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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【6th】the second love - | ||taboo|| |
153/180

(153)隠密の貴公子(2)

(2)

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”の言葉に笑顔だけで応え、フードの男──変装……と言うより仮装したネフィリムは、店主に個室が空いているかを尋ねた。

 店主は店内奥、階段横にある6つの扉の内右端、カウンターから一番遠い角部屋を無言で指差した。

 この酒場は店主が言ったように冒険者らの情報交換が盛んに行われている場所。個室は密談や落ち着いた空間として提供されている。

 ネフィリムは軽く手を上げて「わかった」と示すと、その腕で“ミラノの体”の手を取り、空いた方の手で黒い“うさぎのぬいぐるみ”を拾い上げて脇に抱える。

 先程談笑していた相手、遠巻きに見ていた男達に“ミラノ”は手を振って、テーブル席や客を避けて進むネフィリムに引っ張られて行った。

 この冒険者の集まる酒場にしつらえられていたのはガッシリとした造りの個室だ。

 間仕切りのような簡易的なものではなく、扉も壁も厚い板材で出来ている。その分狭い。

 窓の無い3畳程の密室。真ん中に小さな角テーブルがあり、椅子は2脚置いてある。

 テーブルの上には握りこぶし2つ分程の大きさの白い石が置いてあり、それが光源になって部屋を薄く照らしている。石は王城の部屋や廊下に使われていたものと同じもののようで、静かに光を放っていた。

 店舗同様天井は低く、ネフィリムは頭をかがめて奥に入ると、扉に近い椅子に“ミラノ”を座らせた。すぐに扉も閉める。

 脇に抱えていた“うさぎのぬいぐるみ”はちょこんとテーブルの上に乗せ、ネフィリム自身は奥の椅子に座った。

「──それ、ばればれですから。こんな所で会えるとは思ってもいませんでした」

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”は居心地の悪さにひょいとテーブルから飛び降りた。

「……“お忍び”なんだ、大目に見てもらえないかな」

「いつもその変装なんですか?」

「城の親しい者以外にばれた事はないが」

「……とても目立っています」

 着用している衣類だけなら、店内に居た冒険者らと見比べてもちょっと小綺麗なだけで大差なく、十分ありふれていた。

 だが、気品──いわゆるオーラが違いすぎる。何気ない体さばき、立ち居振る舞いは隠しきれない。

「そうかい? 地方の貧乏貴族なんかはこういう旅装ローブで都に出てくるんだ。アルフが庶民に変装するのはやめてくれ、最悪下級貴族にとどめてくれとうるさくてね。ああ、お忍びの時は必ずアルフにヒポグリフを押し付けられるんだ──今日はこの後、合流するが」

 ネフィリムがそう言うと、彼の肩の赤いヒポグリフは首を縦に3回ほど振った。まるで言葉を理解しているかのようだ。

「……いえ、多分あなたは下級貴族だろうが庶民の格好をしようが──……」

 ミラノは言葉を飲み込んだ。

 どんな格好をしようが、いずれ王となる者の風格が漂っている。ミラノにはこの程度の変装で隠せているようには見えなかった。

「ミラノは勘が良すぎるんだ。気付かれた事はないから心配はいらないよ」

 心配したわけではないのだが──。

 顔を逸らす“うさぎのぬいぐるみ”に、ネフィリムは悪戯っぽい声音で、しかし困ったように言う。

「10代前半の頃は女装なんかも出来たんだがなぁ」

「…………………………女装、したんですか」

 再度、ネフィリムを見上げながら、それでも黒い“うさぎのぬいぐるみ”はすーっと顔を精一杯逸らした。

 ──女装男子……一部のディープな趣味の人が大喜びしそうな……。

「シュナは女装するくらいなら死ぬ! と言って聞かなかったんだ。シュナをお忍びに連れていこうとすると王子と同じ年頃の少年が二人揃ってしまって連想させやすい。ばれやすくなるだろう? だから女装しようとしたんだが」

「あなたは抵抗無かったんですか?」

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”が首を小さく傾げてネフィリムを見上げた。ネフィリムはゆるく肩をすくめる。

「似合っていたからね。ただ、シュナの方が女顔だから──あれはもう、絶世の美少女だった。がに股の」

 そう言ってネフィリムはくくくっと笑った。

 若干のSっ気を感じつつ──きっと彼は当時の幼いシュナヴィッツをからかって遊んでいたのだ──ミラノは話を逸らす事にする。

「……やっぱり娼婦扱いされていませんか? 一番端の部屋を案内されるなんて……ビッチの次は娼婦だなんて」

 後半になるにつれて声は小さくなる。

 話題転換の為とはいえ、言っていて虚しさが込み上げてくる。吐き出したい溜め息をミラノは我慢した。

 体を奪われてからというもの、ろくな目にあっていない。

 ミラノは自分の内面を地味で根暗だと分析している。

 ビッチや娼婦を蔑むつもりはないが、美醜も問うつもりはないが、せめて清楚で品のある人間でありたいと常々思っている。いきなりキスをぶちかましたり、片っ端から周りの男に愛想を振りまくなんて、論外だ。

