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召喚士の嗜み【本編完結済み】  作者: 江村朋恵
【5th】the first kiss - Take it easy♪
144/180

(144)パンドラ・ボックス(2)

(2)

 雲が弾け、風は凪ぎ始める。

 緩やかになりはした風だったが、今度は生ぬるく湿った何かを含んでいるかのように肌にまとわりつく。

 空にぽっかりと空いた闇の穴から、静かに、風に乗って半透明の獣や人がゆらゆらと飛び出してきていた。

 その顔は何もかもを食らい尽くさんばかりに飢えていて、口を縦に大きく開き、実物の無い涎を空にまき散らしている。

 見開かれた目の中心は虚ろ──。

 生あるものとしての意識があるようには思われない。むき出しの歯を見せつけ、唸りながら飛ぶ姿には知性の欠片もない。

 求めるものはただ一つ。

 焦がれるものはただ一つ。

 久しく封じ込められていた。

 それらはついに“霊界”から解き放たれた──、否、“霊界”から隔離された“生命ある世界”への侵入を達成した。

 漲る欲望はただ一つ。

 ──再び“生”を……!

 暮れていく夕日を背景に、それらは朱色の日差しに濃淡を押して空をさまよい飛ぶ。

 空の雲はいつしかすべて吹き飛び、開かれた“霊界”への扉は視界におさめ切れない。見回さなければ全容を確かめられない。

 扉というよりも穴、穴というよりも闇が、上空から大地に手を伸ばして覆うように広がってきている。そこから溢れてくる“霊”達の、はっきりとはしない、しかし唸るような声があちこちから聞こえてくる。

 その数は尋常ではない。数えきれない。

 パールフェリカは体の近くを“霊”が通る度、小さな悲鳴を上げてじりじりと下がり、背中からキョウにとんとぶつかった。

 護衛騎士らは我が身を呈しても主を守ると、腰を低くして様子を見ている。

 霊は、半透明で彩度もコントラストもほとんど無く、シルエットのように見える。

 向こうが透けて見える灰色の影は、さまざまな獣──肉食獣から小さな草食類、見たことが無いような魚のような生き物やら、人や人によく似た形をしていた。その塊が、人間の駆け足ほどの速度で飛び回っている。

 こちらの様子を伺うように周囲をぐるぐると飛びまわっている。ただそれだけの事をしている霊だけでも数は十や二十では済まない。数百を超えて数えきれない。

 木々の上にも幾重にも空へ重なり、時間が経つにつれ、視界を埋める霊の姿は深い霧を思わせた。

 いくら目をこすてみても、世界が温い膜をはったように感じられる。ただ“霊界”の闇だけが酷く濃く、はっきりと見えていた。

 ──地獄の底が開いてしまった。

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”のミラノは、ネフィリムの腕の中から空を仰ぐ。

 先程までの強い風は無くなっていた。だが、ぬるい風に長い耳が揺れる。

「……い、いや!」

 背後からパールフェリカの悲鳴が聞こえた。周囲をぐるぐると飛んでいた“霊”がパールフェリカの腕に絡まったようだ。

 その霊は灰色の長い髪の女に見える。

 半透明で半開きの口から、音声にほど遠い、低く早いコキコキという音が漏れている。虚ろな瞳が真っ直ぐパールフェリカの蒼い瞳を見上げ何かを訴えている。

 肩を戦慄かせ、パールフェリカの口がゆっくりと横に開かれる。がちがちと鳴る白い歯があらわになる。

「……い……いやぁああ!」

 泣き出しそうな声でパールフェリカは真横に居たキョウにしがみつき、“霊”に掴まれていた腕を上下にぶんぶん振り回す。腕はただ半透明の女をすり抜ける。

 キョウはパールフェリカを受け入れるだけで、目を見開いて“霊”の放つ異様な気配に耐えていた。

 恐ろしいと感じるのは、今、自分に命があるから。“霊”は命ある身体を狙うからだ。

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”が丸い左腕をかざすと、半透明の女の“霊”の背後に漆黒の魔法陣が浮かび上がる。

