(166)“光盾”のお宝(3)
(3)
この場所を選んだのは通りまで走ればすぐに衣を買える事を知っていたからだった。
ミラノになら──というより、ぬいぐるみ相手ならばディクトの警戒も緩んで何か吐露するのではないかと踏んでネフィリムは一旦離れたのだ。
思惑通りの結果、いや、それ以上の結果に僅かな動揺をネフィリムは隠した。
殺さなければならなかったかもしれないロレイズの相手──。腹の子の父親ではなかったのでその必要は無くなったが、疑惑は完全に消すわけにはいかないディクトに、ネフィリムは深入りしてはいけないと肝に銘じていたから。
ネフィリムは通りの小さな露店で色ムラの激しい灰色の麻布を選びもせずに買っていた。
ディクトの頭からローブがわり麻布をかぶせ、ゆるく上体に巻いてやった。布の終わりは腰のベルトに挟む。これだけで随分と印象が変わる。簡易変装だが、家紋が見えなくなるだけで十分なので問題ない。
「……慣れていますね、王子なのに」
ミラノが小さな声でポツリと言うと、ネフィリムはにやっと笑うだけで何も答えなかった。お忍びの常習犯を認めるようだ。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”を小脇に抱え、ネフィリムはディクトを彼の邸まで送った。
ディクトは変装を「必要ありません。一人で帰れます」など、そんな事をして頂くわけにはいかないと拒んだがネフィリムは黙殺した。
バルハンムがいつどこでこちらを見付けて襲ってくるかわからない。
数分離れる程度ならばネフィリムも駆けつけてやれるが、10分以上かかるものを「さあ帰れ」とほっぽり出すのは危険だ。
逆恨みしかねない相手だからとネフィリムはディクトの意思を無視し、むしろ前を歩いてライン家邸宅に向かった。足取りはディクトも時折駆け足で追うような速度で進んだ。
「先に言っておくけどミラノ、私は王都で道に迷わないよ」
ミラノが先程と同じような事を問おうとしたところ、ネフィリムは先回りして言った。
小脇に抱えられたミラノにだけ聞こえる声で、こそりと。
ライン家邸宅の裏にディクトを送り届けた後、別れ際、ネフィリムは彼にしばらくは外へ出るなと告げた。
「キサスとイヌールには私から話す。私が全て揉み消す事で溜飲を下げさせる」
ロレイズの父キサスにも、ディクトの父イヌールにも、どちらにも文句を言わせないと宣言した。
「子供は可哀想だが、安心出来る孤児院に入れるしかないだろう。時期を待って確かな後見人を付ける。それが限界だな」
「ネフィリム殿下、ミラノ様、ありがとうございます」
──……また様付け……。
ネフィリムの『未来の妃』発言が効いているらしい。
相変わらず見た目は“うさぎのぬいぐるみ”なのだから疑って欲しかったところだが、ディクトは深くは何も聞いて来ず、結果“様”付けだ。
パールフェリカの召喚獣として現れてから、大体この扱いだ。大分慣れたとはいえ、勘弁して欲しいという気持ちはある。あえて言いはしないが。
邸の裏口へ消えるディクトの背を見送ってから、ミラノは小脇に抱えられたままネフィリムを見上げる。
「ネフィリムさん、バルハンム、でしたか。必ず──」
「もちろんだ。必ず捕らえる」
ミラノが全て言う前に、ネフィリムは頷いた。
ミラノも13歳と14歳の子供達の前にある出来事に怒りと悲しみを持ったが、ネフィリムも同じように憤りを覚えていたことに少なからずほっとした。王になる身とはいえ、彼も弟妹のいる一人の人間なのだと親近感を持てた。
その後、ネフィリムは足早に王都南西部へ向かった。
王都の中でも土地自体に勾配のある地域で、住民が寄りつきにくい事もあって冒険者らの出入りが多い。
ネフィリムは密かに冒険者集団でも名高い“光盾”の後ろ盾になっている。その“光盾”のガミカにおける拠点である3階建ての建物へ向かった。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”を小脇に抱え、ネフィリムは目深にフードをかぶっている。
