(134)王子と黒いうさぎ(1)
(1)
再び絶壁に飛び出した入り口前に戻った時、パールフェリカ姫の横に居たキョウは小走りでルトゥに駆け寄った。
「ルトゥさん、すいません!」
キョウが言葉を投げる。
「何がだい?」
「いや、人探しをお願いしたじゃないですか」
キョウはルトゥとレーニャの正面2歩の距離まで来て足を止めた。
「ああ、ヤマシタミラノ様の件?」
「──……様? えっと……なんか見つかったみたいで、多分」
キョウが多分と言ったのは、あれを姉と認める限りでという意味だ。
話してみた感じ姉以外有り得ないと諦めても、見た目が幼児サイズの“うさぎのぬいぐるみ”なんて姿をしていたら、なかなか受け入れるのは難しい。
弟から見てもクールで美人な姉だった。あんなに小さく可愛い格好で現れられては正直引いてしまう。
「ああ、その辺なら気を遣わなくていいさ」
「いや、話すの遅れちゃったから。俺すぐパールフェリカお姫様と一緒にしゃべっちゃってたでしょ」
「気にしなくていいよ、むしろ助かったかな。道案内で刃物ぶん回すのは楽なんだけど、姫様のお相手っていうともう、何しゃべったもんだか……話し方だってこれでいいのかって考えたらさ、舌噛んじゃうんだ、あたし」
それで常々ネフィリムへの報告をソイら3人組に任せる。彼らは相手を巻き込む。マイペースなのだ。
空気を読まないで行動して許される──馬鹿みたいな性根の明るさを持っている。また、身分の類に物怖じしない。身分を蔑ろにするという事ではないが、どんな相手でも簡単に懐へ飛び込む。
ルトゥはネフィリムと彼らが話す様子を見て「こういうのが憎めないヤツというのだな」と感じたものだ。
それと近い雰囲気をキョウも持っていて、親しげにパールフェリカ姫と接しているように見えた。
「あー、じゃ、正解だったのか、よかった。なんか、パールフェリカお姫様が依頼人っぽかったし、俺ルトゥさんらに世話になるしで、どっち優先させたもんかなって思ってたんだよね。結果お姫様が楽しんでもらえたら全部オッケーかなって……」
ルトゥは微笑んだ。キョウはちゃんとわかった上でお姫様に合わせていたのだなと納得したのだ。
「ああ、ありがとう」
礼を言い、綺麗な顔立ちの笑顔を振りまくキョウをじっと見た。
今まで顔が良いので避けていたのだが、それ以上の親しみやすさがある。
キョウが視線に気付いて緩く首を傾げた。『何?』とでも言っているようだ。
突然現れたお姫様にばかり関心が移ってしまっていたわけでは無かったらしい。あれほど砕けた様子で笑いながら話していたにも関わらず、こちらにも気を遣っていたようだ。
「肩、破れたね。もっと頑丈な布なり皮の服を着る事だね」
べろりと垂れたキョウのシャツをルトゥは指差した。傷跡は消えているが、右肩と肩甲骨がむき出しになっている。
「お姫様無傷だったし、それでいっかなって思ってたんだけど。怪我が治ってくの、すごいね。ああいうこと出来るものなの? “召喚獣”って」
右肩にそっと触れてからキョウは顔をルトゥに向けた。
ルトゥの肩にとまっている赤い“召喚獣”ステュムを見ている。
ステュムは蝙蝠の群れをやり過ごした後は再び鳩サイズになり、そのままルトゥの左肩にいる。
「怪我を治せるのはパールフェリカ姫のユニコーンしかいないよ。ユニコーン自体は“唯一の召喚獣”じゃないが、今“召喚獣”として確認されてるユニコーンは姫のだけだからね。あと他に怪我をあんな風に治せるのは創世の神サマって言われてるアルティノルドぐらいさ」
ユニコーンを召喚出来るパールフェリカ姫は、世界でただ一人、神の力の一部を持っているという事を意味する。
「……神様……アルティノルド……」
キョウが目線を逸らした。
