(133)パール姫の冒険V(3)
(3)
クーニッドの南東に位置するこのフラスト洞穴は、大昔に誰か──数百人規模の集団──が住んでいたと思わせる小部屋や上下を貫く空気穴など多数の工夫が垣間見えた。
とはいえ、10年20年、100年や200年前のものとは思われない侵食によって岩壁のエッジはなくなっている。よく調べて回らなければ、ぼこぼこ規則的な穴の空いた洞穴という印象だけで終わる。自然界にあるものと見逃してしまいかねない。
このフラスト洞穴、実はよりクーニッドに近いトゥーレン旧地下坑道と地下で繋がっていた。“光盾”がモンスターの住み処となって久しいトゥーレン旧地下坑道踏破後に発見した場所で、フラスト洞穴という名はその時に付いた。もちろん“光盾”は命名権も売っぱらっていたので、命名は金の余った輩による。
トゥーレン旧地下坑道側の入り口付近は易しいが、奥は危険が多い。
パールフェリカの見聞にはフラスト洞穴側から入る事になった。
山の絶壁にある入口へは飛翔系召喚獣でなければ来ることが出来ない。
パールフェリカ本人や護衛のエステリオ、リディクディは飛翔系召喚獣を召喚するので問題ないが、お忍びについてまわる王都警備隊など、彼らには飛翔系召喚獣はない。モンスターの襲撃がい減ったと言ってもゼロになったわけではない。姫の気分一つで多くない飛翔系召喚獣を迂闊に動かす事は出来ない。そこで、パールフェリカの案内役は最初にここを発見し、ネフィリムからの信頼も篤い“光盾”にお鉢が回ったのだ。
「姫、よろしいですか?」
リディクディが声をかけてやっと、キョウと談笑していたパールフェリカは笑いをおさめて一つ頷いた。
ゆっくりと振り返って“光盾”の二人を見る。
両手をへそより少し下で組み、姿勢を正す。両方の口角を同じだけ持ち上げ、笑みを浮かべた。
「足手まといにならないよう気をつけますが、何かある時には頼りにしています。よろしく、頼みます」
「──必ず、お守りします」
“光盾”長ルトゥが力強く言い、一行は洞穴へと降りる。
先頭は、肩に小さいステュムを乗せたルトゥ。赤い召喚獣ステュムは揺れる肩の上で翼を前後に動かして座る位置を探している。
その後ろにエステリオ。既に荷物から松明を3本出し、手早く召喚霊サラマンダーを召喚して火をつけさせていた。召喚霊は例外を除いて数秒から数十秒しか召喚出来ず、ずっと連れては歩けない。松明を持ち込んだ理由だ。
1本をルトゥに、1本をリディクディに、残りを自分で持った。
次にキョウとパールフェリカがほとんど横並びに入る。
レーニャが軽い足取りで2人のすぐ後ろを追い、最後にリディクディが入った。
レーニャもルトゥと同じように、召喚獣カトブレパスを手の平に乗るサイズで召喚して肩に乗せている。
“光盾”では、即戦闘可能な召喚獣を召喚出来る者は、探査など危険が少しでも伴なう場所では召喚したまま入る。罠外しは得意だが身を守るのは苦手、そういう者を守る為だ。老若男女関係無く、能力次第で役回りが決まる。
“光盾”で三大火力として数えられるのがストゥム、カトブレパス、ガーゴイル。レーニャはまだ10代前半の少女だが、“光盾”の中では最重要戦力、一目置かれた存在だ。ルトゥと共にあちこち難度の高い場所に行き、強力なモンスターとの戦闘を繰り返して場数をこなしている。レーニャにはそこらの年長の召喚士や慣れた冒険者でも歯が立たない。
なお、ソイ、オルカ、コルレオのペガサスを召喚する三者は、召喚術を除いた総合能力──対人、対召喚獣、対モンスター、対アンラッキーへの対処能力──が優れていて、つまり幸運すぎる程幸運で、確かに実力もあるのだが、勢いだけでも突き進める馬鹿集団ということで“光盾”の中でも世界に名を轟かせている。
通路は2人が並ぶとやや狭い程度で、キョウとパールフェリカ以外は一列で歩いた。
既に何度も調査隊が入っているので、壁には手すり代わりのロープが張られている。足元にはごろごろとした石が転がっているので、ロープを手に先へ進む。
快晴の空を飛び、日陰にしばらく居たとはいえ、目はまだ慣れない。
3本の松明が照らしているが、薄暗く、足元はほとんど見えていないまま。つま先をずるずると押しだしつつ、一歩一歩前へ進む。
靴の裏を尖った石ころが刺して突き破るのではないかと心配になる。その分前へ進む速度も遅くなった。それが下り坂になると、負担はさらに大きくなる。
洞穴に入ってすぐは「わーまっくらー!」などとはしゃいでいたパールフェリカは、以前“飛槍”の洞窟のような拠点に連れて行かれた時の“うさぎのぬいぐるみ”の大活躍などを元気一杯しゃべっていた。だが、生前のユニコーンを死なせてしまう事になった地下通路の話はせず、ついには完全に黙ってしまった。
