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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【6th】the second love - | ||taboo|| |
161/180

(161)“唯一の召喚獣を召喚する者”(1)

(1)

 ライン家の少年を追うネフィリムは、黒い“うさぎのぬいぐるみ”を小脇に抱えたまま走っていた。が、しばらくして口を開く。

「ミラノは──」

「はい?」

「本当に肝が据わっているな」

「……」

 唐突すぎてミラノは何と答えたものか考え、結局いつも通りの沈黙で返した。

「一庶民とミラノは言っていたとシュナに聞かされていたが……正直、腑に落ちない。そちらの庶民は皆そう動揺をしないものなのか──そんなんわけはないな」

「ええ、それは……動揺しないでいられる人なんていないと思います。私は──私の事はなんとも……」

 言葉を濁すミラノに対して、ネフィリムは口元で笑うにとどめた。

 ミラノだって動揺ぐらいはするだろうとわかっていて聞いた。その答えがこれだからちょっと笑ってしまった。

 ミラノは必要以上に自分の事を語りたがらない。会った時からそうだ。

 ガードが堅い事に加え、実は面倒臭がりなのだという性格はもうわかっている。

 わかっているが、それでも、ミラノの事はもう少し、あと少し──、好きな相手の事は一つでも多く知りたいものだし、くだらない話でも口をきいていたい。今までその機会にあまり恵まれていなかった事もあって、ネフィリムはこんな時だが話しかけている。

「──庶民だとしたら、その容姿はいたずらに目立ったろうな」

 もちろん“ぬいぐるみ”ではなく、本来のキリリと背筋を伸ばして凛と立つ姿を指している。

「そうですね」

 自己開示は避けたいのに、その時はさらっと答えてしまったミラノ。慌てて息を飲んだが、出てしまった言葉は戻るはずもない。

「動揺を隠すというのは、ミラノなりの処世術というわけだな」

「……そうですね」

「庶民では護衛もないだろう? 虫が寄ってきて大変ではなかったかい」

「──全力ではないのですか?」

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”ははぐらかすというわけでもなく、変わらぬ声音で聞いてくる。

 ミラノの目には離れ業にしか見えない。走りながらあれこれ話を振ってくるなんて──。

「ずいぶん、余裕があるんですね……」

「追いつける程度に走っているだけだからね、頭は暇だよ」

「……そういうものですか」

 持久走、マラソンが苦手だったミラノには理解が遠く及ばない。

 体力を磨り減らす事もそうだし、ワイヤーブラジャーなり、きつめのスポーツブラジャーをしようが上下に揺れる乳は痛くて仕方が無いので小走りさえ常々避けたいと思っている。わざわざ人に言わないが、ミラノは走ることを含めてスポーツが嫌いだ。

 だから、運動が得意だったり好きな人、今、平気な顔で走るネフィリムは人外に見えてしまう。現時点で人外なのはどう見ても“うさぎのぬいぐるみ”のミラノの方ではあるのだが。

 ネフィリムは人型のミラノと大して重量の変わらない鎧を身につけてモンスターと戦い抜いてきてきたこちらの人間だ。走るだけというのではまだまだ余力があるのかもしれない。

「──虫……ですか……」

 ネフィリムに言われる前にミラノは自分で話を戻した。

 今、どこへ行ったものかわからないミラノの肉体だが、元の世界でもこちらの世界でも目立つ容姿をしている。

 通った鼻筋、大きな目、厚すぎない程度にぷっくりした唇、しゅっと尖った顎が綺麗な輪郭の顔に整っておさまっている。日本人女性にしては背も高く、また胸も手で包みきれずにこぼれて余るほど……。同性のやっかみを買うのは大得意だった。

 ミラノにしてみれば悪目立ちしているとしか思えない。善くも悪くもなく、すべてが平均的ならどんなに苦慮が少なかっただろう。

 フィットする服のサイズは基本無く、あっても値段が高い。今でこそ正社員だが、派遣社員の頃は給料も少なく苦労した。

 対人関係もだ。何もしていなくてもヘタに目立って目をつけられ、因縁をつけられ、初対面の印象をどれだけ良くして頑張ったとしてもハブられる。

 一方で好いてくれる人達もいるにはいる。

 好意はありがたいが、ストーカー染みた行動に移る男──のみならず百合思考の女も数々見てきた。贅沢と言われても、好かれたい相手にだけ好意を寄せられたい……それ以外はトラブルの元でしかなく、断るにしても、慣れない頃は心を痛めた。恨みもたくさん買った。

 外へ出歩くのに、成人して今の鉄壁“近付くな”オーラを手にするまで、彼氏が付き添ってくれていた。

 彼氏がいない時は兄が必ず傍にいてくれた。兄はミラノが十九歳の時に目の前で亡くなるまでずっとミラノの味方でいてくれた。亡くなって以降は兄に憧れたかマネたか、同じく空手を習っていた弟キョウが何も言わずナンパ避けに一緒に歩いてくれた。十人並みの兄と違い、自分と似たキョウと並ぶのは逆に目を惹く事もあったが一人よりはずっと楽だった。