「それでキョウ、これからどうするんだい?」
キョウはすぐにほんのりとした笑みとともに視線をルトゥに戻した。
「うん、その話もしたかったんだ。ミー姉……探すのを頼んでたヤマシタミラノって人だけど」
ルトゥはぷっと吹き出すように笑った。
「キョウの呼び方でいいよ。ミー姉、かい?」
「え、うん、ミー姉」
キョウは相手によって態度を細かく調整している。大きく変えるという事はあまりなくても、相手にとって最も話しやすい距離感を取ろうとする。これでは内心というものが読み難い。人によっては腹黒だというかもしれない。
「俺がパールフェリカお姫様のところに居たら、ミー姉は迎えに来てくれるみたいで、俺、お姫様と一緒にお城? に行くかも」
「かも、じゃなくて行くんだろ」
ルトゥは笑ってキョウの額を人差し指で弾いた。
最初に立てていた予定の事を気にしているようだ。デコピンは、周りに気を遣いすぎだという意味。ルトゥはその手を腰に当てた。
「あたしたちは一旦さっきの“主”のところへ引き返すから、心配いらないよ。キョウがパールフェリカ姫の世話になるならなるで、あたしたちも自分の仕事に専念できる分ありがたいしね。姫の所へは、あたしたちもツテがあるから行けるし、今日は無理だけど、遠からず城には報告に上がる。もし用があるならそん時に顔見せてくれたらいいよ」
キョウはルトゥの言葉に逐一頷くと、最後にはわかったと言った。
同じような話を“光盾”長ルトゥはパールフェリカらにした。
再び巨大化させた“召喚獣”ステュムにレーニャと共に乗り、絶壁を離れ、空へと飛び立った。
キョウはリディクディの青いペガサスの後ろに乗せてもらい、再び空の人となる。
時計は15時を回っている。
「……くっそ~……腹減った……」
「?」
風の音が大きく、キョウの呟きと腹の虫の音はリディクディに聞こえなかった。
森深く、神の力に満ちた召喚古王国ガミカは今、夏も盛り。
春に柔らかく芽吹いた草木は、降り注ぐ夏の日差しを受けて存分にその緑を伸ばしている。
街の人は皆、暑さに袖や裾を捲り上げ、飾り紐で縛っている。
ガミカの夏は長くないので夏用の服が無い。春秋物で済ませてしまう。
木陰に入ってしまえば涼も取れる。暑すぎないが、夏と感じられる程度の気候だ。
ガミカより南に位置するプロフェイブと比べると過ごしやすいのだが……。
──嫌々訪れていた少年は味気ない色味だと溜め息を吐き出した。
確かに生き生きとした巨大な樹木や、上下を渡る風、泉の煌めきは美しい。だが、地味だ。
木々の緑と茶色、建築物や路面に使われている煉瓦の薄い土色ばかりが視界に入ってくる。
プロフェイブ首都マローなら、召喚術を使って色とりどりの幕が空へ押し上げられていて、風に揺れ、それだけでも風景は鮮やかだ。活気に満ちた人々の賑やかな声が、耳元に聞こえてきそうな程……なのに。
大国プロフェイブ第三位王位継承者キリトアーノはガミカ王城の一角、空中庭園の柵に肘をついて城下町を見下ろし、再び溜め息をついた。
空中庭園には春よりも色鮮やかな、赤みの強い花があちこちに配置されている。噴水は増水されているらしく、端っこに居ても涼しげな水音が聞こえていた。
キリトアーノ王子は人払いをしていた。
自然のものを除いて、物音はほとんど無い。
5歩程離れた所にプロフェイブから連れてきた護衛がいる。鋼の鎧に身を包んだ二人がつっ立っている。時々、身じろぎに鎧のこすれる渋い音が聞こえる程度だ。
キリトアーノの衣服はガミカにあっては人の目を奪うほど派手だ。
彩度の高い緑色のひらひらした上衣。春とは違ってスカートと見紛う幅広のズボンは、黄色の軽い布地で風に揺れる。随所に桃色のアクセントがあって、派手な色合いに慣れないガミカの者なら間違いなく目がチカチカしてくる。