 闇色の触手が魔法陣から生えると、乱れた髪のまま振り返った女に対して一気に伸びた。半透明の女を引っ掴み、無理矢理魔法陣の内側に飲み込む。すぐに黒い魔法陣もふいっと消えてしまった。

 半透明の女が消えるとパールフェリカはキョウからぱっと離れてしゃがみ込んだ。恐怖に揺れる口元を荒い息ごと右手で押さえつけ、左手で霊に掴まれていた腕をさする。耐えるように目をぎゅっと閉じて自分の体を抱きしめた。

 様子を見ていたネフィリムだが、すぐに腕に抱えたミラノを見下ろす。

「返還術か」

「ええ」

 言って黒い“うさぎのぬいぐるみ”はネフィリムの腕からぴょんと飛び降りた。風はあるが、もう体が煽られるほどではない。ただ、じめっとして生温い。

 ミラノはネフィリムから2歩ほど離れて、空の闇──霊界を仰ぐ。

「アチラに還しました」

 召喚獣召喚の手順で言うならば、召喚士が魔法陣で召喚対象を霊界から呼び出し、請い願ってアルティノルドの作り上げる“召喚対象の魂の記憶する実体”に定着させるまでの“霊”の状態というものがある。

 今、霊界から飛び出してきている霊はすべてこの状態のものに相当する。

 パールフェリカにしがみついた半透明の女の“霊”もそうだ。

 ただし、召喚に応えられる“霊”達と異なり、今雪崩れ込んできている“霊”に意思の疎通は図れない。

「なるほど」

「まだまだ出てくると思います。ネフィリムさん達には“霊”の返還をお願いしても良いでしょうか? やり方は召喚獣の返還術と、きっと同じです」

「……私達にも出来るだろうか」

「私に出来るんです。召喚士の皆さんが出来ないとは、思いません。還せなければ──」

 みしりと、近くから音が聞こえてミラノの言葉が止まる。

 すぐにネフィリムと黒い“うさぎのぬいぐるみ”の間、足元の地面が内側からどんと盛り上がる。

 土煙に飛び退ると、地面から棒状で土色のものがしなりながら飛び出してきた。

 うねって頭上高く伸び上がったそれ──木の根っこからは、ぱらぱらと土が降る。辺りに湿った土の臭いが一気に充満した。

 見上げれば、隣にあった巨木が、たった今地面から引っ張り出した根を足として立ち上がろうとしていた。

 根を足とした巨木が1歩前へ進む度、ずしりと音が響く。重さに地面が少し揺らぐ。

 黒い“うさぎのぬいぐるみ”は1歩2歩と後退ったところで尻餅をつき、そのまま後ろへコロコロと転んだ。シュナヴィッツの足にぶつかった反動で前へ倒れそうになったところ、彼に耳の根元を掴まれた。シュナヴィッツはミラノがバランスを取り戻すと耳から手を離した。

 周囲の木々が次々とうごめき、立ち上がる。

 ──“霊”が取り憑いていく……。

 ネフィリムとミラノの会話を聞いていたシュナヴィッツが問う。

「還せなければ、こうなるのか?」

「──の、ようですね」

 ミラノにだって細かいことはわからない。が、予測通りすぎて驚いた。

 残りの木の根も次々にめりめりと音をさせながら地面から抜け出し、歩き始める。葉を揺らし、前へ後ろへと揺れながらガクガクといびつに動きだす。

 土煙が立ち上り、頭上からはぱらぱらと緑の葉が落ちてくる。

 ここにいるネフィリムら人には既に本人の“霊”が入っている。今、霊界からやってきた連中に入り込む余地はない。それで木に向かったのだろう。

「空へ!」

「ミー姉! 俺ユニコーンに乗っけてもらうから!」

 ほぼ同時、ネフィリムとキョウの声が土煙の向こうから聞こえてきた。

 無害だった木々が、枝を、根を上下左右に動かしている。

 霊が新しい体を得て暴れ始めているのだ。このような状態になってしまった木は、すでに危険だ。

 しなる枝の先端に突き立てられれば、人など簡単に貫かれる。

 傷つくだけで済めば良いが、命も簡単に奪われてしまう。

「ミラノ」

 シュナヴィッツは黒い“うさぎのぬいぐるみ”を抱え上げ、呼び寄せたティアマトの肩に片手を付いて飛び乗った。

 ティアマトは鋭い爪で大地を削りながら飛び上がり、旋回しつつ一気に木々の上へ踊り出る。その尾を追うように、あちこちから何本もの枝が葉をわさわさと言わせながら伸びてきていた。