「特に苦労はしていません」

 やはりミラノは多くを言わない。

 嘘ではないが、言ったところで理解者は少なく敵が増えるだけだ。この手の誰にも言えない悩みは、根暗な性格の原因になってしまったのではないかとも思う。

 今はもう不便でもないし、困ってもいないのでこれで良いとミラノは思っている。

「ミラノは……」

「……」

「いや……」

「……なんです?」

 ネフィリムが言い淀む事は珍しい。言いかけられてやめられるのも気分は良くない。

 ネフィリムの思考は読みにくい分、ミラノは気になった。

「…………なんですか?」

 ネフィリムは「ミラノはもう少し人を頼っていいのに」という台詞を躊躇った。

 ミラノは身体を無くして自分達を頼ってくれた。その事実があるのに、それを言うのも嫌がられはしないかと思ったからだ。

 だが、もっと頼ってほしいものだなと長男として育ったネフィリムは思ってしまう。

 そんな微妙な空気をミラノは微かに察する。

「キョウに言われたばかりです。気楽にやれと……確かに、私は考えを逸らす事はあっても、気楽になれた事なんて、一度も無いのかもしれません。ネフィリムさんは──」

 ミラノの声がふっと軽くなった。

「暗いイメージから遠いので、凄いと思っています」

 たくさんの人の上に立ってその命を預かる。その重圧たるや、ミラノには想像を絶するものがある。まして、この世界は人間にとって脅威となるモンスターや召喚獣がすぐそこでうろちょろしているのだ。そこを制する圧倒的な力とカリスマをどうしてにこにこしたまま保持出来るのか、ミラノには理解しきれない。街中ではナンパ、コミュニティーにおいてはトラブルを避ける為に黙し、鉄壁を振る舞うミラノは明るく振る舞うなんて出来ない。

 ネフィリムが茶化すように微笑う。

「おや? これは褒められたのかな?」

「そうですね……私には王位継承者という責任だけできっとすぐにも死にそうな顔になります。ネフィリムさんも、シュナヴィッツさんも、パールも……凄いと思います」

 ミラノには到底マネ出来ない事ばかりだ。

 パールフェリカは召喚獣のお披露目自体は中止になったものの、その生誕パーティーで多くの人の前に姿を晒し、挨拶回りをしていた。パールフェリカは己を見世物と言った。

 パールフェリカは自分を過小評価しすぎているとミラノは感じている。

 走りながら、ネフィリムはにんまりと笑った。

「パールに聞かせてやりたいね」

 結局、妹パールフェリカの話にされてしまった。少々がっかりしつつも、ネフィリムは本心から言った。

 頃合いはパールフェリカがせっせと変装の準備を整えていた時分になる。

 ネフィリムは路地を走るのをやめた。

 跳躍し、屋根から屋根を飛び越え進んだ。時に建物と建物の間に距離があれば鳩ほどの大きさで召喚したフェニクスを間に呼び出し、足場にした。

 ガミカ王都城下町の家々の屋根には当たり前だがアンテナや貯水タンク、給気口なんていうものが無い。排煙用の煙突位しか障害物は無く平ら、そこを駆け、ネフィリムは視界に赤ヒポグリフを見つけた。

 丁度辺りに人がない細い路地──標的──少年の姿をとらえた。

 少し先に飛び出した窓枠と庇を見つけて足場とし、ネフィリムは地上へ降りた。その拍子にフードがふわりと跳ね上がってしまった。

 タイミングが悪かったらしい。少年がこちら──後ろを振り返って目を見開いていた。

 少年はすぐに正面へ向き直し、速度を上げる。残りの体力を無視するかのような全速力だ。

 ネフィリムも駆けながらフードを下ろした。

 ──顔を見られたか……仕方がない。

 しばらく追った後、耳や手足を振り回されまくっていた“うさぎのぬいぐるみ”が顔を上げる。

「ネフィリムさん、今何か──」

 次の瞬間、周囲の建物が消え去り、辺り一面が濃い霧で包まれた。

 慌てて足を止めるネフィリムだが、腕の中から黒い“うさぎのぬいぐるみ”が無くなっている事に気付く。

 ネフィリムは一人、乳白色の世界に立っていた。

「…………捕まってしまったか……」

 この感じは覚えがある。

 7、8年ほど前、“これ”の使い手が王城に忍び込んで来て、ネフィリムを襲った。

「──夢魔は捜索が難しいのだが、あちらから来てくれるとは手間が省けた」

 夢魔──淫魔とも言い、召喚霊インキュバス、またはサキュバスの事を指す。

 さっさと夢を破り、近くに居るであろう召喚主を捕まえる必要がある。

 ネフィリムにとってはサキュバス、女淫魔と呼ばれる存在で“それ”は現れる事になるだろう。

 サキュバスはまず、対象を深い眠りに引きずり込む。本来こちらがメインの能力だ。数ある精神攻撃の中でも睡眠を扱う召喚霊はいくつか在るが、その中でもずば抜けて強力なのが夢魔たるサキュバスの力だ。