ズボンは膝下で絞られ、そこから先は銀色のブーツ。つま先が尖っていて、指3本分上に延びている。
衣服には銀糸の刺繍が縦横に走り、粒の細かい宝石があちこち縫い止められている。
指にも左右合計6つの指輪が並んでいる。
光が当たると銀色に見えるマントは、夏なので短めだ。
ごてごてとしたドラゴンの彫り物のある装飾刀がよく見えた。
鞘にも植物の蔓の彫り物と、からまる果実をイメージした宝石が埋められている。見せる為に造られているのがよくわかる。
ガミカではこういう武具の出番は年数回の式典ぐらいでほとんど蔵から出される事はない。
開けば大きな目だが、キリトアーノは半眼で城下町を見渡した。
ややつり上がった目は、細めると鋭くなる。
薄茶色のサラサラした髪が風に流れる。
穴を開けた小さな宝石を、伸ばした前髪に通して装飾にしている。宝石に光がさして色の入る様子を、何も考えずに眺めるのがキリトアーノは好きだった。
18歳のキリトアーノは13歳のパールフェリカ姫との“縁談”を形にする為、とにかく顔を見せて来いと何かと用事を作られてはプロフェイブ第一位王位継承者たるエルトアニティにガミカへ送られてきている。
だが、今回は間が悪かったのか、のらりくらりとかわすネフィリム王子にしてやられたか、パールフェリカ姫は不在で会えなかった。
今はプロフェイブからの迎えの飛翔系召喚獣を待っている。それで、空をひたすら眺めていたのだ。
ガミカはプロフェイブからすれば“ド”の付く田舎。
最近、プロフェイブの婦女子の間では、膝より少し上までの丈の短いスカートが流行っている。
正面からは膝から下の肌や履物が露出してお洒落部位が増えている。後ろは今まで通り鳥の尾羽のような、踵を覆い隠す沢山のレースがあしらわれている。ガミカは……男も女も皆動きやすいズボン。
──つまんね。
3度目の遠慮の無い溜め息をたっぷり3秒間、キリトアーノは吐き出した。
──が。
次の瞬間、どふっと背中に重いものが落ちてきた。
肺の空気を吐き出してしまった後だったので「ぐえ」などといった情けない声を出さずに済んだものの、柵にもたれかかって前かがみだった背中は重みで沿った。
一体何なんだと憂鬱に振り返ると、黒い物体が背中から地面に滑り落ちた。
しっとりとした黒い塊がころころと転がった。
ぴたりと止まると塊からはにょきっと手足が伸びて──動いた。
それは、すっくと立ち上がる。
首だけを後ろに向けていたキリトアーノは二度見の形で勢いよく振り返った。
一重の大きな目を最大まで開く。
灰色の瞳に光が差し込み、中心で黒い物体が動いている様子が映っている。キリトアーノが見ているものだが、信じがたい。
よく見れば、2足歩行の黒い“うさぎのぬいぐるみ”……。
何度かパールフェリカ姫の部屋で目にした事のある白い“うさぎのぬいぐるみ”の色違いのようだ。幼児程の背丈の、人型にうさぎの特徴を詰めた“うさぎのぬいぐるみ”。
目の前で黒い“うさぎのぬいぐるみ”はぱしぱしと全身の埃を払っていたが、ピタリと動きを止めた。こちらに気付いたらしい。
たるんと長い耳が揺れて、黒い頭がこちらへ巡る。
垂れ目気味の赤い目と、キリトアーノの灰色の目があう。
キリトアーノの言葉は、息ごと喉の奥で詰まって出てこない。
「………………」
「………………」
数秒の沈黙の後、黒い“うさぎのぬいぐるみ”は緩く首を傾げ、背を向けて歩いて行った。
方向に迷いは無く、この空中庭園の出入口に消えた。
たっぷり100秒以上数え、考え、ごくりと唾を飲み込んでから、キリトアーノはやっと声を発した。
「…………な、なんだあれっ!?」