 速度を上げてより高く飛び抜けるティアマト。

 眼下で、追いすがってきていた枝が長さの限界に達してばらけて落ちていった。

 他方を見やればフェニックスやユニコーン、ヒポグリフやペガサス、マンティコアが木々から逃げる姿がある。

 一息つく間もなく全召喚獣が騎乗者同士の声が届く距離まで近付いた時、西の空、現れ出た召喚獣の姿がある。

 ガミカでも名の通った飛翔召喚獣──濃い赤の飛翔召喚獣ステュムに茶のペガサスの2頭だ。

 騎乗するのは“光盾”の女長ルトゥにソイとオルカ。

 ネフィリムらとルトゥら、両者互いに驚きはしたが、顔見知りだ。

 やはり声が届く距離までステュムらが近寄って、ルトゥが何か言う前にフェニックスの上のネフィリムが言葉を投げた。

「ルトゥ! “霊”の返還を手伝って欲しい」

「え!? ネフィリム殿下!?」

「うえええ!? なんで殿下こんなトコいるんです?? あの空の黒いの、何ですか??」

「てかこれ“霊”なんすか!? なんでこんなに沢山──って、おい、キョウ! お前なんでこんなとこいんだよ!?」

 ルトゥ、ソイ、オルカが戸惑って声を上げた。

「うっわ! ルトゥさん、ソイさん、オルカさん!? そっちこそなんでこんなとこに!?」

 ルトゥはちらりとユニコーンに騎乗するパールフェリカの後ろから手を振るキョウを見た後、再度ネフィリムに顔を向けた。

 不慣れな敬語なんかでうまくしゃべれるわけがない。無礼ならば後で詫びると決め、声を張った。

「あたしらの仲間がこの辺の洞窟に潜ってるんだ。すぐに拾いあげてやんないと! でもなんで! なんで木が暴れたりしてんですっ、こんなの──見たことないよ!」

 ルトゥが大きくかぶりを振った。その慌てた様子に、ネフィリムはフェニックスの背の上で両目を細めた。

 今日、パールフェリカを案内させたフラスト洞穴も、そもそも“光盾”が踏破した事から頼んだ。が、そのフラスト洞穴に関する報告は発見から随分と後になって、こちらが問いただしてやっと出てきたのだ。この辺を探査していたなどという話は初耳だ。

 ──“冒険者”というヤツは……。

 ネフィリムは嘆息を飲み込む。使いどころによっては確かに便利だが、彼らは基本はならず者、危険も孕んでいた……。

「……──何を掘り当てた?」

 ルトゥはネフィリムの鋭い眼光に(ひる)んだが、何とか声を押し出す。

「ク、クリスタル……大クリスタルが、あった」

 彼ら“冒険者”にも、糧が必要だ。そのぐらいはネフィリムにもわかっている。

 ──だからって無知は責められない、などと言えたものじゃない。

 ネフィリムはぎゅっと眉間に皺を寄せた後、すぐに表情を戻して背後をゆるやかに飛ぶユニコーンを見た。

「パールはルトゥらに付いて行け。リディクディ、エステリオに彼らの仲間の避難を手伝わせるように」

「あ、うん……はい!」

 パールフェリカがネフィリムにもはっきりわかるよう、大きく頷く。

 リディクディ、エステリオに仕事をさせる為にパールフェリカを移動させる。

 パールフェリカの左右を飛ぶ青いペガサスと赤いヒポグリフに騎乗する二人が目を伏せて頷いているのを確認して、ネフィリムは再びルトゥを見た。

「大クリスタルは神の──」

「神と、神に準ずる力を封じる“封印石”です」

 神の一部と言おうとしたネフィリムの言葉を遮る声がある。

 ティアマト上のシュナヴィッツの腕の中から飛んだ声は淡々としながらも強いものを含んでいた。もちろん、声の主は黒い“うさぎのぬいぐるみ”──。

 全員がシュナヴィッツの前で支えられながら立つ黒い“うさぎのぬいぐるみ”を見た。

「神、と呼ばれるもの──アルティノルドは皆さんがご存知の、神殿に安置された大クリスタルに封じられているものですが、それは全てではありません。中心である事には違いないのですが……」