 範囲対象は召喚主の力に依存するが、強さは一定以上──つまり、どのような召喚主が使役しようとも、催眠対象にされた者は刺されようが焼かれようが目覚めないいほど深く眠らされる。その間に性的な悪戯というのも簡単だ。反応は悪くないという。下衆な話だが、眠っている者も夢の中でお楽しみの真っ最中だからという事だ。

 深く眠らせた後、召喚霊サキュバスは夢の主の記憶に干渉して理想の姿形に変化する。

 理想、好みの姿で誘惑してくるので、夢の主のほとんどは逆らう事が出来ず、堕ちる。

 男はサキュバスに精液を奪われ、女はインキュバスに時期が悪ければ妊娠させられる──というのだ。

 かつて、複数の夢魔の召喚主を従える事に成功した国があった。大昔の話だ。

 召喚霊として戦争で活用された時、数百人を瞬時に眠らせては斬り進み、百分の一以下の戦力で城を落としたという記録もある。

 催眠能力だけを切り取っても強力な召喚霊だが、おまけが酷い。

 召喚主のモラルによって使われ方は変わるが良い使い方──不眠に悩める人を助けるなど──をする者はまず居ないため印象も悪く、夢魔召喚主が出ると投獄、あるいは監禁されるのだ。

 後者の能力がおまけと言われる理由としては、対象によって効果が出ない場合があるせいだ。

 理想の異性の姿を思い描けない、つまりあまりに幼い精神の持ち主や、意図して異性に興味を持たないようにしている者が対象になった場合などだ。

 幼い精神、つまり子供で性的欲求が無いと淫魔の能力効果は睡眠までしか発揮されない。

 また、男の同性愛者に対しては男夢魔インキュバスで当たるべきを女夢魔サキュバスで行けば無意味だ。女の同性愛者にも同様の事が言える。

 以前、ネフィリムがサキュバスに捕らわれた時は10代後半の頃──十分淫魔の効力は発揮されるところだった。が、当時のネフィリムには理想の異性の姿というものが無かった。

 サキュバスは本来の姿──小太りで黒い肌、豚鼻のコウモリに似た顔をして人間から見れば酷く醜い容姿──でネフィリムの夢の中に現れた。

 サキュバスは夢の主がはっきりと夢だと認識した瞬間に追い出される。

 夢魔に襲われた者は追い出した時に目を覚ます事が出来る。

 昔のネフィリムがサキュバスに襲われた時も、ものの数秒で目を覚まし、すぐに暗殺者にも対応出来て事無きを得たのだ。

 おそらく、ほんの数カ月前までなら同じ結果だったろう。すぐに目を覚まし、召喚主を追う事が出来ただろう。

 だが──。

 今の今まで何をしていたのか記憶がはっきりしない。

 ネフィリムはゆっくりと辺りを伺うが白い世界が広がるばかりだ。

 腕に何か抱えていたはずだ、何かをしていたはずだ──眠りは急速に深まり、ネフィリムは夢に堕ちていた。

 上も下も無く、白い視界。霧が辺りを満たして遠くが見通せない。

 何をしていた、ここはどこだと強い意識が目覚めるよう働きかけてくるが、答えは霧の中、掴むことが出来ない。わかりそうなのにわからない。顎に手を当て考え込んでいると、背後で気配がした。

 1歩、2歩、何かが歩み寄ってくる。

 ネフィリムはゆっくりと振り返る。

 近づいてくる存在にだけ、ネフィリムの注意は向いた。

 もう、たった今の事さえわからない。何もかも忘れ去っていた。

 霧の中、細い腕が出てくる。

 コツコツと足音が響き、それは霧から姿をあらわす。

 艶やかな黒い髪、白い肌は薄い桃色に上気している。はっきりとした睫毛、その奥の黒い瞳は神秘的で掴み所がない。

「ネフィリムさん……」

 夢の力を利用しているだけあって、“それ”はネフィリムの思い描くそのままの姿をしている。

 ネフィリムは目を細めて彼女の姿を見る。

 心が熱く、とろけそうになるのはこういう時だ。

 まっすぐこちらの目を見つめたまま、彼女はネフィリムの真正面まで歩み寄ってきた。

 微かな笑み──、潤んだ黒い瞳は光をより反射してこちらの目を奪う。真っ直ぐ射ぬいて来る。ゆっくりと2度瞬かれて、それはあまりにもどかしく、彼女の頬に手を触れずにいられない。

「──愛して……いるわ」

 彼女の濡れた唇から吐息とともに漏れた声。

 淡々としたものではなく、奥にうずくような熱が込められた声。

 さすが、こちらの記憶を刺激して呼び起こしている幻だけあって、姿形、声は本物そのもの。その上、響きもあまりに甘い。

 ネフィリムは右の口角を上げて笑った。

 すぐに真面目なふりして彼女を見つめる。

「私も愛しているよ」

 目の前のミラノがゆっくりと目を伏せる。

 唇と唇が触れるまであと少し──……。

「──本物をね」

 お互いの息が届く距離で、ネフィリムは冷たい声で言い放った。

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