「──てかさ、パールちゃん、何でこんな洞窟来たいと思ったの?」
しばらく皆、黙々と歩いていたが、キョウが口を開いた。
「え?」
「ん? いや、なんか、ねぇ、女の子が来たがるトコロじゃないかなって思ったから」
パールフェリカが斜め前のキョウを見上げると、後ろ寄りの横顔が見えた。ほんのりと笑っている。
正直なところ、城の中を走りまわっちゃ国内騎士憧れの護衛騎士たるエステリオを振り回して振り切っているパールフェリカでも、慣れないデコボコした地面には苦戦して息が上がっていた。なのに、キョウは笑っている。
──キョウったら見た目より体力あるのかしら。
「見たかったのよ。城の近くにはこういうところ無いし」
額に浮き上がっていた汗を左袖で拭いつつ、パールフェリカは答えた。
「無いし?」
「え? んー、無いから、見てみたいなって思ったのよ」
もし今後、ガミカ王女として誰かと婚約が決まり、結婚という段取りになったら──大人になってゆけば、パールフェリカはますます外に出られなくなる。まだ制約の少ない間に見れる限りを見、出来る限りの経験を積みたいと思った。“自分”を捕まえたい、価値を見い出したいと思ったのだ。それが、ミラノと沢山話して決めたパールフェリカの当面の目標……。
「へぇ~」
相槌を打ちつつ、キョウは段差をぴょいと飛び降りた。
パールフェリカの肩くらいありそうな段差だ。パールフェリカは後ろのリディクディをちらりと見て支えてもらおうとした。が、その前に正面から手が伸びてきた。
「はい」
キョウの左手だ。
右手は壁に固定して、両足を踏ん張っている。パールフェリカはその手を取って、ひょいと飛び降りた。
その着地の時、靴の裏の複数の砂利が転がった。
「うぅ──わっ……!」
足が前へ流れて転びそうになる。パールフェリカは慌てて目の前のキョウのズボンを引っ掴んだ。するとキョウもバランスを崩す。粘ったキョウはぎりぎり半身をひねるだけで済んだ。
が、キョウのジーパンは緩めのベルトで腰履きしているきすぎない。パールフェリカの体重に耐えきれず簡単にズリ下がり──松明の灯りの中で、半ケツを晒した。
「お、っとぅ……」
「あ……あの、ごめん……なさい?」
目の前の半ケツに謝るパールフェリカ。足はもう滑り止まっている。
「ふ、ふははは、パールちゃん立って、立って!」
誤魔化すように低く笑うキョウの気持ち悪い様子に、パールフェリカは急いで手を離した。一旦地面に手をついて立ち上がる。
「本当、ごめんなさい」
「いやいやもう、謝んないで! パールちゃんならオッケェだからさ!」
言いながらキョウはジーンズを引っ張り上げ、ベルトの穴を一つ詰めた。
「これがね、男にやられたら俺全力で蹴倒しちゃうけどね!」
「え?」
立ち上がったパールフェリカは改めてキョウを見上げた。
「あ~、いや」
キョウの表情からは、怒っているのか笑っているのかわからない気味の悪い様子は消え、元の爽やかな笑みを浮かべている。
「怪我無い?」
松明の灯りの中、パールフェリカの両手から両足、全身を簡単に眺めるキョウ。
パールフェリカもまたキョウを見上げる。
「……無いわ」
「なら良かった」
ほっと息を吐き出した後、「男の半ケツなんてほんとつまんないんだから……」と小さな声で呟くキョウ。
「え?」
「え? 何? 俺なんか言った?」
「…………」
パールフェリカは小さく首を左右に振る。確かに聞こえたのだが「うん」とも言えなかった。
「……いやもう、前じゃなくて良かったよ……」
ポツリと、キョウがまた小さな声で呟いた。
「…………」
今度も独り言だろうとパールフェリカは返事をしなかった。
──……キョウって……表情わかりやすいけど、考えてる事口から出るみたいだけど、ほんとのとこ何考えてるのか全然わからない……。
狸の兄ネフィリムさえかわす仔狸パールフェリカでも、キョウという人間の中身が掴めなかった。
なまじ、ミラノの弟という先入観があるせいかもしれない。パールフェリカは切り離して考えた方がいいのかなと首を捻った。
その時だった。
「──伏せて!」
エステリオの鋭い声が飛んだ。
突然の事でパールフェリカはエステリオの顔を探したが、その頭をキョウが抑えてしゃがみ込んだ。
ほぼ同時、大量の羽ばたきが大音響で耳をついた。
頭上を真っ黒の小さな塊が入り口の方へ津波のように流れていく。数が多い。
