(140)らんちき(1)
(1)
キョウが寝室を出て10分もしない内にパールフェリカは「ネフィにいさまのところに行かなきゃ!」といつもの大声を上げて扉を開いた。
寝室を飛び出したパールフェリカの視界には、いつも通り寝室の扉の横のエステリオと部屋の扉の前のリディクディが確認出来た。
さらに、寝室と反対側の扉付近で侍女3人と何やら談笑しているキョウを見つける。
「え、それほんとなの? うっわー、俺、なんか聞いちゃいけない事聞いた?」
「いえいえ、そんなは事ございません」
「ねぇねぇ、じゃあそういう時さ、ファナちゃんどうすんの? サリアちゃんが無理なら、ファナちゃんってもしかして──」
笑いながら語尾を上げ、くすくすと笑う侍女らがそこに繋げるように「やだ! キョウ様ったら私だってそのような事──」とノリノリで楽しそうにしている。
「キョウっ!!!」
パールフェリカの低い怒鳴り声に、侍女3人が飛び上がるように驚いた。そのまま慌てて敬礼だけしてそそくさと控えの部屋に押し合うように駆け込み、扉をぱたんと閉めた。
残されたキョウは平然とした様子のまま、ゆっくりとパールフェリカを振り返った。
「私が! 私がどんな思いであなたの言った事を考えていたと思ってるの!」
足音をどすどす鳴らし、パールフェリカはキョウを指差しながら近付く。
「なんだかものすごく、ばかばかしくなった! もうっ最悪!」
「え? なに? パールちゃん、なにそんなに怒ってんの? 折角かわいいんだからさぁ、その眉間の皺、やめようよ、跡ついちゃうよ?」
軽い口調で言ってキョウはパールフェリカの額をちょいちょいと撫でた。パールフェリカはそれをぱしんと払い飛ばし、キョウを睨み上げる。
「触らないで! キョウって本当にミラノの弟!? なんだか信じられないわ!」
だがキョウは、目を細め、ゆっくりと両方の口角を上げた。
表情の変わっていく様子が、笑顔になっていくというのにパールフェリカには酷く冷たく感じられた。
「弟だよ。でも、忘れないでほしいなぁ。血が繋がってようが、顔が似ていようがさ……ミラノの弟じゃなくて、俺は俺。ミー姉はミー姉。俺はミー姉の影じゃないよ」
──……影。
パールフェリカにはぐさりと刺さった。
「んで、パールちゃんはパールちゃん──だろう? その辺、どういうつもり? パールフェリカお姫様」
パールフェリカは少しだけ唇を噛んだ後、キョウから顔を逸らした。
「キョウは……ものすごくズルイ気がする……」
小さな声で言い捨てて、部屋の扉へ歩いた。
自分の内側から別の声が聞こえた気がした。
──違う、ズルイのは自分の方だった。
影の気持ちなら──ミラノが“召喚士”としてお披露目された時、嫌と言うほど思い知らされた。
キョウを勝手に決めつけてしまった……。それを謝れなかった余裕の無さ──。
「エステル、リディ、ネフィにいさまのところへ戻りましたって話しに行くわ。戻ったらすぐに報告っていう約束だったのに、少し遅れちゃったかしら」
扉を開けさせ、くぐる前にパールフェリカは足を止めた。振り返って、その場を動いていないキョウを見る。
「キョウ、あなたもにいさま達に会って。ミラノを見つけた事も話すから」
すぐにキョウが微笑った。
「おっ、うわさのにいさま達だね! 楽しみ!」
パールフェリカは一度奥歯をぐっと噛んだ後、鼻で溜め息を吐き出した。そうすると体の力がするっと抜けてしまった。
──ネフィにいさまは狸、私は子狸ってミラノに言われたけど、キョウは何なのかしら。
「キョウってやっぱりズルイ……」
パールフェリカの顔がほころんでいく。
──なんでそんなにあっさり笑えるの? 許してくれるの?
