(138)“微笑”(2)
(2)
帰城するなりパールフェリカはエステリオと共に湯浴みに直行した。
その間、キョウはリディクディと共に兵士らの食堂というところへ連れて行ってもらって、たらふく飯を食った。時間が外れていて、他に人は居なかった。
大きな笹っぽい葉に包まれて出てきたのは、蒸した丈の長い米らしきものや、塩の利いた何かの肉。それらを鼻にスッとする独特の香りのある柔らかい葉で包んで食べた。
料理の名前を聞きはしたが、丁寧な相槌を打ちつつキョウは覚えていない。記憶したのは「うまかった!」という感想だけだ。
食後、パールフェリカの部屋で姉を待つ事にした。キョウの姉への目印はパールフェリカらしいから。
リディクディと話をしながら部屋へ戻った時、まだパールフェリカもエステリオも戻っていなかった。
キョウはのびのびと寛いでリディクディとしゃべっていた。
「うは! まじっすか! え? それでリディさんその人と結婚すんの? ね、いつ?」
「いや、まだいつって決まったわけじゃ……」
「えー! 何言ってんだこの色男が! そんなんじゃ駄目だって! そんだけ相手もベタボレならさ、こう、なんつの──いっそ」
リディクディの方へ体を向けて姿勢を伸ばし、キョウなりの良い声を発する。
「“俺についてこい!”──みたいなノリでだよ!? いかなきゃ。あっちも待ってるって!」
「そ……そうかな……」
「そうに決まってるって! 女心女心!」
「うーん。わかった。今度非番の時に……──でも、何て言ったらいいんだろう……」
「そこはもう! 彼女の顎にそっと手を添えてね、目を外さない事だよ! ポイントはね、両思いだってトコだけど、こうウルウルしてる彼女の瞳をだね、男はじっと見つめるんだ! これね、ムード作り! でも大事なのはね、リディさん、男ってのは基本言葉が上手じゃないんだ。それをね、ムリしない事! どうするのかっていうと、物言いたげな目で見て、間をちゃんと開けるんだよ? んで、素直な気持ちを告げるのが大事! 後ね、いらない事は言わない! あーこれ、こっちの方が大事だね! 女の子に夢を見させてあげる部分を残す事。これがあるとないとでは、随分違うんだ! 真実が重要じゃないんだよ、ここはね!」
一つのソファに男二人、正座向きあって話していたが、本人曰く「言葉が上手じゃない男」のキョウの言葉数の多さに、リディクディはじりじりと押されていた。
「──……キョウは、元気ね。リディも随分と仲良くなって……」
パールフェリカの暗い声が降ってきて、リディクディは跳ね上がるようにソファの横に立った。
キョウが力説していた間に部屋の主が戻って来たようだ。
パールフェリカはエステリオに小さく手を振り、一人寝室へと向かった。
着ていた服は先程までとあまり変わらないデザインのものだ。
キョウはちらりと腕時計を確認した。まだ16時にもなっていないから、当たり前だなと納得した。寝間着じゃない。
「あ、待ってパールちゃん! ねね! ちょっと俺と話しない?」
そう言って寝室だというのに無理矢理体をねじ込んで入って行った。
「ちょ、キョウ様!?」
「エステル、キョウ君なら大丈夫だよ」
「キョウ、君?」
「ミラノ様の弟だけあって、というのも変だけど、悪い人じゃない──というか多分、お人好し?」
エステリオの問いにリディクディは曖昧に笑った。お節介なオバさんのようだ、とは言わなかった。
寝室に窓は無いが、灯りがついていて暗くない。むしろ明るすぎるくらいだ。
「──何? 確かにキョウはミラノと似てるけど、ミラノじゃないの。礼を欠きすぎなのよ。でしゃばらないで。あっち行ってなさい」
──うっは! すっげ不機嫌……! これなら、イケる──。
キョウは歯を噛みあわせたまま口をにかっと開いて笑った。
パールフェリカはベッドの端に腰を降ろしている。キョウは部屋の扉を後ろ手でぱたんと閉めた。下唇を一舐めしてキョウは顔を上げた。