 ネフィリムは赤い刺繍の瞳を見て笑いをおさめ、ただ“うさぎのぬいぐるみ”の頭を撫でた。

「なぜこんなところに?」

 手に気付いた黒い“うさぎのぬいぐるみ”がゆっくり顔を上げると、ネフィリムは撫でていた手を元へ戻し、正面に座る“ミラノの体”の方を向いた。

「国内外の荒くれも集まる店なんだが」

 お忍びでそんなところに足を運ぶ王子がいる事を問い詰めたいと思う黒い“うさぎのぬいぐるみ”が声を発しようとした時、“ミラノの体”がずいっと身を前に押し出した。

「ご飯! ご飯を食べようと思ったのよ。でもお金が無くって……だから、誰かおごってくれないかなぁ? って──」

 一番たくさん人が居そうだったという理由でこの大きな酒場を選んだのよと言う“ミラノの体”の陰で、声をかぶせるように黒い“うさぎのぬいぐるみ”がぶつぶつ言う。

「──そんな理由で……あんなに“愛想の良い自分の姿”を見ているのは違和感が酷くてとても気分が悪かったわ。水さえ飲んでくれたら1日2日食べなくても私は平気だから、勝手に人の体で色目を使わないで」

 淡々とした口調が常の“うさぎのぬいぐるみ”だが、やや厳しい声音をしている。愛想を振りまいたツケなら、5月以降の就職活動後にイヤという程味わっている。これ以上はいらない。

 ネフィリムは音も無く立ち上がると個室の戸を開き店主を呼び、聞き慣れないが料理名とわかる単語をいくつか告げていた。店主が背を向けるとネフィリムは戸を閉め、席に戻る。

「次からは城に来てくれたら良い。君なら簡単だろう? 今日中に衛兵全員に通達しておく」

「……すいません、ネフィリムさん」

 この世界で、黒い“うさぎのぬいぐるみ”には生活能力が無い。ネフィリムは謝る必要は無いと笑みを湛えて首を左右に小さく振った。

「昨夜はどこで寝たんだい? まさか野宿──」

「正解! 冬場じゃなくて良かったネって未来希と話していたのよ」

「………………」

 ネフィリムは、野宿だけはあって欲しくないと思い、否定される事を願って言ったのだが──笑みを消して目線を何も無い床に移し、渋い顔をした。

 ──十分ミラノにも保護欲をそそられるんだがな、キョウ。具体的な保護という意味でだが。

 昨夜、キョウが口走っていた事を思い出し、ここに居ないミラノの弟に心の中で語りかけるネフィリムだった。

 満面の笑みを浮かべる“ミラノの体”をちらりと見て、ネフィリムはただ肩を落とす。

 中身もミラノならば良いのだが、もしそうであるならこんな笑顔は簡単に見れないのだろうと思い巡らせた。微妙な表情の変化はフードの下なのでわかりにくい。

 だが、テーブルの横に立つ黒い“うさぎのぬいぐるみ”には見えている。

「……仰りたい事は大体わかるのですが、私達は危険があればすぐに逃げられますから」

 呪文も無しに魔法陣を広げられるのは黒い“うさぎのぬいぐるみ”も“ミラノの体”も同じである。

「わかっていないな、ミラノ……」

 今度ははっきりと首を左右に振ってネフィリムは溜め息を吐き出すと、腕を組んで黙り込んでしまった。

 さすがにどうしたものかと“ミラノの体”が黒い“うさぎのぬいぐるみ”を見下ろす。視線を受け、“うさぎのぬいぐるみ”がネフィリムを見上げた。

 この世界に住む者が、社会は違えど自分の居た世界の人間と同じ感情を備えている事は、最初に召喚された時に知った。

 彼の自分に対する心配も、途絶えていない執着……想いも全部見えてしまっている。わかっている。目を見れば、その違いははっきりしている。

 沢山の精神的魑魅魍魎の美男美女が跋扈する王城で、王子たるネフィリムやシュナヴィッツが全ての人に優しい態度をとるはずがない。むしろ冷徹になる事の方が多いのではないだろうか。

 この国の事をよく知らないミラノにだって、王侯貴族に愛憎劇や政争が付き物である事ぐらい、わかっている。そんな舞台の中心に居る二人から自分に向けられる、眩しいものを見るような眼差し。自意識過剰で済ませたいところだが、言いたい事、その内側に秘められた溢れる程の想いというものは、そういう視線を見慣れたミラノには透けて見えてしまった。

