(170)滅びの気配(1)
(1)
ネフィリムやシュナヴィッツが召喚獣関連やら武具関連の趣味道具を収納している部屋を持っているように、パールフェリカも最近一部屋用意した。
広さは私室と同じ位で、お忍びの変装道具を少しずつ集めている。
変装道具だけではなく、街に降りて民衆が楽しんでいるというカードやガラス玉も収集してはエステリオやリディクディに「これは何に使うの?」と聞いている。もちろん庶民の衣類や髪留めも気に入ったものはぽつぽつと買っていたが、この趣味部屋の鏡の前で試着する以外はほとんど使わせてもらえない。
パールフェリカの変装も、ネフィリムがアルフォリスに下級貴族程度までに留めて欲しいと言われていたのと同じように、エステリオの検閲がきっちり入る。どれほどみすぼらしい格好をしてみてもあっさり小奇麗な貴族のお嬢さんに変えられてしまう。結局、エステリオにも納得してもらえる程度の衣装選びに腐心する。その時間も結構楽しいので鼻歌交じりだが。
自分で選び、自分で着替えた。
鏡の前で少し顎を上げ、満足げににんまりと笑う。
荒い麻の上下はお姫様普段着よりもずっとゆったりとした仕立てだ。
パールフェリカが日頃着ている服は細かく採寸して1着1着仕立てているが、庶民や下級の貧乏貴族が着用する衣服は子供用、大人用の2種類しかない。
貧乏貴族の大人の女性用を小柄なパールフェリカが着るのでどうしても生地が余る。それを、革のベルトや飾り紐などで調整して着る。
指先よりも垂れる袖は、肩から布を引っ張り上げてほど良い位置に調整してから二の腕のベルトで留める。足は膝上辺りで布をまとめる。
お姫様仕様の結い上げていた髪は一度おろし、慣れない手つきで後ろに三つ編みを作ろうとする。
パールフェリカのぎこちない指にエステリオは何度も触れようとしてやめる。以前手伝おうとした時「ネフィにいさまは自分で結ってるって聞いたわ」と真剣な眼差しで断られているからだ。
肘を持ち上げ髪を結うが、腕がだるくなってくる。酷い仕上がりだが髪束が引きつって痛くさえなければパールフェリカは簡単に妥協する。
顔を隠すのにネフィリムはフード付きローブを着ていたが、パールフェリカはつばが極端に大きな帽子をかぶる。
普段は侍女任せの身支度を、自分でせっせと整えるパールフェリカの傍らで、エステリオも武装だけはそのままの町娘風の私服に着替えた。リディクディは別室で着替えて廊下で待機しているはずだ。
手間取っているパールフェリカの横で準備の済んだエステリオは彼女を見守る。
お忍びの回数が増える度、エステリオはリディクディに「パール様は何を目指してらっしゃるのだろう」と漏らす。
以前のパールフェリカははっきりと「その内どこかにお嫁に行くんだから、せいぜい可愛くしてマシな人に嫌われないようにするわ」と公言していた。
マシでない人のところへ嫁ぐ事だけは避けたい、その程度の望みを持っていただけだった。
今、パールフェリカは可愛くあろうとするよりも、自分であろうとしている。お姫様ではない自分を探そうとしているのか、奇妙な変装をして見せたりもする。
エステリオは貴族の出だ。
家は兄アルフォリスが継ぐし、家勢を強くしてやろうと意気込む必要が無いほど名家だ。
女ならば、その後の人生を大きく決める政略結婚の時を戦々恐々と待たなければならないのが貴族社会での常だが、エステリオはその点から開放されていた。その上、武を好んで騎士の道を選んだ。自分の道を切り拓く事を許されていた。
パールフェリカは召喚古王国ガミカ唯一の姫。
他国王家、あるいは有力貴族の総領との婚姻は避けられない。
自分の想いやお望みの恋愛というものは持っている程つらい。
叶わぬ恋に身をやつし、望まぬ相手に心身を委ねる苦痛はいかばかりか。期待など、はじめから持つものではない。そう諦める事が幸せへの一歩と言えた。
パールフェリカが「どうせお嫁に行くのだから」と投げやりにも聞こえる言葉を常々発していたのは、彼女なりにそれを直感していたからだ。
なのに今、自分である事を望んでいる。
自分を知る為に、他を知ろうとしている。
その事が本当にパールフェリカの為になるのかわからず、エステリオはリディクディに問うのだ。「何を目指してらっしゃるのだろうか」と。
