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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【6th】the second love - | ||taboo|| |
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(157)ロレイズ(3)

(3)

 窓が開いているのだろう、室内の甘い香りが風に乗って廊下に流れてきた。

 頭を垂れる侍女を置いて、ネフィリムは部屋に入る。

 力無く“ぬいぐるみ”のフリを続けるミラノの視界には、落ち着いた色味の絨毯が入ってきた。

 ロレイズの部屋の壁は白い粘土を粗目に流して模様としている。派手な彫刻や飾りはない。

 壁のあちこちに布が垂れ下げられているのはガミカ国ではよくあるインテリア。まっすぐハリを保って吊り下げられていたり、色取り取りの紐でまとめられた布もある。

 淡い桃色や空色の細い布が何枚も垂れている。それが静かな風に押されて順番にふわふわと揺れている。

 部屋の主の性格が穏やかなものであると推測出来た。

 奥には扉があった。その向こうが寝室だろう。

 通されたこの部屋──よくある私室兼応接室──には、いくつかの本棚、ガラス工芸品や小さな人形やぬいぐるみを陳列した展示棚が並んでいる。

 部屋の中央には大きくゆったりした1人掛けのソファが4つと、厚いガラス天板のテーブルが配置されている。ソファは木を編んだもので、大きなクッションは肘掛からはみ出ていた。

 ソファの向こう、入り口の正面はバルコニーに繋がっている。

 薄いカーテンがさわさわと風に揺れていた。

 開け放たれた窓から、ゆっくりと歩いて来る──……少女。

 ミラノはネフィリムが歩くのにあわせて不自然にならない範囲で少しずつ頭を上げおり、少女を見る事が出来た。

 真っ先に見つけたのはとても愛らしい顔。まだまだ幼さの残る13歳。

 白い面にぴんくの頬、まつ毛にはっきりと縁どられた灰青色の瞳は大きい。少しだけ震える唇は、無理にとわかる微笑を浮かべている。

 もしも、人の形があったなら、ミラノは──心底表情の無い“うさぎのぬいぐるみ”で良かったと思った程──痛々しさに目を背けたくなった。

 望まれぬ妊娠だったとしても、すでに命が宿っている事を、産まれてくる赤子に対しては言祝《 ことほ》ぐべきなのに、そういう感情が沸いて来ない。

 ミラノはロレイズを静かに見つめる。

 背丈ならば小柄なパールフェリカとそう変わらない──彼女は、ぱっと見ただけではまだ子供の体をしているのに、細い腕に囲まれた腹だけが大きく前へ突き出ていた……。

 彼女──ロレイズが部屋に入ろうとすると中年の侍女が駆け寄ってそっと腕を取った。

「大丈夫よ」

 ロレイズは侍女の顔を見上げて言った。

 やはり、13歳という年齢を思わせるやや高めの子供の声。

 侍女はロレイズに手を差し出すと支えてやり、ソファまで共に歩いた。そのままロレイズをソファに座らせると、膝掛けを腹が隠れるようにかけた。

 大きな腹を見つめる侍女の瞳には、多くの言葉が隠されているようにミラノには思われた。

 テキパキと動く侍女は、くるりと振り返ると窓とカーテンを素早く閉めてしまう。

 物音が無くなって、ロレイズがゆっくりと口を開いた。

「ネフィリム殿下、座ってお話させて頂く無礼をお許しください」

「──構わない」

 いつもより低くて少し硬く掠れた声なのは、きっと、パールフェリカの姿をロレイズに重ね、キサスの受けた衝撃を思ったせいかもしれない。

 奥のソファに座ったロレイズに数歩で歩み寄り、ネフィリムはテーブルを挟んで入り口側のソファの背もたれに片手を置いた。はじめに言うべき言葉を失っていた。

 ロレイズの長いまつ毛が2、3度揺れた。

 とても静かな動作でロレイズは袖の余った生地を払い、ネフィリムの手元を示した。微かな笑みを浮かべてネフィリムを見上げる。

「可愛らしい“ぬいぐるみ”、パール様のものの色違いですか?」

 キサス宰相の娘、同じ歳という事もあって様々な席でパールフェリカとは何度も会っている。

 パールフェリカの部屋にある白い“うさぎのぬいぐるみ”は7ヶ月程前にシュナヴィッツが人形師クライスラーを呼んで作らせたもの。7ヶ月前なら、ロレイズもまだ外に出ていた。見たことがあったのだろう。

