(174)彼女の本気(2)
(2)
クーニッド神殿の天井には大穴が空いている。
昨日、大クリスタルが突如浮き上がり、天井を突き破って飛び出したせいだ。
もちろんクーニッドでは上を下への大騒ぎ。以前の“神の召喚獣”騒ぎの時にも穴が空いて修復したのだが、たったの4ヶ月で再び穴が空いてしまっては……。
穴が空いて大クリスタルが飛んでった時はマルーディッチェ長老など、神殿前でただただ立ち尽くしていた。
大クリスタル“脱走”騒動の王都への報告は、ネフィリムらが“霊界”の穴の元へ飛んだのと入れ違いになった。
相変わらず強い夏の日差しの注ぐ中、本来召喚獣も動く事の出来ないクーニッド周辺で、半人半馬のパビルサグは構わず飛び、神殿へと辿り着く。
すぐに神殿の上空から天井の穴を覗き込んだ。
『──無ぇ!』
一言叫んで神殿の屋上を蹴り、昨日“霊界”の穴の空いていた辺りを目指して飛び上がる。
『──“神”放置かよっ』
昨日の“霊界”の穴の真下辺りまで一気に駆けた。
辿り着いてみると大クリスタルが大空の真ん中で、太陽の光を反射しながらゆるゆると回っていた。
放置したというより、押しても引いても動かなかったのだ。
手の出しようも無く、昨日のネフィリムらは王都へ帰還した。
飛んできた勢いを殺さずに蒼穹を割ってパビルサグは4本の足をどすんと大クリスタルにぶつけた。蹴ったのだ。
だが、大クリスタルは位置を変える事なく、相変わらずゆるゆると回り続ける。
『アルティノルド! 起きろ!』
声をあげ、パビルサグはさっきソウェイラに顔面を蹴られた時のように、青く透ける大水晶を何度も踏みつける。
『アルティノルド!!』
「──やめろっつてんのよ!」
そうして今度は“ミラノの体”を乗っ取ったソウェイラに、パビルサグは力いっぱい蹴飛ばされた。
不意をつかれたパビルサグはしかし、ソウェイラの“ミラノ”の足を気遣った優しい蹴りをものともしない。が、見上げるとそこにはまたしても虹色の魔法陣が展開していた。
『げっ、おまっ――!』
「バッハハーイ!」
半ギレな満面の笑みでソウェイラは人差し指をくるくるっと動かして魔法陣を操り、再びパビルサグを“霊界”へと放り込んだ。魔法陣はパビルサグを頭から飲み込むとしゅるりと消える。不意打ち最強──ソウェイラがやっと安堵した時、小脇から声がする。
「──バッハハーイって……」
映画の影響で一時的に復活した(※)感はあったものの、ミラノの母の世代の「バイバイ」という意味の流行語だ。
大クリスタルの上へすとんと着地しながら、ソウェイラは自分が抱えている黒い“うさぎのぬいぐるみ”に気付いた。うっかり存在を忘れていた。
「あ──」
言葉を継ぐ前に、“ミラノの体”に後ろからがばりと抱きつく者があった。
「え!?」
『ミラノ! 無事でしたか。体も見つかったようですね?』
「ぎゃーーーーっ!」
両手を真っ直ぐ天に持ち上げ、ソウェイラは後ろを振り返る。
同時に“うさぎのぬいぐるみ”は水晶の上にころんと落ちた。
「いきなり何すんの!」
と、そいつは“ミラノの体”の胴体へ腕を回して抱きついてくる。
『好・き・で・す』
一音一音、心を込めた告白だ。
「放しなさい! この馬鹿! あほ! たこ! うすのろ!」
ソウェイラは背後に湧いて抱きついてきた者──アルティノルドのフェイスラインをグーでぐりぐりとえぐる。表情が乏しいものの整った顔立ちは惨憺たるものだ。
『ミラノは相変わらず冷たい。あぁ……でも、なんだろうこの懐かしさ……この罵倒………………あぁぁああっ…………う、うずく……!』
──何が?