パールフェリカは押し込まれた頭を持ち上げ、塊が何なのか見極めようとする。だが、その前に赤い何かが広がって視界を遮った。
持ち上げていたパールフェリカの顔の前に、キョウの半身と腕が回りこんできた。
「パールちゃん、頭下げて」
「え? 何??」
羽ばたきの音は大きく、キョウの声をうまく聞き取れなかった。
「──たぶん、蝙蝠!」
頭を下げるよう言われながら、パールフェリカは再び視線を上げた。
頭上を覆うのは赤い召喚獣ステュムの翼だった。瞬時に巨大化して6人の頭上に羽を伸ばし、庇ってくれているのだ。
進行方向、洞穴の奥から羽音は溢れてきている。
前を見れば、ステュムの懐に飛び込んできそうな黒い塊──蝙蝠をエステリオとルトゥが手に持った松明で追いやっている。
目線を落とせば、突然巨大化したステュムの翼に激突でもしたのか、気を失ったらしい蝙蝠が落ちていた。思っていたよりも大きく、翼が鋭い。翼を除いた体全体で人の頭程の大きさがある。
「頭下げて」
もう一度聞こえたキョウの声は、静かながら強制力を含んでいた。
近くのキョウの顔を見上げる前に、眼前の彼の肩がどんと揺れたのがわかった。エステリオらの間をすり抜けた蝙蝠がキョウの肩をかすめるようにぶつかり、上へ抜けて、ステュムの翼の下スレスレをよろよろと飛んでいった。
「キョ……」
声を全部出す前に、パールフェリカの頭は無理矢理押し下げられた。緊急時でなければ無礼極まりない。
視界も下がり、キョウの腿の間におさまった自分の足下を見た。
「ぶつかるなんてさ、間抜けな蝙蝠だよねぇ……──大丈夫、きっとすぐ止むよ」
頭上から聞こえたキョウの声は、さっきの不気味な笑い声の主とは思えない、軽やかなリズムのある柔らかいものだった。
羽音が完全に止み、蝙蝠がぜんぶ外へ飛び出してしまってから、ルトゥはストュムを元の大きさに戻した。
ルトゥがここを訪れたのは初めてではない。
通路こそ狭いが奥は長く広い事を知っている。蝙蝠は奥の広い場所に生息しているらしいとパールフェリカらに教えた。さらにルトゥは目を細め「昼間に外へ出る事なんてないのにさ」と付け加えた。
全員が立ち上がった後、前に居たルトゥとエステリオ、キョウの衣服がところどころ裂けているのがパールフェリカには見えた。蝙蝠の翼が当たったらしい。
後ろ、段差の上に居たリディクディとレーニャは、むしろステュムの翼で地面に押し倒され、そのまま頭を地面に付けていた。じっと行き過ぎるのを待っていた事もあってほとんど無傷だ。
蝙蝠は、パールフェリカとキョウの後ろの段差にぶつかって気を失って転がるか、リディクディらと翼の間をちゃんと通り抜けたかのどちらからしい。
パールフェリカは小さく息を吐いて足元に白い魔法陣を広げた。
松明よりも眩い光が洞穴に広がる。
ぎゅるっと回転した魔法陣から、飛んできた時の半分程の大きさのユニコーンが召喚された。
顔をぶるぶるっと左右に振って、ユニコーンはパールフェリカに頬を摺り寄せた。
「うおお! これユニコーンだよね! え? あ、そっか! “召喚獣”……へぇ……へぇ~……そういうモノか!」
キョウを見やれば、肩辺りが破けた半袖シャツの下、ほんのりと血が滲んでいるのがわかった。
観察するパールフェリカをよそに、キョウはユニコーンに感心するばかりで「痛い」とか蝙蝠へのネガティブな発言を一つも言わない。
──そういうところ、似てるのね。
パールフェリカはユニコーンの頬をそっと撫で、その角をキョウやエステリオ、ルトゥに向かわせた。
淡い薄桃色の光が、ユニコーンの額の角からふわふわと漂い、彼らの傷へと飛び込んだ。傷は光を吸ってじわじわ浸透すると跡形もなく消え去った。
世界で唯一“治癒の力”を授けられた幻獣ユニコーン。それがパールフェリカの召喚獣だ。
両方の口角が下がってしまいそうなのを、パールフェリカは俯いて堪えた。
謎の蝙蝠の群れとの遭遇以降、完全に黙ってしまったパールフェリカと5人は、もくもくと下り坂を降りた。そこからしばらく真っ直ぐの道を歩いて、開けた場所に出た。
──地底湖だ。
それを松明の灯りだけで眺め、再び来た道を戻った。
何ヶ月も見たいとだだをこねたはずのパールフェリカだが、神秘的ですらある地底の大きな空間と溜まった地下水で出来た湖を前にして、初めて見るというのにぼんやりとしていた。
ほとんど目に入っていなかった。
どこからか吹き込む涼やかな風も、水の跳ねる高い音も、パールフェリカにとってとても珍しい光景だったにもかかわらず、記憶に残らなかった。
パールフェリカはただただ、早く城に、自分の部屋に帰りたかった。




