柱”になる時の交換条件に自分に何かあった時、代わりにされそうだと思った『子』を“霊界”から干渉されないようにしてもらったのに、まさか『そちら』ではないなんて……。
どのみちパビルサグの言う禁忌の代償も存在の消去だ。ならば、自分が消えればいい。
結果が同じなら、暴れたい。
「どでかい花、咲かせるしかないわ」
爽やかに、暮れ始める太陽を見て笑った。