そんなエステリオの心配をよそに、パールフェリカは鏡の前で「これでいいわ!」と胸を張り、最後に赤の太い糸で編まれた上着を着込んだ。
亜麻色の三つ編みの網目からぴこぴこと髪が飛び出していたが、結局羽織った上着で見えやしない。
自分を主張したところで、外側からはわからない。押しつぶされた髪は、きっとくしゃくしゃになってしまう。
そんな事おかまいなしなのか、パールフェリカは満面の笑みを浮かべて「行きましょう!」とエステリオを促すのだった。
人の一番多い大通りは避け、その1本隣の通りをぶらりぶらりと歩いた。こちらも露店や商店は並んでいる。
すれ違うのは王都に住む庶民がもちろん多いが、冒険者区域から流れて来る者も散見される。
地方から王都へ出てきたであろう、多種多様な民族衣装や旅装に身を包んだ旅行者もたくさん居る。
荷を馬や牛にひかせている商隊も荷台の車輪をがらがらといわせて通りすぎていく。
1本裏の通りなので両手を振って歩いてもすれ違う人とぶつかる事は無い。
パールフェリカの前をリディクディが、すぐ傍をエステリオが歩く。前後左右やや離れたところには私服の王都警備隊一番隊の面々と隊長カーディリュクスが見えていた。
やがてこじんまりとしたレンガ作りの建物の前に辿り着く。
両手を胸の前でわきわきさせて「はやく!」と急かすパールフェリカに苦笑しつつリディクディが厚い木製の扉を押し開けると複数の鈴が軽い音を立てる。
順にリディクディ、パールフェリカ、エステリオの3人が入るだけで店内は一杯だ。
正面に奥の調理場と店内を区切るように机が置かれている。
赤い布のかけられた机は壁の端から端まであり、客が奥に入れないようになっている。
その机の上に、様々なお菓子の見本が並んでいた。
いつも寄るこのお菓子専門店の品揃えは少ない。
庶民向けにしては高価で、ちょっと裕福な商家の娘さんや貴族のお嬢様達がこっそりやって来ているという。
厳選された甘いお菓子は繊細に装飾されて、貴族のお眼鏡に適った。
パールフェリカはエステリオやリディクディがこの店なら大丈夫と太鼓判を押した所にしか出入りしない。ここはエステリオの勧めで来るようになった。
お忍びに出る事自体大変な事と理解しているので、パールフェリカは外に出てしまうと我侭をまず言わない。
真っ先に慣れたこのお菓子専門店へ来て、商品を選んでいる。
今回は早めに頼んで作らせ、後で侍女に取りにこさせようと考えている。ミラノへのおもてなしだ。彼女には「私が選んだのよ」と言いたい。
……ミラノには、早く“人”に戻って欲しい。
神の召喚獣騒動の後、ミラノは体力の回復を待ち、かえるまでの間をパールフェリカの部屋で過ごした。
その時は城の料理人達が作る中でもパールフェリカのお気に入りのご馳走を毎日用意させていた。
召喚獣だった時は何も食べなかったミラノだが、かえってしまうまでの数日間は一緒に食事を楽しめた。
ミラノは食が細く──実際は絶食期間があった事から本人が制御した為だが──あまり食べてはくれなかったので、口にあったのかどうかもよくわからない。
いろんな食事を用意した。迫る別れの時を前に、ミラノの笑顔を少しでもたくさん見たかったのだ。彼女の笑顔を見れるととても幸せな気持ちになれたから。
最近、お忍びをして知った。城で出される料理よりもっと美味しいものもあるし、気安い食べ物もある。
一緒にお茶をしたい。
ミラノが居なくなってから自分のしてきた事を聞いてもらいたい。ミラノならきっと「がんばったわね」と微笑んで褒めてくれる。
きっと楽しい一時が待っている。それを彩るお菓子も、やはり城の外のものがいい。
自分で食べ比べ、美味しいと自分の基準で見付け出したものがいい。
いくつか選んでエステリオに告げる途中で、パールフェリカは開いた口を噤んだ。
頭に浮かんだのはミラノとよく似た顔をした彼女の弟キョウ──。
ミラノもそうだが、その黒い瞳の奥にははっきりとした意思が、存在感がある。キョウが居る。
自分自身というものを掴んでいて、きっと自分らしく生きている。
ミラノにも離れてはやや冷たく、近付くと温かな凛とした雰囲気が漂って見えるように、キョウにも独特の空気感がある。
ミラノとは逆のような気がして、似ている似ていると騒いだ事が今は少し浅慮だったと恥ずかしくなる。