両手の拳を腰に当て、パールフェリカも笑顔を見せ付ける。
「行きましょ! にいさま達、キョウを見たらびっくりするわよ! 召喚士と召喚獣の絆で結ばれた関係だった私だってあなたをミラノだと思っちゃったんだもの。にいさま達だったらきっと──」
パールフェリカはくすすっと笑った。
「え、まってよパールちゃん、俺さ、男にミー姉と間違えられてろくな目にあった試しないんだよ、えー、まじで?? 俺も行くの~? ヤダナ~」
困った顔で嫌だ嫌だと言いながら足は誰よりも前へスタスタと進んでいる。
──ミラノ。あなたの弟……キョウがよくわからないわ。
「パールフェリカの兄、ネフィリムという」
「シュナヴィッツだ」
「あ、ども、はじめまして。ヤマシタキョウです」
ネフィリムは一つ頷くと、隣にいたパールフェリカを見た。
「それでパール、フラスト洞穴はどうだったんだい? 何か勉強になるものはあったかい?」
ネフィリムの横にいたシュナヴィッツが口を挟む。
「兄上、本当に許したんですか……」
「エステルやリディクディ、それに“光盾”の案内もつけていたのだから、軽い怪我くらいしても大事には至らないだろうと考えた。父上からの許しも出たんだから、構わないだろう?」
「え、父上も……?」
「私達の初陣だって、召喚術を使うようになった13の時。それを考えたら、パールばかり縛るのも可哀想だろう?」
「そうですが」
ネフィリムが執務室に居ると聞いてやって来てから1分も経っていない。
パールフェリカは半眼で兄二人を冷めた顔つきで睨んだ。
「……ね、にいさまたち、何で普通なの? 何で驚かないの?」
ネフィリムがとぼけたように笑い、シュナヴィッツが問う。
「何がだ?」
パールフェリカはキョウの右腕に自分の腕を絡ませ、ぐいと前へ引っ張り出す。
「これ! ミラノそっくりでしょ!?」
ネフィリムとシュナヴィッツは顔を見合わせ、首を傾げる。
「確かに似てはいるが、血を感じる程度だろう。見間違えるほどじゃない」
さらりと言ったネフィリムに、シュナヴィッツが同意とばかりに頷いた。
「え……──」
悔しいので『──この私が見間違えたのに……なんで!?』とは言わずにパールフェリカはただぎゅっとキョウに絡めた腕に力を込めた。そのままぷっとほんの少し頬を膨らませて絨毯を見る。
右肩を引っ張られつつも、キョウはニッと笑みを浮かべる。
「へぇ~……ミー姉の知り合いで俺を見間違えなかったのってお二人が初めてですよ、へぇ~」
言いながらキョウは机の横に黒い“うさぎのぬいぐるみ”を見つけた。
特にリアクションはせずに「そっかー、ふーん……」と言ってパールフェリカに視線を動かした。
「てかパールちゃん。パールちゃんも超がつく美少女だけどさ、パールちゃんのお兄さん二人とも超イケメンじゃん。なにそれ!? ってレベル!」
じわじわと声に力が込められていく。パールフェリカは釣られるように顔を上げ、キョウを見た。
「国際問題だよ! こんなの! ミー姉ったらなんでフったの!?」
キョウの声はわざとらしく大きくなっていく。
「ありえなくね!? 味見くらいしちゃえばよかったのに!」
「──キョウ、私が見えているわよね?」
その声を聞いて俄然パールフェリカの目がキラキラと輝く。乗っかる事にしたのだ。
「キョウもそう思う!? にいさまたちの乙女人気は国境を越えてるっていうのに、ミラノったら本当に──」
「──パール、キョウに話したのね?」
来客の知らせに机の椅子の裏に隠れていた黒い“うさぎのぬいぐるみ”が、はっきりと姿を見せた。
キョウはにやーと笑って黒い“うさぎのぬいぐるみ”へ顔を向ける。
「えー? 見えてるに決まってんじゃん! じゃなきゃこんな話しないし」
悪ノリしたももの、やはり名指しで指摘されるとばつが悪く、パールフェリカはぐっと顎を引いた。上目遣いで黒い“うさぎのぬいぐるみ”を申し訳無さそうに見る。
「あ……えと……ミ、ミラノ……ごめんなさい……ついぽろっと口が滑っちゃって」
部屋の入口には、ネフィリムの護衛レザード、シュナヴィッツの護衛ブレゼノ、さらにパールフェリカが伴って連れて来ていたエステリオとリディクディが居る。その内エステリオの眉がヒクリと動いた。
洞穴前で、初対面なのに楽しそうに話をしていたパールフェリカとキョウの様子を思い出している。あれは、口を滑らせたように見えなかったが。
怯んだパールフェリカの様子を見て、キョウは慌ててフォローに入る。パールフェリカが言ったのではなく自分が聞き出したという事にしておかなければ、ミラノの“お怒り”は彼女に向いてしまう。そして、とっさに開いた口から出た言葉は──。
「うん、そうミー姉、俺もつい耳がポロっと聞いちゃったんだって……!」