「すこし、おかりしても?」

 ネフィリムはロレイズに笑みを見せた。気を遣わせてしまった事に気付いたのだ。ちらりと黒い“うさぎのぬいぐるみ”の赤い瞳を気にしつつ、ロレイズに近付くと渡す。

「──まぁ、温かい。不思議」

 両手で黒い“うさぎのぬいぐるみ”を受け取り、優しくぎゅっと抱きしめるロレイズ。

 黒い耳が押しのけられて、ロレイズの柔らかい頬とベルベットの“うさぎのぬいぐるみ”の頬が触れた。結わずに下ろしたままのロレイズの淡い茶色の髪が揺れる。

「ロレイズ」

 ゆっくりとロレイズが顔を上げ、ネフィリムを見上げた。

「少し、話を聞きたい。いいかな?」

 ぎゅっと“うさぎのぬいぐるみ”を抱く腕に力が込められた。

「ネフィリム様、私からお話させて頂きます」

 侍女が胸の前で両手をぎゅっと握りしめて歩み出ると、ネフィリムを見上げた。

「私はロレイズ様がお生まれの頃よりお仕えしております」

 ネフィリムはロレイズからゆっくりと視線を動かし、侍女を見た。侍女の頬はきりりと引き締められ、口元にはくっきりと皺が寄っていた。

「聞こう」

 侍女がネフィリムを、ネフィリムが侍女を、お互いの細かな動作を注意して見ていた。

 ミラノもそちらを見ていたが、ふと、意識をロレイズに移した。

 ──……何か、今──。

 ぽたぽたと音がした。

 ミラノは、黒いベルベットの質感の“うさぎのぬいぐるみ”に、涙の跡が出来た事を悟った。

 侍女は、自分がロレイズから離れた事は無かったと、賊の侵入を許した事も無いと、儀礼を守ってはいたが非常に強くネフィリムに訴えた。

 ロレイズは恋愛に興じた事も無ければ、今こうして臨月を迎えるような原因など彼女の身の上に起きた試しが無いと、使命感を持ってでもいるのか、侍女は背筋を伸ばして告げる。

 ロレイズの話を聞くべきなのだが、ネフィリムはそちらを向く事が憂鬱だった。仕事だと言ってもだ。だから、ネフィリムが侍女を制する事はなかった。

 侍女の言葉を全て聞いて、ネフィリムはやっとロレイズの方を向く。

 2人がこちらへ振り返りきる前に、ロレイズは服の袖で目の下を拭った。

「ロレイズ──相手はわかるかい?」

 13の娘に問うには酷だとネフィリムにだってわかっている。まして、身に覚えが無いと言っている娘に対してだ。

 ネフィリムは己が悪役にでも回っているように思われて、ますます気が重くなった。

 ロレイズは首を左右に振る。

「わかりません」

 真偽のほどは確かでは無い。

 嘘だとしたら、何らかの証拠を──相手の男を引っ張り出してきて対面させるなりしなければ白を切られ続ける。

 本当だとしたら、インキュバスを徹底的に探し出し、こちらを裁かなくてはならない。

 いづれであれ、ネフィリムは公にして裁きたいわけではなく、揉み消す為に動いている。隠されても、今はどうにも出来ない。

 ……だが、ロレイズやキサスの家臣は皆、王子であるネフィリムを前に裁かれる事を不安に思うのだろう。

 キサスは全てを覚悟して王に相談した時点で、裁かれると信じている。

 減刑が欲しくて「相手はいない」──つまり召喚霊インキュバスを捏造する事もあり得る。望まれない妊娠に、形の無いインキュバスのせいだと言い張る事も考えられるのだ。

 ネフィリムもキサスの青ざめた顔にインキュバスを疑っていると言いはしたものの、相手が生身の人間である可能性も同じだけ疑っている。

 相手、あるいは召喚霊インキュバスの召喚主は、ネフィリムにとっては必ず消す必要があるのだが、キサスやロレイズは不安が先行している。本人達も、周りの誰も真実を語らないかもしれない。

 ネフィリムはロレイズの様子を数秒観察してから「調べたい事がある、私はもう行く」と言って踵を返した。

 やはり、召喚霊インキュバスの線で探しながら、相手があるか調べるしかない。

 侍女が後から追い、扉を開けてその背を見送っている。

 ……ロレイズの腕の中、黒い“うさぎのぬいぐるみ”の赤い瞳がじいっと扉を凝視していた。

 ネフィリムが戻って来る気配は、ない。

 ──……あの兄弟は……時々こういう事をするのね。

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”は置いて行かれたようだ。

 ミラノは、パールフェリカを追ってシュナヴィッツに乗せてもらった召喚獣から街へ落っことされた事を思い出していた。あの時も“うさぎのぬいぐるみ”の形をしていた。パールフェリカが、生前のユニコーンに街へ連れ出されてしまい、探しに空をティアマトで飛んでいた時の事だ。

 ネフィリムがミラノを忘れたのもきっと“うさぎのぬいぐるみ”なんていう外見をしているせいなのだが、この後どうしろというのかとミラノは溜め息を吐き出したくなるのを堪えた。

