(164)“光盾”のお宝(1)
(1)
下を向いてしまったディクトに、同じ“唯一の召喚獣を召喚する者”だからと言ってネフィリムは簡単には同情出来なかった。
そうと知った13歳の日に、すべて覚悟すべきだったと考えるからだ。
「忠告をされなかったか、早々に決めてしまうなと」
周りに居る“唯一の召喚獣を召喚する者”から。
ウィルムは強力な召喚獣だ。2度目以降の召喚に失敗してクーニッドの村の長老に相談もした事だろう。その時に、長老から“唯一の召喚獣を召喚する者”としての心得を聞かなかったのか……。
強大な力を操る者への呪縛のように──“唯一の召喚獣、召喚霊を召喚する者”は心を試される。ただひとつの愛はあるのか、と。
本当のところ、禁忌を犯した時に何が起こるのかは伝承されていない。
誰も禁忌に触れなかったのか、口をつぐんだのか──。
「されました。だけど、遅かった。ロレイズの事は、僕が初召喚の儀式をする前から……好きでした。忠告をされる前に、決めてしまっていました」
初召喚で召喚獣が一度決まっていたにもかかわらず後で変わったパールフェリカは例外中の例外。それを除き、初召喚の儀式によって“唯一のもの”か“複数居るもの”を召喚するかが決まる。だが、それは13歳での事。
ガミカでは別の理由からではあるが、14歳未満の恋愛を禁じている。
法で、理性で抑えようとしたって、いつもいつも感情に歯止めがきくはずもない。
あらゆる感情の中でも、恋愛に関する心は特に制御が難しい。
人間の根源的な欲求に繋がっているから──。
生物として生きるという事は、生殖、繁殖して子孫を増やす事だ。
より強い子孫を残す為の相手を選別する能力として恋愛感情は存在する。食欲、性欲、睡眠欲……本能的なところにある。理詰めで説明できる事でもなければ、当然、理屈でねじ曲げる事も困難だ。
初召喚をする前に永遠の伴侶と決めた相手と出会ってしまっていたのなら、どうしようもないとしか言えない。
「──そうか……だが、ディクト。ただ一つの召喚獣や霊は、神への信仰の強さをはかる為、二心抱かず強い精神力を持ちあわせているかを、一つの存在への愛で試すと言われている。だが、実際にそれが原因で死んだと断定された召喚主はいない。深く考えなくていい。好きという感情と、“唯一の召喚獣を召喚する者”に求められるたった一つの愛という感情は、別物だ」
──それがネフィリムなりの“唯一の召喚獣を召喚する者”の禁忌の解釈だ。
ディクトは2度瞬いてネフィリムを見上げる。
「どういう意味です?」
「あまり思いつめるなという事だ」
「……よく、わかりません」
14歳という狭い世界を生きる少年には「その内わかる」などという説明では遅いが言葉で言ったところで簡単に伝わるものではない。
顎を下げはせず、眼差しだけで俯くディクトに、彼なりの誇りを見いだすネフィリムは作戦を変える事に決めた。
「少しここで待て。ライン家の、三男とはいえ変装もせず礼服でウロついたんじゃさらって下さいと言っているようなものだ」
「そんな事にはなりません」
今でこそモンスターは激減したが、ほんの少し前まで人は命をかけて日々戦っていた。
北の海を隔てたモルラシア大陸から侵攻してくる多数のモンスターをガミカは受け止め、追い返していた。
貴族の、それも健康な三男坊ならばいずれ騎士として軍に加わる事は想定されていた。
剣術体術、家庭教師をつけての訓練は欠かさずあった。
さらに名門ライン家とあっては召喚されるものも期待されていた。
結果、ディクトは強大な力を持つ唯一の召喚獣ウィルムを召喚した。
先程──ネフィリムが目覚める前は3人を同時に相手したが、力負けさえしなければもっとやれたとディクトは思っている。
「確かに礼服で出て来たのはちょっと……失敗だったとは思いますが」
ディクトの事情になるが、内内のパーティがあったものを、今日、王子がロレイズに会うという話を聞いて、いてもたってもおられず抜け出したのだ。
パーティに出る直前、家紋のある礼服を着ていた事は頭の中からすっかり消えていた。
家門入りの礼服で街中をうろつくという事は、名乗りを上げながら歩いているに等しい。
あのまま路地裏で乱闘騒ぎを続けていては、すぐに『ライン家三男坊のあってはならないけんか』として噂になってしまうところだった。