 クーニッドの村の神殿にある大クリスタルは、パールフェリカも目にした事があるものだ。以前“神の召喚獣”3種がこの大クリスタルから召喚された。

 今回この世界に来るのに“失敗”してから、天使らに聞き出した事をミラノは話している。

 キョウが巨大猪の背中に落っこち、ルトゥらと出会っていた間、体をなくしてまさに“霊”の状態だったミラノは、まだなんとか会話が成り立っていたアルティノルドから黒い“うさぎのぬいぐるみ”の体を与えられた。

 以後、異変が始まり、言葉の届かなくなったアルティノルドを置いて、七大天使やレイムラースと共に何が起こっているのか、またミラノの体はどこにいったのかを話している間にいろいろと聞き出した。

「神殿にある以外の大クリスタルもアルティノルドの一部なんです……切り離されなければならなかったもの……神としてあってはならない部分が切り離されて、消し去ることが出来ず、封印されたもの」

 ミラノはそこで言葉を止めるとゆらりとルトゥの方を向いた。

「──一体、何を引っ張り出したの?」

 今、アルティノルドは言葉が通じず、レイムラースの報告の通りに“霊界”に何らかの干渉を行い、この世界の空を“死の国・霊界”──地獄と繋いだ。

 アルティノルドから切り離された「神」としてふさわしくない部分──悪しき部分が、“光盾”によって解放された。神ではないアルティノルドに戻された。

 ミラノの声はゆっくりと、しかし普段より低めに押し出されていた。

 ルトゥは下唇を緩く噛んで、黒い“うさぎのぬいぐるみ”から目を逸らす。

「わ、わからない。これから調べるところだった……」

「──ミラノ、原因は後にしよう」

 ネフィリムが言うと、ティアマトの上の黒い“うさぎのぬいぐるみ”はその場にすとんと座った。ネフィリムは視線をそのまま上げてシュナヴィッツを見た。

「避難を優先させる。私と、アルフもブレゼノも、出来る限りこの“霊”の数を減らす。シュナも“霊”を減らしながらアルティノルドを探し、ミラノを連れて行ってくれ」

「はい」

 王都に応援を呼んでいる暇はない。限られた手駒でこの難局は乗り越えなければならない。

 眼下の木々には次々と“霊”が飛び込み、わさわさと蠢いて、久々の肉体に跳び上がったり走りまわったりしている。お互いをなぎ倒し、枝をへし折っている。

 人里、クーニッドの村は離れているとはいえ、木々は大きい……移動するのにそう遠くないだろう。あまり時間は無い。

 また、空に開いた地獄の底は、今もこんこんと“霊”を放ち、こちらに流しこんできている。

 辺りは薄暗く、様々な“霊”が飛び回って密度も濃くなっている。視界全体が朱色と紫を混ぜたように薄暗い。

 蒸し暑さから顎に流れた汗をネフィリムは手の甲で拭った。

 ガミカが飲まれ、いずれ世界が飲まれれば、確かに世界は混乱を極める。

 霊は実体を持たず、直接はこの世界に影響を与えられない。しかし、実体を得た時、人を傷つけた時、または殺めた時──どうなる?

 死んだ実体に霊が入り込み、立ち上がるのか?

 殺められた者は霊として代わりに辺りを彷徨うのか?

 肉は腐るのか──?

 世界は“霊”で満ち──“霊界”となってしまうのか……。

 やっと、おおよその状況が飲み込めた。

 同時に、ネフィリムの脳裏には「滅び」という言葉がはっきりとちらつき始めた。

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