「ちょっとキョウ? ポロっと聞くって何? それは無いわよ! 私だけ悪者にする気!?」
「え? 俺そんなこと言った!?」
「言ったわよ! 今!」
「まじで! うっわ、ごめん、パールちゃん! 俺口軽いからねーテヘへ~」
後半は完全な棒読みだ。悪気がゼロなのが見え見えである。
キョウのうっとうしさは並々ではないらしい。パールフェリカはさすがについていききれなくなる。
「……」
パールフェリカはキョウがミラノに勝てた試しが無いと言っていた事を思い出す。
これでは勝ちに行く前に負けている。格闘技の話をした時、キョウは『本番に弱いの、俺』と言っていた。彼にとって今もその本番だったようだ。
「キョウ、謝る相手を……いいえ、もういいわ」
黒い“うさぎのぬいぐるみ”の耳から力がへたんと抜けたようだ。
「事情を話しておこうと思うのだけど」
「ん、なに?」
パールフェリカはキョウから腕を外すと、机の横にちょこんと立つ黒い“うさぎのぬいぐるみ”にそっと触れ、背中から抱きかかえる。
黒い“うさぎのぬいぐるみ”は頭を巡らせ、パールフェリカを見た。
パールフェリカは、目を細めて黒い“うさぎのぬいぐるみ”をきゅっと抱き締める。
「……パール?」
──その、声が。
いつもの柔らかなミラノの声で、パールフェリカはゆっくりと目を開き、蒼い瞳で“うさぎのぬいぐるみ”の赤い目を見て、えへっと笑った。
「ミラノ、ぬいぐるみなのにあったかい」
さらさらで、指の沈み込むベルベット地に温もりがある。人肌よりも温かいようだ。
「“ぬいぐるみ”というより、今はこれが体です。中身がどうなっているのかまではわかりませんが」
「てかミー姉、いつまで“うさぎのぬいぐるみ”の格好なの?」
「キョウ、これが今の私の体なの。本当の体はどこかで見失ってしまったわ。奇妙な事だとは思うのだけど。今、七大天使やレイムラースにも探すのを手伝ってもらっているの」
「七大天使って──」
「でもミラノ、今回は魔法陣が使えるのよね?」
キョウの言葉をパールフェリカが遮った。
「そうですね。パールの白い“うさぎのぬいぐるみ”に入っていた時は使えなかったのですが。この体は、まだ正気のあったアルティノルドに、本当の体を探す間の仮の体が欲しいと言ったらくれたものなの。どうしてこんな見た目なのかはわからないけれど、魔法陣を使えるという理由で考えたならば、生き物らしいわ」
だから、体温があり、パールフェリカが抱えた時、ぬくもりが伝わった。
シュナヴィッツが真剣な表情をする。
「それはそれで恐ろしいがな」
召喚獣であった時は再召喚すれば良かったが、今の黒い“うさぎのぬいぐるみのような生き物”の姿をした人間ということになる。
体にダメージを受ければ、怪我をするなり死ぬなりするという事。外見はともあれ、人間と変わらないというのだ。
「パール、ミラノを振り回したり投げたりしてはいけないよ?」
「何よネフィにいさま、それはシュナにいさまに言って? 空から落っことしちゃいけないって」
シュナヴィッツは顔をしかめ、逸らした。
以前、パールフェリカが生前のユニコーンと共に城下町へ飛び出した際、それを追いかけたシュナヴィッツは抱えていた“うさぎのぬいぐるみ”だったミラノを、空高く飛ぶティアマトの上から落としてしまった事がある。
パールフェリカの腕の中からミラノがネフィリムを見上げる。
「王様がお忙しいのでしたら、時間の空いた時にまたお話させて頂きたいのですが?」
「父上には私から話しておく。ミラノ、何が起こっている?」
キョウはといえば、とっくに会話から離脱している。
わからない事が多いが、後でまとめて誰かしらに聞けばいいと思っていた。
パールフェリカ、ミラノ、ネフィリム、シュナヴィッツの4人の輪から1歩下がるキョウ。
ミラノはキョウをちらりと見て、話し始めようとした。
──が、すぐにはっとしたように窓を振り返った。
室内の全員が黒い“うさぎのぬいぐるみ”が向いた方を見た──瞬間、あまりの眩しさに目を細める。
『──ミラノ!』
壁を、窓を無視して光の塊が飛び込んできた。
光の塊からは少年期独特の掠れた声が発せられた。
急速に光が薄らいでいくと、声の主の姿がはっきりしてくる。
それは誰の目にも明らかな、天使の姿──しかし、表情は穏やかではない。
背に真っ白の6枚の翼を持つ、銀色の髪をした少年が壁をすり抜けて駆け込んできたのだ。
量のある銀髪を後ろで1本の三つ編みに束ねており、長さは踝まである。陶器のような肌や翼は光が滲んで、全身の内側から白銀の輝きがこぼれている。
眩いばかりなのに、少年の顔はやや青ざめても見える。
『──アルティノルドが変だ。“封印石”から出ていった!』
少年天使は切羽詰まった声で言った。