人通りがまばらな裏通りは冒険者だけではなく、ならず者も流れてくる場所だ。ネフィリムと同じように顔を隠す冒険者らしき男女がぽつぽつ行き交っている。
ネフィリムの変装は城前なら目立って仕方ないが、冒険者たちで溢れる王都南西部では逆に馴染んでいた。
周囲に誰も居ない路地に入った時、ネフィリムが口を開いた。
「ミラノはこちらに留まる気はない?」
「──はい……?」
唐突すぎる問いかけにミラノは呼気に近い声で返した。マヌケな返事はネフィリムならミラノの答えなどわかりきっている事だと思っていたせいだ。
「もちろん、私が妃にと言っている話も抜きにして」
「…………」
気持ちは以前、パールフェリカの召喚獣として召喚された時と同じで、必ずかえると決めている。
ネフィリムならわかってくれていると思っていたミラノは返事を言葉にせず、赤い刺繍の目でゆっくりとネフィリムを見るだけだった。
「私なりに遠慮をしていたのだが、気になった。ミラノの口から答えを聞いてみたい」
思い返せば、確かに今までまともに聞かれたことがない。ミラノは問いには答えない事も多い。
ミラノの答えない理由のほとんどは「面倒臭い」なのだが、ネフィリムの方は敬遠されたくないのではっきりとは聞かなかったのだ。
ネフィリムの本心は結局、先ほどディクトに言った通りで、冗談ではなく「妃になってほしい」というところなのだ。
「私は──」
「ミラノは?」
「私はこの世界に生まれたわけではありません。私には私の生きてきた世界があります。変えようのない事実です」
先へと進む足を止めないまま、微かに頷くネフィリムはミラノの声に耳を傾ける。
「ですから、私は私の世界で生きて行かなくてはならないんです。たまに遊びに来る事は出来ても、ずっとこちらに住むということは出来ない……。私はこの世界では異物です。同じ人間と思っていても、似ていても、実は違うかもしれない。それが消せない事実、見るべき現実なんです」
「……そうじゃないんだけどな」
そもそも、出会いから“うさぎのぬいぐるみ”という格好だった。
今更「人間」だの「異種族かもしれない」だのと主張されても心的障害はとっくに無い。生きた存在ではない召喚霊や召喚獣だと思っていた頃より今の方がずっとましだ。
そんな価値観の話は、ネフィリムの中ではずっと以前に終わっている。確かに、妃にと思えば姿が戻ってくれた方が嬉しい。が、そばに居てくれるなら、今のままでも何でも構わないとネフィリムは考えている。
「……こちらに留まるつもりはありませんが?」
言い直されたミラノの言葉を聞いてネフィリムは苦笑した。
「それでもないな。本心が聞きたかったんだが、ミラノは自分に対しても隠すんだね」
「…………」
理屈を聞きたかったわけではないとネフィリムは言う。それがわかっても、ミラノには答えるべき言葉はもう無かった。
沈黙のまま目的地に辿り着いた。
外観は街並みに馴染んだレンガ造り。民家と変わりがない。
木製の扉をゆるくノックすると中から中年の男が出てきた。
室内なのによれよれの帽子をかぶった背の低い男だった。
猫背のせいで一層小さく見えたが、筋肉質な肩やごつごつとした手は職人の仕事ぶりが映し出されているようだった。頭から足まで汚れていたが、何かの作業中だったらしい。
「……なんだ? ──ああ、アンタか」
眩しそうにネフィリムを見上げ、応対に出た男は低い声で言った。興味が無いとばかりに戸を開けたまま背を向けて「上に行けばいい」と言って作業場に戻って行った。
1階は仕切りの無い広い部屋だ。
鍛冶道具や作業台、大きな釜もある。刃こぼれした剣や穴の開いた鎧なんかも転がっていた。謎の皮や牙も転がっており、“光盾”の冒険者たちが見付けてきたものを加工しているようだ。