「パールちゃん、ミー姉、好き?」
腕を組んで正面を向いていたパールフェリカの額がひくりと動いた。すぐにふっと表情が、ほんの少し和らいだ。息を一つ吐く。
パールフェリカ姫にはミラノの話題が一番だ。
「──ええ。好きよ。とてもかっこいいもの。私、憧れてるわ」
「そっか。ありがと」
パールフェリカが腕を解いてキョウを見た。
「なんでキョウがお礼を言うの?」
言葉の端々はところどころ尖っている。
「え? なんでって、嬉しいからだってば」
にっこりと笑みを見せるキョウに、パールフェリカは不審そうに下から見上げる。
「嬉しい?」
──きたきた。結構簡単に釣れたな。
キョウは内心とは裏腹、目元を弓形に優しげに笑ませてから言う。
「ミー姉ってさ、人をあんま近寄らせないんだ。見た目もあるけど……。それがさっきパールちゃんと話してるミー姉見て思ったんだけど。ミー姉はパールちゃんの事、すっごい大事に思ってんだなぁって。そんで、そのパールちゃんにミー姉好かれてんだから、ミー姉良かったなぁって、俺思ったんだ」
それは素直にキョウが思った事。
嘘を言ったって女の子は簡単に見抜くと知っているから、キョウは誤魔化す事はあっても、嘘をつかないようにしている。特に、このパールフェリカ姫はかなり勘が良い。
ついでに、テクニックも忘れていない。名前を何度も呼ぶ事──親しくなる近道だ。
「ミラノは、私のこと大事に思ってくれてる?」
「思ってくれてる思ってくれてる!」
キョウは1歩、2歩前へ出て、肩をすくめて呆れたポーズをとる。
「弟の俺なんかより、ね」
パールフェリカが小さく息を吐いて、ほんの少し笑った。パールフェリカに拒否の色が見えないので、キョウはさらに近寄ってベッドの端に腰を下ろした。
「でも……私、やっぱりそれだけの子じゃないかも。ミラノにあんなに教えてもらったのに……何も……」
──不機嫌ってのは甘えの現れっていうけど、この位の年の子は素直だなぁ。
キョウは別の事を考えつつ、パールフェリカに笑みを投げかけた。
「パールちゃんが悩んでんのって、あの蝙蝠の大群でみんながケガしちゃったって事だろ?」
「……え?」
パールフェリカは声に出さず「なんでわかったの」と呟いた。
「あんだけ態度に出してたら誰だってわかるって!」
「…………」
パールフェリカは人差し指を唇に当てて考え込んでいる。
「うーん、そうだなぁ、今パールちゃんが考えてる事はー……『おかしいわね、今までリディにもエステルにも勘付かれた事ないのに。どこが違うのかしら』──ってな感じ?」
そう言ってキョウはにへっと笑い、パールフェリカは手をぽとりと膝の上に落とし、大きな目をさらに大きくした。
パールフェリカは今まで通り胸の内を隠していた。
慣れきって息をするように猫を被っている。パールフェリカが突然黙るのは以前からある。護衛騎士のエステリオらは深く詮索しない。いつだって踏み込んでは来なかった。
あの蝙蝠だって「姫様は恐怖で身が竦んでしまわれたのだろう」程度に思われているはずだ。
実際、エステリオはそう思っていた。湯浴みの前にはその心配をされたのだ。
なのに、キョウには筒抜けている。
キョウからすれば、パールフェリカの言った一言『お姫様じゃなくて、パールって呼んで?』──これで、パールフェリカの性格のほとんどを見抜いている。
結局、自分をお姫様として接する相手には心の中を見せていない証だとキョウには読めた。
それでミラノが好き、憧れているならば──。
キョウはミラノと変わらないぐらい人を観察する。しかも人付き合いを厭わない性格なので、生きた年数が短いながらミラノよりもずっと沢山の人と接してきた。
人の懐にズカズカ入り込む“おせっかいキョウ君”の、これが本性だ。
キョウは足をゆっくりと組んでパールフェリカを見て言った。
「考えてみて、パールちゃん。ミー姉にもパールちゃんと同じ歳の時があったんだよ?」