唇を震わせて呟くアルティノルドは恍惚とした笑みさえ湛えている。あまりの気持ち悪さにミラノのツッコミは声にならなかった。
放り出されたものの、水晶の上にしたっと着地していた黒い“うさぎのぬいぐるみ”は、どうにもこうにも声のかけづらい状況に、しばらく観察する事を決めた。
ソウェイラに抱きついているのは大クリスタルの上に実体を創造して憑依している状態のアルティノルドだ。姿は以前“神の召喚獣”騒動でミラノとシュナヴィッツの前に現れた時と同じ形をしている。
背丈も横幅も人の1.5倍ほどあるのも天使らと同じ。
近寄りがたい雰囲気を持ちながら、口をきいてみれば屈託がなく、あっけらかんとして思いのほか親しみやすい事がわかる。が、“神”と接触する機会のある者など居ないのでこれを知っているのはミラノぐらいだ。
以前同様、美しい顔と真っ白の燕尾服のようなものを着た、姿も声も中性的な存在――アルティノルド。それをソウェイラはぶん殴っている。
「話を聞きなさいって! 変わってないわね!」
くすぐろうが殴ろうが、アルティノルドは無表情で“ミラノの体”を見下ろしては頬ずりなどしている。感覚が無いのかもしれないと、ミラノは真面目に考えていた。
「いい加減にーしなさい!」
そう言ってソウェイラのやった事と言えば、パビルサグにした事と変わらない。
両手をアルティノルドの整った顔の前に付き出して光を集め、熱線を打ち出すと頭をふっとばしてしまったのだ。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”は『ああ、やはりここは私の世界ではないな』と、魔境に踏み入ってしまった事を薄ぼんやりと悲しんだ。
驚く前に、アルティノルドの頭はまたにょっきり生えてきているのだから、気持ち悪いを通り越してむしろ感心してしまう。
性懲りも無く清々しくも美しい顔をぎこちなくもごもごして、にこりと笑顔を作るアルティノルド。
かちんときたのか、ソウェイラは平手で頬をぶん殴るが、アルティノルドは顔を少し傾けただけだ。
「──……ごめん、未来希」
ソウェイラは小さな声で言って、赤く腫れた手をぶんぶん振って冷ましている。全力で殴ってみたらしい。
アルティノルドは顔を正面のソウェイラに戻してぽつりと呟く。
『……痛いよミソラ』
同時に、“ミラノの体”ソウェイラと“うさぎのぬいぐるみ”ミラノがアルティノルドの涼しそうなの顔を見上げる。
『あ……ミソラ? ミラノ? あれ? ミソラ?』
「──……思い出したわね」
ソウェイラはゆっくりと目を細め、アルティノルドを見上げる。
『え? どうして、今まで……』
アルティノルドは再び両手を伸ばし、“ミラノの体”にうっとりと抱きつく。
先程までよりもずっと自然で、ずっと柔らかな手つきで……これ以上ないほど優しく、なでなでよしよしと抱擁を再開する。
『ずっと待っていた。君が突然いなくなって』
「君をって言ってる割に、私とミラノ、間違えたんじゃない──確かに物凄く似てるけど、言い訳にはならないわよ?」
都合の悪い事や聞く気の無い事は毎度のごとく無視して、アルティノルドは逆にソウェイラを責める。
『何十億年待ったと思ってるんだい』
「──私には……“霊界”には関係がないわ」
『ミソラ、私にとっては君しか──』
ソウェイラはアルティノルドの顔面をばっちーんと叩くと「それ以上無駄口を叩かないで!」と言ってちらりと黒い“うさぎのぬいぐるみ”を見た。
もしもミラノが人の形をしていたなら、その不審な様子に目を細めた事だろう。
ソウェイラの対応は情け容赦ないのだが、ミラノも頭を吹っ飛ばされても平気なアルティノルドの心配をする気は無く、自分の手の腫れを気にした。
──それにしても……“ミソラ”って……。
「嘘言いなさい。もうっ……あんたばかだから簡潔に言うけど、いい? 絶対、誰にも、執着してはだめ」
ばかだからという理由が全てでないだろう事は先ほど寄越した視線でわかる。ミラノに聞かれたくない何かがあるのだろう。
『──なぜ?』
ぼそりと、呟くように問う声は不満気だ。ソウェイラは肩をがくんと下げて「呆れた」と頭を左右に振った。
「それも忘れたの?」
『知らない』
「知らないわけないの。忘れてるのよ。昔のあんたはちゃんとわかってたわ。一つの存在に執着する事――あんたに課せられたタブーよ」
『そうだっけ?』
ソウェイラは「はぁ」とはっきりした声で溜め息を吐き出した。
「全ての存在を愛さなければならない──神として、創造者としての責務よ。このタブーを破ったら……」
『あ! 思い出した! ──わたしは消滅するんだっけ』
レイムラース同様、忘れっぽいらしい。
「そうよ。あんたの消滅、イコールつまり、この世界の消滅よ。忘れないで。いいわね? 世界を作る前までの私への恋情は許したげる。だけど、2度目の一つの愛は無いわ。覚えておくのよ? あなたの愛はこの世界への愛、すべての存在への愛。一ではなく全、オーケイ?」
『オッケイ!』
──オーケイって言葉があるのね……。
世界の創造者アルティノルドと“はじめの人”にあきれかえるミラノは口を挟むのも面倒だと言葉を声にしなかった。
「……ちゃんとわかってるのかしら」
ぽつりと呟くソウェイラだった。
――その、横で。
青空を破るように闇色の亀裂が走る。
にょきりと手が飛び出してくると闇の穴を引き裂く。
『くっそ……!』
再々度、パビルサグがソウェイラをひたと睨んで姿を見せる。
その目は今まで以上に怒りの色すら滲んでいた。
ソウェイラは怒気を受け止めつつ、薄く微笑った。
「──しつこい男は嫌われるって定番よ。馬鹿?」
『うるせぇ! 本気で、もう、“霊界”かえってくれ! 俺の時──“門番への降格”止まりにって力を貸してくれたお前には、禁忌の代償を受けて欲しくねぇんだよ! 俺の恩返しだぞ、これは!』
「押し付けってきらーい。いい? 女を思い通りにしたいなら、もっと女のワガママに付き合える忍耐を身につけるのね」
“ミラノの体”は“うさぎのぬいぐるみ”を脇に抱え、パビルサグからすいと離れて間合いを取った。
『ふざけんな、今はお前のワガママに付き合う時じゃねぇよ』
こちらの世界へ全身を現し、闇の亀裂を閉じるとパビルサグもまた目を細めて構えた。