本当の理由や事情など問題ではない。
結果の事実、街中で暴れるなど野蛮で理性がきかないらしいと、貴族としての品格が問われて汚れる。
先程の小競り合いは、ネフィリムが居合わせた事もあって表沙汰になる事はない。冒険者同士の喧嘩で“片付け”られる。
ネフィリムは小さな声で「すぐ戻る」と言って黒い“うさぎのぬいぐるみ”をディクトの足元へ降ろし、通りに続く路地へ駆け出した。
「…………」
「…………」
2人──人間1人とぬいぐるみ一体は柔らかな風の吹き抜ける路地に残されてしまった。
ディクトは大きく溜め息を吐き出しながら体を屈めた。
両手を膝についている。疲れた、そんな声が聞こえてきそうだ。
「……なぜ、その家紋のある服で外に出たのです? ロレイズも言っていましたが、今日はだめだと」
王城から人が来る事を宰相キサス──父親から聞いたロレイズは、前もってディクトに伝えていたのだろう。
来るなと言われていた今日になって、ロレイズに対し城から来客がある事を噂で伝え聞いたディクトは事の露見を恐れた。ロレイズの忠告も忘れていた。
「……」
ふいの“ぬいぐるみ”からの声にディクトは僅かに身を固くした。
路地とは言え開けており、太陽もよく見えて日差しが入っていた。時間帯なのか元々なのか、人通りはない。
ディクトは体を起こして一度空を仰いでから、路地端に植えられた木の根元へゆっくり歩いた。さくさくと、少し乾いた土を踏んだ。
「──“ぬいぐるみ”がしゃべるとは、思わなかったよ」
ディクトの肩の力が抜けたのは、次期国王たるネフィリムへの極端な緊張から人外のしゃべる“ぬいぐるみ”というどう対応したものか謎だらけな存在に心の隙をつかれたせいかもしれない。
窓から覗き見て、ロレイズと“うさぎのぬいぐるみ”だけになった時にディクトは窓を鳴らした。それはもう、ネフィリムに会った後だった──……。
「焦ってたんだ」
ディクトは木にもたれかかるように腰を下ろした。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”も歩み寄り、すぐ傍で止まる。
「答えは決まっていたのにずっと悩んでいたんだ。産まれてしまってからじゃ、不安はもっと強くなるって……」
「──不安……?」
ディクトは下を向いて大きく溜め息を吐き出した。
「誰の子かわからなくても大丈夫、そう思い込み続けられるか、不安だった。今も」
口元に、無理にとわかる笑みを浮かべながらディクトが顔を上げ、“うさぎのぬいぐるみ”を見た。
「だけど、僕はロレイズが好きだ」
若く真っ直ぐな瞳、濁りの全く無い白目部分、濃く長い睫毛。確かに目つきは人柄を映す。素直な子であろう事はミラノにはすぐにわかった。
ディクトは目線を“うさぎのぬいぐるみ”から少し下へ逸らした。
搾り出される声は紛れもない本心……。
「離れたくない」
ディクトはさらに溜め息をついた。
「それでも僕らはまだ子供で、簡単に引き離されてしまうかもしれない。自分達だけじゃ生きていけないから、従うしかないんだ」
立ったままのミラノはディクトの幼さの残る横顔を見下ろす。若くキメの細かな肌は、まだ男女の違いを示さない。その頬が揺れた。笑ったらしい。
「あなたは、ミラノ、でしたか、一体何者なんです? 召喚霊? 召喚獣?? つい、今まで誰にも聞いてもらえなかった事を、話せなかった事を……僕は──」
ディクトはそこまで言って頭を左右に振った。右膝に肘をつき、その手で額を支えて下を向いた。
親同士が敵対する禁断の恋で、13歳の相手は妊娠。
14歳の少年はずっと、様々な感情を胸の内に抱え続けていたのだろう。彼の立場、想いを想像すれば、大人のミラノでもやり切れない。
ミラノは聞き逃していない。
ディクトは言った。
『誰の子かわからなくても』──と。
彼は笑っているが、ミラノには泣いているように見えた。
「……つらかったわね」
ディクトはふっと顔を上げた。
面に笑みを貼り付けたままの柔らかな頬に一筋の涙がこぼれた。
「一つ、聞いても?」
ミラノの静かな問いに、ディクトは大きく息を吸い込んだ。
「あなたが……殿下がお知りになりたい事はわかってるよ。ロレイズの腹の子は、僕の子じゃない」
ディクトの頬を伝う涙は、一層溢れた。
──これは、悔し涙だ。