(154)隠密の貴公子(3)
(3)
ちゃんと『宰相の末の娘が厄介な事になっている』とネフィリムは先に前置きをしてくれていた。黒い“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりと顎を下げた。その耳にネフィリムの声が届く。
「ロレイズだが、今月──」
ミラノはすぐに顔を上げた。
「いえ……聞こえています。すいません。続きをどうぞ」
「え? 未来希、いいの? 疑問はぶつけるべきだと思うわよ? 13歳で? 誕生日いつ? ヤッちゃったのってじゅう……──」
「そういう事はいちいち言わなくてもいいの」
早口の黒い“うさぎのぬいぐるみ”が“ミラノの体”を赤い目で一睨みする。自分の体、声でそんな下卑た事を言われるのは許せないのだ。
「──一晩で随分と仲が良くなったんだな」
「そうでもないわよ」
嬉しそうに肩をすくめて言う“ミラノ”に、黒い“うさぎのぬいぐるみ”は呆れるしかない。
「あなたが言わないで」
「だって会話噛み合わないじゃない、未来希は体かえせの一点張りだし?」
「当然でしょう? あなたも何も答えられないって……いえ、もういいわ」
黒い“うさぎのぬいぐるみ”はあからさまに頭を左右に振った。無駄を悟ったのだ。
仲良くなったワケではないが、ネフィリムの言葉通り、一夜で理解した。噛み合わない会話を繰り返して、ミラノも自分の体を乗っ取っている存在の事を多少なりとも知り得た。
「……ネフィリムさん、こちらの人は、10代前半で妊娠出産をするものなのですか?」
13歳の妊娠が醜聞に繋がる理屈はどこにあるのだろうと、もし尋ねるならば疑問はこちらだ。
ミラノの頭には平安時代が浮かんでいる。
ぼんやりとした記憶ながら、女は13歳以上から婚姻が認められていたはずだと思い出す。逆に言えば、当時の人々は13歳で結婚していた。平均寿命が現代よりずっと短く、30歳前後だったせいだ。
「10代後半から30半ば、少なくて3人から5人が一般的だ。多くて7、8人産む者もいる。ミラノの国は違うのかな?」
ネフィリムは「近隣の国々とガミカでは大差ないから想像がつかないが」と付け加えた。
妊娠に気付いた後、1割は流産で出産前に亡くなっている。それを乗り越えて産まれてきている数は確かに多いが、1割超が赤子の内に、2割が成人する前に亡くなる。成人後、軍に配属された者の多くは戦地で殉死する。モンスターの数が減少した今後はそれも変わりそうではあるが。
妊娠出産に関して、王家の生まれであろうが人間に違い無く、数字に例外はない。
ネフィリムとシュナヴィッツが生誕した後、パールフェリカが生まれるまでには二人が流産で亡くなっている。それがこの国──この世界での現実だ。
なお、現代日本で俗に言うところの化学流産というものは、ガミカでは当然ながら認識されていない。
「私の居た国……日本では、出産年齢はそう違いませんが、一人の女性の生む人数は明らかに少ないですね。ただやはり、13歳での出産は早すぎます」
13歳の出産ならば、退屈そうに細い指を絡めて暇をもてあましている“ミラノ”が言いかけたように、12歳の時に性交渉があった可能性も考えられる。
現代日本においては性的同意年齢に達していないとして13歳未満では法的に強姦扱いだ。
妊娠を早期に知る方法もある現代日本では流産止めなる処方もある。不妊治療も一般化しているし、妊娠の難しくなる40歳前後でもハイリスクながら出産は増えている。50歳以上で出産を経験した有名人がいたことをミラノは思い出していた。
母子を救う術はガミカよりも多いが、先天的奇形、呼吸障害などは現代日本でも救うのが難しい。
ガミカでは軽度の黄疸など血液障害も致死性が高い。現代日本に当たり前のようにある血液型分類判定がまだ無い事もあり、技術的には可能とされる輸血でも危険度が高く、ガミカや周辺国家では禁じられている。小さな赤子に対し、どうする事も出来ない。
母体が幼い場合も帝王切開をとる場面が増えるが、ガミカの医療技術では母子ともに生存確率が著しく低くなる。
出産に関して『見送る』という言葉がガミカにはあるほどだ。
五体満足で生まれてくる事を、この国の民は心の底から神に感謝する。
誕生日の度に生誕祭を催してはその歳まで生きられた事を神に報告して謝意を示す。
現代日本での青年層の死因一位が自殺だと聞いたら、ガミカの民は拳を振り上げ怒り出すかもしれない。死なずに生き伸びられた命になんてことを──と。
「ガミカでも早過ぎる。14歳未満の恋愛そのものを禁じているのだから、違法と言える」