 侍女がくるりとロレイズの方を向く。

「ロレイズ様、少し、失礼いたしますね」

 侍女は、意を決したように部屋を出ると扉を閉めた。

 廊下に出た侍女は30歩分先にいたネフィリムを走って追いかけ、声をかける。

「ネフィリム様、少し、よろしいでしょうか──実は……」



 コツコツッと、窓が小さな音を立てた。

 ロレイズはカーテンの隙間から見える影に驚き、“うさぎのぬいぐるみ”をテーブルに置いて立ち上がる。お腹を抱えつつ、慌ててカーテンを開き、窓を開けた。

 すぐさま窓から部屋の中に飛び込んで来たのは、一人の少年──。

 薄い青の上下、腰の濃い色の革のベルトは太い。上着の左胸に6枚の花びらをあしらった刺繍が見えた。歳なら13、4歳でロレイズとそう変わらないだろう。

「ダメよ! 今日は来ちゃダメって言ったじゃない!」

「逃げよう、ロレイズ。行方不明か誘拐なら、君のお父様にも迷惑はかからないよ」

 ロレイズの腕をひっぱり歩かせようとする少年の頬を、一気に駆け寄った黒い“うさぎのぬいぐるみ”がぶん殴った。ぽふんと、軽い音がしただけだったが……。

 絨毯にとんと着地した黒い“うさぎのぬいぐるみ”の赤い瞳が少年の顔を睨み上げる。

「──臨月の妊婦に何をしたいの? 今さら駆け落ち?」

「な、なんだこれ!?」

 少年は驚いて手を離し、ロレイズは開放された手を口元に当てた。

「しゃべ──まさか……ネフィリム様の召喚霊!?」

「バレ──!?」

 息を詰め、少年は慌てて窓を飛び出した。

「待ちなさい!」

 ミラノは窓まで駆け寄って足を止めた。この体で追いかけてもあまり良い結果は期待出来ない。

 ──出来るかしら。いえ、きっと……。

 ミラノはネフィリムの肩に居るであろうアルフォリスの召喚獣ヒポグリフに呼びかける。

 しばらくして、窓の外に赤ヒポグリフの舞う姿が見える。目が合った。

「──あの子を追って!」

 ミラノの声からすぐ、赤ヒポグリフは向きを変え、飛び去った。



 ほんの少しだけ、時間は遡る。

 侍女がネフィリムを呼び止めた後の事──。

「1年ほど前から、ロレイズ様は塞ぎこんでらっしゃいました。あるご子息様の初召喚お披露目パーティから戻られて……」

「──誰だ」

 ネフィリムの声は、侍女の聞いた中で最も冷え切っていた。ロレイズの前では抑えられていたものだ。

 冷たく凍った手で心臓を掴まれでもしたかのように、侍女は小さく「ひっ」と声を漏らし、両目をぎゅうっと瞑った。がたがたと震え始め、膝が崩れたがそのまま土下座する。

「……も、申し上げたならばどうなりましょう。ロレイズ様はどうなりましょう。申し上げたならばご子息様はどうなりましょう。もしもそのご子息様がしょ、処刑などとなりましたら……し、死んでしまわれたら……それをお知りになったならば、ロレイズ様は……お腹のお子様は……! わ、私は、私には……わかりません……ずっと、ずっとわからないままなんです!」

 頭を床に擦りつけ、侍女はついに泣き伏した。

 衝動的にネフィリムを追いかけて話してはみたが、不安に耐えきれなくなった、といったところだろう。

 ネフィリムは眉間にぐっと皺を寄せる。胸に息を吸い込み、同時に言葉も飲み込んで、ゆっくりと鼻で息を吐いた。

 ──感情で動く女は本当に面倒だな。

 苛立ちをこらえた。

 誰もがロレイズの妊娠に驚いた。もう産むしかないという状況に直面して、周りは狼狽して何も出来なかった。ロレイズ本人は社会に沿って行動するには物事を知らず、判断はずるずると伸びて遅くなった。無理からぬ事と思えど、ぎりぎりで慌てふためく方がネフィリムの好みではない。

 ふいにネフィリムの肩に居たヒポグリフが顔をぐいっと持ち上げ、左右を見た。

「どうした?」

 ネフィリムの声を無視し、赤ヒポグリフは羽を広げると近くの窓ガラスを割って外へ飛び出した。

「アルフ?」

 赤ヒポグリフはアルフォリスの命令か、彼の願いからネフィリムの命令を聞くはずだ。

 今、ネフィリムは何も指示をしていない。ならば、アルフォリスが近くに居るか、彼が呼んだのかと思ったのだ。だが、窓を見ればヒポグリフはロレイズの部屋の窓の方へ飛んでいる。

「ロ、ロレイズ様!」

 同じく窓の外を床から這い寄って見ていた侍女が、涙で化粧もぼろぼろになった顔を青く引きつらせた。慌てて立ち上がり、部屋へ駆け戻る。

 ネフィリムが──根拠なくする訳もないのだが──召喚獣をけしかけたと思ったらしい。ネフィリムもすぐに侍女の後を追う。

 侍女は扉を勢いよく開けて室内に飛び込んだ。ロレイズの無事を知ると侍女は駆け寄って抱きしめ、おうおう低い唸り声を上げて泣き出す。

 侍女には見えていないらしい。ネフィリムはゆっくりと、窓際に1人立つ黒い“うさぎのぬいぐるみ”に歩み寄った。

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