あの姉弟は確かにぱっと見は似ているのだが──キョウは端から見れば温かく人を惹きつけるが、いざ近寄ってみると冷たい境界線がそれ以上の侵入を拒む。
隙だらけのくせに、本当のところだけは絶対に見せない。その癖、ミラノと同じだけ優しい目をしているのだ。
境界線というが、誰にだって多かれ少なかれある。
一般的な人は境界線を越えない程度で踏み込んだ付き合いでも無ければ、たいていすぐに親しくなれる。それを友人と呼ぶか知人と呼ぶかは、気付いているかいないかという点からも人によって分れるところだが。
キョウの境界線は深いが壁が厚い。そのせいで境界線を越えて付き合えていると感じる友人は多いだろう。だが、彼らは本当にキョウの友人だろうか。はたして、キョウの境界線を越えたのは今までに何人いたことだろう。
キョウの境界線についてはパールフェリカの知るところではないが、彼の人との関わり方には拗ねたように憧れてしまっている。
パールフェリカは王女である自分を差し置いてあっちこっちにあっさりろ交友を広げるキョウをついつい睨んでしまった。
自分はお姫様だからどうしたってエステリオやリディクディ、侍女のサリアも距離を置く。
相変わらず払拭出来ない気味の悪い空気の壁がある──気がする。それの取り除き方はやっぱりわからないし、無いのではないかとも思っている。
パールフェリカが心の片隅でそうやって悩んでいるのに、キョウは突然現れて彼らと仲良さそうに笑って話す。
自分が王女でなければ、エステリオやリディクディはどんな態度だったのだろうか。
姫だから、彼らは役目のまま自分と一緒に居るのだろうか。仕事だから? そんな事を考えていくと、ますます自分を見つけられなくなる。捕まえようとしているのに、見失う。
自分探しなんて滑稽だとミラノは言った。
自分はそこに居るのにどこに探しに行くのかと。
パールフェリカはよくわからないながらも「もっともだなぁ」と思って頷いたものだが、これにふとキョウの言葉が重なった。
『何が出来るのか、出来ないのか知って、自分の弱さをちゃんとわかって受け入れてるって事が“自信”ってものだよ』
ミラノは自分を『なぜ、出来ないの? なぜ出来るの? 簡単なところから、探せばいいのよ?』と言った。
『出来ることばっかりが“自信”を知るヒントじゃ、ないんだぜ』
そしてやはりキョウの声が重なる。多分、二人は同じ事を言っている……。
──出来ない事が自信を──自分を教えてくれるって意味かしら。
でも、とパールフェリカは思う。
出来なければやっぱり要らない子だ。
価値だってきっと無い。
お姫様としての価値を維持する為にも求められる事は出来て当然なのだ。
キョウは力強い声で言った。
『出来る事が、全部じゃない。出来ない事は恥じゃない。自分を恥ずかしいなんて思う必要なんか、どこにもない!』
「…………エステル、この小さいのも1つ追加してちょうだい」
キョウの分だ。
焼き菓子の上に赤い果物が乗っていて、その上から甘い果汁がたっぷり掛かけられている。パールフェリカでも一口で食べれてしまう小さなお菓子。
嘘のない、彼の思う本当のところがきっと言葉になっていたのだろう。だが……。
──納得できるわけがないわ。
言葉通りに受け入れる事は出来なかった。
──出来ない事は恥よ。出来て当たり前なの。私はお姫様なのよ。お姫様という価値につきまとうものだわ。出来ないでいるなんて、許されないの。出来なければ、もう価値なんて無いでしょう?
心に突き立つ『無価値』というトゲに胸がしくんと痛む。
頭をぶんぶん振り回したくなる。
自分とお姫様──同じようで全然違う……はずなのだ。
──私はどうすればいいの……どこにいるの!?
なのに。
『──大丈夫』
やっぱりキョウの声が脳裏に響いて痛いトゲをほんの少し引きぬいてくれる。不思議でたまらない。
──本当に? キョウ。本当にそうなの?
たくさんの言葉をもらった中で、このたった一言だけがパールフェリカの心の底にたどり着く。
ただその言葉に縋りたいだけなのかもしれない。
パールフェリカは惑っていた。よくわからなかった。
自分を見つけ、その後どうしたいのか。一体どこを目指しているのか……。
エステリオの心配の通りだが、パールフェリカ本人すら答えを持っていなかった。
パールフェリカ自身、手探りで足掻いていたのだ。