数人の男達が汗を流しながら作業をしている。応対した男もそこへ混じった。
扉すぐの所に上下階への階段があった。
下っ端らしき若い作業者が腰を上げて案内しようと歩み寄ってきたが、ネフィリムは軽く手を上げて不要だと示し、さっさと階段を駆け上がった。
ネフィリムの変装している姿も“光盾”では馴染みの顔として通じている。
2階にはだだっ広い部屋に薄い敷き布が乱雑に敷かれており、数人が横になっていた。
足組みしたり、腕組したままぐーぐーと眠っている。カードの遊びに興じる者も居るし、宝飾類の手入れをする者もいた。天井からはあちこちからハンモックがぶら下がっている。寝室、休憩室だ。
ネフィリムの姿に気付いた者は一瞬驚いた顔をしてから軽く頭を下げていた。
3階まで上がると奥まで一本の廊下で貫かれており、両側に扉が並んでいる。3階は部屋に区切られていた。
ネフィリムは一番奥の部屋の扉をノックした。扉はすぐに開いた。
ネフィリムをぽかんと見上げたのは“光盾”最年少にして召喚する召喚獣は組織最大のダメージソース──10代前半の少女レーニャだ。
「ルトゥかセイルはいるか?」
ネフィリムが問うと、レーニャはこくんと頷いて部屋の奥へ駆けた。
「ルトゥ! 殿下来た!」
「えぇ!? うわ! いや……あーえっと、よ、ようこそいらっしゃいました、えーっと……」
部屋の奥で机の上の小粒の水晶を広げていた“光盾”長ルトゥが慌てて立ち上がった。
「ルトゥ、突然すまない。聞きたい事があった」
「え? 何です? 仕事ですか?」
「そう思ってくれていい。バルハンムという男の居所、根城が知りたい」
「ばるはんむー?」
部屋はそれ程広くはなく、ミラノの見立てで8畳程度。
日本人一庶民感覚でならば一人の居住空間として広めだが、ビジネス空間とするならば手狭だ。
今も応対に出た少女とあわせて3人いたところにネフィリムが加わった。
狭いが高い天井は救いだ。圧迫感は無かった。
部屋の棚には長剣に槍、刀に短剣、斧に盾から鎧と武具がずらりと揃っている。
別の棚には本がびっしり詰まっていた。背表紙から何の本であるかは、ミラノは文字が読めないのでわからない。
部屋は動物の毛皮を継ぎ接ぎした敷物が敷かれている。テーブルやソファの類は無く、ルトゥは机を回りこんで部屋の中央へ歩み出た。代わりにレーニャが椅子へとことこ駆けて行き、座って水晶を磨き始めている。
部屋にはあと一人、窓際にコルレオが居た。“光盾”の一員でありながら、“光盾”よりも名の通った3馬鹿トリオ──ペガサスに乗る3人の冒険者──自称『俺達最強パーティ』の地味なリーダーだ。手に持っていた本に目を通していたが、ネフィリムの登場にそれを閉じてルトゥの隣に歩み出て告げる。
「バルハンム、素行が悪くてウチに何とかしてくれって冒険者連中に泣きつかれた事があります」
「そうなのかい? あたしは──」
「ルトゥはプロフェイブに居たから聞いてないんだろう」
「バルハンムに関する情報が欲しい」
ネフィリムが言うとコルレオは扉の方へ駆けて「下の連中、たたっ起こして話まとめます。しばらくお待ちください」と言って部屋を出た。
「頼む」
「あ! 殿下、昨日のあれ、さっき回収終了しました。まだ、調べは終わってないけど」
昨日、霊の溢れる中、ネフィリムらとルトゥらは遭遇した。
ルトゥ達は発掘現場近くで“霊界”の穴が開いて危険があってはいけないと、作業員らを避難させるところだった。
発掘していたものは冒険者達の活路になれと祈った“お宝”だ。
ルトゥは先細りゆく冒険者を盗賊や追いはぎにではなく、未開地域への開拓者へと誘いたかった。その大きな転機を自ら作り出したかったのだ。
「大クリスタルか。ここに運んだのか?」
「地下倉庫に置いてあります」
「見よう」
ルトゥはレーニャに「コルレオに地下に居るって言っといて」と告げて、先に部屋を出た。