深くかぶったままのフードの向こうに、嘆息が見えた。
亜麻色の髪がはらりと前へこぼれると、ネフィリムはすぐにフードの奥に差し入れた。
14歳未満の出産が母子ともに危険である事はずっと昔からわかっていた。それ故、ガミカでは遠い昔に禁じられた。婚姻は男女ともに16歳以上と定め、性交渉は結婚後が望ましいとされている。
そういった事情から、13歳の妊娠出産は異常な事だと言える。
――それが、世の宰相の子に起こった。
4月、パールフェリカによってミラノがこの世界に召喚された騒動が一段落した頃――今から4か月程前だが――宰相の邸宅で発覚したという。
妊娠6ヶ月……産むしかない。
だが、男親の宰相は誰に言う事も出来ず、ただ周囲を口止めして抱え込んだ。いざ今月産まれてくるかもしれないとなって、青い顔で王に相談したという。
「昨日、クーニッドから城に戻って父上にアルティノルドや霊界の報告をしたのだが、私はその時、聞かされた」
「……それは……お疲れ様です」
他に言葉の選びようが無い。
霊界から溢れた“霊”を追い返すのに召喚術を使い倒した後、一刻も早く休みたかったのではないかと容易に想像がつく。そんなタイミングでこんな話とは――。
ミラノの言葉に、ネフィリムの口元がにっこりと緩んだ。
「なんです?」
「いや」
父王を支えると決めているネフィリムだが、他者を支える者ほどちゃんと支えを持っているか、支えを必要としている。ネフィリムは労う側であって気遣われる事はほとんど無い。背筋を伸ばし、弱みは決して見せない。
そこへ、姿こそ残念な“ぬいぐるみ”ながら、想い人から優しい声で慰められてしまっては、男というもの、案外あっさり元気が出てしまったのだ。
扉がノックされ、ミラノはその場に座って“ぬいぐるみ”のフリをした。
逆に体の方──相変わらず中身の正体が知れない──“ミラノ”がひょいと立ち上がって扉を開く。そこには店主と同じ小さなエプロンをした店員らしき男が立っていた。両手に盆を持ち、湯気の立ち上る料理を乗っけて現れた。
嬉しそうに笑みを浮かべる“ミラノ”は道を開ける。
料理すべてがテーブルに並べられ、店員が出て行くと“ミラノ”は扉を閉めた。
「──……調べて、どうするんです?」
黒い“うさぎのぬいぐるみ”が再び立ち上がり、ネフィリムを見上げる。
体――“ミラノ”の方は、鉄製のフォークで焼きたての肉を取り上げてふうふう息を吹きかけている。アチアチ言いながら食べ始める様はまるで子供のようだ。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”はゆっくりと顔を逸らした──野菜から食べて欲しいのにと思いつつ──見なかった事にしたのだ。
「相手を探して──」
ネフィリムは人差し指を口元にそっと当てた。
「口封じ」
手をテーブルに下ろしてから続ける。
「相手が単独であれ組織だったものであれ、口を封じる」
14歳未満の恋愛は違法──。
為政者の娘が法を犯している。それを遥かに行き過ぎた“出産”という出来事が間近に起ころうとしている。起きてしまえば確かにセンセーショナルなスキャンダルになり得る。
「……妊娠という醜聞を狙うというのも、確実性も無ければ長期的過ぎませんか」
組織だった工作の可能性は低いようにミラノには思えた。
「醜聞を狙ったものであれ、ただの偶然、ロレイズの恋の末路だとしても、露見すれば宰相の失脚に繋がる。相手は消す。子供の方は、私もまだ決めていない」
「………………そうですか」
「見たくなければ城に、パールのところに行っていてくれたらいいが?」
「…………」
ミラノに口を挟める余地はそもそもない。もしかしたら、聞くべきではなかったのかもしれない。
ネフィリムのはっきりした蒼色の瞳を見上げる。ミラノの目には、少しだけ陰りが見えた気がした。
ミラノは異世界人であり、習慣が違う上、国を動かすポストにあるネフィリムと自分とでは立場が違いすぎる。認識の相違は想像以上に大きいだろう。
キーボードのテンキーを手元を見ないで100個の金額を間違いなく入力しろと言われて即座に出来ても、500人の宛名をプリントアウトして招待状を郵送しろと言われて面倒に思いながらこなせても、人を殺せと言われて出来るわけがない。
仕事の種類が違いすぎる。
好き嫌いの感情が同じでも、倫理観まで全て同じではないのだ。
それでも、昨日の疲労をきっと隠しているネフィリムに見えた陰り……話を聞かずにいられなかった。
横から、話が聞こえていたのか聞く気がないのか、“ミラノ”のスープをすする静かな音がした。