 熱く潤んだ瞳の物語るものが何かを知っている。

 ネフィリムが言うように、ミラノは勘が良く、ちゃんと見分けている。

 ミラノは、やはり元の世界に必ずかえると決めている。

 同じことを繰り返すだけだ。

 以前、ネフィリムの想いもシュナヴィッツの想いも跳ね除けた。今度も同じように跳ね除けるだろう。

 ただ──ミラノは前よりもはやくかえらなければと思っている。焦りさえ持っている。

 既に、以前とはやや異なる理由がある事を自覚してしまっていたから。

 原初的な、生物の根源的欲求に含まれる感情は、簡単に制御出来ない。それは子孫を残す為にはじめから備わっていた欲求、誰に教えられるでもなく芽生えてしまう感情。

 喉の渇きを潤っているといくら思い込んでも癒えないように、一度心底魅了された相手を簡単には忘れる事は出来ない。

 ──また、二人を傷つける。

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”は物思いを心の奥底に沈め込み、努めて柔らかな声で言う。

「──ネフィリムさんは、なぜ?」

「調べたい事がある」

「……人には頼めなかったんですか?」

 変装までして、と小さく付け足された声に、ネフィリムはきゅっと両方の口角を上げて笑った。やっと、表情が和らいだ。

「これは私の気分転換でもあるんだ、どうせその内、出来なくなる」

 ──王になれば出来ない事で、それは仕方のない事なのだ。

 右肩を緩く上げて後半を飲み込んだ。だがそれだけ言えばミラノになら伝わっているだろうと、ネフィリムは穏やかに笑みを浮かべている。

「いわゆる醜聞というヤツだよ。キサス──宰相よりは私の方がまだ時間に余裕があるんだ」

 そこまで言ってネフィリムの「私よりは時間のありそうなシュナは気がつけばぼうっとしていて使い物にならないしね」と言って肩をすくめた。

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”は後半を聞き流し、ゆっくりと首を傾げた。

 スキャンダルだとしても、なぜ次代の王となるべき人が……と疑問が消えない。

「宰相の末の娘が厄介な事になっている。あれも早く言えば良いのに」

 ネフィリムは視線を逸らし、気だるげに片方の肩を小さく動かした。

「あれは優秀だが、家族の事となると仕事に出るんだ。良い事があればこちらも驚く程良い方に、悪い事があった時は、本当にタチが悪い」

「……悪いことがあったと?」

「ああ。あれだけ忠義で信頼の置ける男も珍しい。失脚されるのは父上にとって良くない。目も当てられない、と言ってもいい程だ。ミラノが知っているかはわからないが、ガミカは一夫一婦制で王もそれは同じだ。プロフェイブは王族に限り一夫多妻制をとっているが。ガミカの王妃には公務はもちろんだが、精神的にも政治的にも王を支える事が望まれている。だが父上は、パールが女の子だったという事も気にして……何せ母上に似すぎているし、甘いからね──政治的混乱も避ける為、今も再婚するつもりは無いそうだ」

「……そうですか」

 父親の浮気を13歳の時にたっぷり目撃して写真も撮りまくってきたミラノからすれば、確かにその年頃で父親の再婚に直面させるという事はとてもデリケートな問題だと共感出来た。

 パールフェリカも一夫一婦制の社会で育ったのなら、男女の愛は一対一だと刷り込まれているだろう。

 男が心と体は別だと言ったって、一人の女性を愛し続ける者も居る以上、思春期の女の子では簡単に受け入れられない。

 純愛への憧れが当たり前に強く、恋に恋するような年頃。まして、父親を通して男性観というものを形成していく時期に、妻だけを愛する夫が理想だと思い込んでいたところへ、実は複数の女性と性交渉を重ねる夫も居るとインプットさせられるのは、苦痛以外なにものでもない。

 父親の浮気に直面した時、13歳のミラノには既に“初恋の人”というものが身近に居たが、彼と出会っていなければ、あっさり男性不信に陥っていた事だろう。

 13歳という年齢は──ミラノは振り返って思う──本人が子供扱いするなと訴えたってまだ……まだまだ真っ直ぐな悪感情や歪んだ正道に対する耐性の低い、庇護されるべき存在なのだ。

「だから、父上にとって、今支えてくれている重鎮らは得難く、とても貴重な人材なんだ。母上──王妃は早くに亡くなり、代わって支えるべき私もまだ子供だったから、彼らがあった事は、不幸中の幸いと言えた。そんな者を醜聞で潰すわけにはいかない。対抗勢力──ライン家辺りが騒ぎ出す前になんとかしたい。それで、私が動いている」

「その醜聞というのは、何なのですか?」

 醜聞というからには愛人問題だとか、どっぷり賄賂、汚職事件だとか脱税だとかそういったものだろうかと、ミラノはざっくりと想像して心積もりをした。

「キサス宰相の娘の名はロレイズ、13歳、パールと同じ年だが、今月出産予定だ」

「…………………………………………はい?」

 退屈そうに両肘をテーブルにつき、両手に顎を乗せている“ミラノの体”の横で、黒い“うさぎのぬいぐるみ”は非常に珍しい、間の抜けた声を発したのだった。

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