ネフィリムも後をついて、地下2階まで降りた。
建物は地上3階地下2階建て。
建物の裏手は段差、崖のようになっている。
地階は室内階段から降りて行けるが、崖側から召喚獣などでも入る事が出来るように搬入口が設置されている。
この世界での灯りはもっぱら光る石だが、蝋燭に比べると値がはる。“光盾”にはネフィリムという出資者が居るし、自分達で未開地域に出向いて採りに行けるので光る石を置く事が出来た。
光る石は商業利用はされても一般家庭に置かれる程には安くない。
質にもピンキリあってやはり王城で使われている石ほど強い光を発してはいないが、階段も室内も暗くはない。
地下2階まで降りると、昼と変わらぬ明るさがあった。光る石とは別の光源があるせいだ。
夏だが、静謐な空気が漂い、涼しい。
部屋一杯を埋めるように、青色に透ける巨大なクリスタルが横たわっていた。
階段の砂利を踏む音以外に、クリスタルそのものから澄んだ音色が聞こえてきそうだ。
光がゆらゆらと揺れて、壁、床、天井に青白い光のうねりが映り込んでいる。
ミラノはネフィリムの腕を押しやり、地面に降りた。大クリスタルに駆け寄ると、ベルベット地の手で触れる。
「クーニッドにある大クリスタルとよく似ているな」
ネフィリムの声を聞き流し、クリスタルに触れたまま少し歩いてから、黒い“うさぎのぬいぐるみ”は足を止めた。
「似ているというより、そのもののような気もします。よく、わかりませんが」
召喚獣としてパールフェリカに召喚されてからの“神の召喚獣”関連騒動の後、ミラノは頻繁にこの世界を訪れていた。その度、大クリスタルの姿をしたアルティノルドとは会っていた。
水晶に雰囲気というものが在るのか発言の通り『よくわからない』ながら、ミラノには今にもアルティノルドから語りかけられそうな気がしたのだ。
ネフィリムもミラノのすぐ傍まで近寄り、大クリスタルに触れた。
「そもそもクーニッド産のクリスタルの光は神の言葉、つまりクリスタルの方は、アルティノルドそのもの、神の一端とも言われている。そう感じるのも間違いというわけではないだろう」
じっくりと大クリスタルを見回していた黒い“うさぎのぬいぐるみ”が、ギクリとしてルトゥを振り返る。長い耳がたるんと揺れた。
「──あれは?」
指は無いので、真っ直ぐ丸いだけの黒い手を伸ばして、見つけたものを示した。
大クリスタルの内側、何か影っている。
まるで磨りガラスの向こうで何かが動いたかのように見えたのだ。
「やっぱ見えますかね……不純物が混じってるんです。そうでなきゃプロフェイブ辺りの金持ちに高ーく売れたんだろうけど」
ネフィリムも目を凝らして「……石か何かか?」と、ごく普通に見ている。ミラノはネフィリムをちらりと見上げた。
「何かな?」
赤い刺繍の目に気付いてネフィリムは小さな声でミラノに問う。
「──いえ……」
そっと顔を逸らしてミラノは再び不純物のある辺りを見た。
やはり、ぞくりと寒気がする。
胸騒ぎというものとは違う、恐ろしさ、触れてはならない何か──。
思い出してはいけないと封じ込めてしまった記憶のように、考えようとしても脳が拒否している気がした。
それでもミラノはじっと見つめ、ふと、何であるかわかった。
「──目……」
「め?」
ネフィリムは改めて不純物を見直す。
大クリスタルの内側に2つの影がある。
小さな丸いもの──白い珠が2つ……それが、大クリスタルの中心辺りでぐるりと巡るように動く。気味が悪いのは、珠の動きに遅れて表面をじわりと黒い円形のものが滑るように流れる様だ。
不純物と思われた黒い何か──“目”が、ミラノの赤いぬいぐるみの目をひたりと見た。
目があったと思った次の瞬間、黒い瞳は白い珠に透けて飲まれるように消えた。
「…………」
ミラノは、人の時の自分を見たような気がして、目を逸らす事が出来なかった。